メタ・グラビティ
封印とは、領域に対して禁則的なルールを課する魔法です。すなわち、『〇〇ができない空間を作る』ということです。
一般的に、『この中に居る者は外に出ることができない』というルールを課して、対象を拘束するのが最たる使い方でしょう。
似たような魔法として結界術や障壁魔法が存在します。
結界は結んで界を成す、言い換えれば領域を仕切る魔法です。
結界の初歩ではバリアのように攻撃を通さない結界を学んだと思いますが、本来は面、正確には三次以上の曲面で以って空間を隔離する魔法です。封印はあくまでもルールを課しているだけで、空間を区切っているわけではないのです。
障壁魔法には封印や結界と異なり、裏と表、外と内の区別はありません。つまり、領域を分断することで結果的に人や攻撃が術者側に来れないようにするのが障壁魔法です。
そしてこの『領域』については絶対的なポテンシャルである必要はなく、何かに対する相対座標を入力することもできます。
敵魔法使いの魔法を封じたいと思って、魔法使いの居る場所に魔法が使えない封印を作り出したとしても。敵魔法使いがそこから一歩進んでしまうと、封印の外に出ることができてしまう、つまり魔法が使えるようになります。
よってこの場合は、敵魔法使いに対する相対座標に封印を施すべきです。すると、敵魔法使いが移動しても封印は彼に付いてまわることになるでしょう。
封印術を使う際に、一つ気をつけなければならないことがあります。それは現代魔法理論の原則、『全ての不全系は内部に脆点を持つ』です。
分かりやすく言えば、『あらゆる封印には急所があり、そこを突けば内側からでも解除できる』ということです。
要するに、現在の封印理論では、『絶対解けない封印』は作れません。もし解けない封印を作りたいのであれば、あなたはまず現代の封印術に革命を起こさなくてはならないでしょう。
―魔法大全(教本版) 封印の章より―
「すべてのふぜんけいはないぶにぜいてんをもつ?」
「……んごっ!」
「あ、起きた?」
ラプンツェルの声を目覚ましに、俺ははっと目が覚めた。どうやら俺は勉強中に転寝をしてしまったらしい。
宿でベッドに座って魔法大全を読んでいたのだが、変な寝方でもしていたのか右の僧帽筋がジンジンと痛む。
窓の外は黄昏。未だ夜空になりきらない紫色の空と、地平線に横たわる赤い光。
ああ、そうだ。確か靴を見に行って、コレというものが無くて宿に帰ってきたんだったな。
「おかえり。どこまで行っていたんだ?」
「ダンジョンに行ったり、布を仕入れたり。もうおゆはんの時間よ、何か食べましょう」
布、か。また服でも作るのだろうか?
この街に来て今日で約一ヶ月、俺と行動を共にすることが多かったラプンツェルも、最近は一人で出歩くことが増えた。
「良かったよ、少しは明るくなったようで」
俺は何気なくそう言った。
「え?」
「ずっと辛そうにしてたからさ、心配してたんだよ。でも、この街に来てからは少し楽しそうだ。何か良い出会いでもあった?」
今は変化のネックレスを外して、ラプンツェルはピクシーの姿になっている。俺は元人間なだけあって、人間の姿の方がしっくりくるので、今でも変身は解いちゃいないが。
「ラプンツェルはさ、追い詰められると抱え込んじゃうタイプだと思って。君は楽しい時は感情豊かなのに、悲しい時はあまり感情が伝わってこないんだよね。悲しいという感情すらも」
「……気づいてたんだ」
うーん、やっぱり空間を指定するより物体を指定するほうが効率的かなあ。フレームごとに空間の再設定が必要になるから計算量が凄いことになってるんだよ。術式を書き直しておくか。
「俺は自分のメンタルケアなら得意なんだけど、人に対してはそうでもなくてさ。もしかしたらもっと何か支えになるようなことができたかもしれないよね。その点はすまなかったよ」
「ううん、ありがとう。その気持ちだけで嬉しいわ。……で、今は封印のお勉強?」
「うむ。ぶっちゃけ魔法大全が何を言ってるのかよく分からないが、まあ少しずつ頑張ってるよ」
封印と結界と障壁の違いもややこしいが、制約と区別と分断とでそれぞれ重点が違うということだろう。使い方は似ているかもしれないが、水面下でやっていることは全然違う。
結界と障壁は細部が違うだけでほとんど役割は一緒にも思えるが……応用が広いのは結界だろうな。
障壁はあくまでも壁や床や天井を作るだけで、考えることが少ない分発動が速い。しかし、結界は内と外の区別があり、通行可否の指定など考えることが多い。すなわち、ある程度の集中と発動時間を要する。
まあ、いずれも攻撃を防ぐ一つの手段であることには変わらないだろう。大丈夫だ、理解した。任せな。
「あ、もちろんペクセィ大陸のことも調べてるぞ」
「いや、それはもともとあなたにはなにも関係のないことだし。そもそもこの街で手に入る情報なんてもう無いだろうし。そっちに集中してくれても良いのよ」
未だにラプンツェルの故郷のことは何も分からないし、帝国のことを調べてもここじゃそれなりに距離があるせいか、存在は知っていても詳しいことや確かなことを知っている人は少なかった。
分かったのは、帝国はここらじゃ一番の大国で技術も進んでいることくらい。教本を作るための印刷技術をいち早く完成させたことにより、大量の技術者を養育できている技術大国らしい。
この国はリジノ王国と言って、昔から帝国とは睨み合ったり仲良くなったりと絶妙な関係を続けてきたらしい。
帝国は外交も高圧的で武力も強く、他国民としてはあまり良い印象を持っていないようだ。
「ところで、どうして封印の勉強を?」
「ああ、先日思いついた魔道具を作りたくてな。封印そのものを勉強していたと言うわけじゃなくて、理論面を補強するために領域に対する魔法の展開の勉強をしてた。もともとは食糧や氷を保存するために封印が使えないかと思って勉強していたんだよ」
かつてこの世界に来たばかりのころは、ストレージに入れたものが本当にずっと保存されるのか確証が無かったからな。ディクショナリーに書いてあることも全て正しいとは限らないわけだし。
結局、畑仕事とか他のことで忙しくなったために、封印術のことはずっとほったらかしにしていたのだが。
「私の知ってる封印の使い方と違う……」
「まあ、本来の目的とは違う使い方をされるのはよくあることさ」
肥溜めを冷蔵庫代わりにしていた女神だっているくらいだしな。
俺はストレージから何ページもあるガチめの妄想手記を取り出して見せた。
妄想といっても、これから実現させようとしている訳なので妄想とは言えないかもしれないが。
「これが、メタ・グラビティの構想」
「うん……うん?」
「超重力発生装置と言ってもいい」
重力に抗う力を発生させて、物を宙に浮かせたりできる装置だ。
「はあ。それ、空を飛べる種族に必要あるの?」
「コイツの凄いところは、重力に対するメタ性能なんだ」
「会話して?」
俺は自分の考えに説得力を持たせるべく、さらに説明を続ける。
「ラプンツェルは、重力がとても弱い力だというのは知ってるか?」
「……重力を弱いと思ったことはないけれど」
「だが、俺たちは鉄棒にぶら下がることができるだろう? これは小さな腕の筋肉が巨大な地球の引力に逆らえるほどの力を生み出せることを示している」
「ここは地球ではないけれど、まあ理屈は分かるわ。逆に言えば、星の引力は筋肉に劣るほど小さいってことよね」
実際には、惑星の引力は惑星の自転による遠心力である程度打ち消されているため、言うほど弱くはないのだが。それでも大したことはない。
他に例を挙げるなら、磁石なんかもそうだ。
小さな磁石でも、地球の引力に逆らって鉄の釘を持ち上げるほどの磁力を生み出せるのだ。
「マルチプロセスってやつよ。重力に逆らうために、重力を操ろうとするのは非効率的だ。重力に対する深い理解が必要になるからな」
重力の仕組みはとても複雑で、実際に扱うと計算量も増える。重力を克服するという目的をもっと単純化するのがポイントなのだ。
要は物を浮かせたり、押さえつけたりできれば良いわけだろう?
「仕組みはとっても単純なんだ。星の引力を感知して、それを打ち消すように対象に力を加えるだけ。見えない手で物体を押すイメージな」
正確に言えば、術式上では物体に加速度を与えると処理しているのだが、まあ力を加えるのと同じ事だ。
一応、手動にはなるが細かい力の調整もできる。
そしてレバーを逆に切り替えれば、重力を強める方向に加速度を与えることができる。
こうすると、『くっ、重力が強すぎて立ち上がれない……!』的な、そういうことも再現できる。
「ええと……つまり、物を押す魔道具ってこと? そんなに簡単な仕組みなの? というか、たったそれだけで重力に抗えるの?」
「逆に聞くが、既存の物を浮かせる魔法ってどんな仕組みになってるんだ?」
「ええと、学校で習ったのは……物の下に空気の塊を作って、その上に乗せる感じかしら」
ふむふむ、空中二段ジャンプの踏み台を作るイメージかな? そこに物を乗せると。
「つまり流体的抗力を利用しているというわけだな。空気を利用するのは決して悪い方法じゃないが、その場合の抗力は物体が動いていないとほとんど働かないから、空中に静止させるのは困難だな」
「ええ、そう、そうよ。この魔法は物を静止させるのがとっても難しいの。だからピクシー族の魔法使いたちは、出来るだけ空中で物を静止させたり、重い物を持ち上げる訓練によって己の力量を鍛えているの」
「なるほど、よく分かった。となればメタ・グラビティは全くの逆だな。静止させたり重い物を浮かせるのは簡単だが、位置を微調整するのは難しいんだ」
何たって、その辺りの操作は手動だしな、この装置。
自動化しろって? 無茶言うなよ、魔道具作りはとっても難しいんだ。
「まあ、強いて物を持ち上げる以外の使い道を考えるなら。飛んでるドラゴンを地上に落としたりとか、かな。ドラゴンに下向きの加速度を与えるんだ」
「ああー、そう聞くとすご……えっ、凄い装置よ、それ!?」
ドラゴンがどのように浮力を得ているのかは知らないが、普通、飛べる生物は自分の体重と獲物の体重を支えて飛べれば良いので、必要以上の能力は身につけない。
つまり、イレギュラーの強い力が加わると、ドラゴンが自分の重さを支えきれなくなる可能性は高い。
「人間が壁を押す力は、重力の百倍にも達するんだ。人にできることを魔法が再現できないなんて、そんなのは魔法の存在意義がなくなってしまうだろう?」
「まあ、それはそうだけれど……」
物を浮かばせるには、下から押せば良い。あまりにも単純な結論に、ラプンツェルは何とも言えない顔をする。
だが、得てしてシンプルな答えほど意外と思いつかないものだ。だからこそマルチプロセス化はひらめきが問われる難しい技術なのだ。
ぶっちゃけ魔法の才能とは、ひらめきの才能だ。あとは、メンタルかな。多少魔力を扱うのが下手でも、ひらめきと根性でなんとかなってしまうのが魔法の良い所であり、そして理不尽なところだ。
「まあ、完成はまだまだ先だよ。ちょっとずつ進めてく」
まだおおよその術式もできていないし、魔力の配線とかも全く決まっていないからな。
魔道具は設計図を書くまですごく時間がかかるのだ。




