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月の蘇る-来-  作者: 蜻蛉
第二話 記憶
13/522

 1

 戔王は苛々(いらいら)と報告を聞いていた。

 拘束していた義弟が何者かに連れ去られた。この報告を受けたのは事が起こったその日の夜だった。

 この数刻の空白は何なのかと問いたい所だが、まずは相手の報告を聞いてやっている。

 その相手とは孥晋、そしてその主である碑未。

「突然でした。二人の女…と見えたのですが、奴らが我々を襲い、刀で強かに打たれ気を失っているうちに、殿下とその従者を連れ去ってしまったのでございます」

 孥晋は平伏しながら言った。隆統の身を奪われたのは彼の落ち度だ。声が上擦っている。

「そしてつい先刻、私は目覚めまして…」

 それが報告の遅れた言い訳だ。

 王は己の右腕である男に目をやる。

 右腕――己の方が操られているとは言うまい。

「この孥晋の落ち度、私から刑を言い渡しましょう」

 非情に碑未は言った。

「しかし今すぐ首を刎ねる訳にはいかない。もう少し下手人達について思い出して貰わねば」

 ひっ、と孥晋は引き攣る声を出す。

 そして早口に言った。

「女…見た目は確かに女でしたが、声は男…いや、子供のそれでした!一言しか発していないので聞き違いやも知れませんが!」

「子供?両方?」

 王が問う。

「いえ、片方だけ。もう一人は確かに女のようでした。しかし女とは思えぬ太刀捌きで…」

「顔は見ていないのか」

「どちらも薄絹を頭から(かず)いていました故…しかし透けて見える所では女としか言いようがなく…」

「子供が女装して殿下を助けに来た?有り得んだろう」

 碑未が吐き捨てる。

 が、王は言った。

「見た事があるな…それと同じものを」

「はい?」

 眉を顰める碑未に薄く笑って。

「お前に後宮に閉じ込められていた時だよ。美事な女装だった。心を奪われかける程にな」

「それは何者なのですか」

 王は意味深に笑う。

「お前も知っている」

 碑未は片眉を上げた。しかしすぐに顰める。

「有り得ませぬ。奴が生き返ってここに戻って来るなどと…」

「有り得ない?何故?十分に有り得る事だと私は思うが」

 碑未は唖然としたが、頷いた。

「失礼致しました。そうであって欲しくはないという、私の私見でした」

「確かに、この先が厄介だな」

 あっさりと龍起は言う。

 碑未は訝しげに王を盗み見る。

 何か、今までと違う。

 これまで見てきた気弱な少年なら、悪魔の復活に怯えると思っていた。

「孥晋、首を刎ねられたくなければ、弟を生かしたまま取り戻してくれ」

 碑未の頭越しに王は命令した。

「良いか?決して死なせるなよ?大事な弟だ」

 は、と孥晋は頭を更に下げて退室した。

「既に手の者が捜索しております。救民街が怪しいかと」

 碑未の言葉に被せるように王は言った。

「その者達にも伝えよ。決して隆統を傷物にするな。もしも傷を付ければ、その者の命を取る」

 碑未はしげしげと王を見、そして問うた。

「如何致しましたか、陛下。どうも今日の陛下はこれまでの陛下と違うように見えます。良い意味で統治者らしい非情さが身に付いたと見えますが」

 どこか乾いた笑いを発して、王は答えた。

「これまで道を踏み外さぬ事に気を配り過ぎていたのだ。亡き父に気に入られようとな。だがそんなものは無意味と気付いた」

 底光りする目を家臣に向ける。

「欲しいものはこの手で手に入れれば良いと気付いたんだ。私は何者にも遠慮する必要の無い立場だと。実際、やってみれば容易く手に入った。が、逃げてしまった。もう一度取り戻さねば私は気が済まないぞ、碑未」

 歪む口元で命じる。

「隆統を我が元に戻せ。他は死んで貰って構わん」


 一行は既に都を出ていた。

 事に北州が関わっているのは向こうからすれば明白だ。ならば探索の手は真っ先に救民街に伸びる。

 街の人々に塁が及ぶ事を恐れて強制的に出立した。今は山の中の社に身を寄せている。

 子供達はまだ目覚めていない。

 祥大は朔夜が治癒を施した以上、目覚めは時間の問題だった。

 一方、隆統は高熱に喘ぎ、魘されている。移動が負担である事は明らかだったが、致し方無かった。

 神前の空間に、宿泊者用に置いてある布団を敷いて二人を寝かせ、その周囲を囲むように大人達が警戒に当たる。

 とは言え、朔夜だけは着くなりぱたっと眠ってしまったが。久しぶりに力を使って疲れたらしい。

 それも、目立つ女装の服こそ救民街で波瑠沙が剥がして着替えさせたものの、化粧は施されたままだ。落とす時間が無かった。

 やっと出来た余裕で、波瑠沙は伴侶の顔を拭いてやっている。隆統の額を冷やす為に用意された水盥を少し拝借して。

「坊ちゃんの熱は下がりそうか?」

 同じ盥で布を絞りながら波瑠沙は祥朗に訊く。

「目が覚めれば薬を飲んで頂けるのですが。これまでの心身の負担が余りに大きかったのでしょう。疲れ切っておられる」

「それが原因か」

 祥朗は憂う顔で頷いた。

「可哀想にな。痣だらけになって。こんなの初めてだろ?前は朔の痣を珍しがってたってのに」

 朔夜の背中に出来た痣を見て、お花みたいと言っていた幼い顔に。

 多くの打撲痕が残されている。大人達に日々殴られていたのは明白だ。

「私達が敵を倒すまでは気丈に頑張ってたんだけどな。そこが限界だったみたいだ」

「そこにあなた方が居合わせて下さって良かった」

 祥朗は言いながら、布で隆統の首筋や顔の汗を拭き、再び絞って額に乗せる。

 波瑠沙は朔夜の顔を拭く。床の上でぐっすり眠っている。冷たい布が触れても目を覚さない。やれやれと思いつつ。

 桧釐が祥朗の横にやって来て胡座をかいた。

「俺が代わろう。お前は息子を看てやれよ」

「大丈夫です。よく眠っていますので」

「ま、そう言わずに。もう夜も遅いしな、順番に休もう。今は賛比と飛雀が外を見張っててくれる」

 波瑠沙は頷いた。

「次は私が警戒に当たろう。時が来れば起こしてくれ」

 言うなり、朔夜の横に寝転がる。

「お前も寝ると良い」

 桧釐が祥朗に言う。

「ならば、もし若様がお目覚めになれば、この薬を」

 椀に作っておいた熱冷ましの薬を指す。

「うん。分かった」

 そして改めて、魘されている息子へ目をやる。

 時々何か恐れるように、閉じている瞼にぎゅっと力が入る。

 食い縛る歯の間から、小さく怯えた声が漏れる。

「余程怖い思いをしたようだな…」

「大人に暴行されれば、それは恐ろしい事でしょう」

「うーん…。そのくらいでこんなになるかなと思って。刀で鍛えてるから、殴られるくらいは痛くとも怖くはないと思うんだよ。俺もそうだったから」

「状況が状況だからでは?」

「そうなのかな」

「きっと無言で耐え続けたのでしょう。それが溜まって、今になって体を蝕んでいるのかと」

「もう誰にでも何でも喋って良いって教えてやらないとな」

「全くです」

 ふっ、と。

 見下ろしていた顔の目が開いた。

「お目覚めに!」

「祥朗、薬を」

 桧釐がすかさずその上体を起こそうと手を伸ばした。

 が、手は跳ね除けられた。

 体を引き摺って隆統は逃げていた。桧釐に対して、今にも襲って来る敵を見るように。

「若様…?俺ですよ?」

 首を捻りつつ近寄る。

 くるな、と口が動いた。

「薬を飲みましょう。熱冷ましですよ。これで早く楽になれますよ」

 首を横に振る。恐怖と怯えで顔が引き攣っている。

「桧釐さん、余りに無理にしては…。意識が混濁して混乱しているようです」

 祥朗が近寄る桧釐を止めた。

 距離を保ちつつ逃げていた隆統の動きも止まって。

 その場に倒れた。

「若様!」

 すぐさま祥朗が駆け寄り、容態を窺う。

 桧釐は動けなかった。

 向けられていた目が身に深く刺さっていた。

 あれは、意識の混濁ゆえではない。

 俺だと分かって。

 その憎しみゆえに。

「桧釐さん、薬を貰えますか」

 はっとして、傍に置いてある椀を差し出す。

 祥朗は受け取り、まだ意識を微かに持っている隆統の口へと流し入れた。

 一口を飲み込むのがやっとで、こくりと頭が垂れる。

「お眠りになったようです」

 布団に戻そうと抱えようとするが、彼の力では足りない。

 躊躇いつつ桧釐は手を貸した。

 元通り寝かせて、大きく溜息を吐く。

「桧釐さん?」

 祥朗はその理由が分からぬらしい。

「嫌われる理由なら有り余ってどれだか分からんな…。でもまあ、全て俺のせいで間違いない」

 自嘲して、立ち上がる。

「見張りを代わるよ。こいつらも暫く目を覚さないだろうし」

 息詰まる我が子の隣から逃げる為に。

 一人、外に出て行った。


 明け方、朔夜は目を覚ました。

 疲労から解放されて、ぱっちりと目が冴える。

 隣に波瑠沙が居ない気配を察して起き上がる。

 賛比、飛雀、桧釐が雑魚寝している。そして祥大に寄り添って祥朗が眠る。波瑠沙は外の見張りをしているのだろうと察した。

 もう一人。

 隆統は褥の上に膝を抱えて座っていた。

 膝を抱える腕の中に顔を伏せて。

 重なる姿がある。

 朔夜は立ち上がり、隣に座った。

「寝てなくて大丈夫か?」

 反応は無い。この体勢で眠っているのかとも思ったが、聞こえるのは寝息ではなさそうだ。

「ま、あれだよな。ずっと寝てたら体痛くなるよな。俺なんか十年も寝てたら痛い通り越して麻痺しちまった。ぜんっぜん動けなくて困ったよ」

 少しだけ首が動いた。黒髪の間から、横の人物を確認した、というくらいの。

「…ごめんな。十年も待たせて」

 隆統は動かない。言葉も無い。構わず朔夜は言った。

「戻ってきたら華耶を助けに行こうって言ったのに。お前はきっと、ずっと待ってたんだよな…」

 小さく首を横に振った。

 初めて反応があった事と、その意味に目を丸くする。

「待ってなかった?」

 頷く。

「…そっかあ。見切り付けてくれたなら、それはそれで良かったけど」

 帰って来ない自分への見切りだと思って言う。当然だ。少年にとって十年は長過ぎる。

「あ、そうだ。これ」

 懐から巾着を取り出し、仕舞った紙を出そうとして。

 一緒に骨片も出て来た。

 危うく手から溢れ落ちそうになる。

「うおっと、あぶね」

 なんとか掌からは落ちずに済んだ。落としたら龍晶に文句を言われそうな気がする。

 視線を感じた。

 隆統はじっと、その白く小さな丸い塊を見詰めている。

「あ…これ」

 掌を広げて見せて。

「龍晶の」

 そこまで言って思いとどまった。

 今の彼は、父の死をどう受け止めているのだろう。

 単純に遺骨だと言ってはならなかった。同時に喚起される残虐な記憶があるから。

 自分のせいで。

「…華耶に貰った、宝物」

 ぼかして伝えて、誤魔化しを含めて笑って見せる。

 そしてそれを袋に仕舞い、代わりに名付けの紙片を出して渡した。

「落ちてたから拾っておいた。大事なものだろ?」

 初めて彼ははっきりと頷いて、その紙を受け取った。

「隆統か。良い名前を貰ってたんだな」

 持ち主の手に戻った紙を見ながら朔夜は言う。

 懐かしい龍晶の字。

「あの世であいつに教えられるまで、お前に別の名前が付いた事を知らなかったよ。でも良い名前だよな。龍起よりかっこいい」

 その名前が聞こえた途端、隆統は耳を塞いでいた。

 体が震える。瞳孔が開き、この場を見ていない。呼吸が浅く、荒くなる。

「どうした…?」

 朔夜には分からない。それが王の名である事を、まだ知らない。

 震えているから寒いのか、また熱が上がったのかと思った。自分の上衣を脱いで背中に掛ける。

 龍晶に以前そうしていたように、肩を抱こうとして。

 拒絶された。

 振り払われた左手が痛い。

 褥の向こうで少年は顔を歪め、今にも泣きそうに。

「…ごめん。触られたくなかったか」

 朔夜は咄嗟に謝った。その声で、隆統が顔を上げた。

 目は確かに自分を見ている。だが、眉根が顰められ、苦しそうに口を開け閉めして。

 自らの喉を押さえる。相変わらず全身が震えていた。

「春音?」

 思わず慣れた方の名前で呼んでしまうが、今は互いにそれを気にするどころではない。

 彼の目は今、切羽詰まっている。思いがけない我が身の異変に気付いて。

「…声が」

 代わりに朔夜が言葉にした。

「出ないのか?」

 縋るように視線を向けて、頷いた。

 口から出るのは苦しげな呼吸音ばかり。

 唇は言葉の形をなぞろうにも、出ない音に諦めて閉じられた。

「あー…風邪かなあ。酷い風邪なんじゃない?あったかくして寝てたら治るよ、大丈夫」

 掛け布団をはぐって手招きする。隆統は大人しくそこへ戻って来た。

 朔夜の上衣を返す。軽く頭を下げて。

「ちょっとの辛抱だよ。祥朗が起きたら薬を作って貰おうな」

 布団を掛け、その上に受け取った上衣も掛ける。

 横になっても少年はどこか遠い目をしていた。

 その彼を安心させようと、朔夜は言った。

「龍晶は今もお前のこと見てるよ。向こうで喋ったらさ、お前と華耶の心配ばっかりしてた。いつまで見ていられるか分からないけど、出来ればずっと見ていたいって。帰り際に二人を頼むって念を押されて戻ってきたんだ。だから俺はお前を守らなくちゃ。あいつに文句言われないように」

 屈託の無い笑顔を向けて。

「元気になったらまたいっぱい喋ってくれよ。刀の稽古もやろう。俺も片腕だけになったから慣れなきゃならないし」

 隆統は悲しげに相手を見上げて、目を閉じた。

 その時。

 外から物音がした。刃で身を断つ音。

「――波瑠沙!」

 自分の刀を攫って駆け出す。

 戸を開けると、彼女は三人の男と対峙していた。一人は既に地面に転がっている。

「起きたか、朔」

 余裕綽々で彼女は言う。

「お陰ですっきり!」

 朔夜も笑みを浮かべて応じた。

 言いながら、敵中に飛び込む。跳びながら右の脇に鞘を挟み、刀を抜いた。

 着地しながら斬り下ろす。

 波瑠沙は斬りかかってきた敵を横に薙ぎ払った。

 一人を二人で挟む。

「生かした奴は居る?」

 敵の陰からひょこっと顔を出して朔夜は問う。

「さあ?しぶとい奴が居れば生きてるかもだけど」

 つまりそのつもりは無い、と。

「流石に全員殺したら拙いよなあ」

「聞く事聞いたら殺して良いだろ?」

「物騒な事言うなよお姐さん」

 鼻にかけた笑いで言いながら、朔夜は敵に向かった。殺さずに倒すにはどうするか。

 敵が横に払ってきた刀を屈み込んで避け、そのまま足元に刃を滑らせた。

 足の筋が断ち切られる。男は痛みに呻きながら倒れた。

 その男の喉元に、立ち上がった朔夜は剣先を突き付ける。

「誰の手先だ?」

 可笑しそうに笑いながら問う。その顔こそ、正に。

「悪魔め…」

 朔夜は片頬を吊り上げた。

「おい、朔夜」

 中から桧釐が出て来た。

「あ、ちょうど尋問してた所。後は任せようか?」

「王の手先だって?」

「まだ何も言ってない」

 桧釐は朔夜に並んで男を見下ろした。

「王じゃなけりゃ、碑未か」

「孥晋様だ」

「ああ、そっち」

 納得して見せて。

「探索してて偶々見つけてしまったって所か?」

 人数からしてそうだろう。

「こそこそしてたから私から声かけたんだよ」

 波瑠沙が言った。

「野生の鼻を誤魔化そうなんて無理だもんな」

「野生の鼻って何だよ。なんか失礼な」

 朔夜は笑って、桧釐に問うた。

「始末しとく?」

「しておこう」

 桧釐は自分の刀を抜き、留めを刺した。

 視線を感じて振り返る。

 戸の陰から、隆統がじっと視線を注いでいた。

「あ、若様。お目覚めで」

 桧釐が言うと、ふいっと背中を向けて寝床に戻り、頭から布団を被った。

「灌の時もあったよな。戸の隙間から私達の立ち回りをじっと見てたって」

 波瑠沙が可笑しげに言うが、他の誰も笑わない。

 桧釐は溜息ぽく鼻から息を吐き出し、朔夜はじっと薄い布団の盛り上がりを見ていた。


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