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逆襲

 


 昼休みになった。小峰たちが教室を離れた隙に、彼の机の中を後ろからこっそり見た。


 床に落としたものを拾うフリをしてしゃがめば誰かに怪しまれることもない。


 それに、明るい教室の中だから、遠くからでもしっかり見える。


 机の奥までははっきりとは見えなかったが、それらしき細長いものがあるのは確認できた。


「あちゃー、あるっぽいなあ」


 思わず小声でつぶやく。


 うわずった自分の声を聞いて、どれだけ気持ちが浮ついているのかを自覚した。


 必死で衝動を抑えながらも、真っ直ぐに小峰の机へと向かう。


 もう周りの目を気にする必要はなかった。


 堂々と小峰の机の中に手を突っ込む。そして素早く目的のものを引き抜いた。見覚えのある筆箱が現れる。念のため中身を確認すると、毎日使っているペンたちがお行儀よく並んでいた。


 僕の筆箱に間違いない。


 不思議と、気分が落ち着いてきていることに気づいた。さっきまでの高揚感もすっかりしぼんでしまっている。きっと、成功が約束されてしまったからだろう。


 筆箱を握りしめていたらクラスメイトが「どうしたの?」と話しかけてきた。


「いや、ちょっとね。筆箱をなくしたと思ってたんだけど」


 少し大きめの声ではっきり答える。続きはあえて口にしなかった。


「最近、小峰君、椎名君に嫌がらせしてるよね」

 と、その子は同意を促すように言った。


 どうやら彼女は僕のことを「真剣に」気にかけてくれていたらしい。事情がわかっているなら話がはやい。そう言えばこの子は学級委員長だったか。


「こういうときって、どうしたらいいと思う?」

 と苦笑いを浮かべながら尋ねてみた。


 どんな返事が返ってくるか楽しみだなあ。そう思っていたら予想外の答えが返ってきた。


「先生に、言う……とか、かなあ」


 歯切れ悪く彼女はそう言う。笑っちゃいそうになるくらい困った顔をしていた。


 想像の斜め下を行く返答と、彼女の表情に僕は思わず吹き出してしまいそうになったので、それを頑張って苦笑いに変えた。


 クラスメイトが嫌がらせを受けているってわかるくらいの観察力はあって。どうにかしようと被害者に声をかける勇気もある。


 けれど肝心の解決策は「先生に言う」。


 何かのギャグなんじゃないかと思う。さすが学級委員長だ。


 僕らがそんな話をしていると周りに人が集まり始めた。


「どうしたの?」と優しく聞いてくれるクラスメイトたちに困った顔をして「ちょっとね」なんて言っていると小峰たちが教室に戻ってきた。


 僕が手に持った筆箱を見て、小峰の顔が歪んだ。それはもう、見ていて笑いがこみあげてきてしまうほどに綺麗に崩れた。


 うわずったのを抑えるために、わざと低い声を出して、僕は問いかけた。


「ねえ小峰君、なんで君の机に僕の筆箱が入ってるの?」


 先手必勝だ。おどけた調子で聞いてみると、小峰は歪んだ顔のまま言う。ああ、それ、理科室で拾ったから渡そうと思って入れといたんだ、と。


「それって二時間目だよね? なんですぐ渡してくれなかったの?」


 口を開きかけた彼の言葉を遮って、僕は声にひと匙の怒りをにじませて続けた。


「って聞いたら、忘れてた。とか言うんでしょ?」


 彼の顔にはひきつった笑いが貼りついていて、半開きの口がコールドスリープしていた。


 誰かを手のひらの上でコロコロと転がす感覚というのは、こういうことを言うのだろう。生まれて初めての体験だが、これは確かに楽しい。一抹のスリルがアクセントになっていて、何とも言えない深みがある。


「なんか最近、僕にちょっかい出してくるけどさ、僕のことが気に食わないなら直接言ってよ」


 声のトーンをさらに落として言った。小峰が何か言う前に、すぐに言葉を足す。


「これさ、姉さんにもらった誕生日プレゼントだったんだ。……大事なものなんだよね」


 事実を口にしているだけなのに、僕の言葉はどこか嘘くさかった。どこか不思議な感覚がする。小峰の顔はもう笑ってはいなかった。


「今度何かやったら、許さないから」


 おまけにそれだけ言い残して、僕は静かに教室を出た。後ろは振り返らなかった。


 そのまま鞄も持たずに家に帰った。筆箱をポケットに押し込んで、手ぶらで歩く帰り道は、夏の高い日差しに照らし出されて、キラキラと輝いて見えた。




 その日から、小峰はクラスで完全に孤立した。椎名の姉さんの形見を小峰が盗んだ、という噂は瞬く間にクラス中、そして他クラスに伝わり、誰もが彼を軽蔑し始めた。


 小峰の共犯者、もとい彼と仲の良かった二人は、完全に彼を切り捨てた。むしろ、小峰を追い詰めたのは彼らだった。


 彼らは、「自分たちは止めた方がいいと説得したが小峰は聞く耳を持たなかった。あいつは本当に性格が悪い。自分たちは関係ない。自分たちは悪くない」という趣旨の話を言いふらし、小峰を悪者に仕立て上げ自分たちの身を守った。


 小峰の味方をする人間は誰一人いなかった。


 彼は最低の人間。これは差別ではなく区別。少しでも庇うような発言をしようものなら彼と同じ、悪人だと思われる。彼は許してはならない罪人。


 そんな共通認識が、地面の底を這う無数の蛇のように学校に棲みついていた。


 受験が近かったためか、それはあまり直接的なものにはならなかった。だから教師たちはその存在に気づけなかったのかもしれない。


 いじめと呼ぶには少し華がないとでも言うか、明確な悪意が足りなかった。誰もが直接は手を下さず、傍観者という当事者を決め込んだ。それに参加する者に、積極的か消極的かという濃淡があるとすれば、色が濃いのは小峰の元友人二名だけだった。


 思うに、善意ほどおそろしいものはない。


 ――悪気はない。


 ――誰かのためを思って。


 たったそれだけですべてが正当化されてしまう。


 いつまでもそうというわけではないかもしれない。


 ただ、みんな子どもだったのだ。


 正しさを振りかざし、悪を滅ぼす。それが間違っているなんて、誰も思わなかった。


 気づいていた人もいたのかもしれない。けれど、「正しいこと」を「間違っている」なんて言えるはずがなかった。


 弱者の味方。かわいそうな椎名君に味方する優しいクラスメイト。そんな善意が暴走し、膨れ上がった傲慢な優しさは誰にも抑えることができなかった。そこにある正義はあまりにも大きすぎたのだ。中学生が正面からぶつけられて耐えられるものでもなければ、中学生が体を張って止められるものでもなかった。


 しばらくして小峰は学校を休みがちになった。たまに学校に来ても、誰とも一言も話さなかった。



 そして九月一日。始業式の日に、彼は自ら命を絶った。




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