表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の蘇る-来-  作者: 蜻蛉
第二話 記憶
21/515

 9

  挿絵(By みてみん)  


 刀を持って出て来た二人に波瑠沙は呆れ顔を向けた。

「何の真似だよ?」

「ん?稽古」

 朔夜は答えてすぐに自分で首を振った。

「…じゃないな。真剣勝負」

 言い換えて隆統に視線を送る。彼は頷く。

「なんでも良いけど、ここで?」

 波瑠沙は自分が立っている甲板を指差す。

「駄目?」

「暴れ回って転覆したらどうしてくれる」

「転覆するかなあ」

「若しくはお前が川にドボン」

「はっ?しないし」

「すると思うな。なあ、坊ちゃん?お前は大丈夫だろうけど、朔はやりそうな気がする」

 隆統はちょっと考えて頷いた。

「はあっ!?お前まで!?」

「流石、分かってるな」

「何がだよっ!?」

「お前の間抜け加減」

「はぁぁ!?」

 叫びまくる朔夜の口を手で塞いで、波瑠沙は水夫に言った。

「ちょっとそこの岸に付けてやってくれるか?」

 幸い、丁度良い砂州が見えた。

 舟の進行方向が変わった。

「良いのか?」

「別に急ぐ旅でも無し」

 波瑠沙は言って、隆統ににやっと笑う。

「私も坊ちゃんの腕前が見たい。柿の木の枝を振ってたあの坊やが、どこまで腕を上げたのか」

 隆統の目が鋭く睨み返す。

 波瑠沙はまたにっと笑った。

「良い目をするようになったな」

「龍晶にそっくり」

 思わず朔夜は言ってしまう。よくこうやって睨まれていたから。

 隆統は息を吐いて目を逸らしたが、そこまで不満そうでは無かった。

 舟が浅瀬まで入ってきた。

 そこで朔夜は船縁から身を躍らせて、水飛沫を上げながら砂州へと走った。

「あー泳ぎてえ!」

 水の感触にそう叫ぶ。

「後で泳げば?」

 舟から波瑠沙が言った。

 思わず振り返る顔が赤い。

「え、でも」

 打って変わってもじもじした態度で、視線は同じくこちらを見ている巳千へ。

「別に男の裸なんか見慣れてるよ、彼女は」

「はい。どうぞ遠慮なく」

 にっこりと頷く。

「え、いや、そういう事じゃ…。いやそれよりも、早く来いよ隆統!」

 誤魔化すように声を張り上げる。

 船縁で彼は困った顔をしていた。

「あ、濡れるの嫌なんだ。流石はお坊ちゃん」

 波瑠沙に言い当てられ、困った顔を更に顰める。

「安心しろ。あいつが野生児なだけだから。裸足なら行ける?」

 頷いて、皮鞋(かわぐつ)を脱ぐ。

 その間に波瑠沙は自ら川へと入っていた。

 水夫から艫綱(ともづな)を受け取り、一旦岸に上がって適当な木へと括り付けて。

 また戻って来る。まだ隆統はまごついている。

「ん。おいで」

 川の中から腕を広げた。

「え」

 後ろから何とも言えない声。

 何とも言えない顔は当人も同じ。

「何だよ?昔はよく抱っこしてやったじゃん」

 さも当然のように二人に言う。

 そして半ば強引に手を伸ばした。

 逃げる事も出来ず、戸惑いを全面に出しながら抱き上げられる。

 体が水上で浮いた。裸足の足先が水面を撫でる。

「軽いよな。朔と良い勝負」

 言いながら波瑠沙は砂の上に体を下ろす。

 何が起きたのか飲み込めない顔で呆然としている。

「俺の方が重いって!絶対!」

「そう?」

 変に言い張る朔夜を続いて抱え上げて。

「あ、そうだ。腕が無い分軽くなってる。お前の方が軽い」

「嘘だぁー!?」

 一体何の意地なのか。隆統はぽかんとして見るばかり。

「あ、鞋がいる?」

 少年は朔夜の足元を見て首を横に振った。

 朔夜は既に舟の上で裸足になっている。

「同じ条件でって事か。ま、良いんじゃない?」

 頷き、気を取り直して刀を抜いた。

 朔夜はあれ?と声を出す。

「親父に居合を仕込まれなかったの?」

 桧釐の刀は居合だった。だからぎりぎりまで抜刀はしない。

 隆統の目が嫌そうに細められた。

「あ…敢えて使わないってやつ?」

 使えても、教えた相手への嫌悪感で封じている。

 朔夜は自分も刀を抜いた。

「じゃあ、公平に俺もそうする」

 抜き掛けの一手が有利なのは分かっている。この刀はそれが凄まじく速く繰り出せる。

 だから、不利になってもそこは公平に行きたい。

 互いに構えた。

「さあて、どっちから行くかな」

 好奇心いっぱいの波瑠沙の声に押されるように。

 朔夜が砂を蹴って駆け出した。

 片腕が無い分、こちらから動き回って相手を翻弄するのだ。

 相手は子供とは言え、舐めてかかってはいけない相手だと分かっている。

 初めて自分の手で木刀を持たせた、あの時から。

 一方で隆統は、初めて自分に刀を教えてくれた相手の本気を見て、痺れるものを感じた。

 ここまで向き合ってくれる。

 嬉しかった。

 刀が交錯する。

 軽い刀の振りは速い。己の刀を合わせるが、ぎりぎりだった。

「お、流石!」

 朔夜の声も嬉しそうだ。こうして受けられるだけでも尋常ではないと分かっている。

 それだけ己の速さを自負しているとも言えるが。

 すぐに刀は離れた。どちらも押し合いはしたくない。

 朔夜はすぐに下段に構え直して振ってきた。隆統はそれを読んでいた。後ろに飛び退きながら刃を百八十度回転させ、相手の刀を受ける。

 朔夜の方が弾かれた。生まれた僅かな隙を突いて隆統はその顔面に刀を薙ぐ。

 紙一重で躱した。顔の横に掛かる銀髪は切れていた。

 朔夜の目が驚きに開いている。ここまでやれるとは思っていなかった。

 地面に体を寄せ、足をバネに飛び上がる。下が駄目なら上。

 その跳躍力には隆統も驚いた顔をしたが、すぐに対応した。

 落下地点を測り、刀を構える。

 だが、落ちながら朔夜の顔はにやりと笑う。

 隆統の構えた刀に己の刀を合わせてきた。

 弾き合う鋼の力を利用して、僅かに軌道を逸らしたかと思うとすぐに己の刃を翻し、着地しながら懐へ攻め込んできた。

 鋭く息を吸って体を倒す。均衡が崩れて砂の上に転がった。

 対して朔夜は素早く立ち上がり、刀を振り下ろしてきた。

 なんとか腕を持ち上げてその刀を受けて返した。

 渾身の力と力が鋼の悲鳴を生む。

 朔夜は弾かれた刀をまた更に振り下ろしてきた。

 舌打ちしながら横に転がる。頭の横で刃が砂に刺さるくぐもった音がした。

 隆統はその隙に立ち上がった。が。

 目が眩んだ。頭を掻き回されるかのような頭痛。そして体から力が抜けた。

「あっ…大丈夫か?」

 すぐに朔夜は気付いて倒れ込んだ体を支えた。

 頷く事も出来ない。まだ視界は白んでいる。

「まだ体が万全じゃないんだ。ちょっと休ませにゃ」

 波瑠沙が言いながら近付いてきて、朔夜に代わりその身を支えた。

「お前、やり過ぎ」

 鼻先を指差されながら指摘される。

「だってこいつ……いや、ごめん。確かにそうだ。つい楽しくなっちゃって」

 しょぼんとして反省。

「まあ、それだけの使い手だって事は認めるよ。十年でよく鍛錬したな、坊ちゃん」

 褒められても何か返せる力は無かった。

 波瑠沙は振り返って船上に叫んだ。

「巳千!水を持って来てくれ!」

 はい、と彼女は気持ち良く返事をして、竹筒に入った飲料水を持ってきた。

 裾が水に濡れるのもお構い無しで岸まで歩く。

 受け取り、隆統に水を飲ませて。

「舟に戻って寝るか?」

 どっちでも良い。首を動かす事が辛い。

 反応が無いので波瑠沙は確実な方を選んだ。

「ここでちょっと休ませるか」

 その言葉に反応して、巳千はすぐに立ち上がりながら言った。

「毛布を取って来ますね」

「あ、ああ」

 波瑠沙の方が戸惑い気味に頷く。

 そうしている間に、朔夜は落ちていた隆統の刀を拾って、彼の身から鞘を抜き、納めていた。

 右腕の脇に鞘を挟んで、ちょっと苦労しながら。

「お前さあ」

 その様子を見ながら波瑠沙が言う。

「何?」

「どうせ哥に行くなら、腕くっつけて来たら?」

 うーん、と朔夜は考える。

 考えるだけの余地が生まれたらしい。それだけ不便が身に沁みたか。

「どうやってくっつけるんだろ…」

「そこ?」

 半笑いで聞き返しつつ、肩を竦めて。

「陛下に聞いてみなきゃ分からない。って言うか、やってみたら分かるだろ」

「いやあ…痛くないと良いなって」

「それ?」

 半笑いに揶揄が混じる。

「痛いの嫌なの朔ちゃん?痛いの痛いの飛んで行けーってやってあげようか?」

「えっ、お前がやるとなんか逆に痛くなりそう…」

「なんだそれオラ」

 隆統を支える逆の手で首を絞められる。ぐああ、と気道の締まった声を出しながら。

 巳千が戻ってきた。二枚の毛布を抱えて。

 一枚は波瑠沙に手渡し、もう一枚は自ら素早く畳み嵩を作って枕にする。

「気が利くよねえ」

 感心しながら朔夜が誉める。

 何故か後ろから頭を目一杯叩かれた。痛過ぎて意識が飛びそうになった。

「…記憶失ったらどうすんだよ」

 一頻り悶えた後に苦情を言う。

「一から良いように記憶を構築してやるよ」

 にべもなく波瑠沙は答えた。

 はあ、と生煮えの返事で考える。

 これまでの事を忘れたら。

「龍晶と坊ちゃんの事はちゃんと教えてやるから安心しろ。勿論私の事もな」

 殴られたせいか、ぼーっとする頭で想像する。

 あいつとの記憶を失って、言葉だけで教えられたら。

 幸せだろうか。あの苦い苦い一瞬の記憶を手放せたら。

 巳千は隆統の身の上に掛かる毛布を直していた。先刻波瑠沙が雑に掛けたものだ。

 彼は為されるがままになっている。意識が既に落ちているようだった。

 無茶をさせてしまったんだな、という反省を再び思いながら。

 その寝顔に友を重ねた。

 記憶を失うということは、あの笑顔をも忘れるという事だ。

 それは、寂しい。

 そしてもっと切実な事。

 隆統に、あいつの本当の姿を伝えられなくなる。

 王として在って欲しかった、あいつの姿を。

 それを伝えて、この子にどうなって欲しいのか。

 矢張りそういう事なのだ。十年前と変わらぬ願い――否、野望にも似たものが己の中に存在する。

 だから哥に連れて行こうとしているのだ。

 無意識だったけれど。

「龍晶にさ、春音の背が自分を超えるかどうか見て欲しいって言われてるんだ。俺の頭一つ分上なんだけど」

 隣に座った波瑠沙に言う。

 彼女は朔夜の頭の上を見て想像した。

「確かに。そのくらいだった」

「そういう細々した約束があるから、消さないでくれる?」

 大事な、大事な思い出たち。

 波瑠沙は笑って銀髪の頭を撫で回した。

「分かったよ。今度から頭を殴るのはやめとく。腹くらいにするわ」

「それはそれでなんだかなあ…」

 苦笑いで呟く。

「さてと、泳ぐか」

 波瑠沙は立ち上がって己の衣に手を掛けた。

「えっ?ええ!?」

「何だよ?言い出しっぺが尻込みすんのか」

「泳ぎたいとは言ったけど本当に泳ぐとは言ってない」

「なんだそれ。ま、お先に」

 波瑠沙はさっさと衣を脱ぎ捨てて川へと向かった。

 混乱状態で朔夜は後ろへ視線を送る。幸い、少年はぐっすり眠っている。

 巳千は微笑みながら、促すように頷いた。

 波瑠沙の発てる水音が己を誘う。

 ままよと思い直して衣を脱ぎながら川へと走った。下帯だけは外さなかったが。

 浅瀬から急に深みへと、水底は抉れていた。

 丁度良かった。いくらでも潜れるから。

 海ほどではないが、この水深が心地よい。上を見上げれば晩夏の光がきらきらと輝く。

 そこに波瑠沙の白い体が泳いできた。

 砂の川底を蹴って浮上した。

 彼女の腕に迎えられて。久しぶりに触れ合う素肌に喜びを感じながら。

 しかし波瑠沙の目は朔夜を見ていなかった。

 鋭く河岸を監視している。向こうにそれと分からぬように。

「お前さ…」

 朔夜の方が呆れて口を開く。

「何かするなら今が好機だろ?」

「何も無いって」

 それよりこっちを向いて欲しいのだが。

 波瑠沙の視線を辿って思わず朔夜も河岸を見る。

 そして、あっと声を上げそうになった。

 巳千の手は、横たわる少年の顔を撫でて。

 顔を落として、その頬に近寄った。

「…普通じゃん。つまんねえの」

「何がつまらないのさ…」

 年頃の女のやること。考える事。

 普通の有り様。

「どうする?あの恋路を応援してやるか、邪魔するか」

「恋路ねえ…」

 朔夜は首を傾げつつ繰り返す。

 そもそもそれがよく分からない。波瑠沙に対しては夢中のうちにここまで来てしまった感覚しかないから。そもそも互いが普通ではない。

「王子様に娼婦は駄目だって言うのなら、私はあの女を北州に売るけど?」

「分かんねえよ、その理論」

 何となく分かるけど、自分はそことは無関係だ。

「隆統次第だろ?あいつが嫌がるなら諦めさせる事も必要だろうけど。大体、俺達がどうこうする事じゃないし」

「私達は坊ちゃんを守ってやんなきゃならないんだぞ?」

「じゃあ岸に戻ろうよ。守る対象を囮にしてちゃ拙いだろ」

 朔夜は言って、自ら岸に向い泳ぎだす。

「つまんねーの」

 波瑠沙はもう一回、腹の底から言い放って、後に続いた。


 岸に着くと、巳千は少し気まずそうに顔を背けた。

 朔夜はそれで確信した。波瑠沙が疑うような事は無い。絶対に無い。

 彼女がここに着く前に、朔夜は口早に問うた。

「こいつが好きなの?」

 巳千の目が見開かれて、頬を僅かに染めつつ頷いた。

 にっこりと朔夜は笑う。

「良いんじゃねえの?俺は応援する」

 波瑠沙が浅瀬に着いて歩いて来る。

「おおい!朔!」

 非難の呼び声。

「ごめんな。あいつ嫉妬深いから変に誤解してる」

 謝ってから振り返る。

「何も無いって!!」

 そういう事じゃねえんだよ、と波瑠沙は顔で言い返すが言葉にはしない。

「舟に戻るぞ。坊ちゃんは私が抱えていく。お前は私の服を持って来い」

「はーい」

 言われた通りに、自分と彼女の服を抱えて。

 巳千は毛布を抱えて、並んで舟に向かった。

「でも波瑠沙は良い奴なんだよ。乱暴だけど」

 先刻の続きを巳千に話す。

「俺はあいつに幸せって何か教えて貰った。自分には絶対に手に入らないと思ってたそれを。あいつが居ないと俺は今生きてないと思う」

「そんなに…大事な存在なんですね」

 巳千は少し驚きつつ言いかけ、言葉を選んで同調した。

 朔夜は深く頷き、少女に笑って言った。

「お前達もそうなると良いなって、俺は思うんだ」

 思わず波瑠沙も少し振り返り、横目にその表情を見た。

 晴れ晴れとした、無邪気な笑顔。

 何故だろう。

 世界の醜悪も哀しさも、あれだけ見せつけられて、体験しても、まだ。

 まだ、あんな笑顔が出来る。

 その一端を己が担っているのなら嬉しい。朔夜はお前のお陰だと言ってくれるのだろうけど。

 でも、違う。それだけじゃない。

 あいつ自身の強さを、あの笑顔に見た。

 過酷な運命に何度も打ちひしがれながら、それでもその度に立ち上がってきた、鍛えられた正真正銘の強さだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ