父からの伝言
隣国との国境線を有するアンリエッタの故郷ベルファスト辺境伯領からタイラー=ベルファストが王宮へと馳せ参じた。
隣国の王女来訪の折、必ず通過するベルファスト辺境伯領内に入ってからの王女の護衛を第一妃アンリエッタから要請を受け、その関係での登城であった。
「と、いうのは建前で、本当は色々と違って。その上でキミのお父上からの伝言を預かって来たんだ」
「え?伝言?」
タイラーの口から出た意外な言葉にアンリエッタはきょとんとしてしまった。
「そう。叔父上から『とりあえずアンリエッタとタイラーの婚姻の話は取り止めになりそうだから、後の事は陛下のご決断に従いなさい。でもアンリエッタが帰りたいと望むならいつでも迎えに行くから無理はしなくていいよ』と伝えて欲しいと頼まれたんだ」
「え?ちょっと待って?取り止め?私とタイラーお兄様の婚姻を?え?後はエルにって?え?どういう事?」
わりと重要な事柄をサラッと言うタイラーにアンリエッタは訳が分からず狼狽えた。
それに構わずタイラーはやはりなんでもない事のように続ける。
「手紙で伝えてもいいと思ったんだけど、妃殿下の従兄として要人警護を任されたからね。どうせ出仕するなら直接口で伝えて欲しいと頼まれたんだよ」
「頼まれたって誰に?お父様に?」
「いや陛下に……って、婚姻の件は叔父上にだよ?」
「え?ちょっと待って、どうしてそこにエルの名が?え?え?でも伝言はお父様なのよねっ?え?どういう事?」
「あははっ、アンリエッタがこんがらがってる」
「もう!タイラーお兄様っ!」
いきなり破談のような事を告げられ混乱しているのを笑われた。
それを憤慨するアンリエッタを見たタイラーが表情を和らげ、言った。
「やっと昔みたいに接してくれた」
「……え?」
「俺が再嫁する相手として再会してからずっと警戒していただろう?苦手意識も持たれていた」
「えっと……あの…それは……」
取り繕ってはいたものの心の内はバレバレだったようだ。
その居た堪れなさに困ってしまうアンリエッタの頭をタイラーは優しく触れた。
「責めているんじゃないんだ、ただ少し寂しいなと思っただけで。昔は本当に仲良くしていたから」
アンリエッタは思い出した。
タイラーは昔もよくこうやって優しくアンリエッタの頭を撫でてくれた。
そして従妹に対してというよりは妹のように接してくれていた。
だからこそエゼキエルの次の夫にと言われ、驚いて戸惑いを感じたのだ。
「ごめんなさい、タイラーお兄様……」
アンリエッタがしおらしくすると、タイラーは今度は悪戯を教えてくれていた時のような笑い顔をした。
「あのお転婆じゃじゃ馬娘が妃なんて立場になって、さぞ肩身が狭い思いをしてるんじゃないかと心配していたんだぞ?」
「もうお転婆もじゃじゃ馬もしていないわっ、階段の手摺り滑りをしたのも最初の頃だけよ?」
「あははは!やっぱり王宮でもしていたか!」
タイラーは一頻り笑い、こう告げた。
「とても大切に想われているようで安心したよ」
「そうね。王宮の人たちみんな、親切だわ」
アンリエッタが答えるとタイラーは優しい眼差しで言った。
「陛下にだよ」
「へ?エルに?」
「なんだよ、無自覚か?鈍感か?なんだか陛下が気の毒に思えて来たぞ。アンリエッタの為に頑張っておられるそうじゃないか」
今度は呆れ顔を向けられてアンリエッタは余計に首をかしげてしまう。
どういう意味だと問いただすもタイラーは「こういう事を他人の口から聞くほど野暮なものはない」と言い、それ以上は答えてくれなかった。
「でもアンリエッタ。これだけは覚えておいて欲しい。叔父上も俺も、キミが幸せになる事を何よりも望んでいる事を。もし離縁を言い渡されても、キミには俺がいるという事を忘れないでいて」
「タイラーお兄様……」
タイラーのその穏やかなもの言いはどこか父に似ていると思った。
一族の血の繋がりを感じる。
その後タイラーは、エゼキエル直筆の書状にて王女がベルファスト領に入った時点から、オリオル側の護衛騎士として側に就くように任ぜられたのだと教えてくれた。
アンリエッタが父親であるアイザックに辺境騎士団の護衛を要請する前の話らしい。
「そうだったのね。エルったらずっと研究室に篭っていると思ったら、いつの間にかそんな下知を出していたなんて。でもタイラーお兄様が王女殿下を護衛して下さるなら安心だわ」
アンリエッタがそう言うと、タイラーはこっそりと耳打ちをしてきた。
「まぁそれは表向きで、本当は王女殿下の見張り役さ」
「え?見張り役?ど、どうして?」
「そりゃあ、王女が何か企んでいたとしても、護衛と称して近くに居ればいち早く察知出来るからね」
「な、何か企むって何を?」
「さぁ?企むかもしれないし企まないかもしれない。まぁ杞憂に終われば一番いいよな」
「そんな謎かけみたいな事を言われたら、ますます分からないわ」
タイラーはアンリエッタが要領を得ない事ばかり言う。
少しむくれてジト目になるアンリエッタをまたタイラーが笑ったその時、
ユリアナとシルヴィーが「「アンリエッタ様~!」」
と言いながら向こうから駆けて来た。
「あら?ユリアナ様にシルヴィー様、ごきげんよう。お揃いで如何されました?」
アンリエッタの問いかけに、ユリアナとシルヴィーは側に居たタイラーに軽く膝を折って略式の礼をしてから答えてくれた。
「ごきげんようアンリエッタ様。私達もこの度、隣国の王女殿下の来臨に合わせてエゼキエル陛下の正妃候補者として王宮に滞在する許可を頂きましたの!」
「え?お二人が?」
「でも勘違いなさらないでくださいましねっ?正妃候補者というのは表向きで、陛下の正妃を狙っている訳ではありませんのよ?わたし達はただ、アンリエッタ様のお側に居て、アンリエッタ様をお守りしたいだけですから!」
ユリアナもシルヴィーも捲し立てるように言う。
アンリエッタが目を瞬かせてそれを聞いている側でタイラーが言った。
「これは頼もしい助っ人が現れましたね妃殿下。お二人が側に居て下さるなら陛下も安心されている事でしょう」
その言葉を受け、ユリアナがどーんと胸を叩いて言った。
「お任せくださいですわっ!隣国側が何かし出かしてきたら、攻撃魔術でドッカンしてやりますからっ!」
「わたしだってお父様の権力を使ってやっつけてやりますっ!」
「本当に頼もしい。お二人とも、妃殿下の事をよろしくお願いします」
「「お任せくださいですわっ!」」
「……うーん……?隣国のお姫様をお迎えするだけなのに、なんだか物騒なお話になっているような……?」
アンリエッタだけが一人、首を傾げてばかりいる。
だけどその時、ふいに王宮の方が騒がしくなった。
エゼキエルの側近、アーチーが真っ青な顔でこちらに向かって走って来る。
「……何かあったのかしら……?」
アンリエッタの胸に不安が過ぎる。
「妃殿下っ大変にございますっ!……陛下がっ!」
話の続きを急くようにアンリエッタはアーチーに声を掛けた。
「アーチーっ?エルがどうかしたのっ?」
「陛下がっ……陛下がお倒れになられましたっ……!」
「っ……!?」
隣国の王女の来訪は明後日に迫っていた。




