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彼女の話

 


 僕が中学一年で姉さんが中学三年のとき、僕らは同じ地元の中学に通っていた。


 姉さんは野球部のマネージャーと生徒会の役員を兼任していて、それに加えて人の目を引く美しい容姿と優秀な成績の持主だったので、学校ではかなりの有名人だった。


 朝は野球部の朝練に出て昼休みは生徒会の仕事をして。放課後は役員の仕事が終わり次第野球部に参加、というハードなスケジュールを何でもないように笑顔でこなす彼女には、男女問わずファンも多かった。


 巷では野球部のマネージャーといえばあざとい女子がやる、というイメージだそうだ。男子に尽くしている自分に酔っているとか、目当ての男がいるとか、そんな先入観を持たれることも多いらしい。


 姉さんは、そんな固定観念とは無縁だった。むしろ、たった一人でそのイメージを覆したと言ってもいいかもしれない。一人で何人分もの仕事をこなし、他チームの偵察や練習メニューの相談など、マネージャーというよりは監督に近い仕事さえも十二分にこなす彼女は、部のみんなから尊敬され、信頼され、大切な仲間だと思われていた。



 姉さんより二年遅れて中学生になった僕は特に迷うこともなく、野球部に入った。


 人付き合いが大の苦手で、めんどくさいことはやりたくない。多少人間らしくなったとはいえ、相変わらずひねくれものだったそんな僕が、なぜ野球部なんぞに入ったか。


 理由ははっきりとはわからない。きっかけはたぶん、小六の夏のことだろう。



 もう夏休みも半分以上経ち、やることもなくなってきた。そろそろ学校が待ち遠しくなってくる。そんな午前中、僕がアイスを持ってリビングに行くと、テレビを睨み付ける姉さんの姿があった。時折ノートに視線を落とし、すばやくペンを走らせている。


 観ているのはどうやら部活の試合のようだ。そういえば休日の昼間に家にいるのも珍しかった。


「何してんの?」


「試合の復習」


「この試合、勝ったの?」


「負けたの、だから反省してる」


「姉さんが反省してもしょうがないんじゃないの?」


 姉さんはようやくこちらを向いた。


 僕はまた余計なことを言ったのかと思った。ついこのあいだもクラスで余計なことを言って、女の子を泣かせたばかりだった。


 でも、姉さんは怒ってはいなくて、少し笑っているように見えた。


「確かに私は試合には出られないけど、できることはいっぱいあるんだ」


 姉さんはどちらかというと得意げな顔をしていた。


 ――ねえ、試合に出ないで出来ることって何? 野球部のマネージャーって普段何をするの? 生徒会にも入ったってほんと? 中学校って楽しい?


 僕には聞きたいことがたくさんあった。姉さんはすべてに答えてくれた。


 ――マネージャーの仕事は何かって考える前に、チームが勝つために出来ることは何かを考えるべき。「マネージャーの仕事はこれとこれだけだから、これとこれしかやらない」じゃ、何のためにマネージャーになったかわからない。


 ――野球部のマネージャーの仕事がどれだけ大変なものか。そして実際に自分が一緒に試合に出られないことがどれだけもどかしいのか、実際にやった人間にしかわからない。


 姉さんの話は、少々暑苦しいものだった。熱血とか青春とも言えるかもしれない。ともかく、僕が共感できる感情は一つだってなかった。


 でも、興味が湧いた。たいがいのことをそつなくこなし、そしてすぐに飽きてしまう姉さんが、ここまで熱くなっている野球部とはいったい何なのかと不思議に思った。


 僕はきっと、このとき野球部に入部することを決めたのだ。



 僕は中学生になり、野球部に入った。姉さんは、とても喜んでくれた。


 野球部は僕にとっては初めての環境でムカつくことも多かった。


 地元で強豪と言われる野球部の練習は厳しく、土日はもちろん平日の朝も夜も休みは無い。それだけ練習しても、レギュラー争いは熾烈で公式戦に一度も出られずに三年間を終える者も少なくなかった。


 体の小さかった僕はレギュラーになるどころか日々の練習についていくだけで精いっぱいだった。やりがいも、楽しさも、正直よくわからなかった。


 でも、姉さんが楽しそうな姿を見ていたら、きっとこれは楽しいことなのだと思った。だから多少つらくとも、やめようとは思わなかった。


   *


 こんな毎日がぼんやりと続いて、僕は普通になっていくのだと思っていた。


 だけど「現実」は、そんな怠惰を許してはくれなかった。



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