流れ星
――あいつらは獣だ。
――何も考えていない。チームが試合に勝つことも、自分が試合に出ることも、他人の気持ちも、何も考えていない。
気付くと彼らを許す理由が一つとしてなくなっていた。むしろ、彼らを殺さないでいる理由を見つけることすら難しかった。
姉さんがあんなに生き生きとしている場所に、あんな害虫がいるなんて認めたくなかった。何よりそれを、姉さんに知られたくなかった。
――やはり、殺してしまおう。
――包丁を家の台所から持ち出して、タオルに包んで鞄に入れよう。確か、キッチンの下の棚の奥の方に、ずっと使っていない包丁があったはずだ。誰にもばれないように、夜中にこっそりとやらなくては。
そんなことを考えながら、僕はふらふらと覚束ない足取りで家へと帰った。
左手の小指は骨が折れているようだった。普通ではありえない方向に折れ曲がっていて、痛々しい色をしている。
塀や電柱に右手を付けて、体を支えながら歩く。一歩進むたびにありとあらゆる細胞が悲鳴をあげた。怒りだけを頼りに、足を動かし続けた。
やっと家の明かりが見えたときには、涙が溢れてきた。どうにかドアを開け、家に入る。
「おかえりー」と姉さんの声が奥から聞こえた。
涙がすーっと頬を伝い、僕は玄関に倒れ込んだ。大きな音がする。下敷きになった右腕がじんじんと痛んだ。我が家の匂いがする。今日の夕飯の匂いもする、これはなんの匂いだったか。
――ここで寝ていてはいけない。階段を上がって、自分の部屋に行かなければ。その前にただいまと言わなければ。
心ではそう思っているのに、体はもう動かなかった。
「あれ、なんかおっきな音した?」
声が聞こえる。怪しまれないうちに、早く。
でもやっぱり体は動いてくれない。僕は嗚咽をこらえ、目を見開いた。
明後日の方向を指さしている左手の小指が照明に照らし出され、小さな影を落としている。それが僕の目にはひどく無様に映って、思わず小さな笑みがこぼれた。
「どうしたのっ」
ドタドタと姉さんの足音が近づいてくる。頬を震わすその振動さえも、僕の胸を締め付けた。
「光っ」
姉さんに名前を呼ばれた。ただそれだけで、視界の淵を涙の流れ星が降った。
姉さんは隣にしゃがみこんで、優しく僕の背中を触った。途端に天は流れ星でいっぱいになった。
「ねえ、光っ。大丈夫っ? あっ、指が。待って、お父さんっ、来てっ。救急車っ」
あんなにも動揺した姉さんの声を、僕は後にも先にも聞いたことがなかった。
そしてそれが、少しだけ嬉しかった。
僕は救急車で運ばれたが一晩泊まっただけで、翌日には退院できた。主観的には生きた心地がしなかったが、客観的にはまったく命にかかわるような傷ではなかったのだ。
一番ひどかったのは左手小指の骨折で全治三週間。全身にはアザができていたが数日もすれば引いた。
しかし同時に、鏡で自分の顔を見ると「軽傷」の一言で済ませられるものでないことはよくわかった。口の端は切れて、なんだかえぐいことになっているし、頬はこれまた嫌な色をして腫れていた。遠回しに言っても見るに堪えないひどい顔だ。醜いというよりは痛々しいというほうが近い。ホラー映画というよりはゾンビ映画というべきか。まあ何にせよ、青春モノとか任侠モノには出てこない顔だ。
もう少し、手加減をしてくれても良かっただろうに。こんな顔を見たら、姉さんが取り乱すのも当然だった。
苦々しい罪悪感と共に、ほのかな甘さが喉の奥からせせりあがってきた。