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 鼠から逃げる時は、あっさりと林の道に戻ることが出来た。

 まるで迷路の壁が外れ、一本の道になったようだった。林自体の大きさからすれば、ちょっと走れば元に戻れなければならない。林が子供たちを閉じ込めようと、グルグルと同じ場所を駆け回らせていた、そんな感じだった。

 三人が林に戻った時には、キノコのことはすっかり忘れていた。

「すげー怖かった。宮地が昨日見たのはこれだったのか」

「そうだよ信じてくれた?」

「信じるよ」

「ゾンビは動きが遅いから逃げればなんとかなるな」

 飯塚はそう言ったが、宮地は別のことを考えていた。

「鼠がゾンビになってるけど、あれを例えば猫とか、(たぬき)とか、カラスとか、ほかの動物が食べた場合って、どうなると思う」

「そんなことわからないよ」

 飯塚は考えたくないのか、そう返した。宮地は自分の考えを話した。

「なんとなくだけど、食べた猫や(たぬき)、カラスもゾンビ化すると思わない?」

「ミヤジ、そんなこと考えるのやめろよ。もし、本当にそうなったら……」

 飯塚が言いかけて止め、体を震わせた。

「どういうことだよ」

 ケンはよくわからない様子だった。

「ゾンビが増殖するってことだよ」

「……」

 ケンは目を上下、左右に動かした。

「何か忘れてないか? あの『ぼうこうごう』ってやつの話」

「『防空壕』だろ。防空壕の話ってなんだよ」

「うーんとそれがいまいち」

「『助けて』って声が聞こえたよな」

 宮地は自分で言って寒気がしていた。そしてどういう意味なのか気が付いた。

「あの穴から、『助けて』って、誰か言ってたんだ。きっと、ゾンビに追われた、誰かが防空壕に逃げ込んでるんだ! 助けなきゃ」

 飯塚は真っ先に否定した。

「無理無理無理無理!」

「そうだよ、ミヤジ。お前が最初に逃げようって」

「あんときはみんな同時に『逃げろ』って」

「……」

 無理だ、全員がそう思っていた。

 ゾンビ鼠がうろうろと歩き回り、『く』の字に曲がった生ける屍がいる。そんな中にもう一度飛び込んで、助け出す勇気はなかった。

 三人で互いの顔を見合わせていると、風向きが変わったのか、急に変な臭いが漂って来た。

「なんだ、この臭い」

「くせぇ」

 ケンは鼻をつまんだ。宮地は鼻と口にぴったり腕をつけ、袖の布で臭いを弱める作戦にでた。

「この臭い『ミイラ―』の」

「!」

 飯塚がミヤジの頭の上を指差す。

「ゴぅ、ラぁ!」

 同じ国の言葉をしゃべっているとは到底思えないような、酷い発音だった。

 宮地は後ろを振り向いた。

 そこには頬がこけ、頭が剥げていて、残っている頭髪も白髪の老人が立っていた。

 残っている髪の毛は肩まで垂れている。

「ゴぅ」

 口を開くと残っている数本の歯が、茶色く、虫歯になっている。

「ラぁ」

 おじさんは両手を振り上げた。

「ゴぅラぁ」

 宮地は、ケンと飯塚に腕を引っ張られる。

 三人は林の道を走り始めた。

「なに言ってるんだ?」

「知らねぇ。けど、怒ってる」

「は、初めて『ミイラ―』の声聞いた」

「そ、そうか、そうだな」

 飯塚は時折後ろを振り返る。

「だ、大丈夫だ、追いかけてこない」

「ごうらぁ!」

 遠くで手を振り上げているおじさんの声がする。

 おじさんは、走れないにしろ、こっちに向かって動いている。

 ケンが飯塚と宮地の背中を押す。

「まだ来るぞ」

「とにかく逃げよう」

 飯塚が言うと、再び三人は走り出した。

 林を抜けると、宮地が言った。

「ものすごい臭いだった。『ミイラ―』の小屋が近いわけでもなかったのに」

「あれ、『ミイラ―』の服の臭いなんだぜ。洗濯も着替えもしてないからな」

「ケン、それ本当なの?」

「見りゃわかるだろ。あいつ、一枚一枚はボロボロだから何枚も重ね着するんだ」

 ケンは服を重ねるように着るジェスチャーをして見せる。

「なんで怒ってたんだ?」

「わからねぇ」

「いままで『ミイラ―』に会ったことはあったけど、怒られたことはなかった。って、ことは、何か、悪いことをした、からだよね」

「悪いことって……」

 飯塚は首をひねる。ケンは手を叩いて言う。

「林に入ったことか?」

「いままでだって少しは林に入ったことはあっただろ?」

 宮地はそう言うが、ケンは譲らない。

「『ぼうこうごう』まで行ったことはなかったろ」

防空壕(ぼうくうごう)だよ」

 三人は、そんな風に話ながら道を歩いていると、分かれ道に着いた。

 立ち止まってそれぞれの家の方向に進み、顔を合わせる。

「どうする?」

「どうするって?」

「家に帰ってからだよ。キノコは見つけてないんだからな」

 飯塚が林の方を指差す。

「まだ行くつもりかよ」

 ケンは手を広げて呆れた、という感じだった。

 宮地は太陽の方を指差した。

「行きたいのは分かるけど、家に帰ってから林に行くには、もう時間が遅い」

「……そうだな」

 飯塚はあっさり納得した。

 ケンはニコニコ笑いながら手を振った。

「じゃ、また明日」

「じゃあな」

「じゃあ」

 宮地は、帰りの道を歩き出して、ふと林の方向を振り返る。

 林の方向から『助けて』そんな声が聞こえてくる気がした。




 翌朝、宮地は学校に行く前、母親に言われた。

「今日はまっすぐ帰ってきなさいよ」

「なんで?」

「学校で話があるだろうけど、お前の学年の『小泉』くん、亡くなったのよ。そのお葬式があるから、早く帰ってくるのよ」

 小泉は学校で同じクラスになったことはなかったが、地域の行事で話したことがあるくらいの仲だった。

 母親同士は、よく話しているのを見ていたが、それ以上は何もなかった。

「『小泉』死んじゃったの?」

「学校で説明があるわよ。きっと」

「うん……」

 お葬式。記憶にある限り初めてのお葬式ということになる。赤ちゃんのころに、母方のおじいちゃんが亡くなり、母親に抱きかかえられたまま出たことがあるそうなのだが、そんな小さいときのころ記憶は残っていなかった。

「『三田村』は大丈夫なの?」

「……なんで『三田村』くん? 何かあったの?」

「あ、なんでもない」

「何それ」

「とにかく早く帰ってくればいいんだろ」

 ランドセルをしょって、玄関で靴を履いた。

「そうよ。私も、着替えなきゃならないから」

 宮地が歩いて『正規の』通学路を歩いていると、ケンが声を掛けてきた。

「ミヤジ、なあ、きいた?」

「なんのこと?」

「『小泉』のことだよ」

「聞いた。死んだんだって」

「どこで死んだか知ってるか?」

 そう言って、ケンが立ち止まった。

 宮地はケンが立ち止まったのに気づかず、すこし進んでからケンを振り返った。

「えっ? 知らない。どういうこと?」

「林で死んだんだ」

「うそ…… もしかして、昨日の『助けて』って声」

 そう言われるとあの声が『小泉』の声だったように思えてくる。昨日そのまま見捨ててしまったあの声が『小泉』のものだったとしたら。

「それは違うよ」

 ケンは歩きながら話そう、と言ってから話し始める。

「一昨日死んだんだって。だから、飯塚が『林が通行止めになっている』って言ってたのは、そのことだったらしい」

「えっ?」

 そうすると、宮地が夕暮れに一人で林を通り過ぎたころは『小泉が殺されていたところ』林を横切った、ということになる。一歩間違えたら自分が殺されていたのかもしれない。宮地は寒気がしてきた。

「もっと問題なのは……」

 ケンが話しを続けようとしたところに、紗英がやって来た。

「それは適当な噂よ」

「紗英、なんか知ってるのかよ」

「パパから聞いたわ。まだ何も分かってないって」

 紗英は両手を広げて、持ち上げるようなしぐさをした。

「けど聞いた話じゃ『ミイラ―』に殺されたって」

「それは噂よ」

「じゃあ、警察はどう思ってるの?」

 と宮地が突っ込んだ。

「だから、分からないんだって。警察が分からないんだから、飯塚とミヤジの勝負は、引き分け」

 ケンが言う。

「けど、ゾンビのせいで警察が入ったんじゃないのは確かだろ?」

「なんでだよ、小泉が死んだ理由、ゾンビのせいかもしれないだろ?」

 ケンは首を振る。

「そこが問題じゃない。すくなくともゾンビのせいで警察が立ち入り禁止にしたんじゃなくて、小泉がしんだから……」

「ほら、ミヤジもケンも仲直りして。理由はわからないんだから」

「死んだ理由もわからない。そんな状態なのに小泉の葬式やるの?」

 怒ったように宮地がそう言った。

 紗英は怒られたように感じて、引いてしまった。

「……」

「ミヤジの言う通りだな。警察がもっと調べないと」

「私が警察なんじゃなくて、お父さんが警察なの。だから、私はしらないわよ!」

「あっ……」

 宮地は慌てて紗英に謝ろうとしたが、紗英は走って学校の方に行ってしまった。

「フラれたな」

「べ、別に、なんともないよ」

「本当かよ」

 宮地とケンは、通学路の横にあるコンクリートの建物の横を通っていた。

「あそこだ」

 宮地は何のことか分からなかった。

「あそこで小泉の葬式やるんだ」

 鉄筋コンクリートで出来た建物の近くに、黒い車が止まっていた。後部は黒と金で塗られた仏壇のような細工で飾られていた。それは霊柩車と言う、死者を乗せて運ぶ為の車だった。宮地は思わず親指を手の中に握り込んだ。

 葬儀所のコンクリートの建物の、窓にはすべて白いカーテンが閉まっていた。外から中の様子をうかがい知ることは出来なかった。

「ここ、葬儀所だったのか」

「ほら、看板に故『小泉純一』葬儀式場って書いてある」

「……」

 死。

 宮地は『死』というものを考えたことがなかった。

 もちろん、どういう事かは知っていたし、簡単に考えたことはあった。実感として、ごく身近に存在する『闇』として、考えたことがなかったということだ。

 動かなくなり、喋れなくなり、考えられなくなり、何も見えなくなる。そんな風に、死を単純に捉えていた。

 ただ死んだら神の世界に召されるという人の話は、信じていなかった。

 もし自分がそうなったら…… と、想像すると、急に重苦しい空気で体が押しつぶされるような気がした。

「死んだら、どうなるのかな」

 宮地がそう言うと、ケンは待ってましたとばかりに、話を始めた。

「死んだら、三途(さんず)の川を渡って、閻魔様に……」

「えっ?」

 宮地は視線を感じてコンクリートの建物を振り返った。

「なんだよ、話している途中だろ」

 コンクリートの建物の窓と、カーテンの間に、妙に肌が白い男の子が、白い和服を着てこっちを見ている。

 ケンが何か話しかけているが、宮地には聞こえないようだった。

 窓際に立っている男の子と目が合ったまま、時が止まったように固まってしまった。

「おい、聞いてんのか、って言ってんだろ」

 同時にパン、と音が響くほど肩を叩かれた。

 宮地はケンを振り返った。

「なに?」

「だから~ やっぱり聞いてないんじゃないか」

「そんなことより、あれ」

 宮地はコンクリートの建物、つまり葬儀所の窓に立っている男の子を指差す。

「?」

 ケンは首をかしげる。

 宮地もそこに男の子がいないことに気付く。

「あれっ? いない」

「誰かいたのか」

「真っ白い顔の男の子が真っ白い和服を着て立ってた」

 ケンはコンクリートの建物窓を、見える限り全部指差しながら確認する。

 ブツブツと小声が聞こえる。たまに間違えたのか一つ窓を戻して、やり直している。

「いないぞ」

 いや、見ればわかる。宮地はそう思いながらもケンに言った。

「確かにさっき、あの窓に」

「真っ白い服って言ってたよな」

 宮地は頷く。

「それって死装束じゃね?」

「何それ」

「死んだ人が着る服だよ」

「死んだ人が窓際に立つわけ……」

 宮地は途中で自分の口を手で押さえた。

 林の中で見た鼠のように、死んだ者が再び動き出したのかも知れない。

「ミヤジ、何考えてるんだよ」

「小泉」

「えっ?」

 ケンはびっくりして辺りを見回す。

「いないよ、脅かすなよ」

「さっき見た真っ白い顔の男の子、小泉だ。間違いない」

「まじかよ。死装束を来て動き回ってるってことか。じゃあ、林にいたゾンビと同じじゃないか」

「……」

 ケンは宮地の顔を見つめると、宮地は頷いた。

 宮地が見たのが死装束を着た小泉の姿だっとしたら、小泉は、林でゾンビに噛まれて死んで、今、再び動き出した。そう考えるのが二人にとって一番自然な回答だった。

「誰かに話そう」

「大人が信じるもんか」

「けど……」

 チリンチリン、と自転車のベルが鳴る。

 ケンと宮地が立ったまま固まっていると、間を猛スピードのママチャリが通り過ぎていく。

『ダブルオー』

 と二人は声を合わせてそう言った。

「おはよう。二人ともなにやってんだ? 遅刻するぞ」

「飯塚っ、いいとこに来た、実は……」





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