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疑心暗鬼

 


 ――疑心暗鬼。考えすぎ。


 いくら自分に言い聞かせても、気休めにしかならなかった。あくまでそれは自分の希望的観測に過ぎず、根拠と呼べるものは何もない。それどころか自分の悪い想像のほうがずっと説得力があった。


『隣のクラスの椎名君って、相澤さんと同じ中学なんだって?』


『うん、でもね……。あの子はちょっと色々あるから気を付けた方がいいよ』


『え? なにそれ?』


『中学のときのことなんだけどね……』


 そんな話を、隣のクラスで今この瞬間にしているかもしれない。そう思うと、居てもたってもいられなくなった。


 悶々とした日々に耐えきれなくなってきたある日のことだった。その日は部活動の見学にクラスメイトたちと行ってから、一人で図書室に寄って勉強をした。一緒に帰ろうかと思ったが彼らとは帰る方向が逆だったのでやめたのだ。


 春の終わりの長い日が沈み始めたころ、勉強を切り上げて教科書とノートを置くために教室へ向かった。


 鞄を机の上に置いて、チャックを開ける。教材を机の中に入れていると誰かの気配を感じ、何気なく廊下のほうへ目を向けた。


 相澤が教室の前を通りすぎていくところだった。相澤もなぜだかこちらを見ていて、目が合ってしまった。


 僕はそのまま通り過ぎてくれることを祈ったが、彼女は足を止め教室へと入ってきた。


「椎名君、だよね?」


 相澤はそう言って真っ直ぐにこちらへ近づいてくる。


 裁きの時が来た。僕はそう思った。ならさしずめ彼女は、神が遣わした天使なのかもしれない、とも。


 相澤の言葉に僕はゆっくりと氷の上を歩くように答えた。


「そうだよ。相澤さん、だよね?」


 相澤は少し頬を緩ませた。


「やっぱり。ときどき見かけてもしかしてって思ってたの。椎名君が同じ学校だなんて知らなかった」


「うん、僕も」


 視線を落とし、鞄のチャックを締めた。肩に下げて椅子をしまう。


「今から帰るところ?」


 僕はもう一度明るく「うん」と答えた。


「私もなんだ、途中まで一緒に帰らない?」


 心底嫌な申し出だったが今から帰ると言ってしまった以上、断る理由は何一つ思いつかなかった。なぜ相澤が自分なんかと帰ろうと思うのかもわからなかった。


 ただただ不安でいっぱいだったが、なんとか「うん、相澤さんはどこに住んでるの?」という言葉を絞り出した。


 きっと、顔が引きつっていただろう。


 学校を出ると、コンクリートと排気ガスでできた都会の匂いがした。地元はもっと土や草の匂いがした気がする。もう少しここにいたら、この匂いにも慣れるのだろうか。


 駅までの道は、今までで一番長く感じた。いつ相澤の口から小峰についての話が飛び出すのかとハラハラして気が気でなかった。


 相澤は無意識にか意図的にかはわからないが、高校生活の話ばかりしていた。


 あの先生はどうだとか、勉強がどうだとか。


 中学のころの話を避けていることにいったいどんな意図があるのだろうかと、僕はいっそう恐怖を感じた。


『椎名君ってけっこう悪い人だったよね。被害者ぶって、小峰君を孤立させたりしてさ』


 ――無機質な空中戦の後に、いきなりこんな言葉を放り込まれたらどうしよう?


 ――何気ないやり取りを繰り返し様子を見計らって、いきなりこんな右ストレートを放たれたらどうしたらいいだろう?


 相澤の言葉に耳を傾けながら、必死に考えていたせいか、良い答えは一向に思い浮かばなかった。


 ――あと少しで駅につく。相澤とは電車の方向が真逆だ。ああ、やっと解放される。


 そう思ったときだった。


「椎名君さ、お姉さんのことって友達に言ったりするの?」


「いや、誰にも言ってないよ」


 即座に、何のためらいもなく、そして冷たく、まるで読み上げるかのように僕は答えた。


 直後、僕は自分を責めた。もっと他に言い方があっただろう。もっと違う言葉があっただろう、と。


 僕は何も考えず、本音で答えてしまった。ずっと待ち構えていたはずなのに、放たれた言葉の重みとその打ち込まれた角度に、僕のガードはいとも簡単に打ち破られた。


 窺うように相澤のほうを見ると、意外にも彼女は僕よりも申し訳なさそうな顔をしていた。


「ごめんね、イヤなこと聞いたよね。誰にも言いたくないよね。……私も誰にも言いふらしたりしないから、その……、なんていうか、安心して。っていうのも違うかな。えっと……」


 いつもハキハキと話す相澤がもごもごと、すまなそうに言った。顔を見ると、無理やり笑顔をつくっているようだった。


 相澤は全部見透かしていて、その上で気づかないフリをしていたのではないのかだろうか?


 そんな思いが、脳裏をかすめた。


「ほんとに、ごめんね。私、無神経だったよね」


 相澤はそう言うと、下を向いて黙ってしまった。僕は考えるのは後だと思った。


「いや、大丈夫。気にしてないよ。こっちこそごめんね」


 相澤の目を見て笑った。


 彼女の真意はやはりわからなかった。相澤はただ、すまなそうに苦笑いを浮かべているだけだった。


 僕は足を止めた。相澤もそれに気が付き、足を止めて振り返った。


「相澤さんに、聞きたいことがあるんだけど」



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