飛行練習
もちろん夢オチなんてことはなく、木の家で目覚めた俺はその日から精力的に動くことにした。
朝起きて改めて考えると、鞘無しナイフはやっぱり危ない。俺は使わない時はストレージに突っ込んでおくことにした。まあ、使うときに取り出せば良いさ。
そのついでに、俺はストレージから食料を取り出し、もっきゅもっきゅと頂いた。
本日の朝食はパンケーキ一皿とイチジクの木の実。何もないところから皿ごとパンケーキが出てきた時はびっくりしたが、どうせならナイフとフォークも一緒に出てきて欲しかった。しかし、そんなちっちゃい贅沢が言えるあたり俺の適応力ってやっぱすげえな。
食事にももっと彩りが欲しいところだが、我慢する。ちなみに、カトラリーセットが別枠でストレージに入っていたので、パンケーキに野生的な歯型を刻むハメにはならなかった。
しかし便利だな、ストレージ。何でも入るのだろうか?
『ストレージ』
ドリア専用の異空間。生きもの以外は何でも、いくらでも入る。入れたものの時間は進まない。
全ての生体恒常性が失われた生きもの、魂が繋がりを拒否した生きものは、生きものと定義されない。
生体……恒常性? よく分からんが死体は入るということか? まあ、実験してみれば良いか。
外に出て朝の陽射しを浴びた俺は、鼻腔をくすぐる緑の香りを感じながら北西の名もなき泉へ向かった。
道中でホバリングしたり、急加速したり、意味もなくくるりと一回転したり、乱立する木々を縫うように避けたり。ピクシーの本能に刻まれた飛行能力を時間をかけて咀嚼し、筋肉の動かし方を理解、技術としてモノにしていく。
「げぶしっ」
時折うまく飛べずに制御を失い、地面へ激突してしまった。しかし、これは乗り越えるべき苦痛だ。土まみれの傷だらけになりつつも、俺は再び羽を動かしてふよふよと浮かぶのである。
やがて二時間が経つ頃には、ひとまず突然浮力が失われるということはなくなった。どうやら変に身体を動かすよりも安定した姿勢を保つことがコツであるようだ。初めて自転車に乗れた日のことを思い出し、俺は年甲斐もなく叫んだ。
アドレナリンがどんどん出てくる。土の味も今はご馳走のようだ。
結局、本来なら歩いて一時間もかからない距離を、俺は二時間もかけて飛んで行ったのである。泉に着いたころには、すでに陽が高く昇っていた。
「良かった、水は澄んでいるな」
直径わずか二〇メートルほどの名もなき泉は、木漏れ日が苔生した岩を照らす静謐な雰囲気の中にあった。
泉の透明度は高く、水底の赤い水草がはっきりと見えている。
これならば火にかければ安全な水として飲めるに違いない。
俺は家から持ってきた水瓶に水を入れると、ストレージに容器ごと保存した。パンケーキが皿ごと出てくる時点で予想していたが、ストレージには物を容器、あるいは容器に準ずるものごと一つにまとめて仕舞うことができるようだ。
これでストレージには、水の入った水瓶として収納されていることだろう。
これで目的は達成されたわけだが、俺は土まみれの服を見てついでに洗ってゆくことを思いついた。
この深い森の中、誰に憚ることもないので、俺は服を全て脱ぎ裸になった。
昨日は全く気にしなかったが、なかなか洒落た服である。上は黒のインナーに、緑を基調とし鳥の意匠のシルバーのボタンがキラリと五つ輝いている古風なチュニック。
下は無骨な焦げ茶色のパンツだが、ポッケが多くて機能性があり、通気性も良く動きやすい。土方の作業着のように少しダボッとしているが、それが逆に働く男のズボンという感じで俺は気に入った。
「あー、でもこんな身体じゃ服を洗っても意味ないな」
俺はふと自分の汚れた手足や土のついた髪を見て、これでは服を洗濯しても俺自身を洗濯しない限りはまた汚れてしまうことに気付いた。
ちょうど、俺の目の前には綺麗な泉がある。汚れを取るだけならば十分なほどの清潔さと大きさを兼ねる泉だ。
「ヒャッホー! うおっ、冷て」
俺は飛び込んだ。別にカナヅチでもないし、とにかくキレイになりたかったので。
身体が小さくて軽いせいか、水しぶきはショボかったが、その水の冷たさは鋭く俺の肌を刺激してきた。
水面から顔を出すと、俺は身体を沈まないよう動かして、プーカプーカと浮かんだ。
「すげえな、東京の水道水みたいだ」
改めて見ても、完全なる純水と見紛うほどに透明である。透明すぎてほとんど光を反射していないのだ。
これが自然の本気なのかとしみじみ感慨に浸っていた俺だったが。ふと、とんでもないことに気がついた。
「……ん? あれ。胸が、無い?」
男だから乳房が無いのは当たり前なのだが、俺が言っているのは膨らんでいるいないのことではない。
乳首が、無いのだ。
「え、何で? ……おへそも無いな」
ここがゲームの中だとするのならば、単にキャラクターの乳首やへそに当たる部分を、3Dモデリングの段階で既に作っていないと考えることはできる。
「ん? まさかっ!」
俺は慌てて股間を手で弄った。
「あ、ソッチはちゃんと付いてるのね……」
ちゃんと生えてたし、玉も付いてた。
成人向けのゲームでもなければ必要が無いので、股間のモノはモデリングされていないだろう、と。そう思ったけれど、心配は杞憂であった。
だが結局、なぜ乳首やへそが無いのかは分からん。3Dモデルがそっくりそのままこの世界で流用されているわけではないことは確かだが。
「う、なんか意識したら催してきたな……」
こんな綺麗な泉を汚すのもなんだし、いい感じの木で済ませたいところだ。
俺が一度上がろうかと考えていると、足先にこそばゆい感覚が走った。
つんつん、つんつん。
俺が水面でプーカプーカしているところに、小魚たちが寄ってきて俺にじゃれつき始めたのである。
「おー、目玉がくりっとしててかわいいなあ」
つんつん、つんつん。
小魚たちは俺の周りを群れてぐるぐる回り、身体のあちこちを突いてくる。
「はっはっは、くすぐったいじゃないか」
ガブガブ、ガブガブ。
小魚たちはくわっと口を開けると、一斉に俺の体に吸い付いてきた。
「いやちょっと、痛いよ君たち……。ひゃんっ、ちょっ、何処噛んでやがる! おい、やめっ、痛いっての!」
俺はたまらず水面から飛び出した。その拍子に俺の体から引き剥がされた小魚たちは、バチャバチャと水の中へ戻っていった。
小魚たちは警戒するように一旦散ったが、すぐに俺のすぐ下に集まり水面から顔を出して何とか俺に食らいつこうとしてくる。
まあ、どれだけ顔を出そうとも飛んでる俺には届かないわけだが。突然はむはむと身体を噛んでくるとは失礼千万というものだ。さすがに俺も怒った。
その無駄に可愛らしい顔を忘れるものかと、俺は不届きな小魚どもを画像検索してやった。
『ジャコメダカ』
淡水と海水のどちらにも適応できる生きた化石。三億年前から姿が変わらないので、きっと三億年かけても進化できなかったのだろう。
食欲と繁殖力が旺盛なので放っておくとどんどん増え、他の魚にどんどん食べられていく。
ものすごく弱いが一応魔物で、性格は獰猛かつ凶暴。人を襲うこともあるが、子どもの柔肌にすら歯が立たないので何も問題はない。
「って、魔物かよ!」
小魚くんの皮を被った魔物どもは、どうやら俺をエサだと思って近づいてきたようだ。
いや、その可能性は考えてはいたけれども。自然を愛するピクシーならば、逆に自然からも愛され、小魚と友達になれる可能性も無くはないと思っていたのだ。
しかし、このジャコメダカとやらは非常に弱い魔物らしい。現に、あれだけガブガブされた俺の肌には傷一つ付いていなかった。ところどころ噛み跡みたいなものは付いたが、数分で消えてしまう程度の跡だ。
とりあえず、この泉にはもう入らないことにする。当初の目的通り、服を洗うだけに留めよう。
だが、おかしいな。ゲームの世界ではこんな魔物は居なかったはずなのだが……。まあ、すでにゲームとは違う点がいくつかあるわけだし、そういうものなんだろう。
泉から少し離れた木に肥料をあげた俺は、そのまま急いで帰路についた。
何せ、服は洗ってしまったので、全裸なのだ。風邪をひいてはいけないからな。
すでに飛ぶ術を身につけた俺には、帰りの道はあっという間だった。
まあ、たかだか一キロだからな。飛んだら十分もかからなかった。
こんな拙い処女作ですが、見に来ていただきありがとうございます。
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