25
教室の中で、紗英のお父さんが話し始めた。
紗英は腕にしがみつくようにして、隣に座り、安心して目を閉じてしまっている。
飯塚、ケン、宮地の三人はそれぞれ椅子の背もたれに腕をのせ、聞いていた。
ケンと紗英と宮地でこの学校に着いた時、紗英の父親は警察官として市民の安全を守るために街へ戻っていったのだ。
「君たちとここで別れた後、街に戻った」
と言って語り始めた。
ゾンビを避け、ゾンビがどういう行動をするかを観察したこと。
救急車や、消防車、パトカーなどが止まっていて、人が戻ってくる様子がないこと。
「おそらく、通報を受けて、被害者だと思って関わっていると、急にゾンビ化して噛みつかれたのだろう」
正常な人間か、ゾンビなのかを見極めるのに、話しかけて反応するかで試していた。
「外国の人の場合は俺が『逃げろ』と言っても、意味が分からず、ただ周りをきょろきょろするだけで、助けられないことがあった」
お父さんは悔しそうな表情を浮かべる。
「救えた人は、とにかく安全な場所にじっとしていることを教えた。言葉をかけて、返事がない場合は絶対に扉を開けるなと言って伝えた」
宮地は自分の家の『話しかけても返事をしない人に、扉を開けてはいけない』と同じだ、と思った。
「どれくらい助かっていますか?」
と飯塚が言った。本当なら、自分の家はどうだったか、と聞きたいのだろう。宮地は思った。
「家にいれば、五、六割りは助かっているんじゃないか…… 外を歩いていたら九割はやられているだろう」
「……」
飯塚は複雑な顔をしている。
「警察署まで戻れれば、もっと詳しい情報は分かるんだが」
「大丈夫です」
飯塚は言った。
「父も母も助かっている。信じるしかないです」
「ああ、きっと大丈夫だ」
お父さんが、飯塚の肩に手を置いた。
飯塚はうつむくと、泣いているのか鼻をすすった。
「!」
突然、ケンが立ち上がる。
「焦げ臭いっ」
宮地が天井を見る。かすかに煙が動いているように見える。
「このロウソクの煙じゃないのか」
「しっ……」
ケンは口の前に人差し指を立て、静かにするように合図する。
全員黙ったまま、あちこちに視線を動かして確認する。
「うん。こげくさい。爆ぜているような音もする」
宮地が言うと、ケンは立ち上がって、教室の扉を開ける。
いきなり扉から煙が天井を伝って入ってくる。
「火事だ、早く逃げないと」
飯塚も顔を上げた。お父さんは紗英を揺すって起こした。
「紗英、紗英、起きろ! 火事だ」
「火事?」
全員、ハンカチを口にしたり、袖口を口につけ、煙を吸わないように態勢を低くして扉の外に出た。
いち早く階段のところにケンが付くと、動きが止まった。
「階段を、階段を……」
「階段がどうした?」
飯塚がきくと、ケンは指差した。それ以上話さなくても、その意味は分かった。
「ゾンビがあがって来てる」
ゾンビなら、この有毒な煙のなかでも、平然と動けてしまうのか。確かに、死んでいるのなら、呼吸も毒も関係ない。
よく燃えるゾンビは、下の方で折り重なってこの炎の燃料となっているに違いない。
「火事で扉が壊れたのか」
「そんなことはどうでもいい。下に行ったら、ゾンビに噛まれるか、ゾンビが燃える炎で焼かれちまうぞ」
「どうする?」
「どうするって言ったって……」
「教室、教室に戻れば避難用のスライダーが」
「校庭はゾンビの群れだ。そこに降りていけるわけないだろう」
八方塞がり…… そう思われた。
「上だ。屋上に行こう」
「屋上の扉は鍵が掛かってる」
「大丈夫」
宮地はポケットから鍵を出した。
「屋上に出る鍵がある」
「なんでそんなもの持ってるの?」
「宿直室の鍵を取った時に、何かで使うかと思ってポケットに入れてた」
「よし、屋上へ行こう」
紗英のお父さんが言うと、全員が階段を上り始めた。
屋上までの階段は、吹き上がってくる煙が充満していて、いくら体を低くしても、煙を吸ってしまう。
階段を這うようにゆっくりと、一歩一歩上がって行く。
「ミヤジ、鍵を開けろ」
「……」
暗くて見えないうえに煙に巻かれている。見えない上に、ロクに息も出来ない。手探りで鍵穴を探して、そこに挿入する。
どっちに回していいのかも、すべて手探り。焦りから、正しい方向に回しているはずなのに、開かないと思ってやり直してしまう。
「開いた!」
「出たら、すぐに扉を閉めないと、ゾンビも上がって来るぞ」
宮地、ケン、紗英、紗英のお父さん。最後に飯塚が扉から出てきた。
月に向かってモクモクと立ち上る煙。宮地は扉閉めて鍵を掛けようとする。
扉が閉まっていないのに、鍵を回したせいで、デッドボルトが飛び出してしまう。
「バカッ! 閉まってないぞ!」
飯塚の声に、宮地は焦った。
何度も何度も扉を押し付けるが、しっかり閉まらない。
「なんだ! 何で閉まらないんだよお」
宮地は狂ったように叫びながら、何度も扉を打ちつけた。
しかし、扉は閉まらず、煙が上り続ける。
「手…… そこに、手が……」
紗英が怯えた表情で、扉の下側を指差す。
「もうゾンビが来てるのか」
「動きが、動きが早くなってない?」
「思い切り押して、ゾンビの手をへし折れよっ!」
ケンがそう言って、扉に向かって走り込んでくる。
『ドン!』
と音とともにケンの体が扉にぶつかる。
扉に挟まれた青黒い手が一瞬、震えるように反応する。
「もう一回!」
ケンが助走をつけて走り込んでくる。
「駄目だ……」
この状態から、紗英のお父さんが扉を押せば、閉められるんじゃないか、宮地はそう思って紗英のお父さんの姿を探す。
しかし、お父さんが見当たらない。
「こっちだ」
紗英のお父さんは、屋上で何かを見つけ。皆に呼びかけた。
「扉がしまらなければ、こっちに来るんだ。この梯子の上なら、ゾンビも来れない」
宮地が締めている扉を覆うように、屋上の上にさらに高い部分があった。この階段の踊り場の上に作られた部分だった。
そこへ上る為の梯子がついていて、紗英のお父さんはそこから屋上の上の部分へ逃げようとしていた。
その梯子の始まり自体が、かなり高い位置から始まっていて、子供が届かないように工夫された作りになっている。
つまり、これだけ高ければ、手を器用に使えないゾンビは上がってこれないだろう、そう考えたのだ。
「紗英、まずはお前からだ」
紗英の父親が呼ぶと、紗英の腰をもって、ひょいと梯子の高さに上げた。
紗英が上っていくと、今度は飯塚が呼ばれた。
「宮地くん。もう少し耐えてくれ」
言われなくても…… と宮地は思った。グイグイと押される扉を、必死に押さえていた。
扉からは、最初に下ではみ出ていた手以外に、次々と手が増えていた。
もう、鍵をかけるためではなく、扉からゾンビが出ないように押し込んでいる状態だった。
「!」
風きり音とともに、学校の屋上に風が吹きつけられた。宮地はパッと上空を見上げる。
「ヘリコプターだ!」
ローターを回すエンジン音と、風切り音、そして作り出す風で声が通らない。
宮地は思い切り体を突っ張り、扉が開かないようにしながら、もう一度、叫ぶように言う。
「ヘリコプターだ! ヘリコプター! きっと、助けに来たんだ!!」
今度は全員に伝わったようだった。
上空から声がかけられる。
『今助けるから、そこを動かないで』
いや、動かないとゾンビに噛みつかれてしまう、と宮地は思った。
「次だ! ほら、ケン君」
紗英の父親がケンを引っ張って、梯子につかまらせた。
飯塚の後を追って、梯子を上っていく。
ヘリコプターからの縄梯子が降りてくる。
闇を切り裂くような強い照明が、学校の屋上を照らす。
ヘリコプターの乗員は、紗英を先に収容しようと準備を始める。
「飯塚。飯塚が先にヘリコプターに乗って!」
飯塚はまだ鉄の梯子を上り切っていない。
「いや、時間がない。紗英が先だ!」
と飯塚が言う。
「お父さん! 私はお父さんと……」
梯子の下から、紗英のお父さんが言う。
「紗英! 駄目だ、先に行きなさい」
「いやよ、いや!」
抵抗する紗英だったが、観念したのか、縄梯子に乗せられるとヘリコプターの中に上げられる。
「宮地くん、さあ、君もくるんだ」
「ここを開けたらゾンビが……」
「大丈夫。ゾンビの動きは遅い」
紗英のお父さんがグイッと、宮地の腕をとると、つっかえ棒が取れたように扉が開く。そしてあふれた水がこぼれるように、ゾンビが扉から出て広がる。
紗英の父にの脇に抱えられた宮地はあっという間に持ち上げられ、鉄の梯子につかまっていた。
宮地はお父さんの上ってくる分を空けるように素早く階段を上って、下を振り返る。
「お父さんも早く!」
お父さんが鉄の梯子に手を掛けると、イヤな音がした。
『ギリッ…… ギギ……』
梯子を固定する為に、壁に刺さっている部分が、一つ、周囲のコンクリートごと取れた。
飯塚が梯子を上り切り、ケンが続いて上りきる寸前のことだった。
宮地は上ろうとして伸ばした手足を止め、振り落とされまいと梯子にしがみついた。
「……」
下では紗英のお父さんの周りに、ゾンビが集まり始めていた。
宮地は言った。
「早く上って!」
「……」
お父さんは、近づいてくるゾンビを、蹴って倒したり、向きを変えて追い返している。
宮地の方を見上げて言う。
「……駄目だ。この梯子は大人の体重を支えられないんだ」
宮地は半べそをかいている。
「大丈夫です。大丈夫。ほら! もう二人とも梯子を上り切っている」
「君がまだそこにいる」
言いながら近づいてくるゾンビを蹴り続ける。
「わかりました。早く上りますから、諦めないでください! お願いです!」
宮地は上を向いて、グラグラと揺れる梯子を可能な限り早く上っていく。何故、可能な限りなのか。あまり急いで、これ以上梯子にダメージを与えるのもいけない…… 宮地は同時にそう考えていた。
宮地はまだ短い生涯のなかで、初めて神様にすがっていた。
神様。頼むから、お父さんをゾンビから救ってくれ。
神様。頼むから、もっと早く梯子を上らせてくれ。
神様。頼むから、この梯子を壊さないでくれ……
何度も何度も、繰り返しそう祈りながら、階段を上る。
上り切って、素早く身を乗り出して下を振り返る。
「お父さん! 今です!」
屋上には、ゾンビがあふれていた。
ゾンビが上を向いて、宮地の方を見ているかのようだった。
宮地は必死にお父さんを探した。
「お父さん!」
ゾンビがひしめく屋上に、倒れているような人影をみつける。
「そんな……」
自然と涙があふれてきて、前が見えなくなった。
「宮地!」
「宮地!」
バラバラというプロペラの風切り音に交じって、上空から宮地を呼ぶ声が聞こえる。
宮地は声のする方を見上げる。
「お父さんが……」
「宮地!」
そう叫ぶ飯塚の隣に……
「お父さん!」
「お前が梯子を上がっている間に、ヘリコプターでお父さんを先に助け上げたんだ!」
「よ、よかった……」
とため息をつくように言うと、腰が抜けたようにその場にしゃがみ込んでしまった。
乗組員が宮地たちの前で、現状の説明を始めた。
「君たちは運がいい。あのタイミングで、学校でゾンビの燃えている炎が見えなかったら、学校には寄らずに帰るところだったよ」
ケンが誇らしげな表情を浮かべる。
「現在、君たちの街を中心に約2.5Kmの円範囲を封鎖した。幸い連中は腕を使って、高い段差を乗り越えるようなことは出来ないようだから、封鎖は簡単だ。車両で主な道を塞ぐことで、封鎖が出来るからな。今は、車両も人の出入りも、通行を全部止めて、自衛隊員が入って、中にいる人を救助している状況だ。こんな風にヘリを使わないと救助出来ない人もいたが、君たちみたいに派手に火事を起こしたりする人は他にいなかったな」
宮地はきいた。
「ゾンビはどうなるんですか? 人に戻れるんですか?」
「本件の詳細は我々にもわからないが、今わかっている情報では『元には戻らない』」
「わからないのに『戻らない』って」
「わかってくれ」
後ろから紗英のお父さんが言う。
「国家機密ってやつですか」
「すきなように解釈してくれ」
乗組員は目を伏せて、そう言った。再び宮地がたずねる。
「皆は助かるんですか?」
「助けるさ。ただ、街にはしばらく帰れないだろう。これから行く避難所で生活してもらうことになる」
「母を…… いや、皆の家族を助けてください!」
ケンも、飯塚も、紗英も、声をあげたい気持ちを押さえ、乗組員を見つめた。
「わかっている。救助に最善を尽くすよ」
全員が静かにうなずいた。
後にウイキペディアにまとめられた内容を抜粋して転記しておく。
y年m月d日、k県f市北部のxx町を中心として発生した『牛ゾンビ』に感染した死体が、次々に正常な人間に噛みつき始め、殺人の連鎖が起って大規模殺傷事件に発展した。この牛ゾンビ感染者の拡大を防ぐ為、街の葬儀所を中心とした半径約2.5kmの範囲が自衛隊により封鎖され、隔離地区として認定された。隔離地区に居住する約2万人の内、約30%弱に相当する五千八百二十五人の行方不明者・死者を出した。※当時の交通事故の年間死亡者数の約半数強を一週間で失ったことになる。しかもその八割は一週間の内、最初の二日間で亡くなったものと推定されている。
隔離地区の土地については政府がすべて買い上げ、土地の所有者には別の土地または土地の大きさに応じた金額が支払われた。
牛ゾンビの原因は隣国で発症した『牛ゾンビウイルス』が、何らかの変異により人に感染を始めたこととされるが、他国で人から人への感染例がないことから確かな原因についてはいまだ不明。
なお、この事件を『牛ゾンビ事件』と報道するメディアが多かったことから、政府も本件を『xx町牛ゾンビ事件』と正式に呼称することとした。
焼けただれた小学校を記念碑的に残すことが元住民から提案されたが、本件を記憶から消し去りたいかのように小学校は事件から1年後に取り壊されている。
隔離地区の土地は林を除いて、調査の為に建築物をすべて解体し、三年を掛けて地質調査が行われた。
調査結果については、公文書で情報公開されており閲覧が可能だが、調査した値はすべて正常値とだけ記録され、具体的な数値の記載がなく、何かを隠蔽しているかようで、疑問が残るものである。
終わり
基本、平日掲載でしたが、明日、エピローグを掲載します。
よろしければお読みください。




