嘘みたいに
「相澤さんに、聞きたいことがあるんだけど」
なに? と言って相澤は少し顔をこわばらせた。
「中学のときの僕のこと、相澤さんはどう思ってた?」
これじゃあ告白するみたいじゃないかと思ったので、すぐに言葉を足した。不退転の覚悟があったことに間違いはないが、これはそんな艶っぽい話ではない。
「僕さ、中学のころの自分のことが大嫌いなんだ。その、色々あったから。それで、相澤さんにはどんなふうに見えてたのかなって思って」
僕は顔では笑っていたが、心の中では真逆の顔をしていた。
「……椎名君は、つらそうだったよ」
少しだけ考えたように黙りこくったあと、相澤はそう切り出した。
「私が勝手に思ってただけだけどね、椎名君はみんなから……、なんていうか、みんなに勝手にイメージを押し付けられちゃって、息苦しいんじゃないかって思ってた」
僕は考えるよりもはやく、相澤の言葉が心に落ちてくるよりもはやく、言葉が口から出た。
「ありがとう。ごめんね、変なこと聞いて」
なぜかわからないが涙が出そうだった。けどそれは一瞬のことで、緩んだ涙腺はすぐに元に戻った。
何も言わずに僕らは歩き出した。駅に着くまで一言も言葉を交わさなかった。改札をくぐってから、またねとだけ言って別れる。僕は来ていた電車に乗って、ドアの前に立ってふっと一息ついた。
さっきの質問は、ずっと誰かに聞いてみたかったことだった。
けれどそれを聞いて、どんな答えが返ってくることを期待していたのかはわからなかった。
わかっていた。姉さんを交通事故で失った可愛そうな男の子に、本当のことなんて言えるわけない。誰だって気を遣うに決まってる。
そんなことわかっている。けれど、相澤の言葉を聞いて一瞬、救われたような気がした。わかってくれている人もいたのだと思ってしまった。
僕は手放しでその言葉を受け取るわけにはいかなかった。そんな言葉で救われてはいけないことも、わかっていた。
だけど……。それでも……。
電車の窓から河を見た。キラキラと日の光を反射する水の流れ。なんてことはない日常の中のそれを、僕はふと綺麗だと思った。
河が綺麗だなんて思うのは生まれて初めてのことかもしれなかった。
だがそう思ってすぐに、僕は自己嫌悪に陥った。
次の日の昼休み、相澤がクラスにやってきた。
「ごきげんよう、椎名君」
そんなことを言って片手を上げて近寄ってきた。驚きはしたが、昨日感じたような不快感はそこにはなかった。
僕はちょうどそのときクラスメイトたちと昼ご飯を食べ終わって、自分の机に戻ってお弁当箱を鞄に仕舞っているところだった。
「こんにちは、相澤さん。誰かに用事?」
彼女のツッコミどころ満載の挨拶に、僕は軽やかにそう答えた。
「ううん。ちょっと教室の前通ったら椎名君がいたから、寄っただけ」
一瞬反応に困ったが、深くは考えないことにした。
「そう言えば相澤さん、部活って決めた?」
「うーん、まだ悩んでる最中かな。どれも面白そうだけど、どれも決め手に欠く感じ」
「そうなんだ、僕も。どれもいいなって思えちゃって」
「だよねー」
相澤の口にした年頃の女の子らしい同意の言葉に驚いた。こんな一面もあるんだと思っていると、いつのまにか三木が隣に立っていた。
「椎名、こんなべっぴんさんと知り合いだったのか。俺にも紹介しておくれよ」
「同じ中学出身の相澤さん」
「どうも、はじめまして、三木です、よろしゅう頼んますう」
三木は営業スマイルらしき、ふにゃふにゃした笑顔を浮かべた。
「誰? このチャラ男?」
「今、言ってたでしょ。三木君です。」
「相澤さんおもろいなあ、なかようしてください」
「このエセ関西弁男の出身はどこ?」
「関西でないことはたしかだよ」
三木の甘いボケと僕の甘いツッコミに、相澤は至極つまらなさそうに笑った。
そして、そんな他愛無いお喋りをした日をきっかけに、なぜか僕たち三人は仲良くなっていった。
仲良くなった理由はよくわからない。気づいたら昼休みも放課後も一緒にいた。それだけだった。
たぶん、妙に馬が合ったのだ。クラスだって違うわけで、無理に仲良くしなければならない理由なんて一つもなかった。
なぜかわからないが、一緒にいるのが苦でなくて、それどころか少し楽しくて。なんでも話せるというわけじゃないけれど、鬱陶しくなるほど気を遣ったりする必要はなくて。僕にとってそんな存在は、姉さん以外で初めてだった。
ダラダラと一緒に過ごす時間が増えていくうちに少しずつ二人のことを知った。
たとえば相澤は、実はけっこうネコを被っていることがわかった。いつも凛としていて、ちょっと怖いイメージがあったけど本当は気さくな人で、真面目そうに見えるけど本当はめんどくさいことが大嫌い。「校長の話は意味無く長くすることによってそれっぽいことを言ってる雰囲気をつくって『大事なことを言っているけれど生徒たちは子どもだからその真意を理解することができない』みたいに見せてるだけで、実際のところは本当に中身がないわ」と真面目な顔で長々愚痴っていたときは少しだけ可笑しかった。
三木は普段はおちゃらけているアホにしか見えないが、ちょっとしたところで気遣いができて、人の気持ちのわかる優しいヤツだった。どことなく、人に与える印象が姉さんと似ている気もする。天真爛漫で、素で良い人、という感じだ。
過去のことがなくなったわけでも、誰かに自分のしたことを打ち明けたわけでもなかった。
高校に入る前と後で変わったことと言えば、ちょっと仲の良い友達が出来たということだけだった。
――何も変わらないし、何も変えられてはいない。
けれど、僕の心は不思議と軽かった。