第五話 戦いの場
セーラムに希望したとおり、ヴェノーグは王立第一中学校男子部、通称一中の入試を受けた。
再びの一年間に渡る受験勉強だったが、公爵家の選抜に比べれば簡単で、あっさり受かった。
「同じ学校に通えるようで何よりよ。ピスキウム男爵ヴェノーグ・ボーラクス・レイエンガー殿」
「やめてください。そもそも中学は男女で校舎が違うのですから、ほとんど別の学校でしょう」
なお一中には女子部の方にスベラが通っている。ヴェノーグの一学年上だ。ヴェノーグは一応スベラの後輩となる。
王女とはいえ、全寮制の学校なのでスベラも寮生活を送っているのだが、彼女はあちこちに別荘を持っており、あれこれ理由をつけて外出している。今も学校が休暇中なのをいいことに王都に近い屋敷に滞在しており、そこにヴェノーグを呼んでいた。
「まああなたが受かるのは予想通り。わざわざ呼んだのは頼み事があるから。校内での私の立場を盤石とすることに協力してほしい。男たちの支持を固めたいの」
「え? 私が何かしなくても、王女なんですから、なんだかんだ人は集まるでしょう?」
「そう楽観はできないわ。あなたの同期に私の妹がいる。かなり人望のある子だから、おそらく今は私を取り巻いている子達も鞍替えするでしょうね。だからあなたの協力がいる」
「そういうものですか。まあ、やれるだけのことはやりますが、学校に今まで行ってこなかった私がどこまでできるか……」
加えて、一中の入学者の半数以上は附属の小学校、通称一附出身だという。小中で内部進学の制度はなく、一附生も例外なく入試を受けるのだが、入試の対策を徹底している一附が常に多数の合格者を出している。
「確かに一附出身者である程度人間関係が固定化されているのも事実。でもあなたは公爵家の試験を突破している。平民出身とはいえ、近付いてくる者も多いはずよ。私と妹だとどうしても妹に人望が偏るから、あなたは違う立場から彼らに接近してほしい」
「わかりました」
「ただし、人間は選びなさい。一附にいたとき、人は妹の周りにばかり集まっていたの。そしてそういうときに私に近付いてくるのは大抵落ち目につけ込む下衆よ。だから私は絶対に甘言には乗らなかった」
人間を選ぶ。ヴェノーグが最も苦手なことである。簡単に人を信用する傾向がある。
そうやって裏切られ、この国に逃れてきたのにもかかわらず、未だに疑いの感情がうまく機能しない。
「これから先、うまくいかないことも多いと思うけど、そんなときこそ近付いてくる人間には注意すること。これは私のためじゃなく、あなたのため。私があなたを引き込んだのもあなたの弱みにつけ込んでのことだったの、覚えてる?」
「あ……」
ヴェノーグは全くそこに考えが及んでいなかった。
「私に対しても警戒は怠らないように。隙を見せたら私もあなたを食いつぶすわよ」
「……はい」
利用価値を示せということだ。先程からずっとプレッシャーをかけられ続けている。
色々と注文を受け、できない可能性が一瞬頭をよぎったが、そんな考えこそ、スベラから見放される要因になり得る。できるできないではなく、やるしかない。
「アラピアの対処も苦労しているそうね」
「ええ、まあ。その節はお世話になりました」
アラピアを付き人にしたはいいが、あの異常な執着心はどこかで矯正させなければと、ヴェノーグはアラピアを学校に行かせようとした。
しかし、
『勉強はできるんだから学校に行く意味なんてない』
の一点張りで話が進まなかったのでスベラが介入した。
王女という立場を利用し、ヴェノーグが一中の寮に入ると同時にアラピアも同じ部屋に入るという特例を一中に承認させた。そしてその条件を餌に、寮から一附に通うことを受け入れさせた。
この動きでスベラがヴェノーグと繋がりがあることはほとんど公になっただろう。もちろん直接的な証拠は残していないが、あまり王族と貴族、それも平民出身の人間が私的な結びつきを強めるのは好まれることではない。
下手をすればヴェノーグが公爵家に入れたのはスベラが公爵家に便宜を図ったからではないか、というあらぬ疑惑をかけられかねない。
「迷惑をかけた分は、返しますから」
「あれくらい何でもないわよ。私を叩く材料にもならない。あなたが問題を起こさない限りは。あ、そうそう、妹ともちゃんと仲良くするのよ? まだ決定的な対立には至っていないんだから、敵は少ないに越したことはない」
――――――
「尊ぶべき王国の、一の名を持つ本校において――勉学にいそしみ、王国の発展に寄与する人材になることを新入生一同、ここに誓います。王立第一中学校新入生代表、ヴェノーグ・ボーラクス・レイエンガー」
一中の入学式、新入生の挨拶。
ヴェノーグは新入生代表として、誓いの言葉が書かれた用紙を前に立つ国王に差し出した。片膝を立てる格好だ。
この国では入学式は一般的ではないのだが、一中は国王のもとにある学校の象徴であり、忠誠を誓う場として例外的に入学式が設けられている。
そして国王は主催者として一中の入学式に出席し、誓いの言葉を受け取ることになっている。誓いの言葉を述べる代表は、入試成績において、男女総合で首席になった者。ヴェノーグは首席だった。
「うむ。励むように」
現国王、アーブ十四世。スベラの父親だ。一国の国王だけ合って、威厳がある。
アーブは淡々と紙を受け取り、ヴェノーグに下がるよう促す。
「ふう」
ヴェノーグはほっとした思いで元の場所に戻る。
国王に直接言葉を伝え、誓えるのは名誉なことだというが、王室に対する尊敬の念など持っていないヴェノーグは、無駄に緊張を強いられる時間としか思えなかった。公開処刑を待つような気分で、直前まで逃げ出したいのをどうにかこらえていたのだ。
『何言ってるの。あの場であなたが目立つことに意味があるの。そして妹の出鼻をくじけたことは大きいわよ。あなたがいなかったらあの子が首席だったんだから。ちなみに一年前は私が首席。二年後はアラピアがやってくれるかな』
弱音を吐けばスベラがそう言って逃げ道を塞いだ。次席がスベラの妹だったと知ったのはそのときだった。
明らかに姉の息がかかっている人間が首席に立ったことを、妹の方はどう思っているのだろうか。順位が一つ違えば、首席として父親の前で誓えた言葉を言えなかったことをどう思っているだろうか。
スベラの言うように仲良くでいる要素が見当たらない。
「有能な若者が余のもとに集ってくれたこと、嬉しく思う。この場でその才を育み、将来余のため、国のため、そして国民のために大いに活かせ」
「はは!」
新入生たちが一斉に返事をする。その迫力にヴェノーグは当事者の中にいながら圧倒されてしまった。
そのまま国王は退出した。入学式とはいえ、この場はあくまで忠誠の誓いの場。誓いが終われば国王は出て行き、入学式はそこで終わる。その後新入生に軽く学校の説明を教師からされて解散だ。
「さて、色々周りに挨拶をしていかないと。あの中に入るのか……」
ヴェノーグの視線の先には、五人程度で談笑している男子たちのグループが複数ある。初対面ではないと言った様子なので 一附出身者だろう。
部外者がいきなり入り込むのはまずいのではないかという思いが頭をよぎったが、外部生とグループを作ってからでは遅い。あの中に入らなければならないのだ。
「あの――」
「もし、レイエンガー卿」
後ろから女の声。
「……私ですか?」
「この場にレイエンガーの名を持つのはあなたしかいないでしょう。声をかけたのですから振り返るくらいしてくださらない?」
ヴェノーグは勇気を出して男子たちに声をかけようとしたのを邪魔され、少し機嫌を損ねていた。
言われたので仕方なく振り返れば、
「あなたは……!」
今のような態度を絶対にしてはならなかった相手がいた。
「ご無礼、お許しを。マーヤ殿下」
スベラの妹、第二王女マーヤだ。