第二話 頭角を現す天才と努力家の兄
「はい?」
「だから、シバリシファ公爵家が跡継ぎ候補を募集する頃になるからその選抜を受けなさい」
スベラに拾われてから十日ほどして、新たな生活にも慣れた頃、ヴェノーグにそんな命令が下った。今までは簡単な仕事しか申しつけられなかったが、唐突に難題である。
「意味がわかりません。そもそも目的は?」
「あなたたちの利用価値を最大限に高めるためよ。あの公爵家は代々子どもを作らずに、外部から選抜して継がせているの。来年にその選抜が始まる。それを利用してあなたたちを送り込む」
「そんなことができるのですか?」
「平民であろうと受験は伝統的に認められているわよ。というのも公爵家とはいえ中央での影響力はそれほどないから。あの家は異界人の統括を担っていて、軍事的に最大の戦力を持つけど、軍事系は貴族国家のこの国では忌避されるの。立場としては亜人自治区と接する辺境伯に近いかも」
そんな家に派遣してどういうつもりなのだろう。異界人の統括というものに関係があるのだろうか。
「選抜は身分を問わず、七歳から十八歳までの男女が募集され、第一の筆記試験で各年齢五十人まで絞られる。そこから実戦試験、口述試験、面接を経て各年齢一人に絞ったところで公爵の家に入れられ、後継者候補として育成。最終的に期限を決めずに公爵が後継者を判断することになっているわ」
聞く限りではかなりの難関だ。しかも相当長い時間がかかる。当たり前と言えば当たり前だが。
「まあ貴族の嫡子とか、大貴族の生まれなら次男や次女でも身分は安泰だから受けに来ないわ。実質的な相手は中堅以下の貴族たち。平民も一応注意はするべきだけど、実戦試験でほとんど落ちてしまうわ」
実戦がどのようなものかはわからないが、ヴェノーグもアラピアも、それなりに戦える。
「問題は学力。第一関門にして一番の難所。一年でなんとしてでも突破する力を身につけないと。というわけで徹底的に叩き込むわよ」
「えー?」
――――――
今日は選抜の筆記試験試験日。二日間にわたって行われる。
スベラが呼び寄せた教師陣の指導の下、一年間勉強漬けにされたヴェノーグとアラピア。アラピアは途中で何度も投げ出しかけたのをヴェノーグが説得していた。
アラピアはあまり教師たちとは仲良くなかった。教師たちの態度が常に上から目線だったことが気に入らないらしい。
「まああの教師たちも素性がよくわからない私たちを指導しろって言われても戸惑うだろうしね。どっちが悪いとは言えないけど。あ、わざと落ちるとかそういうのはなしだからね?」
<わかってる。兄さんの顔に泥を塗るようなことはしない>
「それじゃあ私は十一歳の会場だからこれで」
<うん、頑張って>
君も頑張るんだよ、と言いたいところだがアラピアは要領がいい。
人の心配よりも自分の心配だ。
「突破できるかは何とも言えないけど、本当に頭の良い天才は受けに来ないみたいだし、うーん」
優秀な人材を吟味するために長い時間をかけて選抜するのだが、その長さが逆に受ける側の負担となっている。
長期間の心理的な負担もさることながら、当主は子どもをもうけてはならないという制度上、選抜中の身である限り結婚はできないことが貴族の子息たちを躊躇させている。
落ちた後では婚期から大幅に遅れている可能性があるのは、血統を重んじる貴族にしてみれば安易に天秤にかけられるものではない。
そもそも跡継ぎになれば子どもを残すことができない点も、貴族の生まれであれば厳しい条件である。
気軽に受けられるものであれば腕試しのつもりで来る優秀な人間もいようが、それはそれで公爵家の威信との兼ね合いがあるということで難しいのだという。
「倍率は低い年齢だとそこまで高くないんだよな。ある程度己の限界が見えている十五歳以降に一気に倍率が上がってるし」
ヴェノーグの受ける十一歳の部では筆記試験の倍率はおよそ十倍。対して十八になれば三十倍に跳ね上がる。十倍という数字が可愛く見える。
「前回の募集が三十二年前で、その前は五十七年前。模試もなくて、傾向分析なんてできる類いのものじゃないし、出題範囲が各年齢の部で学ぶ分野全てとされるだけ……。ああ、もう、考えてもしょうがない。当たって砕けろだ」
試験会場でモヤモヤ悩むなど、一番やってはいけないことである。ましてこの試験は二日間にわたって行われる。気持ちの切り替えが重要になってくる。
「始め!」
試験監督の合図の下、試験が始まる。ヴェノーグとアラピアは今回、地方の平民として受けている。
身分など本来はないのだが、スベラが王女の権限を利用して作り出した。王女と言うにはおしとやかさのかけらもなく、強引さが目立つ。拾われる身としてはその方が頼りがいはあっていいのだが。
――ふむ、難易度としては予想通りそこまで難しくない。
試験は七つの科目と作文によって行われる。
科目試験は基礎的な知識を元にした思考・応用力が問われる問題が出る。この辺りは傾向というほどではないが、今までの試験と同様。
ヴェノーグはこの手の問題は得意である。
あとは時間との勝負。限られた時間の中でどれだけ多くの問題をこなせるかも問われているのだ。
――いかん、作文が終わらない……!
二日目、筆記試験の最後は用意された論説文を読んで、それに対する自分の考えを述べること。
ヴェノーグは作文を大の苦手としており、十中八九出題されるだろうと練習を重ねてきたがなかなか思うように書けない。
かなりの時間が与えられているのだが、文章の量もまあ多い。
この内容を全て押さえた上で書く。十一歳に求めるスキルではないだろう。しかし周りでは絶えずペンを走らせる音が聞こえる。
つたない表現であることは自覚しつつもなんとか書き切ったところで試験は終了した。
「おつかーれ。どうだった?」
<余裕。兄さんは疲れているみたいだね>
九歳の試験がどのようなものだったのかは知らないが、余裕とは。
「あの王女、帰ったら文句を一言言うだけじゃ足りない。第一私たちに家名を与えるとかいってボーラクスの名を与えた側から別の家に送り込むって……。べつに家名与える必要なくね?」
<うん。だから本当は嫌だった。せっかくの兄さんとの繋がりがなくなるから。あの女から与えられた名前だからそこまで大事じゃないけど>
「結果はどうかなあ。十日後に発表だけど」
そして十日後。
合格の発表は各地で掲示される。
合格者はその成績と順位が公開される。
「よ、四十九位……。滑り込みセーフ……。アラピアは……あいつおかしいだろ」
ヴェノーグ自身はまずまず……と思いたい。問題はアラピアである。既に辺りではその成績を見たと思われる人々が驚愕の声を上げている。
「こいつはたまげた。神童じゃないか」
作文を含め、全科目で満点。ぶっちぎりの一位である。
とくに作文は、年齢関係なく全員に同じ問題を出していたらしい。作文の満点は十七歳と十八歳にそれぞれ一人ずついたが、九歳でとは異常なことだろう。
「これはもう決まりかな」
「でも平民らしいわよ。きっと貴族たちに……」
「いや、今のシバリシファ公も平民出身だ。連続で平民出身となれば俺たちにとっても痛快な話だな」
平民どころか奴隷扱いされる異界人ですとは口が裂けても言えない。
<兄さんも受かってたんだ。よかったね>
「アラピアはすごいな。今後の試験で嫌でも注目されるぞ。その仮面つけてたらますます目立つし」
<そうだね。そろそろこの仮面は外してもいいと思ってたから、いい機会かな>
そう言ってアラピアは仮面を取った。
その姿は――、
「綺麗だな。仮面つけてた方が目立たないんじゃないか?」
「やめてよ、兄さん。照れ、る」
天はアラピアに一体いくつ贈り物をしたのであろう。
仮面を取った途端、近くにいた女性たちが言葉を失うほどの美少年。難関の試験を満点で突破する頭脳。マナによらない超能力を操れる。既に三つ、人生を大いに有利にする要素をもっている。
少し恥ずかしそうにする姿は男から見ても可愛いというか、なんというか、ヴェノーグの語彙では表現できない。
「ていうか喋れたんだ」
「いち、おう、ね。まだ、慣れ、ないけど」
声自体は今までテレパシーで聞いていたものとほぼ同じ。幼さの残る声だ。
「あの、あなた――」
「なに? 兄さんと、話してる」
声をかけてきた女子に対してのこの態度。幼かった声が一気に棘を持った鋭い声に変わった。
相変わらずの、対人関係における決定的な難点があっても魅力が薄れないのは単純に羨ましいとヴェノーグは思った。
「おめでとう、二人とも。とくにアラピアはよくやってくれたみたいね」
「べつに。当然」
「期待以上よ。そんな風に綺麗な顔まで持っていたとはね」
スベラはアラピアの素顔を見てもとくに動揺する様子は見せなかった。そこはさすがというべきか。
街中でもかなり視線を集めていたのだが。
「さて、最難関はこれで突破。しかしこれからも当然厳しいわ。年齢トップに立たねばならない。現状四十九位のヴェノーグはもちろん、一位のアラピアもね。平民の数は少ない。いびられることも覚悟なさい」
冷静に、引き締める一言を言ってスベラはヴェノーグたちを下がらせた。
スベラ。人柄に対する不信感はあるが、かなりしっかりはしている。
「待てよ? 今回の筆記試験、アラピアの有能さばかりが強調されてて、このままじゃ私、いらないやつになるんじゃ……。アラピアの兄であることだけが誇りとか悲しすぎるだろ。しかも実の兄じゃないし」
危機的事態だ。平凡な成績ではいけない。次の実戦試験では圧倒的な結果を出さねば。
異界人だとバレないならマナによる異能行使を使ってもいいだろう。