第一話 逃亡の果て
「もっと急がないと! 走るよ!」
少年は自分より一回り小さい手を取り、駆け出す。
今は追われる身。少しでも追っ手から距離を取らなければ。
「どうしてこんなことに……」
今、身に覚えのない罪を糾弾され、逃走しているが、少年自身に非はない。
その罪は明らかに作り出されたもの。少年を狙って。
そしてなぜそんな陰謀が自分に向けられたのか、それがわからない。
<今はそこを気にしてもしょうがない。脱出の道はわかっているの? あと手は引かなくて良いから。私、あなたより速いし>
手を引く相手から手を外されつつ、かけられた言葉で最優先すべきことを思い出す。
今は二人で生き延びることが最優先。裏の事情は後で考えればいい。
「道はまだ決めてないけど、目的地は決めてある。第三世界を支配する王国コルニアだ。あそこなら組合の影響は一切受けない」
<でもあそこ、異界人を奴隷にしているっていうでしょ>
「なんとかバレないようにするさ。もしくは王国内の亜人の区域に行くか。あまり亜人は好きじゃないけど」
<……そう。じゃあ道を見つけないと。洞窟を彷徨うわけにはいかない>
脱出先につながる道はこの洞窟内にしかない。それを探しださなければならないが、思うように動けない。敵は追っ手だけではない。
「っ、魔物!」
洞窟には魔物がいる。
瘴気から生まれる共存不可の化け物だ。強さはピンからキリまでだが、この個体は見たところ成人男性以上の体格だ。
見た目はイノシシに近い。素手で勝てる相手ではない。
<どうする? 私が倒そうか?>
「いい。ちょうど新しい力も試したい。いつまでも君に頼るわけにはいかない。私は君の兄だから」
魔物が動き出し、突進してくる。猪突猛進は魔物だろうと変わらないらしい。
魔物と向き合い、手の平を魔物に向けて突き出す。こぶし大の火球を十五発作りだし、撃ち込んで動きを止める。
この火球は秩序の根源、マナによって作り出された。
少年にはマナを操る力がある。マナを体内に取り込み、戦闘時にはマナを通して保有する異能を行使することができる。
今使ったのは炎の異能。少年が持つ異能はこれだけ。
「ここまでは今まで通り、次は……『可変』」
つぶやき、再び同じように手を前に出す。
「ギャア!?」
開かれた手を握った瞬間、魔物の四足が凍り付く。これは炎の異能ではない。先程までは持っていなかったはずの氷の異能だ。
少年には、『異能可変』という特性がある。この特性によって、少年は自身の異能を自由に変更することができる。
少年以外にもマナを操る力を持つ人間は大勢いるが、『可変』は唯一無二の、少年だけが持つ特性だ。
最近手に入れた力がこれであり、使い方次第では全能にもなる力だ。
「よし、このままとどめを……あれ? マナ切れ……」
<……バカでしょ>
少年は保有できるマナの量が極端に少ないという、また唯一の特性を持っていた。いや、単純に欠点である。
「ありがと、アラピア」
魔物のとどめは少年が手を引いていた子ども――アラピアによって刺された。
<前とそんなに違わないじゃん。最初から私が戦った方が速く倒せた>
アラピアはマナを操ることはできないがマナによらない超能力を持つ。普通に強い。
常に仮面をつけ、喋るときはテレパシーという謎の子どもだが、なぜか少年についてくる。
「『可変』であらゆる力を行使できるにしてもマナが少ないんじゃ思うようには使えないの。マナがなくても戦える君にはわからないだろうけど」
強力な異能はそれだけマナを必要とする。マナの保有量が少なければ、能力を変更しても十分に引き出すことができない。
「これでも、マナ保有量が少ないただの無能だった頃に比べれば手札が増えただけでもマシだよ。慣れれば少ないマナでもいろんな異能を組み合わせた戦闘ができるだろうし、君よりも戦えるようになるさ」
<そ、頑張って。……兄さん>
「……おっと、空間の歪みだ。コルニアへの道かも」
魔物が来た方とは別の分かれ道の奥に、妙な歪みが見える。
空間が隔てられた先にコルニアはある。地上からでは到達できないのはそのためだ。
「まあ出た先がコルニアの洞窟じゃない可能性があるから、アラピア、確かめて」
<いいよ>
空間を隔てて存在するのはコルニアだけではない。コルニア以外であれば少年はまた追われる。そのため事前の確認が必要だ。
アラピアは空間認識の能力も持っている。全部こいつでいいんじゃないかと少年が思うくらいには万能なのだ。
普段は自分より幼い存在に頼り切りになるのもどうかと思っているので頼らないが、今は緊急事態。情けないがアラピアに頼る。
<……この先はコルニアだよ>
「お、よかった。一発目から当たりとはついてるな」
<行こう。戻るのはいつになるかな>
「さあ。ほとぼりが冷めて、真実がわかったとき、かな。まずは生き残らなきゃいけないけど」
二人同時に歪みの中に入る。そのまままっすぐ。
――――――
「どこだ! 探せ! 異界人だ!」
結局ここでも逃げるハメになった。
異界人。この世界ではない別の世界から来た人間たちの総称。そしてマナを操ることができる唯一の存在。
コルニア王国がそんな異界人を奴隷にしているという噂は本当だった。異界人が持つ特有の因子の反応を探知する機構によって、国内全ての異界人を監視、管理しているようだ。
<ごめん、私が足を引っ張った>
「いいんだよ。いつも助かってるんだから」
少年は機構による探知を受け付けない腕輪を持っていたので早々バレることもあるまいと、市民に紛れて動静を窺っていたのだが、アラピアが引っかかってしまった。
まさかアラピアも異界人だったとは。マナを操れないので異界人ではないと少年は思っていたが。
<なるほど、因子の反応を利用した……よし、これで抑え込めた>
「ええ? 反応って抑え込みたいから抑え込めるものだっけ?」
<なんかできた。でも完全には抑え込めてないから探知が至近距離からだとバレる>
少し下手を打ったがやはりアラピアは規格外だ。
<今のところバレているのは私だけ。兄さんは私と離れた方がいい>
「そんなことできるか。反応を抑え込めたんならこの場を逃げ切れば後は大丈夫……な!?」
少年の希望的観測もむなしく、街は封鎖されていた。そして片っ端から市民に対して反応の検査をしている。これではいずれ見つかるのは時間の問題だ。
「どうしたら……」
「そこの男の子」
ふと、道にいた馬車から声をかけられた。
少女である。
見るからに高貴な身分といった格好だ。年は十一か十二。少年よりもやや年上だろう。
「あなた、異界人、ですわね?」
少女は少年を見据えて言う。アラピアではない。少年に対して。
<兄さん、下がって。ここは私が食い止めるから。兄さんは今すぐ街の外に!>
少年は自分の正体が看破されたことに動揺して動けなかったが、アラピアが前に出て構える。
こんなところでも出遅れてしまった。
「ああ、そんなに警戒しなくてもよろしいですわ。私は異界人の奴隷制には反対ですもの」
「何?」
「この状況から助けてあげます。お乗りなさい。じい、かまわないわね?」
「はあ、仕方ないですな」
馬車にはもう一人、御者台に老人が座っていた。主従らしい。
<兄さん……>
「どのみちこのままじゃ詰みだ。可能性にかけて、乗ろう」
アラピアの手を取り、少年は馬車に乗り込む。
「賢明ね。姿勢を低くして隠れなさい。後は私がなんとかしますわ。じい、検問の場へ」
「は」
馬車はゆっくりと動き出す。待ちの出口に向かっているらしい。
「そこの衛兵、これは何の騒ぎですか?」
「は、異界人が侵入したようでして。現在街の中を捜索しているところであります」
衛兵と思しき声は非常に緊張した声音で少女に話をしている。よほど高貴なのだろう。
「そう、騒がしい場所にはいたくないの。帰らせてもらいます」
「あ、あの……一応、馬車の中を……」
「無礼な! 私を誰だと心得るのです!? 第一王女、スベラ・アービットです! 王女に対する無礼、二度は許しませんよ!」
「も、申し訳ございません! ただいまお通し致します!」
馬車の外からは恐れるような声が聞こえてきた。
第一王女、と目の前の少女は言っていたか。
「もう顔を上げて大丈夫です。落ち着いたところで挨拶を。聞いていたと思いますが、私はスベラ・アービット。この国の王女ですわ」
「王女……」
「私に拾われて幸運でしたわね。まあ私にとっても幸運な拾いものですから、今は非常に機嫌がいい。挨拶を仕返さない無礼は許しますわ」
「あ、すみません。私は、ヴェノーグ、と申します。それで、この子は」
<アラピア。まだあなたを信用していない。もし兄さんに手を出したら許さない>
「ちょ……! すみません!」
いきなりなんてことを言うのだ。
アラピアは戦闘面では万能だが対人に関してかなり難がある。まさかこの場面でもそれを発揮するとは思わなかったが。
「なるほど、念話。面白い。無礼、許します。兄、とは兄弟なのですか? 二人とも姓は?」
「兄弟のようなものです。姓はありません」
「ふむ。ならば私が与えましょう。今後、私に仕えてもらうために」
「は? 仕える?」
「ええ、そのためにあなたたちを拾ったのですから。ヴェノーグ……そう、ボーラクス。ヴェノーグ・ボーラクス、並びにアラピア・ボーラクス。私に仕えなさい。拒否権は認めませんわ」
「は、はあ」
ヴェノーグ・ボーラクスの異世界での新たな生活が幕を開けた。
構想はできあがってますが、たぶん更新ペースは遅いです
同一世界観の他の作品と直接リンクさせることはしません