魔法を学ぶということ
『動いているものに攻撃を当てるためにはお互いの相対物理量、すなわち敵までの距離と方角、そして敵の速度ベクトル、この三つを把握する必要があります。これらの物理量は敵の座標と魔法の着弾座標を一致させる……』
『三次元空間において、これらの物理量は距離R、方位角Θ、仰俯角Γ、によって術式に導入できます。これは魔法の着弾点を計算によって書き換える技術であり、空間を連続的に移動する魔法に対して敵への誘導を……』
『相対物理量を目測で算出することは困難ですが、攻撃魔法自体に物理量の観測をする過程を組み込み、さらに魔法と敵の相対物理量を参照し続けるよう予め術式を組んでおくことで……』
『……と、長々書きましたが、要はホーミング弾を撃てば敵をわざわざ狙わなくても良いという話です』
「最初からそう書けよっ!」
バァン、と俺は思わず『魔法大全』をテーブルに叩きつけた。
何で魔法の勉強なのに物理の復習をさせられているんだと、イライラが頂点に達していたところに。一行で簡潔にまとめられるなら最初からこのレッスンの目的として掲げておいて欲しかった。
つまり、魔法に自動追尾機能を付けるために、物理の知識が要るってことだろう?
「魔法の勉強と物理の勉強じゃ、モチベが違うんだよ。こうこうこんな理由で物理の知識が必要になりますって言ってくれないと、学ぶのも苦痛じゃないか」
魔法は魔力を変調させていくことで発動する。
前回、俺は魔力を変調させて、手から水を出した。しかし、あの時やったのはとても大雑把な変調だ。
例えば、丁寧に変調させれば、どんな水をどう出したいのか細かく指定することができる。
「毎秒20mlの勢いで、1リットルの、30℃の、ph6.5の、マグネシウムを70mg/l含む、バラの香りがする、飲むとおいしい、真っ赤な水」というふうに。情報はいくらでも細かくできるのだ。
そして当然、何に向かって水が出てゆくのかも指定できる。これが、攻撃魔法を当てるということ。
そして頭の中で行われるその変調は、魔法文字を使って術式として起こすことができる。だから全ての魔法は術式で表せるし、逆に術式を見ればそれがどんな魔法なのかが分かる。
もっと言えば、術式を見ることで、どう変調させれば魔法が成功するかも分かってしまうのだ。
これが、「術式は魔法の設計図」と呼ばれる所以である。
つまり、魔法を生み出す一つのやり方として、その術式を生み出すという方法がある。
『というわけで、今回はホーミング魔法を生み出す方法は教えません。『敵を追尾する火炎弾』を表す術式を作り、出来上がった術式を自分で解読して、実際にホーミング火炎魔法を唱えてみてください』
うむうむ、これさえマスターすれば俺の魔法も実用レベルになるな……じゃなくて。
「フツーさ、すでに出来上がってる魔法を一通り覚えてから、新しい魔法の作り方を習わない? なんで一昨日初めて魔法を使ったペーペーにオリジナル魔法作らせようとしてんの? バカなの?」
まあ、「できない」とは言わない。魔法大全とのお約束だからな。
やれやれ、しばらくは体当たりでゴブリンを狩ることになりそうだ……。
ちなみに、遺跡から帰宅した後。ゴブリンの死体をナイフを使って解剖してみた。
それで分かったのだが、ゴブリンの背中が猫背だったのは、マジで骨が曲がっているからだということが分かった。
思うに、ゴブリンはもともと地上で暮らしていたのではなかろうか。
貧弱で虚弱なゴブリンは、いつしか天敵から身を隠せる洞窟で暮らすようになる。すると、狭い洞窟では身体を小さくしたほうが暮らしやすい。だから、ゴブリンは屈むように生活し始め、いつしか背骨が曲がった、と。
……すまんな、俺こういうガチめの考察するの好きなんだわ。
ゴブリンの進化論はともかく、背骨が曲がっている以外は特に人間と身体の構造は変わらなかった。
ああ、耳は音を拾うためか少し大きかったな。洞窟の中で暮らしていると音に敏感になるのだろう。
「イチから術式を書くとなると、術式の知識の復習が必要だよな。あー、学ぶことが多すぎるのも困りもんだ」
ちなみに、魔法大全いわく、ホーミング弾を飛ばすよりも真っ直ぐ魔法を放つほうが難しいそうだ。
まず何と言っても星は球体なので、真っ直ぐに飛ばした魔法はだんだんと空へ登ってゆく。さらに星は自転をしているので、術者から放たれた魔法は自転についてゆくことが出来ず猛スピードで明後日の方向へ飛んでゆく。
もし魔法を本当に真っ直ぐ飛ばしたいなら、魔法に対して物理法則に従うように命令――変調を行わねばならない。
魔法というのは物理よりもランクの高い「ことわり」であるため、基本的に何も指定が無いと魔法が物理法則に従うことは無いそうだ。
すると今度は術式に、慣性の法則、あるいは自転と公転の速度や星の曲率を組み込まねばならず……そこまでするくらいならホーミング魔法を撃てという話になるそうだ。
はっはっは、俺の努力は的外れだったというわけだな! ガッデム。
「はあ……『魔法の才』に熟練度振ったんだがなあ。俺のベースの才能が低いのか?」
俺は魔法大全をテーブルに放置すると、頭をもみもみマッサージしながら外へ出た。
いつ嗅いでもこの森は緑の香りが濃い。
動物は見かけないが、たまにフンが落ちていたり、木に爪痕のようなキズが付いていたりするので、何かは居るんだろう。俺を警戒して姿を見せないだけで。
「多分、異世界に来た実感が無いんだろうなあ」
適応力が高いせいで、どこへ行っても自然に過ごしているように見える。仲間にはよくそう言われたし、俺自身もコロラド砂漠へ旅行した時に『あれっ、意外とフツーに暮らせね?』と思ってしまった。
まあ、砂漠に対してその考えは甘いんだろうけど。多分俺の脳は、砂漠も異世界も同じような刺激として認識しているのかもしれない。魔法も、夢見ていたような大魔法ではなく、手から水がぴゅっと飛び出すだけの地味なものしか出会ってないし。
俺は何の気無く小枝を一本拾うと、魔力を変調させて終言を唱えた。
「『着火』」
ぽっ、と手の中の枝に火が付き、ぱちりと爆ぜる。火事にならないよう、俺はすぐに水を生み出して鎮火した。
魔法を使い始めて三日。これは順調に魔法を習得しているほうなのだろうか?
おっ、その仕事代わろうか、と。手足の生えたライターが俺の肩を叩いたような、そんなシュールな想像をしてしまう。
多分これは、心に来ている。鬱とまではいかないが、なんか心が晴れない。
しかし原因が分からない。未来への不安なのか、自分の立ち位置が定まらないことへの不安なのか。
俺ってこんなメンタルの弱い男だったっけなあ。
「……よし、娯楽を作ろう」
昔は仲間と、テント一つと酒だけ持って山に入ったこともあった。集めたどんぐりの背を比べ、木登りレースをして下らんことで盛り上がった。思った以上に食料が集まらず冷や汗もかいたし、一晩中ドラミングして獣避けをやってみたこともある。それくらいの余裕が今の俺には無い。
予定には無かったが、やはり人間は娯楽が無いと生きてゆけんのだ。
なに、遊び道具なんてアイデア一つでどうとでもなる。
ちょっと元気が出た俺は、一つ深呼吸をして家に戻った。
この家も、結局は誰が建てたのかは謎のままだ。マップには『ドリアの家』と表示されているのだから、俺の家なのは間違いないと思うが。
いつか会える日が来るのかねえ、この家を用意してくれた存在に。
と、家の中を見回していると、奇妙なことに気付いた。
「あれ、観葉植物ってここにあったっけ?」
俺がよく洗濯物を干すのに使っている壁際の観葉植物が、テーブルの側に移動している。おかしいな、模様替えをした覚えは無いのだが……。
まあ、異世界だしな。鉢植えがひとりでに動くこともあるんだろう。
俺は些末なことは気にせず、テーブルの上に置きっぱなしにした魔法大全に目を移した。
何やら見慣れないページが目に入る。
『心が折れそうになった時は(メンタルケア編)』
ん、こんなページ開いてたっけ。家に出入りした時の風でめくれたのか?
うむむ、しかしなんと学習者のメンタルケアまでするとは。めちゃくちゃ用意周到だな、この本の著者は。せっかくだし見てみるか。
――――――
もしあなたが、単に魔法を使ってみたいという理由で本書を開いているのならば、本書は過ぎたものになるでしょう。本書はよく燃えるので、薪の火種にお使いください。
しかし、あなたが魔導の真理を知りたいと願うのであれば。あるいはあなたが大きな目標を抱き、その手段として魔法を必要としているのであれば。あなたは本書を手に取ったことを決して後悔しないでしょう。
魔法にできないことはありません。
強大な敵を倒すことも、万病を癒すことも、タイムスリップも、異世界転移も。あなたがそれを強く願う限り、すべてを叶えてしまうのが魔法です。
どこまで行っても、魔法で重要なのは才能でも知識でもありません。他ならぬあなた自身が強く願うことです。
欲望を持つことを恥じてはいけません。世界を変えることを恐れてはいけません。創造と破壊を止めてはいけません。
願わくば、あなたの望みが、人のためになる願望でありますように。人のためを思う願いほど、魔法の源になるものはないでしょう。
――――――
「……俺の願い、ねえ」
正直言って、この世界に来たばかりの俺としては。
この世界で何を成したいとか、そんな大志を抱くことはできない。
だが、異世界転移か。もし地球に戻ることを考えるのならば、この本を読み続けることはとても重要だろう。
「……本当にそれで良いのか?」
俺は自問する。
確かに、地球に帰りたいとは思う。俺が好きなあの国に。
だが結局俺のモチベーションは魔法を使ってみたいというただ一つだろう。この本は、それだけで学んでいけるほど魔法は浅い学問ではないと忠告しているのだ。
でもむしろ、俺に限ってはその一点だけで十分なんじゃなかろうか?
指パッチン一つで物を動かしてみたい。
呪文一つで植物をむくむく成長させてみたり。
杖を振るって、あたり一面を氷漬けにしたり。
使い魔とか超かっこいいじゃん。
さわわっ、と風もないのに観葉植物が動いた。
そうそう、こんな感じで植物を操れたらカッコいいのだ。
「まあ、この本しか手元に無いんだから、コレ読むしかないじゃんってツッコミは当然あるだろうけど」
魔法大全も言ってたじゃないか。過剰なまでの自信を持てって。
おっ、なんか頭がスッキリしてきた気がする。
「気持ちだけじゃ無理だよと言われて、じゃあ止めるかと言う奴には、そもそも魔法の才能なんて無いってことだな」
俺はメンタルケアのページの根本を丁寧に折ると、折り目に手を添えて一気に破りとった。
「こんなページは要らないぜ。俺の魔法に対する願望を甘く見ないでほしいね」
そんなキメ台詞でイキりながら、ページをストレージに突っ込んだ。
このページは後で薪の火種にしよう。コンロはまだ魔石の浄化が上手くいってないから使えないし。
そう決意を新たにし、俺は魔法大全に向き直った。
たった今破ったページがいつの間にか直っていた。
「……」
思わず手で撫でて確認してしまう。
果たして折り目に切れ目まで、全て綺麗に修復されている。
「……これがホントの再生紙ってか」
冷や水といかないまでも、ぬるま湯を浴びせられたような気がして。
俺はちょっとカッコつけた自分が恥ずかしくなった。
プロローグから数話分を見直しました。
誤字や主人公の性格に合わない言動を一部修正しています。
ストーリーには全く影響はありません。
今後もこうした誤字などはチマチマ修正していきます。