家の中
「……広くね?」
家に入った俺が持った感想は、まずそれだった。
大きな木といっても、ピクシーの身長を考慮しても、幅は二メートルで高さは六メートル弱といったところであった。木の幹の部分に限って言えば、もっと低いはずである。
が、俺の家は明らかにリビングの端から端だけで十二メートルはあり、高さも八メートルはある。階数は五階で、一階から五階まで吹き抜けの開放的な造りである。一階当たりの高さは少し低く感じるが、そもそもピクシーは身長が低いのでこんなもんであろう。
どうして中と外でこんなにも広さが違うのかと思ったが、多分何かしら魔法的な技術が使われているのだろう。すでにストレージという不思議システムがあるしな。
広々と快適ならそれ以上何も気にすることはない。
照明は、なんかぼんやりと光ってる球が何個かふわふわ宙に浮いている。異世界の提灯は宙に浮くらしい。
ヒーリング枠として、白い植木鉢に収まった一メートルほどの謎の観葉植物。さっきから風もないのにクネクネとよく動く。なんだコイツ。
というか、階段が無い。まあ、当然だよな、ピクシーって飛べるもんな。階段やエレベーターなんてものは地べたを歩く生き物にしか必要無いのだ。
一応、二階へ行くハシゴはかかっているけれども。三階から上には飛ばないと行けないようになっている。
「自在に飛ぶ練習も、明日にでもしておいたほうがいいか」
ゲーム内ならまだしも、現実ならば飛べるというのはピクシーの明確なアドバンテージである。今はピクシーの本能なのか何となくふよふよ浮いているが、意識して飛べるようにはなっておきたい。
家は円形で、一階はキッチンやお風呂にトイレ、ダイニングもあり、空き部屋もあった。お風呂とダイニングへの扉の間には地下へ続く階段があり、地下空間が広がっているようだ。
キッチンやお風呂には、使い方が書かれた紙が置いてあった。どうも、電気やガスは使わないタイプで、魔石というものを機械にセットしないと動かないようだ。
とりあえず、キッチンの床に水瓶があったのでストレージに回収しておく。他に何か無いかとよく見たが、まるで越したばかりの新居のように日用品も雑貨も何一つ無い。
しかし魔石とはまた、いきなりファンタジックな……今はそんなもん持っていないので、風呂もキッチンも動かしようがない。
だが、キッチンにはコンロや冷蔵庫と言った文明の利器が用意されているので、これを使えないのは勿体ない。魔石はどうにかして手に入れなければ。
ちなみに、シンクはあれども蛇口は見当たらない。上水道は無いらしい。どこかで水を手に入れないとな。
梯子を使って二階へ登ると、そこは寝室が四つにトイレ、リネン室や談話室が設けられている。ここまでくると家というよりちょっとした宿泊施設みたいにも思えてしまう。
三階以上に行くには飛ばなくてはいけない。とりあえず水の中を泳ぐようにバタバタと体を動かしてみるが、むしろ浮力が下がってしまった。
強く羽ばたくイメージでうーんと背中に力を入れると、ゆーっくりと身体が上昇し始めた。一応上には行けるようだが、明らかに何かが違う気がする。
というか、こんなに激しく震わせてるのに全く音がしないな。どうなってんだ、この羽。
三階以降はデッキに手すりはなく、飛べない人間が上るには少し危ないかもしれない。やはりこの家、ピクシーが住むことを想定してあるな。
三階は扉が一つしか無かった。つまりワンルームだ。一部屋しかない分、三階の部屋はかなり大きかった。
扉を開けると、そのデカい部屋は寝室らしかった。構造としては二階の部屋をちょっと、いやかなり豪華にしたようなもので、俺が三人寝れそうなくらい大きなベッドに空っぽのタンスと本棚、ふっかふっかジャイアントソファ。今は窓とそれだけしかなく非常に殺風景だが、広さは四〇畳もあり(ピクシーのサイズ感でこれはかなりの大きさだ)俺には勿体ない部屋だ。
外観と間取りが全く一致していないことにはもうツッコんだりしない。この適応力の高さが(以下略)。
「一応、ここが俺の部屋ということになるのかな。二階にあったのは客間ということか?」
四〇畳あるといっても、二階の部屋と違い天井が一メートル程と低いため、言うほどそこまでひどく空間を感じたりはしない。
造りがピクシーの身長に合わせてあるのを見るに、ここは家主の部屋であり、二階の客間は人間とかが来ても良いように大きめのサイズで造ってあるのだろう。
ピクシーの家なのに梯子があったのは、多分飛べない種族が二階へあがるためじゃないかな?
何はともあれ、タダで転がり込んできた家にしては豪華なことだ。
四階に上がると、そこには書斎と室内菜園と音楽室、そしてまたトイレ。室内菜園は五メートル四方の大きさの畑があり、趣味レベルの栽培ならできそうだ。ただ蛇口はあったものの、水は出てこない。やはり魔石が必要らしい。音楽室は楽器が笛が一つあっただけ。しばらくは用がないだろう。
……いや、待て。なんだか施設の充実が過剰じゃないか?
書斎はまだしも室内菜園と音楽室って。完全に金持ちの豪邸じゃないか。
まあ、謎だけど、今考えても答えは出ないな。
そして書斎なのだけれど、読書机が一つと大きな本棚が四つあるだけ。こちらも本棚には一冊も本が無かった。……本棚には。
「なんだ、この本?」
その本は読書机の上に置いてあった。シンプルだが丁寧な装丁の赤い大判の本で、分厚いのに持ってみると不思議なことにほとんど重さを感じない。
そして本のタイトルを読んだ俺は、この本が今一番俺が読みたかった本だと確信した。
『魔法大全(教本版)』
言わずもがな、きっとここに魔法の使い方が書いてあるに違いない。
『魔法が使える』という事実が一気に現実味を帯びて、魔法が使えるようになるんだという実感が湧いた。
「ちょっと、テキトーなページを開いてみるか」
緊張しているのか本を開く手が震えている。まあ、ゲームオタクの俺にとってはある種アコガレみたいなところがあるからな。
魔法大全はすんなりと開いた。それは見たこともない、しかしなぜか意味の理解できる文字の羅列を俺に見せた。
『ゆえに適性に基づく任意の属性ベクトルが恒常的に人体細胞へ影響する場合、その色素は一意的に定まる。一方でその逆は成り立たないが、これはP.172の属性遷移の原則より定ベクトルsを未知として……』
パタン。
俺は魔法大全を閉じると、ふぅと深呼吸をして、最初のページを開いた。
いやあ。こういうのは基礎の基礎から学ぶのが一番の近道だからな。ウン。
『まずは魔法とは何かを知りましょう』
お、基本的にして根本的なことだな。
そうそう、こういうのが知りたいのである。
『魔法とは何だと思いますか。人によっては、魔力を使って能動的に発動させる奇跡だとか、神秘的な力を利用する術だと考えているでしょう。しかし、私こと筆者はあえて魔法とは【願いを叶える技術】だと定義したいのです』
ほう、と俺はその言い回しに惹かれた。
技術。それは目的を達成するための過程や方法がある程度確立されているもののことを言う。
なるほど、願いを叶える技術とは、確かに俺たちが思い描いている『魔法』を言い表している言葉かもしれない。
さて、このまま読み進めると家を全部見て回ることを忘れそうなので、名残惜しいが一旦読書は止めにしよう。
俺は魔法大全をストレージに仕舞うと、書斎を出てまたゆーっくりと五階へ上がった。
……にしても、どうしてこの本だけが家にあったのだろうか。
五階にはオシャンなミニバーが設置されていたが、酒類はゼロ。1人くらいなら歌って踊れそうな小さな舞台があるが、席はカウンターに三席と、テーブル(椅子無し)一卓があるのみである。
バーの反対側にはドレスルーム。大量のラックやハンガー、マネキンに鎧かけも用意されていた。マネキンに羽が生えているあたりがピクシー仕様だと思うが、服は一着たりとも無かった。
……いや、ちょっと待て。服って今着ているやつしか無いぞ。
そりゃ裁縫できないと言ったら嘘になるが、独身男性の腕前なんぞほつれを直すのが精一杯である。さすがに服丸々一着など作れやしない。
ううむ、服か。
この家は五階が最上階なんだよな。あとは地下室だが……何となく無い気がする。
さて、どうしたものか。……しばらくは一着でなんとかしよう。
「ていうか、今気づいたけど。俺の羽、肌から直接生えてなくね?」
何というか、羽を震わせても、振動が身体まで伝わってこないのである。羽だけが身体から独立して空中に浮いている……っぽいのだ。背中にあるので、良く見えないが。
うーん、気になる。何でこの部屋はドレスルームのくせに鏡が無いんだ。
俺は真偽を確かめたくなって、背中の羽を掴んで引っ張ってみた。肌から直に生えているなら当然痛いはずだ。
触ってみるとつるつるで、虫の羽みたいだ。意外と頑丈で、何といっても薄い。
ぽきっ。ぽろっ。
羽取れた。
背中に戻そうとしてみると、俺の羽はまるで磁力に引かれるかのように背中へ戻り、また元気にブーンと震えだした。
「……いや、着脱可能なんかいっ!」
えーと……寝る時にうつ伏せにならなくて済むな。ウン。
そして俺は一階に戻った。
さらに階段を降りて地下へ向かうと、そこには1階と同程度の広さの地下室があった。
地下には温度と湿度を管理できる(もちろん魔石が必要)倉庫があり、その隣には作業室というか、工作室? みたいな部屋もある。しかし工作室には、ノコギリや万力といった本来ならあるはずの道具は一切なかった。カナヅチでもあれば武器にしたのだが。
「おっ、製図紙とペンがあるじゃないか!」
製図用紙があっても工具が無いから意味ないけどな。
たしかに工作室には当然あるべき備品ではあるが、今は服のほうがありがたい。作業服みたいなものでも、着れるだけマシであったのに。
倉庫と工作室以外では、地下の大部分を占めるだだっ広い空間。
その空間にはナイフと的、マネキンだけがぽつんと置いてある。床は、見た目は土だが、よく触ってみると土ではない。滑りにくい謎素材のマットである。何だこれ。
さしずめ訓練場といったところだろうか。壁は頑丈そうだし、多少暴れても問題はなさそうだ。
まあそんなことより。様式美として、とりあえず。
「武器は装備しないとな!」
そう言って俺は床に雑に放置されていたナイフを手に取った。
鞘が無く危なっかしいナイフだが、こんなのでも無いよりマシである。
ナイフを回収した俺は再び一階へ。
これで、今見れる範囲は全て見たと言える。家の感想としては、豪邸、といったところか。
テキトーな造りに思えるが、意外と細部まで住みやすいよう工夫されていると感じた。
吊ってもいないのにフワフワ浮いている照明や、風も無いのにクネクネと静かにダンスをする観葉植物など、不思議アイテムに彩られた木の中は、家として使うには勿体ないくらいの施設が詰まった豪邸であった。
「次は、そうだなあ。熟練度でも振ってみるか?」
ポイントは200あったので、とりあえず50だけ残して、残りの150を振り分けた。
一時間ほど悩んだが、『魔法の才』に70、『毒の知識』に50、『気配察知』に30振っておいた。
なんだか魔法と友だちになれそうな気がした。
ちょっと毒に興味が湧いた気がした。
俺しか居ないはずの一階に気配を感じた。
「ふわっ……なんか眠くなってきたなあ」
そう言えば俺は仕事から帰ってすぐ異世界に連れてこられたんだった。ちょっとアドレナリンが出ていて気づかなかったが、相当疲れているに違いない。
三階の自室に入った俺は、俺三人分のデカベッドに潜り込んで眠ってしまった。
ひとまず、今日はここまで。魔法大全とかめっちゃ気になって仕方がないが、こういう時は無理をしてはいけないのである。