ニオイが判る男≪霊感がプラスされた話題≫
ニオイが判る男
≪霊感がプラスされた話題≫
◎前回までのあらすじ
『心の窓』は県からの要望で開設されたNPO法人の悩みごと相談所。
そこで働く犬走 壮太は開設から二ヶ月後の入社して以来、成果として認められるような素晴らしい働きを見せていた。
心の窓はイジメや生活苦などから逃れるため、死を選択してしまう人達を救う相談所であり、一番の目的は自殺者の抑制だった。
壮太は自分と同じ想いを持つこの会社、心の窓を選び転職をした。
この世から無駄に消えていく人の命を少しでも減らし、そして救っていきたい、それが壮太の想いだった。
この犬走壮太という男、人とは違う特殊な能力がある。
それは死が間近に迫っている人が分かることだ。
それはニオイ。
その人が発するニオイから、死のニオイを嗅ぎわけることができることだ。
その力を活かし心の窓で働き、数多くの命を救ってきた。
しかし、世の中にはどうあがいても救えない命があることに気づかされる。
それは『寿命』だ。
壮太は死を目前にしていた一人の老女の相談相手になったのだが、最後は老女の気持ちを変えることができ、穏やかな心で最後の日を迎えさせてあげることができた。
この老女は自分の死の前日に『寄付』と書かれた封筒を持参して心の窓を訪れていた。
老女が持参した封筒には二百万円もの大金が入っており、たくさんの人の心と気持ちを癒し、これからも大切な人の命をひとつでも多く救って欲しいとの想いが込められていた。
そして心の窓から去っていく老女の背中には、白く光り輝く天使の羽が見えていた。
犬走壮太は今日も人の命と向き合い、人々に救いの手を差しのべていく。
もくじ
◎前回までのあらすじ
一.困った問題
二.新たな力
三.また死のニオイ
四.不思議な因果関係
一.困った問題
ここ最近の壮太は、自身に芽生えたはじめた新たな能力に気づきはじめていた。
それは、あの元野球選手の星願さんと縣お婆さんとの出会いで見た、不思議な黒と白の影のことだ。
それ以降は更にその力が増し、普通では絶対に見えないだろものまで見えるようになってきていた。
今までの壮太は、普通の人では分からないニオイを感じ、そこから死期が近い人を判断することができていたが、それに加え普通の人には見えない霊まで見えるようになってきていた。
ということは、壮太には霊感が備わってきたということなのだろうか?
その力は、今後の仕事に活かすことができるのだろうか。
その機会はすぐに訪れた。
この変化を一番最初に使うことになったのは、ごくごく身近な所だった。
壮太と一緒の会社で事務をおこなっている北条 加菜恵さんだった。
壮太は一ヶ月ほど前から、北条さんに対し気になることがあった。
それはやはりニオイだ。
死を感じさせるような強いニオイではないのだが、特別な異変を知らせる鼻を突くようなニオイ、そのニオイが北条さんからは出ていた。
壮太は自分に特殊な能力があるということは、会社の誰にも言ってはいない。
このことを知っているのはただ一人、壮太が前に働いていた会社の同僚の梶谷俊平だけだ。
会社の人に自分に能力があることを内緒にしているのには理由があった。
それはこんなオカルトな能力のせいで親友だった同僚とは、絶交状態になった過去があるからだ。
自分にそんな人の死をニオイを嗅ぎわける能力があるということは隠し、黙ってその能力を人のために役立てていきたい、それが壮太の考えであり一緒に働く人には知らせない方が良いのだ。
だから北条さんに起っている異変のことは、どのように形で彼女に伝えてあげれば良いのか、それが壮太としては悩みどころであった。
なにも考えず普通に対処するとしたら『僕は人から出るニオイでいろんなことがわかるのだけど、最近、北条さんから出ているニオイが特殊なニオイに変わったんだよね。気をつけてくださいね』
そんなことは言えない……もし言ってしまったら大変なことになってしまう。
その後は社内でキチガイとして見られるか、それとも気持ち悪いと避けられてしまうかのどちらかに決まっている。
どちらにしても良くはないことなので避けたい。
しかし今後の展開から、このニオイのことを北条さんに伝えなければならないような事態が起こってしまうのだった。
二.新たな力
一緒に働く北条さんからは、今日も相変わらず異常を示すニオイが出ている。
それに加え、今日はとても元気がない様子だ。
壮太は『どうしたのだろう』と、北条さんのことが一層心配になってしまった。
午前の仕事が終わり昼休憩の時間、壮太は昼食を買うため外に出掛けた。
昼の休憩時間は弁当を買って、社内に設けてある休憩ルームで食べようと考えていたのだが、北条さんも同じ考えだったらしく、同じ部屋で昼食を食べることになった。
壮太が買い物から戻ると北条さんは既に食事をとっていたのだが、その北条さんが座る斜め向かいの席に座り、近くのスーパーで買ってきた『ハンバーグ&カニクリームコロッケ弁当』を袋から出し食べはじめた。
ちなみにその弁当の価格は四六四円の税込だ。
壮太は北条さんと会話をしながら食事をはじめたのだが、口に入れたハンバーグが喉につかえてしまうかと思うほどの驚くことが壮太の目の前で起こっていた。
それは斜め向かいに座る北条さんの首から肩にかけて、壮太の知らない中年の男性がぶらさがっているのが北条さんの左側から見えた。
壮太は思わず「うわっ! 北条さん大丈夫ですか?」と叫んでしまった。
北条さんは『何が?』というような顔でこちらを見て、そのまま静止していた。
「北条さん、身体が重くないですか?」
「そうね、最近は身体が重くて肩こりが酷いのよ。でも、なんで突然そんなこと言ったの?」
「いや……何でもないから気にしないでください。本当に何でもないから」
「そんなこと言われると余計に気になります」
壮太は悩んだ……今見たことをそのまま北条さんに言ってしまったらどうなるのだろうと……これを言ってしまったら一緒に仕事ができなくなってしまうかも知れない。
そう考えているうちに、今度は壮太が静止状態になっていた。
「犬走さん、大丈夫ですか?」
壮太の脳みそは一瞬、身体からお留守の状態になっていた。
北条さんが声を掛けてくれたことで、やっと壮太の身体の中に脳みそが戻ってきた。
「あっ、ごめんなさい、大丈夫です」
「気絶でもしたのかと思いましたよ」
「あのーー、北条さんはオカルトな話は好きですか?」
「私は好きよ。だって私、この世には絶対、霊とか宇宙人はいるって信じてるもん」
「そうなんだ、僕も霊はいると思っています。北条さん、実際に霊を見たことはありますか?」
「残念ながら実際に見たことはない。此処にいるのかなとかも感じたことはないかな。犬走さんは霊とか見えたりするの?」
「んーーそうだね、んーーそうかなって思うものが見えたことがあるというか、そういうものを感じたりしたことは有るかな」
「ねぇ、私には何か憑いている? 私の守護霊とかは見えたりするの?」
ここまで会話をしてもなお、壮太は今見たことを北条さんに言うべきかを迷っていた。
「あっ、さっきカラダが重くないか聞いてたよね。あれって何か見えたってこと? もし見えたのなら、本当のこと教えてほしい」
「絶対に気持ち悪い人だとか、変人だって思わない?」
「大丈夫、約束するから」
壮太は戸惑いながらも北条さんの言葉を信じて、さっき見たことの全てを北条さんに話した。
北条さんは壮太の話をとても興味深く、そして真剣な眼差しで最後まで聞いたのだが、話が終了するとうつ向いて黙りこんでしまった。
壮太は『しまった! 変人と思われてしまったか……やっぱりやめておけば良かったかな』と後悔していた。
しかし北条さんから出てきた言葉は、壮太の予想とは全く別の言葉だった。
「私ね、実は三ヶ月前からストーカーされているの。さっき見えたという男性は、その人の特徴にすごく似ているの。私はストーカーされているだけじゃなくて、生霊にまで取り憑かれていたってことなのね……私はこれからどうしたら良いの?」
『えっ!』
この時、壮太に驚くことが起こった。
突然、知らない男の声が聞こえてきたのだ。
ただその声は耳に聞こえるのではなく、直接脳に語りかけるように入ってきた。
「大丈夫だ。お前は私の言う通りのことをすればよい。それ以外は主のカラダを借りて私がやる」
『えっ? 誰だ! 誰なんだ? 何だこれは? それに、なんで勝手に言葉まで出てくるんだよ』
「北条さん大丈夫ですよ。私が北条さんのカラダに取り憑いている生霊を必ず離しますから」
そう言って壮太は、両手の手のひらを北条さんに額の前でかざし、その後は静かに手を合わせ、その手を壮太は自身の額の前まで持っていった。
「もう心配は要りませんよ。あとは私に任せてください。北条さんは大丈夫ですから。ただ少し時間が掛かるかも知れませんが、必ず生霊には離れてもらいますから」
実際のところ壮太の頭の中はパニックになっていたことだろう。
『何だこれは、何で俺はこんなこと言っているのだろう……それに、本当にそんなことができるのだろうか』
壮太と北条さんは昼の休憩時間が終わり、それぞれ自分の席に戻り仕事をはじめたのだが、壮太としては内心モヤモヤが取れないままのスタートだった。
今日は午後から受付相談仕事は全て休みとなり、今まで受けた相談の報告書を作成する時間になっていた。
ちなみに霊が見えるとはどういうことなのだろうか……
人によって見え方にも違いがあるとは思いますが、壮太の見え方はこんな感じだった。
壮太は生霊を自分の目で見たのではなく、直接脳に映像が飛び込んでくるという見え方だった。
ダイレクトに脳で感じ、脳で映像が映し出されていた。
脳で見るだとか、脳が映し出すと言われても中々理解することが難しいかも知れませが、わかりやすい例で説明すると……
昨日、数名の友人とバーベキューに行ったとします。
昨日はあまりにも楽しかったので、翌日なっても思い出してしまい、楽しい気分になることってありますよね。
でも楽しかった出来事は昨日のことで、現実として目の前にあるのは今の風景で、昨日一緒にいた友人は目の前にはいない。
当たり前なのだがロケーションは違うはず。
それなのに、友人の楽しそうな顔や一緒に遊んでいたことを思い出して、それを映像でも見ているかのように思い出すことはありますよね。
それのことなのです。
昨日のことを思い出すことによって、目の前には実際ないものが脳内で映像として映し出して観ることは可能なのです。
霊が見えるというのは、こんな状況に近いのです。
実際に形としてないものは目で見ることはできないのだが、透明な霊の姿や魂は目を通さずにダイレクトに脳が感じ、そのまま映像として映し出し見ることができるのです。
壮太はそんな感じで霊を見ていた。
話は少し横にそれてしまったが、壮太は何やら行動をはじめていた。
壮太は自分の額の前で手を合わせ、そして目を閉じた。
すると北条さんに取り憑いている男性が、壮太のまぶたの裏側にスッと現れてきた。
男性は今も北条さんの背後にいて、首や肩にしっかりとしがみついている。
それに、その生霊からは嫌なニオイも出ていた。
『どうしたら良いのだろうか……』
その時また、あの男性の声が聞こえ、壮太の脳に語りかけてきた。
「先ずは生霊に離れてもらえるようお願いするのだ。それでもダメであれば、その時は私が引き離す。ただ後のやり方だと主の体力をかなり使ってしまうので、なるべくならば避けたいところだ。引き離した後はおそらく、主の体力は激しく奪われてしまい、ヘロヘロになってしまうだろう」
普通の考えであれば決して受け入れることができないような、とてもむちゃな話ではあった。
とにかく言われた通り生霊に離れてもらえるようお願いをしてみた。
しかし北条さんに取り憑いている生霊は私のことをバカにしているのか、いっこうに離れる気配はない。
それでも何度もお願いを繰り返してみたのだが、北条さんに取り憑いている生霊は一度だけこちらをチラッと見たものの、こちらで判断できる動きはそこまでで現状として何も変わらなかった。
今、壮太がおこなっていることは、あくまでも壮太の頭の中でおこなわれていることだ。
先ほど北条さんと生霊を壮太の脳に焼き付かせ、それを壮太の脳内で除霊するというやり方だが、そうすることにより、現実に取り憑いている生霊も除霊することができるのだ。
壮太はこんな経験をするのは勿論はじめてのことで、自分でも実際に何が起こっているのかすら訳が分からない状態だった。
ただ分からない成にも一生懸命、北条さんから離れてもらえるようお願いしていた。
しかし、お願いするだけでは離すことができず、声の主が先頭に立ち、壮太のカラダを借りて引き離すことになった。
壮太の体力をかなり消耗してしまうやり方になるのだが、今の状況を考えるとやはり仕方のないと理解することもできた。
この除霊には二時間半という長い時間が掛り、除霊が終わった後は先に言われていたように、壮太の体力はかなり失われ、身体は全くといっても良いほど力が入らない状態になっていた。
それと同時に、壮太の身体は全身が焼けるように熱く、熱を帯びた状態であった。
この熱を取り除き体力を回復させるため、近くのコンビニでアイスクリームを買い、それを無我夢中で食べた。
熱は少しずつ取れはじめ、壮太の体力はいくぶん回復してきたのだが完全という状態ではなかった。
その日の壮太は、ひどい倦怠感のまま一日が過ぎていった。
体力の消耗が激しかったからなのか、その夜は早めに就寝し、深夜に目が覚めた時には寝汗がひどく、寝ていた布団は汗でびっしょりになっていた。
翌日は少しだるさが残る程度で、仕事には影響ないくらいまでに回復していた。
壮太よりも後から出勤してきた北条さんは、壮太の顔を見るなり笑顔で駆け寄ってきた。
「今日は信じられないくらい身体が軽いの。あんなに辛かった肩こりも嘘みたいに治ったのよ。何これ、ビックリよ。これって……昨日言っていた生霊を取ってくれたってことなの?」
「そうだよ。楽になってくれたのなら良かった。あとは根本的な解決をしていかなければいけないけどね。今日、警察に相談しよう。今日、私の一番最初の相談者は北条さんですね」
「よろしくお願いします」
根本の原因はストーカー問題である、先ずは警察の協力を仰ぎ問題の解決を目指すことにした。
北条さんに取り憑いていた生霊は取り除くことができたのだが、北条さんに対するストーカー問題は何も解決していない。
北条さんの身は今でも常に危険があり、それは回避できていないのだから、その部分は変りがないままなのだ。
この問題は警察に相談を完了させ、壮太としっかりフォローをしていくことになった。
しかし気になるのはあの声の主、あれはいったい誰なのだろうか?
そのことは解決はしないまま、この生霊の一件は終わろうとしていた。
ただ、声の主は、壮太の協力者であることには間違いないであろう。
三.また死のニオイ
秋も深まり日々寒さが増していくこの時期に、壮太の元に二人の相談者が現れた。
二人のうち後方にいた一人の男性から、あの嫌なニオイがしていた。
そう、死の予感、鼻を突くようなあの嫌なニオイだ。
相談者は二人とも男性なのだが、若い男性の方からニオイがしていた。
その若い男性は自身の相談に来た訳ではなく、前に座る知り合いの高齢男性の付き添いで来ていただけだった。
相談者の男性はニオイがする男性の近所で住まいしている高齢者らしく、現在は一軒家で独り暮らしをしているそうだが、生活の中で起こる色んな不安を解消したいと若い男性と一緒に心の窓を訪れていた。
この若い男性は普段から地域貢献のためいろんな行事に係わり、ボランティアの活動にも積極的に参加している人物らしい。
高齢男性の持ってきた相談内容はさほど難しいものではなく、壮太の素早い対応で当日のうちに処理することができた。
この後のことは、役所にバトンタッチをして解決することになった。
高齢男性の相談を受けている間も、壮太の感心のほとんどは、その隣りに座る男性から強く放たれている死のニオイ、そちらが気になって仕方がなかった。
しかし相談者でもない人に対して、こちらから問題を持ち掛ける訳にもいかず、壮太は悩みながらの対処となっていた。
相談の終盤、残りの作業は書類の記入だけとなった。
この相談所では同伴者があった場合は、同伴者の情報も記入しなければならないという規則があり、ニオイを放っている隣りの男性からも個人情報の提供を受けた。
ニオイを放つ男性の名前は、門田 鉄男、三十五歳、既婚者で六歳児のパパ、職業は消防士で常に危険と隣り合わせの仕事に就いていた。
『ということは、仕事中に命に関わるような危険が訪れるということなのだろうか?』
日々、市民を守ってくれている門田さんに対して、心から感謝の気持ちを伝えた。
そして大変な仕事をおこなっている門田さんに対し壮太は、気持ちの面で何かお手伝いすることがあれば是非とも協力したいと申し出てみた。
それに対して門田さんは「とてもありがたいことだ」と言い、一週間後にまた心の窓に来社してくれることを約束してくれた。
門田さんはとても落ち着いた方で、現場でも冷静な判断をして人命を救っているのだろうと感じた。
一週間後……非番の日に門田さんは心の窓に来社してくれた。
その時に門田さんから受けた相談内容は、仕事上のことではなく自身が住む近所のことだった。
最近は年寄りだけの家が増え、心配事が多くなってきたと言う。
自分の空いている時間にはお年寄りの家に顔を出し、何か必要な物があれば買い出しにも行ったりしている。
地域の老人に対して自分ができる範囲内には成るのだが、色々と気にかけて行動しているのだが、それでもまだ足りていないと悩んでいた。
早くに両親を亡くした門田さんにとっては、近所に住むお年寄り全てが親だという感覚だった。
子供としたら親のことが気になるのは当然のことである。
心配ごとの中でも特に火事や病気、それに孤独死などを心配していた。
門田さんは過去に、救急で呼ばれた家で妻の遺影を抱き、畳の上で孤独死していたお爺さんを見たことがある。
それが今の門田さんの気持ちに強く影響している。
あのお爺さんは苦しさと孤独さを感じながら、そして誰にも看取られることなく、一人であの世に向かったのだろう……無念さを感じられずにはいられなかった。
そんな門田さんに、壮太はいろんな角度から提案をおこなった。
なるべく門田さんが望んでいる方向に向かえるよう、心の窓は協力していくことも約束した。
その後も門田さんとはプライベートを含めた沢山の話をした。
学生時代はバレーボールに没頭し、春高バレーにも出場したという実力の持ち主で、いっときはプロも目指したこともあったのだが、門田さんは身長が一七五センチとバレー選手としては小柄だったこともあり夢を断念したという経験があった。
だから六歳の息子には身長を伸ばしてやり、是非ともプロとしてバレーボールで活躍して欲しいという希望があった。
そしてこの時間、不思議だなと思うこともあった。
それは門田さんがあまりにも熱く語るからなのか、それとも心の窓の暖房が利きすぎていたからなのかわからないが、いつのまにか門田さんは上着を脱いでTシャツ姿になっていた。
さすがは消防士、鍛え上げられた身体、腕や引き締まった腹筋はTシャツの上からでも十分にわかるくらいであった。
「あれ、昔、怪我でもされたのですか?」
門田さんの鍛えられた左の腕には大きなアザがあった。
「あっ、これですか? これは生まれつきなんですよ。だから幼い頃に水浴びをしている写真にも写っていましたよ」
「そうなんですね」
その時はあまり気にすることもなく、アザの話は直ぐに終わった。
その後はボランティア活動をしている話を聞いたりしていたのだが、門田さんは本当に素晴らしい人だと壮太は実感していた。
しかし、相変わらず門田さんのニオイはそのままだった。
それと、これは壮太の目の錯覚なのかわからないのだが、門田さんの真後ろには門田さんの身体と同じくらいの大きさの黒い影があると感じていた。
壮太は『乱視がひどくなってきたのかな』と、その場はやり過ごしてしまった。
門田さんとは約二時間の会話をした。
今年の秋はとても短いような気がしていた。
日を追う毎に寒さが増し、自宅でも会社でも暖房が欠かせなくなっていた。
そのせいなのか、最近は毎日のように消防車のサイレンの音を聞いていた。
『門田さんに何もなければ良いのだが……』
四.不思議な因果関係
門田さんかが心の窓を訪れてから三日が経ったこの日は、特に寒い一日となった。
市内では三軒の家が焼けるという大きな火事があり、門田さんもその現場で消火活動をおこなった。
この火事の発端は、老夫婦が住む古い木造の家から出火したものだったのだが、この家ではファンヒーターと大きなストーブを使用して寒さをしのいでいた。
このところ悪天候が続き、洗濯物が乾きにくい状態が長く続いていた。
この老夫婦も家の中で乾かすしか方法はなかったようだ。
洗濯物が早くよく乾くようにと、大きなストーブをつけて洗濯物を干していた。
火事はその部屋で起こった。
部屋の物干しに掛けてあった一枚の大きなバスタオルがストーブの上に落ち、そのバスタオルに火がついたのだ。
それから火はどんどん燃え広がり、あっという間に部屋全体が火の海になった。
老夫婦は運よく隣の部屋が燃え広がっている火に気づき、無事に逃げ出すことができたのだが、火はとても激しい炎となり、火の津波は荒れ狂いながら両隣りに向け一気に押し寄せた。
まもなく三台の消防車が到着し、直ぐ消火活動がはじまったのだが、その中に門田さんの姿があった。
消火作業を開始した門田さんだが、この現場には何故か違和感と胸騒ぎを感じていた。
そして門田さんは、この火事の現場の異変に気づいた。
出火元の家を正面から見て右隣りの家に、まだ人が居るような気がしてならないのだ。
そしてこの家の住人だと名乗る女性が門田さんの所まで走って来た。
女性は先ほどまでスーパーへ買い物に出掛け、今帰宅したのだという家主の方で、まだ家の中には九歳の息子が残っていると言ってパニックになっていた。
『右の家……あの火の具合であれば、まだ中に入れる』そう判断した門田さん、パニックになっている母親を少し落ち着かせてから、息子さんの名前を聞いた。
そのあと隊長のところに行き、燃えさかる右の家に対し、突入の許可を要請した。
隊長から突入の許可を取り付けた門田さんは、火の粉舞う右の家の中へと入って行った。
当然ながら門田さんも危険を承知での突撃であるが、同じくらいの歳の子を持つ親としては絶対に見捨てることができなかったのだ。
門田さんは火が広がりはじめた家の中に入り、ひたすら息子さんの名前を大声で叫びながら家の中を探し回った。
「ゆうきくん、ゆうきくん!」
すると奥の方から微かな声が聞こえた。
「ここだよ」
声の出どころは二階だった。
「今すぐ行くから、ゆうきくん、そのまま待っていてね」
そう大声で伝えて、急いで二階に上がった。
ゆうきくんは自分の部屋の隅で怯え、膝を抱えながら座っていた。
発見した門田さんは、そのままゆうきくんを抱きかかえ家から脱出した。
ゆうきくんを無事に、そして無傷で助け出すことができた。
ゆうきくんの無事な姿を目にしたお母さんは安堵し、その場で泣き崩れてしまった。
うずくまり泣いているお母さんの所にゆうきくんを連れていき、二人は抱きあい、お互い無事であることを実感した。
その後も懸命な消火活動がおこなわれ、火事は鎮火はしたのだが、火元の家を含めた三軒の家が全焼してしまった。
しかし、この大火事で怪我人が一人も出なかったことは幸いなことでり、門田さんの素晴らしい活躍のおかげであった。
火事のあった翌日、門田さんは非番の日ではあったが火事の現場検証をおこなうため、再び現場に出向いていた。
その現場検証も昼前には終わり、少し遅くなってしまったが、門田さんはそこから非番となった。
消防署から自宅までの距離は約一キロと近く、普段から通勤は自転車か徒歩でおこなっていた。
この日は徒歩、勤務に向かった日が雨だったからだ。
通勤路には自然がたくさんあり、徒歩でもとても気持ち良い道のりが続き、門田さんの家は最後に踏み切りを越えた所にある。
今日はタイミングが悪く踏切に着いた瞬間に警報器が鳴り、目の前で遮断機が降りた。
電車が通過し遮断機が上がるのを待つ門田さんの目に驚く光景が飛び込んできた。
『なんだ? 線路に子供がいる!』
しかし門田さんには迷っている時間などなかった。
直ぐに踏切の中へと入り、子供を助ける決断をしていた。
このまま、あの子を見殺しにすることなどできなかった。
遮断棒をくぐり、踏切内に入り、そのまま子供が居るところまで全速力で走った。
もう少しで子供が居る場所という時、門田さんの視界の中に電車が入ってきた。
『ダメだ、間に合わない』
そう思った瞬間、門田さんは子供に向けジャンプ、両手で子供を突き飛ばした。
子供は二メートル先、踏切の端まで飛ばされ、電車との接触を逃れることができた。
ケガをして泣きじゃくる子供の横には、八両編成で走っていた電車の前から六両目の車両が横に停まっていた。
しかし、そこに、門田さんの姿は無かった。
車掌が電車から降りて線路を走ってきた。
子供にひと声掛け無事であることを確認したあと、車掌はふたたび先頭車両に向けて走って行った。
運転手から人と接触したとの報告を受けていたからだ。
先頭から二両目付近の脇で人を発見したのだが、その姿から生存の可能性はゼロであった。
門田さんは子供を突き飛ばし電車から離したあと、自身は逃げることができず、電車にひかれてしまった。
車掌は関係各者に連絡を入れ、現場の対応をしていたとき、ある不思議な出来事に遭遇したという。
それは泣きじゃくる子供に車掌が駆け寄ったとき「あっ!」と言って斜め上を見て、うなずきながら笑っていたというのだ。
そのあと「大丈夫だったよ。ありがとう」と大きな声で誰かに答えていた。
車掌が「誰と話しているの?」と聞くと「僕を助けてくれた、おじちゃんと話していたの」と答えた。
その後も子供の話しは続いていたという。
「おじちゃんが言っていた。昔むかしね、僕に助けてもらったことがあるんだって。だから今度は、おじちゃんが助けに来てくれたんだって」
子供からその話を聞いた車掌からは言葉が出ず、ただうなずくだけしかできなかったそうだ。
そして子供の左腕には、大きなアザができていた。
私達が前世からの生まれ変りということであれば、今回のこの話は成り立つ話なのかも知れない。
門田さんは前世で受けていた恩を返すため、再びこの世に生を受けていたのかも知れない。
だとしたら門田さんは、この世に生を承けた意味があり、それを全うした人生だったというのだろうか?
壮太は後日、電車の事故から逃れることができた子供の家を訪れ、直接話を聞きに行ったのだが、子供は明るく話をしてくれた。
そして、その子供の後には、にっこりと微笑む門田さんの姿があった。
門田さんは『四十九日を迎えるまでは、この子と一緒にいます』と言っていた。
事故のショックが残らないようケアしていたのだ。
壮太は複雑な心境でありながらも、この世には不思議なことはあるものだと実感していた。
かけがえのない小さな命を助けるため、一人の勇敢な命が消えて逝った。
ただこれは運命であったのかも知れないのだが……
しかし、それを証明することもできない、誰にもわからない話なのだ。
おしまい
著者:通勤時間作家 Z
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