ルーニーとラプンツェル
徐々に狭くなる通路を進んだ先には水の湧き出る音だけが響く小さなスペースがあった。
床から天井までは2メートルほどで、人によっては立てないほどに低い。二人が入ってきた入り口のほかに、別の入り口はなく、部屋の奥には湧水が溜まっているだけで行き止まりになっている。
「地底湖だ」
「……湖?」
「訂正しよう。地下の水たまりだ」
「いや、そんなにグレードを下げる必要はないわよ……地中の泉ね」
深さは1メートル、直径は2メートルほど。洞窟の岩壁から湧き出る水がチョロチョロと流れ込み、ダンジョンの最奥で泉にしては小さく水たまりにしては深すぎる地形を成していた。
「水が溜まっているのだから、水たまりだろう」
「湧水で出来てるんだから、泉じゃないの」
「……そうだな。湧泉とも言うしな」
「言葉って難しいわね」
おそらくこの議論は全く意味がないことを直感で理解した二人は、目の前のものは泉だということにして早々にそれを切り上げる。
「これ、飲めるの?」
「飲めないぜ。ここはダンジョン、そこにあるものは崩壊した瘴気からできてるようなもんだ。死にはしないが、ほぼ確実に腹を壊す不可思議な水だぜ」
「つまり毒なのね」
おかしな話ではない。世の中には飲める水の方が少ないのだ。
まして、未だ謎の多い空間のそれともなればなおさらである。
ルーニーは懐から空のガラス瓶を出すと、泉の水を瓶の半分ほど掬い取った。そこに謎の真っ黒の粉と小さなエメラルドのカケラ、最後に清潔な瀉血刀で指から血を数滴入れると、しっかりと蓋をしてゆっくりと横に振りだした。
「cha ォラ ウェn ju p ネリ ニリ fe ハシュtan z rei ou」
そしてルーニーはトーンを思いっきり低くして何かを漏らすように口にした。おそらく、呪歌の一種だ。ラプンツェルはそう思った。呪詛を歌に込めて現実へと吐き出す呪法である。
ピクシー族の間では、呪術という学問はさほど盛んではない。それはかつての人を害するものであった呪術が、おおよそ形を変えずに現代へと引き継がれているからだ。
呪いを解くための研究はあっても、呪いをかける研究はやはり避けられている。
ラプンツェルも、そんな理由で呪術は避けてきた過去がある。
しかし、外の世界では異なる歴史を辿っていたようだ。
呪術は悪を裁くための手段として独自の地位を築き、古今東西の儀式や思想を取り入れて自らを肥大化させてきた。
ルーニーの邪魔をしないようそっと見守るラプンツェル。次第にガラス瓶の中の水は濃い青紫色のサラサラした液体に変わってゆく。
瓶を逆さにしたり円を描くように振ったり、高く持ち上げると、瓶の中の液体次第に揮発して黒紫色の煙と変化し、ぱちぱちと白い光を発して弾ける。ラプンツェルは何故だかその煙が怖くなって鳥肌が立った。
呪歌を歌い終えたルーニーは、ぱかりと瓶の蓋を開けた。煙は瓶から飛び出すように昇ってゆき、ダンジョンの天井に残らず吸い込まれていった。
少し驚いたラプンツェルの様子にルーニーはにこりと笑って説明した。
「これも呪術だよ。ノロイ。ダンジョンの瘴気を増幅させた」
「そんなこともできるの!?」
「ふふん。もちろん、街の許可は得てる」
ダンジョンに栄養を与えるに等しい呪術なだけあって、ルーニーの独断では行えない。その辺りの根回しは抜かりなくやっている。
「ダンジョンの寿命は永遠じゃない。成長してゆくものもあれば、しぼんで小さくなってゆくものもある。魔石の採れる小規模ダンジョンを失った街は苦しい立場にならざるを得ない。これは、ダンジョンの延命を試みる研究なんだよ。今はここを実験台にデータを集めてる」
魔石は魔法使いのための品ではない。魔道具の動力源になったり、怪我の治療に使ったり、物を直すのに使ったり、とにかく生きている上で使わない者はいないほど使い道の多い必需品である。
「運が良かったんだ。ワードンの領主は年齢で人を差別しない方だったし、私が高難易度ダンジョンの第一踏破者だという事実も響いた。いざ暴走した時は私が責任を持って抑えるという条件で承諾を得たよ」
最初はルーニーもこの街に興味など無かった。たまたま説得できそうなのがこの地方の領主で、たまたまその領主が指定したのがこの街のダンジョンだったのだ。
「それで、成果は」
「うーん。この街に来て、実験して二年になるが、多分失敗だな、これは。局所的に瘴気を濃くすることはできたが、ダンジョン全体に影響を与えているとは思えなかったぜ。そもそもダンジョン自体よく分からねェことばかりだし、前提となるデータや知識に欠けていたかもしれないな」
雑な研究計画だったのね、とラプンツェルは身も蓋もなくコメントする。
思いついたのが14の夏だし、仕方ないな! と、ルーニーは滑稽なものをみたように笑った。
「ここから先は私一人じゃどうにもならない。様々な分野の専門家を集めていろんなダンジョンを巻き込まないことにはな」
「つまり、お金が要ると」
「そういうことだ。国の予算レベルのな。……単なる思いつきだったんだがなあ」
すでに事実上の支援者としてこの地の領主も参加している。いつの間にか生涯を賭けた研究になりそうで、ルーニーは少し困ったように頬を掻いた。
「まあ、好きでやっていることだし。別に良いんだけどな。ただ、リタイアするならこのタイミングしか無いだろうと思って、今少し悩んでる」
進路に悩める少女ルーニー。私も数年前はこんな感じだったと、ちょっとばばくさいことをラプンツェルは思った。
デザイナーの道に進んだのも、思えば花柄のチュニックで大賞を獲ったことがきっかけだった。ちょうど町内の激辛早食い大会で優勝したのと同時期であり、運命の歯車の噛み合わせが何か一つ違えばフードファイターになっていたかもしれない。
「コリオリカとかに相談してみたら良いんじゃないかしら。あえて畑違いの人に相談することで、客観的に判断してもらえることもあるわよ」
ラプンツェルはとりあえず自分の経験をもとに、そうアドバイスしておいた。
最終的にデザイナーになれと背中を押してくれたのも、聖職者の道を選んだ友人だったのだ。
「あ、そうだ」
ラプンツェルは聖職者というワードで大切なことを思い出し、ルーニーに問いかけた。
「ルーニーは、ピクシーについては何も知らないのよね」
「そうだな」
「じゃあ、創造教については何か知ってる? どうして創造教は廃れているのかしら」
「ん? 話が飛ぶじゃないか。創造教か……もちろん存在は知ってるが、私は信徒ではないぜ。どうして廃れてるかというと……私も正確なことは知らない」
おそらく、ラプンツェルは信徒なのだろうとルーニーは察した。そして、何かしらの情報が欲しいのだとも理解した。
すでにこの街には創造教の軌跡はほとんど残っていないし、コリオリカも信徒ではない。もしかしたら一番創造教を知っているのは、呪術を学ぶ際に儀式について勉強した私なんじゃねェかとルーニーは思った。
戻りながら話そうぜ、とルーニーは踵を返して部屋の入り口を潜り、ラプンツェルもそれに続く。
「マンデリン元男爵――私の呪術の師匠は、信者だったよ。週に一度は教会へ祈りに行っていた。弟子たちに信仰を強要したりはしなかったが、年々教会が寂れていくのを嘆いていたぜ」
「じゃあ、ここ数年で廃れたわけではないのね?」
「そうなんじゃないか? 私は正直、興味すら湧かなかった。いや、もちろん呪術を学ぶ上で、創造教の儀式や祭りを調べることはあったけれども」
創造教はあくまでも世界そのものがもつエネルギーやオーラを感じ、美しさを見出し、それを守ってゆくことを教義としている宗教だ。
もちろん創造主ガンダを讃えているし、信仰対象として据えてはいるが、実際に宗教の軸にあるのはこの世界全体である。
つまり、『世の中っていいなあ』としみじみ言ってる宗教なのだ。
「多分……推測なんだがな。もしかするとみんな、この世界が良いものだと思えなくなっているのかもしれない」
「えっ……?」
「少しずつ生き辛くなっているような、そんな気がするんだ。具体的に何がと言われると、うまく言えないんだがな」
教典によれば、ガンダの創った世界は素晴らしいものであるはずだ。そして、それは今でも変わっていないことになっている。
もしそこに、矛盾が生じているのであれば。ガンダの創った世界は最初から何か間違っていたか、あるいは世界が悪い方向へと変わっていることになる。
つまり、ガンダの創り賜うた世界が、機能しなくなっているということだ。
「……長距離転移災害」
「何か言ったか?」
「……いえ、何も」
歴史上、別の大陸に飛ばされるような転移災害は今まで無かったはずだ。
転移災害は未だ謎が多いけれども、世界のちょっとしたひずみによる現象だとピクシー族では考えられている。本当にちょっとした不具合だから、大した距離は転移しないのだ。
もしそれが正しいのであれば、今回の事件はちょっとじゃないひずみ……すなわち何か大きな不具合が世界に起こったことに因るのではないだろうか?
もしかすると今回おのれが被った転移災害は、何かとんでもなく良くないことの前兆なのではないか。ラプンツェルはそう考えて、ごくりと唾を飲み込んだ。




