林間学校
いつのまにか、林間学校当日を迎えていた。
佐久川と相馬をくっつける作戦はすでに完璧だった。自由行動の時間や飯盒炊爨の計画は十分に検討が重ねられている。やれるだけのことはやったから、後は結果を待つだけ。というか、頼まれたことはぜんぶやったのだから、もう後はどうなろうと僕の知った事ではない。
林間学校初日、ここ二週間続いていた生暖かい感じはなくなり、夏じゃないかと思うほどの暑さが僕らを襲った。借り上げバスの中ではみんなカーテンを閉め、日差しを避けている。
今回の林間学校で、佐久川は告白すると言っていた。
まずはデートに誘うべきだと田中は進言していたが、彼の決意は固いようだ。
少しせっかちなところは彼の悪いところかもしれない。この数週間見てきたところ、相馬が佐久川に惚れるような場面はどこにもなかったのだし、いくらなんでもこれで告白が上手くいくとは思えなかった。もちろん、そんなことは口が裂けても言わないが。
今朝起きたときから首が痛い僕は、少々虫の居所が悪かった。どうやら昨晩寝違えたらしい。でも僕は座席のリクライニング機能は使わない主義なので我慢するしかなかった。
バスに揺られること二時間、田舎と山の境目のようなところにある宿舎に着いた。
都会暮らしのクラスメイト達は田園風景やらそこらじゅうにいる虫やらに子どものようにはしゃいでいたが、田舎育ちの僕としては珍しいものはなかった。
今日はここで自由にスポーツをしてから飯盒炊爨でカレーをつくることになっている。さすが林間学校。嫌というほど集団行動を学べるプログラムだ。
佐久川の恋バナを聞き飽きていた僕は、三木と相澤と、まったりお喋りをしながらキャッチボールをして過ごした。
三人で過ごすのは久しぶりな気がしたが、それは気のせいだろう。昨日も一緒に部活をして帰ったばかりだ。
夕方、といってもまだ日も高いうちに飯盒炊爨が始まった。
予定通り、佐久川と相馬が火の準備をして、他の四人で食材の準備に取り掛かる。
僕がジャガイモやらニンジンやらの皮を剥いて切っていると、
「椎名って手際いいよな。料理すんの?」
と隣の田中が言った。
ジャガイモが小さくて皮むきが難しいらしく、田中はピーラーに何度か爪をひっかけていた。危なっかしいが、自分の爪ではないので僕は気にしないことにした。
「うん、するよ」
「まじか、親の手伝いとか? 偉いなぁ」
一人暮らしをしていることは、三木と相澤にしか話していない。知られると、余計な面倒が増えそうだと思っていたからだ。
ジャガイモを切り終え、ニンジンを切っていた時だった。
「ねえねえ、椎名君」
改まった調子で佐々木が話しかけてきた。佐々木は同じ班の女子三人の中では一番明るいというか派手な感じの女の子だ。僕はニンジンを切る手を止めずに「なに?」と聞き返した。
「椎名君ってけっこう桜子と仲いいよね」
「桜子って相馬さんのこと?」
「そう。けっこう休み時間とか話したりしてるよね?」
僕は一瞬だけ手を止めて佐々木の顔を盗み見た。彼女の目には、噂好きな女子特有の、幼い煌めきがあった。
「そうかもね。よく話すかも」
「椎名君てさ、桜子のこと好きなの?」
僕は思わず顔をしかめそうになったが、なんとか口角を無理やり持ち上げて誤魔化した。よくもまあそんなことを躊躇なく聞けるものだ。
こちらは慎重に言葉を選ぶ必要がある。この一連の会話が相馬の耳に入るのは確実だった。
田中は無表情でジャガイモと格闘を続けていた。今にも転がりそうなジャカイモに包丁を突き立て、その背を左手で押していることくらいはさすがに注意したいが、今はそれどころではない。
「良い子だとは思うけど、別に好きとかは考えたことないかなぁ」
我ながら、なんてくだらない返答だろう。しかし隣の女子高生は満足してくれたらしい。「そっかぁ、良い子とは思うんだぁ」とねちっこく言って、にやにやと笑う彼女の顔はそれほど嫌味なものではなかった。
これ以上変なことを聞かれないうちにと、僕はせっせと田中を手伝い、食材の準備をあらかた終わった。佐久川たちのところへ向かうと、まだ火が起きていなかった。
佐久川は「頼りがいのあるところを見せるんだ」と言って火おこしの手順が記された旅のしおりを穴があきそうなほど見ていたが、その成果は出なかったらしい。
「わりい。まだ火ついてないんだ」
佐久川は申し訳なさそうに乾いた笑いを浮かべて言うが、そんなものは見ればわかる。
「ちょっと待ってて。すぐつけるから。向こうで遊んでていいぜ」
空元気というのは見ているこっちが不愉快になる。「手伝うよ」と田中が優しく言うが、「大丈夫だから」と大丈夫じゃない声で佐久川は繰り返した。
着火剤の燃えカスと、一部が白くなった炭が彼の努力の跡を赤裸々に示していた。
空気が足りなかったのだろう。僕は少し佐久川に苛立った。どうして良いところを見せようとしていたのに、ちゃんと準備をしてこなかったのだろう。
ともかく優先順位を入れ替えることにした。米を炊くのにもそれなりに時間がかかる。
追加の着火剤を先生から分けてもらい、僕と田中で佐久川を手伝った。今からでは難しいかもしれないが、できるだけ佐久川の見せ場にしなければならない。
僕と田中はうちわであおぐだけ。火を点けたり炭を足したりは佐久川にそっと指示を出すだけに努めた。きちんと道具が揃った状態で火がつかない理由なんて、空気が足らないか、着火剤の組み方が悪いかのどっちかぐらいのものだ。
くだらないと、心底思っていた。でもこの林間学校までは、佐久川の手伝いをすると決めたのだ。
僕らはなんとか他の班より五分遅れでカレーを完成させることができたが、佐久川のテンションは朝とは比べ物にならないほど低く、何かの拍子に泣いてしまうのではないかと心配なほどだった。
それでも食べられるものが出来上がっただけよかっただろう。これでもしうちの班だけ完成せず、他の班から少しずつカレーを分けてもらう、なんてことになっていたら最悪だった。佐久川の黒歴史間違いなしだ。
カレーはまあ普通においしかったが、田中がおいしいと何度も繰り返すほどはおいしくなかった。きっと班の空気が暗いから、気を遣っているのだろう。佐久川は一言も話さずカレーを口に運ぶ機械となっていた。
二班合同の男子部屋では三木も一緒の部屋だった。佐久川はさっさと布団に入って寝たので、僕は三木とダラダラと話をしながら夜を過ごした。
僕は明日起こるであろう悲劇を考えるとひどく憂鬱だったが、三木のくだらない話に少し救われた。
――クラスの誰が可愛いとか、部活の先輩が美人とか。誰と誰が付き合ってるとか。
大して興味もない話だったが、三木が楽しそうに話す姿はなんだか心地よかった。