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紗英が学校の昇降口について外を見ると、まだゾンビは校庭の半ばを過ぎたあたりだった。
開け放たれている扉をしめ、ロックを掛ける。扉はまだいくつもある。
「何これ、動かない!」
飯塚がやってきてバットを床に放る。バットはガンガラと音がして転がる。飯塚は、紗英の所に回ると言った。
「落ち着いて、ほら、ここにストッパーがある」
扉の外側に回って、扉が動かないように引っ掛けている仕掛けを説明する。
「これを外せば閉めれる」
バタリ、と閉めてロックを掛ける。
「わかった」
スノコでバタバタと音を立てながら、宮地もやってくる。
手分けして、昇降口の扉を閉める。
「もう一か所……」
「うん」
三人はもう一つの昇降口へ向かう。
「ケンは?」
「教室に残ってる」
「あいつ!」
「ほっとけばいいのよ」
紗英は扉を締めながらそう言った。
その小さな方の昇降口の扉を閉め終わると、飯塚が言った。
「先生の出入りする玄関が残ってる」
「急ごう!」
給食室や職員室を過ぎた向こう側だった。
「手分けしていればこんなことにはならなかったのに!」
「ほっといたのはこっちなんだから、そんなことで文句は言わないの」
玄関の扉に着いた時、校庭の色が変わってみえるほど、ゾンビが入り込んでいるのが分かった。
宮地は慌てて扉を閉め、鍵をかけた。
「ふう……」
「これで、いい、はず」
と、飯塚がゆっくりと考えながら、そう言った。
三人が階段に向かって廊下を歩き出そうとした時、廊下の真ん中に立つ、人影に気付いた。
宮地は、理由もなく体が震えた。
「誰? ケン?」
自分で言っていて、その人影がケンではないことに気付いていた。影の大きさ、肩の盛り上がり……
紗英が、ポケットに入れていたマッチを取り出して『シュッ』と擦る。
直接、火を見ないように手の平で炎を隠すと、前方の人影をその小さな炎が照らし出す。
飯塚の上着のように体液が模様のように染みついたタンクトップ。晒されている肌は、筋肉が盛り上がっている。盛り上がっている首回りには、噛みつかれたような傷跡……
「ザップ!」
まるでその声が聞こえたかのように口を開く。真っ赤で、そこだけが死んでいないように生き生きと赤い。
紗英は手元まで燃え始めたマッチを廊下に捨てた。
「紗英っ」
と言って宮地はモップを手渡し、飯塚はバットを両手で握り直した。
中山先生が、正常な人間だったらおそらく敵わないだろう。体格、体力、筋力、そして運動神経。だが、今はゾンビだ。手に武器もある。
「いくぞ」
飯塚のバットの先がクルッと動く。
そのまま横一文字に『ザップ』の腹目掛けてバットが回る。
「えっ?」
金属バットが『どてっぱら』を直撃、と思った瞬間、飯塚は空振りのせいで態勢を崩していた。
中山先生が肩を開いて、飯塚の攻撃をかわしたのだ。
「あっ」
態勢を崩したところの、出た足を払われて飯塚がひっくり返る。
宮地は助ける為にモップを突いた。
「そんな……」
中山先生はモップを受け止めた。正確にいうと、手で押さえたのではなく、肩を回転させる流れのなかで、肘で受け止めた格好になったのだ。
とにかくこの中山先生は今までのゾンビとまるで違っていた。戦えるゾンビ、というか適切に反射・行動するゾンビなのだ。
「やばい」
「叩けばいいのよ」
紗英がモップを振りかぶった。
それを中山先生の脳天に叩き込む…… とはいかなかった。
紗英のモップは天井に突き刺さってしまった。
「紗英、なにやってるんだよ」
そう言って飯塚は、尻を床につけたまま後ずさった。
「後ろに回り込めよ、後ろだ」
飯塚が指示すると、紗英は天井に刺さったモップを抜いて、そろそろと廊下の壁際を移動した。
宮地が中山先生を飯塚に近づけないように、モップを突いたり引いたりを繰り返す。
「いい?」
紗英が完全に中山先生の後ろに回り込むと、そう言った。飯塚と宮地は『やれ!』とばかりにうなずいた。
「えいっ!」
今度は天井に当たらないようにモップを短く持って、中山先生の脳天に叩きつけた。
……はずだった。
またしても肩を回転させて、半身になってモップをかわしていた。
振り下ろされたモップが激しく床にぶつかり、ショックで紗英はモップを手放していた。
不規則な動きを見せて、モップが宮地の足元に転がる。宮地は『さっ』と足でモップを引き戻す。
「紗英……」
飯塚が残念そうな顔をしながら、立ち上がる。
武器のなくなった紗英は、中山先生との距離をとる。
宮地は噛みつかれないよう、モップで牽制する。飯塚がもう一度、バットを構える。
「ミヤジ、足元にモップを突っ込んで、動きを止めろ」
「足に?」
「右足と左足の間にモップを入れて、足を動かないようにモップを押し込め」
宮地はなんとなく飯塚の言っていることを理解した。
「タイミングが重要だぞ」
「うん」
飯塚が、宮地に向かって、手で『待て』と合図する。
中山先生の肩が右肩、右足、左肩…… と動いた瞬間、手が振り下ろされた。
「今だ!」
宮地はモップを足の間目掛けて突く。タイミングよく足の間に棒が入ると、飯塚が指示する。
「棒の手元を左に押し込め!」
宮地は言われた通りに、中山先生の右手側、宮地たちの左手側に押し込んだ。
モップの棒が中山先生の足の動きを阻害する。
「うおおおお!」
飯塚が中山先生の頭を落としに、金属バットをフルスイングする。
今度こそ決まった。
その場にいた三人がそう思った。
飯塚には手ごたえもあったのだが……
「また?」
飯塚の振り込んだ金属バットは、中山先生の腕に阻まれ、頭を捉えることが出来なかった。
腕は歪んで、だらりと下がった。もう二度と使えないだろうけれど……
「まさか、腕を振り上げるなんて」
ゾンビは手も使えない、腕も上げられない、無防備な生き物なはずだった。すくなくともこの中山先生に出会うまでのゾンビは、すべてそうだったのだ。
それが、この場にきて、機敏に反応して攻撃を避け、腕を使ってきたのだ。
生きた人間のように。
「!」
中山先生は、怯んでいる飯塚との間を詰めてくる。
残忍な赤色をした口が開かれ、そこから体液が流れ落ちる。
「紗英、退け!」
真っ暗な廊下が、その声と同時に煌々と照らされた。
宮地は何が起こったか分からなかった。ただ、中山先生には何が起こったのか、感じていた。
中山先生の背中から炎が上がる。
飯塚に噛みつくどころではない。
肩を回しながら、ゆっくりと振り返る。
その先に居たのはケンだった。
ケンは、ロウソクを持ってそこに立っていた。
「ケン!」
宮地が叫ぶと、ケンはロウソクを少し突き出し、右手に持った何かを操作した。
『シュー』という音がしたかと思うと、パッと燃え始め、炎が中山先生に吹き付けられる。
「火炎放射器?」
中山先生のタンクトップは燃え落ち、今度は、肉体自体が燃え始めていた。
飯塚のバットを受けた方の腕は、皮膚が落ち、骨が見えた。
もう、中山先生は、ケンの方に進むことも出来なくなって、がっくりと膝をついた。
炎は弱まることなく、激しさを増していた。四人は数時間前まで担任の教師であったそれが焼けていくのを見つめながら、黙って立っていた。
ゾンビは人間ではなく、乾いた可燃性の物体なのだ、と宮地は思った。乾いて、すぐ焼けてしまう肉体。恐怖に体が震えた。
飯塚がケンにたずねる。
「それなんだよ」
「スプレー缶だよ。お兄ちゃんとよく怪獣ごっこして遊んだから、知ってるんだ。『かえんせい』って書いてあるだろ」
「それは可燃性だよ」
飯塚はそう言った後、頭を下げた。
「ケン。ありがとう。危ないところだった」
その時、宮地の背後の扉に何かがぶつかる音がした。
振り返ると、扉の小さな窓に人のような影が見えた。
「もう来たのか……」
「それより、みんな。教室から校庭を見てくれ」
とケンが言った。宮地が心配になってきく。
「飯塚、燃えてるまま、残していていいのか」
「放っておいても、この床、燃えないだろ」




