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月の蘇る-来-  作者: 蜻蛉
第一話 再会
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 4

  挿絵(By みてみん)


 戔王は歳の離れた弟を玉座から見下ろしていた。

 跪き顔を伏せたまま動かない。挨拶を口にするでもなく、何を問うても答える訳でもなく。

 尤もこれは今に始まった事ではない。ずっとこうだ。こうして謁見として顔を合わせる度に。

 だから周囲の家臣も慣れている。またか、という溜息と共にその気詰まりな時間を潰す。

「もう良い。退がれ」

 時間の無駄はさっさと切り上げて言い渡す。

 弟――隆統(リュウトウ)は立ち上がって一瞥だけくれ、踵を返した。

 その空間から姿を消すと、王は溜息を吐く。

 月に一度、十日ほどこの城に来させて逗留させる決まりになっている。

 王弟である彼に都を見せ、勉学と刀の稽古をさせる為――と言うのは建前だと本人も気付いているだろう。

 本来の目的は監視だ。その腹で何を考えているのか聞き出し、もし良からぬ考えがあったとしてもこの城内に閉じ込めれば事は起こらずに済む。

 だが、彼はその胸の内を一切言葉にしない。

 人前で口を開く事が無い。顔色すら変えない。常に己の内に閉じこもっている。

 所詮は十四の少年だ。多感な時期で迎える己の複雑な立場を、そうやってやり過ごそうとしているのだろう。

 逃げているだけとも言える。

「陛下の前で申し上げる事ではありませんが…愚かな子供ですな」

 宰相である碑未(ヒミ)が冷笑を浮かべて囁いた。

 咎める事も出来ず、もう一つ息を吐いて。

「あれは可哀想な弟だよ、碑未」

 何とは無しに取りなして、次の客を迎えた。


 隆統は真っ直ぐに城の外れにある軍部の道場に向かった。

 後ろから少年が一人付いて来る。祥大(ショウタイ)だ。

「ご機嫌悪いですね、兄さま」

「別に」

 不機嫌を露わにした声音で言い捨てる。

 もう一人、先導する大人が笑って振り返った。

「何処がですか。それで機嫌が良いって言われたら誰も若様に話しかけられなくなりますよ」

「望む所だ、賛比(サンヒ)

「そういうお前が黙っておけって?」

「分かってるじゃねえか」

「そういう物言いがお父上にそっくり…って言うのは桧釐さんの受け売りですけどね」

 憤然として隆統は口を噤む。

 相手を黙らせたいなら自分が黙るに越した事は無い。

 月に一度、都に引っ立てられる時はいつもこの二人が付いて来る。

 賛比は護衛として。祥大は従者という名の話し相手として。

 実の親とさえまともに会話しなくなった隆統の、数少ない心を開ける二人だ。

「兄上に何か言われたんですか」

 気を遣って祥大が聞き出そうとしてくれる。

「何も?寧ろ、何も喋らない人形に話し掛ける事なんて無いだろ」

 人形という形容がそのままぴたりと当て嵌まる程に彼の容姿は整っている。本人はそういう意で言ったつもりは無くとも。

 北州の墓地にある像――彼の義父の母を模した像を、そのまま生きる少年にしたらこうなるだろうという見目だ。

 だから黙っていても可愛がられる部分はある。義兄などは特にそうだ。正に人形のように愛でてくる。

 それが不快でならない。

「まあまあ、鬱憤は刀で晴らして下さい」

 賛比は言いながら道場に入って行った。

 自身にとっても懐かしい場所だ。十数年前からここは変わらない。

「お父上は忙しい合間を縫って、ちょくちょく俺達と朔兄(さくにい)の稽古を見に来ておられました。まさかそのご子息と俺が差しで稽古をするなんて、その時思っちゃいませんでしたが」

 木刀を渡しながら賛比は喋る。

「子息ったって」

 吐き捨てながら隆統は受け取った木刀を素振りした。

 びゅっと空気が鳴る。相当な速さの太刀筋だ。

「周りがそう言うだけだし」

「隆統様ぁ」

 非難めいて呼ばわれる。無視して構える。

「早く構えろよ。憂さ晴らしをさせろ」

「はいはい。我儘な若様のお守りは大変だ」

「は?」

 肩を竦められる。舌打ちして無言のまま飛び掛かった。

 木刀同士がぶつかって乾いた高い音が響く。

 賛比は押し合う力を込めるが、急にふっと軽くなった。

 己の刀が相手の刀の上を滑らされる。隆統が刀を倒したのだ。

 そうしながら、彼自身の身は横へ滑る。

 賛比の脇へ。

 刀を滑らせ切ってすぐさま引き寄せる。

 その間に背後を取っている。そして、背中を打った。

「うわあ」

 毎度の事だがあまり容赦して貰えない。

 勿論こっちは元軍人で、相手は王族の少年だ。手加減はこちらがするべきものだが。

「痛いですよ、若様。一度ご自分も経験してみれば良いのに」

「お前が俺を打たねばそれは叶わないんだが?」

「それが出来ないって知って挑発してますよね?全く」

 この天賦の才は実父から受け継いだものだと聞いている。

 即ち北州長である桧釐は、その昔どんな相手にも打たせる事の無い刀の達人だったとか。今は自腹を肥やす――もとい、北州特産の金で己とその領地を潤す福々とした地方政治家だが。

 だが隆統自身の刀は、己も対峙したある人の刀を思い出す。

 否、あれは対峙とは言わないか。稽古という名の遊びだ。

「まさかこれで終わりとは言わないだろうな?」

「お付き合いしますよ。仕方ないから」

 渋々、再び向き合う。

 間を置かず再び向かってきた。今度は横から渾身の力で刀を振られる。

 受け止める。筋力だけはまだこちらに分がある。押し返そうとしたが、また力を流された。

 今度は下。足元へ。

 慌てて飛び退く。が、それが完全に隙となった。

 足を狙うかに思われた刀は、下から斬り上げる形で胸を打った。

「参りました」

 隆統は立ち上がり、寧ろ不満気な溜息を吐く。

「早過ぎるだろう。もっと反撃して来いよ」

「申し訳ない」

 苦笑いで返す。

「もう良い。素振りをして戻る」

 言って、己のみの世界に埋没して刀を振る。

 賛比は頭を掻きつつ祥大の元に戻った。

 あんな手を使われると、ますますあの人にそっくりだと言わざるを得ない。

 しかし何故。どうして似ると言うのだろう。

 偶々だろうか。自分の目にそう映るだけ?

 太刀筋なんて見極める目が自分には無いのだろうか。

 彼の刀が印象的過ぎて、何を見てもそれに見えるだけだろうか。十年も経てば記憶も朧になるから。

 それにしても。

 この道場で屈託無く笑っていた彼は今、どうしているのだろう。

「やれやれ」

「お疲れ様でした」

 十一歳の祥大は、(あるじ)と違って気遣い上手で大人びている。

 持参した竹の水筒を差し出してくれた。流石は医者の息子と言うべきか。

 水を喉へ流し込んで返し、打たれた箇所を摩った。

 特に最初の背中が痛い。

「軟膏がありますよ」

 欲しいものを先に言い当てられた。

「後でな。流石に若様の前では塗れない」

「兄さまは別に怒りませんよ」

「俺が嫌なだけ」

 軍人の肩書きがそれを許さない、と言った所か。

「お前は刀はやらんのか」

 祥大に問うと、彼は首を傾げた。

「見るのは好きですけど、自分がとなると縁遠い気がして。向いてないんですよ、きっと」

「これだけ木刀も揃ってて場所もあるんだ。ちょっと振ってみれば良いのに」

「いやいや、僕は本当に、良いですから」

 そしてそっと耳打ちする。

「刀を始めたら、兄さまは嬉々として僕を打ち据えてくるでしょ?」

 賛比は苦笑いして頷く。

「違いない」

 別に隆統が祥大を嫌って打ち据えるのではない。ただ彼は相手が欲しいのだ。

 幼い頃から師であった実父桧釐は、もう息子が手に負えなくなっていた。確か三年ほど前だ。完膚なきまでに隆統に完勝されて二度と手合わせしなくなった。

 お陰で彼には刀の相手が居なくなった。仕方ないから自分がこうして手合わせしてやるのだが、全く歯が立たない。

 せっかく都に居るのだから、軍部にでも探せば相手は居そうなものだが、提案しても彼はそれを拒む。

 言ってしまえば極度の人見知り。否、もっとそこには複雑な理由があるのは知っているが、絶対に彼は他人と目を合わそうとしない。都の人間だと尚更極端に。

 だから対峙も嫌なのだろう。更に言えばこうしている姿を他人に見せる事も酷く嫌う。

 賛比は昔に身に付けた生活習慣で、この時間なら必ず道場が空いているという時を狙って彼を連れて来るのだ。軍部の生活など時代が変わってもそう変わるものではないから。

 そうこうしていると閉じていた扉が叩かれた。拙い、と思う間に隆統は素振りをやめて隅に座り込んだ。

 扉を開ける。知った顔がある。

 昔からの仲間だ。名は飛雀(ヒジャク)

「よ。こっちに来てると聞いてな」

 心臓に悪い友人を苦い顔で迎える。

「若様の前だ!控えろよ!」

「だからこそだよ。お前が自慢する腕を見たいと思ってさ。朔兄に似てるなんてとんでもないぞ?」

 どうせ嘘だろうとその目は言っている。

 それを咎める気は無い。言った事に自信は無いのだし。

 問題は。

 隆統は無言のまま立ち上がり、向き合う二人を尻目に横を素通りして出て行った。

 祥大が慌てて後を追う。

 姿が遠くなってから賛比は額に手を当てて溜息を吐いた。

「絶対後で怒られるぅぅ」

「はあ?なんで」

 飛雀は半笑いで返す。

「駄目なんだよ。他所で自分の話を漏らしてると分かれば、それがカンに触るんだ」

「それだけで?」

「そう、それだけで」

「だけど、王子とは言え子供だろ?怒らせとけば良いだろ。打ち据えられる訳でもなかろうし」

「打ち据えられる」

「いやでも、そんなに痛くないだろ?」

「痛い。これがめっぽう痛い」

「はあ?子供なのに?」

「子供っつってもな」

 言い募るより見せた方が早いと思い、賛比は片袖を抜いた。

 先刻打たれた背中を見せる。

「痣になってるだろ」

「おー本当だ。見事にくっきり木刀の痕が」

「これがあの人の力だよ。全く容赦無いんだから」

 袖を戻しながらまた溜息。

「あんなに華奢なのに」

 先程すれ違った姿を思い出しつつ飛雀は言う。

「筋力もそう付いているとは思えない。刀の扱い方が天才的に上手いんだ」

「へえ。天才ね。ますます朔兄みたいだな。顔も綺麗だし」

「朔兄は努力型だよ。自分でそう言ってた、昔」

「でも才能が無いとああはならないよ。才能がある上に滅茶苦茶努力してるんだろ」

「確かにな」

「北州に帰って来てないのか?」

 問われて、首を横に振る。

「何の音沙汰も無い。って言うか、生きてるとも思えないんだけど」

 飛雀は大仰に驚いて見せた。

「朔兄が死んでる!?嘘だろ!?」

「お前は見てないだろ。あの人がどれだけ無茶苦茶をしたか」

 十年前、戔軍の一人として従軍はしていた筈だから、たった一人での襲撃は見ているだろうが。

「知ってるよ。だけど一人であの大軍を相手にして、ついに全軍を退かせたんだろ?あれ以上の無茶があるか?」

「あったんだよ。俺は見た」

 とは言え、その経緯は知らないが。

「…最後に見たのは血まみれで倒れてる所だよ。腕は切り取られて。確実に心臓に(とど)めを刺されていた」

「えっ…」

「普通に考えて生きてる筈無いんだ。その後どうなったか知らないけど」

 不本意ながら師に付いて前皇后の行方を追っていた。その間に彼は消えていた。

 北州に帰ったと聞いたが、後を追った時には既にその姿は無かった。

「朔兄が…」

「もう十年前の事だ。悼むにしたって今更だ」

「どうしてそれを早く言わなかった」

 顔を歪ませて頭を掻く。

「俺が認めたくなかった。夢だと思っていたかったんだ。まだ若かったから」

 そう言いつつも、まだ信じていない。

 何処かで彼は生きている。有り得ないがそんな気がするのだ。


 隆統は今度は書庫に閉じ籠っていた。

 ここに来れば祥大は喜ぶ。最新の医学書を読んで父に教えてあげるのだと言う。蛙の子は蛙らしい。

 自身は歴史書、政治学、そして父が纏めたという北方語の辞典と読むものは多い。

 この書庫の為に都に通ってやっていると言っても良い。北州では読めないものが多くある。

 既に時は夕刻を過ぎている。ただでさえ薄暗い書庫を闇が覆う。

 祥大が燭台に灯りを付けた。二人が座る卓上にだけ。向き合って思い思いに書物を手繰る。

 紙の音だけが空間を満たす。隆統はそれが一番落ち着いた。

 人の声は無いに越した事は無い。

 人は要らぬ事ばかり言う。

 自分の事にしろ、両親の事にしろ。

 逸れた集中を再び紙面に戻す。

 北方語の辞典。細かく流麗な字は、幼少期の父の字であると聞いた。

 この原本を作ったのは僅か七歳であったという。その後王に即位してから複製を何冊か作らせたらしいが、それはもうこの国には残っていない。

 天才。

 考えて、苦い気分になる。

 自分など比べるべくもない。

 だが周囲は言う。若様は龍晶様にそっくりだと。

 血も遠い所でしか繋がってないのに、似る訳が無い。

 人の入る気配がした。逃げる暇も無かった。

「春音、矢張りここに居たか」

 幼名を呼びつつ兄が近付いてきた。

「その名はもうお止め下さい」

 淡々と、温度の無い言い方で返す。

「駄目か?私はこの方が馴染みが良いのでな」

 戔王 龍起(リュウキ)――元の名は鵬岷(ホウミン)――は、悪びれず笑んだ。

 他人の目さえ無ければ兄弟は言葉を交わせる。そこは弟も諦めているらしい。

 だから王も従者を連れていない。出口で待たせている。

「何を読んでいた?」

 問うと、さっと光の輪の外に積んでいた書物を隠した。

 だが身を乗り出してその題名を見ていく。

「ほう。大したものだ。矢張りお前はその爪を隠している」

「爪などありません」

「どうかなあ?私は小さい頃からお前がずば抜けた才能の持ち主だと知っているよ」

「買い被りです」

「どうしてそう頑ななんだい?」

 覗き込まれて、目を逸らす。

「昔はあんなに素直でよく喋る子だったのに」

「それは別人です、兄上。今陛下の前に居るのは、天才と言われた春音ではなく、ひねくれた凡才の隆統です」

「十年という時は恐ろしいな。人をこうも変えてしまうのか」

 そして笑う。

「私も他人の事は言えないかも知れないな。十年前は何も出来ない役立たずな王だった」

 隆統の横目が向いた。

 その肩を兄は抱く。

「私はお前の歳で即位した。勿論ただのお飾りに過ぎなかったが。だが及ばぬなりに素直に頑張っていたよ。周囲の言う事を聞いて、王の勤めを果たしていった。それで今がある。お前もそろそろ己の役割を果たす時じゃないか?」

「役割とは?」

「私の側近さ!」

 当然という笑みで言う。

「都に永住しなよ。それで私の側で仕事を手伝って欲しい。いやまずは話し相手だな。こうして誰も近寄らないようにするから、話し相手になって欲しいんだ。賢いお前の意見はきっと参考になる」

 浮き浮きと理想を話す言葉に、小さな溜息が漏れた。

「それは荷が重過ぎます」

「そんな事は無い。すぐに慣れるよ、お前なら」

「もの言わぬ人形にこの城で何の役割がありましょうか」

 それでもまだ信頼のある兄に向き直って。

「王弟だから甘やかされていると、必ず人は言います。それが聞くに耐えない罵詈雑言になるのは想像に容易い。俺はそんな事を聞かされる生活は断じて嫌です。お断りします」

「私が言わせぬよ、そんな事は」

「人の陰口まで止められぬでしょう、王は。そもそも俺には陛下をお支えする器量などありませんから」

「そんな事は…」

「墓場の石像としか見てない癖に」

 それが痛烈な本音だった。

 龍起も流石に言葉を無くした。

 言ってしまった事がある。弟の容姿が子供の姿を捨て、洗練され麗しくなっていく様を見て。

 あの像にそっくりだな、と。

 それを子供心にしっかりと刻んでいた。決して褒められた言葉として受け取らずに。

「そうか…隆統…」

 消沈しつつ龍起は背中を向けた。

「だが私は待っているぞ。心変わりがあればいつでも言って来い。お前の為に言っているんだ、これは」

 弟はそれ以上口を開かなかった。


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