第六話 魅了する政敵
ヴェノーグの目の前に立つのは第二王女、マーヤ。
とっさに無礼に対する謝罪の言葉を述べたが、悪印象を与えてしまっただろうか。
「ふふ、顔を上げてください。いきなり後ろから声をかけるのは私も失礼でしたわ。お時間よろしいですか?」
「はい」
嫌だとは言えまい。男子たちよりもマーヤとの関係の方が重要である。
「ありがとうございます。ご存じのようですが、私はマーヤ・アービット。お噂はかねがね、レイエンガー卿」
「殿下に知っていただけていたとは、恐縮です」
噂、とは一体どのようなものであろうか。
王女との繋がりのことを言っているのなら、政敵としての挑発に等しいが、どうもそのような悪意は見えない。
「陛下への誓い、ご立派でしたわ。王女としてではなく、一国民としてそう思いますよ。姉様のように、私が誓いたかった思いももちろんありますが」
「それは……なんと言ってよいやら」
「ああ、お気になさらないでください。私の至らなさが原因ですわ。純粋に褒めていますよ」
「……恐縮です」
対応がどうしてもぎこちなくなる。きちんとシミュレーションしてからマーヤには接するつもりだったのが、いきなり接触されたことで呑まれてしまっているのだろうか。
緊張する様子を政敵に見せるのは危険だ。
「恐縮、しか言えないんですか? 目も合わせてくらませんし。私を見てください」
「うわ……あ……!」
マーヤはヴェノーグの顎を掴み、強引に顔を向き合わせた。背は若干マーヤの方が高く、男として少し情けない体勢を取らせられたのだが、そんな些末な考えはすぐに吹き飛んだ。
『私はあの子とはできるだけ顔は合わせたくないの。本当に、怖い』
スベラは入学式前、珍しく弱気なことを言っていたがなるほど。これは、まずい。
ヴェノーグがどこかぎこちなくなっていたのは、緊張によるものだけではなかった。本能的に目の前の存在を知覚することに対する危険性を感じ取っていたのだ。
声から、姿勢から、そして顔から場を支配する空気を放っている。
一度顔を合わせてしまえば離すことができない。
この空気で周りの人間を引きつけているのだろう。スベラですらそれには敵わないということだ。
「どうか、されましたか? あ、少し強引でしたね。ごめんなさい」
しかも狙ってやっているわけではないらしい。
騙されやすいヴェノーグが隠れた悪意を読み取れるかについては疑問符がつくが、今のところは完全に無意識のうちに人を魅了しているように見える。
「い、いえ、お気になさらず。それで、お話とは」
そう返すのがやっとだった。
まだ挨拶しか済ませていないのにこの有様で、本題に移って大丈夫と言えるはずもないが、話はきちんと聞かなければならない。
「大したことではありませんわ。仲良くしましょう」
「はい?」
「首席であり、姉様とも親しいお方。どうして仲良くしたくないなどと思えましょうか。是非、友になりましょう!」
「ええ……」
まさか向こうの方から近付いてくるとは。
「もし、姉様を狙う不届き者であったならば容赦なく滅ぼしに行くところでしたが……私が見る限り、あなたは違うようです、ですから――」
ヴェノーグは結局、マーヤに押されるまま、友という、よくわからない関係を結んだ。
おそらく、マーヤに裏の心はない。
スベラを狙っているなら滅ぼすと言ったときの言葉は本気だった。姉を狙う者への敵意を隠そうともしなかった。
悪意をむき出しにしてくれる方が人間というものは信用しやすいのだとスベラには教えられたが、それに従えばマーヤは心がわかりやすくて信用できる。
マーヤはスベラのことを好きで、スベラと親しいヴェノーグに悪意なく近付いてきた。それだけの話だった。
さらにマーヤには王座争いの自覚がない。恐ろしく緊張感なく、政敵であるヴェノーグを優しく包み込むように接近してくるのが逆に厄介だ。適当にあしらうのが一番なのだろうが、そこまでの非情さはまだ持ち合わせていない。
「スベラに出会う前だったら、確実に墜とされてたな。空気だけは本物だった」
もちろんカリスマ性だけでは一国の主は務まらない。器としては今のところスベラに分がある。国民たちに直接その姿を見せる機会は少ない以上、カリスマ性は大して重要な要素ではない。飾り物の君主としてなら最適であろうが。
それはそれとして、まだ王座争いの全容をつかみきれていないので、マーヤの様子を探りつつ、どう行動を起こすか決める必要がある。
スベラの指示を待つだけでは操り人形になってしまう。それはヴェノーグもスベラも望まないことだ。
「とりあえず、一附出身者に――」
「やあヴェノーグくん。僕はガイアス・イケニアス。イケネイド伯爵家の嫡男で、レモーラ子爵を名乗らせてもらっている。陛下の前で素晴らしい誓いだったよ。同期として是非仲良くしよう!」
またもや向こうの方から接近してきた。なかなかペースを自分の方に持って行けない。
イケネイド伯爵。中央での地位は中の上といったところ。良くも悪くも権威に忠実な家風で、次代の王座に関しても、今のところはスベラを支持しつつも風向きが変われば立場を即座に変えるとみられている。
信用はできないが、勝ち馬に乗ろうとする大多数の連中をいかに引き寄せられるかが大事なので、距離を取ることはしない。
「これはどうも。お初にお目にかかります。ヴェノーグ・B・レイエンガーです。こちらこそよろしく、レモーラ卿」
「いやいや、そういうのはいいって。どうぞ、ガイアスと呼んでくれ。ここに集まっている生徒たちはそんな狭量じゃないからさ」
それは間違いない。貴族主義者は筆記試験のみで合格者を決めるような学校には通わない。貴族、すなわち魔族だけが使える魔法を試験科目にしている私立の学校に通うか、家庭教師を雇う。
公立の学校は平民も通うため、貴族の子息側も貴族の風習を持ち込むことにこだわらないことが多い。
「しかし君のような学才がこの学校を選ぶとはね。どうせなら府立第五中等とか、アケイペア中とかに行けばよかったのに」
どちらも王都にある中高の名門で、正真正銘の天才たちが集まってくる。一中は王立ではトップの序列だが、全体としては三から五番手といった立ち位置だ。
「私は学問においてそこまでの才能はありませんよ。公爵家の筆記試験でもギリギリで突破したくらいですし。どうにか入試で首席をとれたのも、一中に集中して勉強しただけのことですから」
「ふーん。まあ皇太子殿下も妹君もなぜかここに来ているしね。特に皇太子殿下は魔導の才能もお持ちだから導学館にだって行けただろうに」
「ああ、絶対嫌がりますよ。あの人は。導学館は排他的ですから、あの人の考えには合わない。何より、王立であることが、あの人が学校に入る条件だそうです」
「もう、かしこまらなくていいって言っているだろ。ていうか、ずいぶん詳しいんだな。やっぱり噂は……」
どことなくガイアスは王家について興味を持ってヴェノーグに近付いてきていた節があったので、それをちらつかせたら簡単に食いついてきた。
「かしこまらなくていいというのなら、遠慮なく言うよ。貴族たちはずいぶんと噂好きのようで。暇なの?」
「おっと、気分を悪くしたのなら済まない。確かに貴族や王族同士の非公式な繋がり自体は珍しくもないけど、君の立場がかなり特殊だから関心は持たれているんだよ。一附でも卒業前は結構話題になってたよ」
そこまで貴族たちに関心を持たれているとは。ヴェノーグとしては、名前が通っている程度に考えていたのだが。
まさか異界人であるというところまでは噂されていないだろうが、一応気を配っておくべきだ。
逆に言えばガイアスのように、ヴェノーグあるいはスベラに関心を持つ者が多いということであり、それを利用して連中と接触することもできる。
「とにかく、僕は君と仲良くしたいと思ってるからさ。一緒にやっていこう。僕は三組だけど、君は何組?」
「私も三組。よろしく」
同じ学級だったとは、運がいい。ひとまずぼっちは回避できたのだ。
「ほら、こっちに来なよ。僕の友人たちだ」
「よろしく、ヴェノーグくん。サーディノル子爵家のセグロサ・ディノフェスだ」
「俺は――」
「僕は――」
計十三人と自己紹介を済ませた。当初は五人程度と考えていたが、かなり多くなってしまった。
ヴェノーグは一瞬、そんなに自分に関心があるのかと思ったのだが、
「先ほど、マーヤ殿下と話していたようだが、一体どのような話を?」
「まさか皇太子殿下だけでなく、妹君とも繋がりがあるのかい?」
彼らはマーヤに興味があるらしい。少々マーヤに対して熱が過ぎるように見えたが、考えてみれば一附で彼女の魅力をずっと感じてきたのだ。
仮にマーヤの虜になっていれば、自身もまたこの男子たちのようになっていてもおかしくなかったと、ヴェノーグはマーヤの出す気配から感じていた。故に男子たちを蔑むことはしない。
「マーヤ殿下と会うのは初めてだよ」
「その割には距離が近かったような……」
「俺たちは遠巻きでしか見られなかったのになあ」
「そうそう。神聖さを穢しているようでというか、まぶしくてというか、なんか至近距離には近づけないよね」
「それで、近くで見た殿下はどんな感じだった?」
えらく俗なことを聞いてくるガイアスたち。ヴェノーグは彼らにもう少し上品なイメージを持っていたのだが、それは崩れ去った。この方が親しみを持てるといえば持てるのだが。
「まあ、殿下は想像以上に魅力的でしたよ」
「おお、姉君に仕える君でもそう思うか。よしよし、ならばマーヤ殿下の親衛隊に加わらないか?」
「は?」
「僕らが一附にいたときに組織したのさ。女子は近くから、男子は遠くから、殿下を愛で、守る。そんな組織だ」
――大丈夫かこの国……。
ヴェノーグはガイアスたちに対し、親しみを持てると思った己を恥じる。俗っぽいを通り越してただただ気味が悪い。貴族の子息とはこのような者達ばかりなのだろうか。それこそこの国の行き先が危ぶまれる。
まさかこのくらいの年齢ならこれが当たり前なのだろうか、とヴェノーグは自分の常識を疑い始めた。
「どうだろう? 我々百人で、共に殿下を見守ろうではないか」
「百人もいるのか……」
しかしよく考えてみれば、組織的にマーヤに接触できるのは悪い話ではない。大まじめにこんなことをやるのだ。気持ち悪いだけで、物騒なことはしないだろう。
「わかりました。持ち帰って検討し」
「ダメに決まっているでしょ。ほんと、あの子の周りには頭お花畑しかいないんだから」
帰り際にスベラを見つけ、ヴェノーグが報告すれば、スベラからは即刻、呆れと共に不許可の言葉が降りた。