至高のワイン
めちゃくちゃ遅くなって申し訳ありません。
直前になってストーリーを変えたくなったので半分くらい直してました。
基本的に魔物の肉は食えない。
不味いとかいう話ではなく、瘴気に汚染されているからだ。
普段空気中に漂う瘴気の濃度はとても低く、人に悪影響を及ぼしたりはしない。
これは地球で言う宇宙線のようなものだ。人間は絶えず宇宙からの放射線を被曝しているが、これによって健康を害することははっきり言って無い。
しかし、魔物の肉は話が違う。常日頃から瘴気を取り込み、あるいは生成し、エネルギーとしている魔物は細胞レベルで瘴気塗れになっている。
魔物のくせに食べられるフライングピッグが例外なのである。
まあ、いつだったか話したと思うが、瘴気は物体から空気中にはほとんど出てゆかない。食べたり素手で長時間触れたりしなければ、魔物の肉が害になることは無い。
「はあ……蛇肉食べたい」
「えっ、蛇?」
「うむ。旨いんだぞ蛇は」
「へえ。ローズコブラが魔物でなければ、食べてみたかったかも」
あれから家に帰った俺たちは、二人がかりでローズコブラの喉を切り開き、魔石だけ回収して俺のストレージに死体を突っ込んだ。
ローズコブラの皮は、デザイナーであるラプンツェルが使ってみたいとのことで、ペクセィ大陸に着いたら譲ることにしている。代わりに、俺は魔石をいただいた。二人で倒したから、これで上手いこと折半できたな。
「なあ、魔物の肉から瘴気を抜いたら、食えるようにならないのか? 魔石の浄化みたいにさ」
「それは魔物や、部位によりけりね。たぶん、内臓は優先的に瘴気エネルギーが使わているから無理よ。比較的瘴気の少ない部位なら、何とかなるかしら? でも魔石の浄化みたいに簡単にはいかないわ」
ラプンツェルの話によれば。
魔石の浄化は、魔石の中にある魔素を利用して瘴気を押し出している。同じ原理で魔物の肉を浄化する場合、肉には魔素が無いので、まず大量の魔力を肉の中に送り込む作業が必要となる。
さらに魔物の肉は魔石と違い、瘴気との結びつきが強いので、浄化にはより多くの魔力が必要だ。その魔力量は、ローズコブラほどの大物であればMP換算で一万以上も必要らしい。
「くっ、仕方ない。ローズコブラの肉は、俺がもっと腕を磨いた時までとっておこう」
「食べることは諦めないのね……」
「MPが一万あれば良いのだろう? レベルを上げる目的ができたな!」
「やっぱりレベルフィリアじゃないの」
「だから、ゲーマーだって」
というわけで、すっかり体力を使い切ったラプンツェルをソファで休ませて、俺は夕食の準備。
まずは、ラプンツェルがこしらえてくれた醤油をひと舐め。香りは大豆っぽいが、よくよく嗅ぐと麦の香りが強い。
「これ、何の豆だ?」
「ニワトリエンドウ。あと適当にブレンド」
大豆をそもそも俺たちは持っていないが、醤油と言えど、その原料は大豆である必要はない。要は豆と穀物と麹が有れば良いのだ。
豆と穀物を砕いて混ぜて、麹と塩で発酵させて、寝かせて絞って精製したら醤油の出来上がり。
味噌の作り方もだいたい同じなので、今度ラプンツェルと一緒に作りたいものだ。……いや、旅を始めたらそんな余裕は無いのか?
「醤油とシトロンとリンゴソースを混ぜて、トンコツ出汁をちょいと加えて、少し煮詰めて、と」
少し塩みが物足りないので、塩を足して調整して、出来上がり。
特製甘じょっぱ醤油ダレである。
「なあラプンツェル。ご飯、外で食わね?」
「外? 別にそれくらいなら大丈夫だけど、バーベキューでもするの?」
「うむ、惜しいな」
バーベキューでは無い。焼き鳥だ!
――――――
てなわけで。
醤油ダレにつけたぼんぼん鳥を、今俺たちは星空の下遠赤外線によってこんがりジューシーに焼いている。
ぼんぼん鳥の串からポタリと醤油ダレが火に垂れて、蒸発して良い香りが焚き火の周囲に広がった。
「酒が欲しくなる香りだあ……なあラプンツェル、発酵学を学んだってことは、酒も作れるのか?」
「ええ、作ろうと思えば。お酒は嗜む程度なんだけど、ドリアは好きなの?」
「まあ、嗜みまくる程度には」
しばらくしてぼんぼん鳥が焼き上がると、俺はまずハツ、ラプンツェルはムネからいただいた。
「かーっ! これ! これです! 俺はこの味に惚れたのです!」
「うん! これは美味しいわね。シトロン入りのタレが効いてるわ」
すぐにでも次を食べたくなるのを堪えて、じっくりと焼いてゆく。鳥の生焼けは致命的だからな。職人じゃあないんだし、ベストなタイミングは狙わず少し念入りに火を通す。
「おっ、このレバーは成功ですな。レバーは火を通し過ぎると、すぐパッサパサになって不味くなるから難しいんだよ」
「本当ね。なかなか自分でやるとこの程よい弾力が再現できないのよ」
「うむ。素晴らしい腕前だ。焼き鳥に関しては私のシェフと同等かもしれんぞ」
三人で火を囲い、俺たちは焼き鳥をつつく。そろそろ良い色に焼けてきた皮に、よだれを飲みながら俺は手を伸ばす。
……ん?
「三人?」
ガバッ、と俺とラプンツェルが同時に視線を向けた先には。いつからそこに居たのか、真っ白な肌の銀髪の美少女が焼き鳥を食べていた。
肌とは対照的な黒いドレスを着た彼女は、豪華な椅子に座ってナプキンを襟から下げ、真っ赤な瞳で煙が立ちのぼる肉をうっとり捉えている。
何よりちょっと驚いたのは、美少女は人間だった。
いや、ラプンツェルと同じくあまりにも美しいから、もしかしたら美形のエルフなのかもしれないが。とにかく体格は人間サイズだった。でも耳はエルフ耳じゃないな。
「ああ、この鳥皮も旨いな。余分な脂がしっかりと落ちていて食べやすい」
俺たちはちょっとヤバそうな美少女から少し距離を取って、お互いに耳を貸しあった。
「ね、知り合い?」
「知らん」
ラプンツェルが聞いてくるが、キッパリと否定する。
少なくとも、勝手に人のメシを食うようなヤツを知り合いと認めたことは無い。
「ふふん、これはぼんぼん鳥だな? 肉質は硬いが旨みはやはり凡百の鳥に負けんな」
俺たちの訝しげな視線も知ってか知らずか、肉を堪能する銀髪の美少女。
その食い方は極めて上品だった。肉には一切手を触れず、わざわざ魔法を使って左手の串から外して空中で細かく切る。舞妓のおちょぼ口のように小さく口を開け、宙に浮いている肉片を魔法でそっと口もとに引き寄せ中へ。口もとを開いている右手で覆い、ゆっくりと肉を噛み砕く。
ナイフもフォークも使っていないが、淑やかな仕草の一つ一つはまさに深窓の令嬢のようである。
「Saftig! 塩味に慣れていない自分の舌が恨めしいね、凄まじく残念だ。今度会うときはシオコンブとシオカラで鍛えておくよ」
美少女はこちらを一瞥すると、再び肉におちょぼ口を向けた。一応、俺たちを認識してはいるらしい。
こういうヤバい奴ってのは周りの人を眼中に映していないことが多いからな。気づかれていなかったらどうしようと思っていたぜ。
「おい、飯を食わせるのは構わんが、その前にまず俺たちに一言言うべきなんじゃないか?」
「其の方、ワインは好きか?」
会話しろよ。
「好きだぞ。だからなんだ」
「いや、実はここに至高のワインが一瓶あってだな」
「酒か! 酒があるのか!」
「ちょっとドリア、何急にがっついているのよ」
だって、もう三年近く酒を飲んでいないんだぞ?
別に俺はアル中ってわけじゃないが、三年も飲まないと寂しいじゃないか。
なあ銀髪のレディよ。世の中はギブアンドテイク。旨い飯には何かしらの見返りがあって然るべきだと俺は思うんだ。
俺の物欲しがりなオーラを受けたからなのか、単に最初からそのつもりだったのか。美少女は虚空からワインとワイングラスを取り出した。
お前も亜空間転送とやらの使い手なのか。この世界じゃポピュラーな魔法なのか?
「私のコレクションを開けようじゃないか。ラウラ・シリーズの八女『ロゼリー』、このように主張の強い引き締まった肉にはピッタリだぞ」
「ラウラ・シリーズ?」
「代々ラウラの名を継いできたワイン職人一族の女家長、彼女らのそれぞれの代の最高傑作をラウラ・シリーズと呼ぶのだ。このワインは三十一女まであるラウラ・シリーズの八女、すなわち八代目ラウラの最高傑作ということだな」
なんかめちゃくちゃ高そうなワインだな……。精神の衛生上、値段は聞かないでおこう。
「そんな貴重なワインだなんて、悪いわね」
「いやいや、酒は飲んでこそのものだ。いくらラウラ・シリーズと言えど、な。それは確かに芸術であり、また如何なる辛党も魅了する麗しき乙女であるのだが、同時にそれは確かに消費物の一つに過ぎないのだよ」
なんか言葉一つ一つに品があるって言うか。もはや育ちの悪い俺には全く内容が頭に入ってこないぜ。
美少女が見せてくれたワイン瓶のラベルには、薔薇が巻きついた十字架のイラストが描かれていた。
ああ、なるほど。ロゼリーって何だと思ったら、ロゼとロザリー(ロザリオ)か。ただの洒落だった。
ちなみにこの世界における十字架は、地球の例のアレと違って宗教的な意味合いは無い。縦よりも横の棒が二倍長く、中央の交差にはNの形の印があるのが決まりだ。
設定上は、確か世界の真理を意味するマークだったかな?
美少女が用意したワイングラスは、ピクシーである俺たちには大きかったが、それでも一番小さいサイズを選んでくれたらしい。
「ワインの注ぎ方は知っているか? 良かったら注がせてもらおう」
「あー、それは助かる。ワインって自分でちゃんと注いだことはないから、やり方が分からなくてな」
「じょぼっていう音が大事なのよ。私はおばあちゃんから教わったから知ってるけど、私が注ぐには瓶が大きすぎるわね」
「了承した。せっかくだ、少しレクチャーしよう」
すぽん、とコルクを抜いた少女は、これまた虚空から出した真っ白な布を口に当てた。
「コツは高めの位置から注ぐことだ。心地よい水音が出るくらいがちょうど良い」
じょぼじょぼ、と音を立てて真っ赤なワインがガラスに収まってゆく。
「注ぐ量はグラスの三分の一、多くても半分より下まで。そうすることでグラスに香りが溜まる。というか、そうなるようにグラスというものは設計されているのだ」
ふむふむ。それは勉強になるな。
「ワインの味わい方にも作法はあるが、いっぺんに学んでも身になるものではない。そちらのレディは詳しいようだから、また後日彼女から聞くとよいだろう」
美少女は俺たちにグラスを渡すと、自分の分のグラスを手に持ち、魔法で出した光にかざして色を嗜み始めた。
「まあ、作法なんか気にせず、とりあえず思うがままにフィーリングで楽しんでみたまえ。マナーに捉われるのが一番のマナー違反だからな」
「おう、ありがとうな」
ワインの良い香りを楽しみながら、くぴっと、一口口に運ぶ。
……ああー、これは確かに、美味いワインだ。酸味があるが、決して尖っていない。ごくりと飲み込むと、さくらんぼ畑にいるような余韻が残るぜ。
突如現れた名も知らぬ美少女と、俺たちはしばし無言でワインを堪能するのであった。




