20
少し食べて、気分が落ち着いてくると窓の外の山に、夕陽がかかり始めた。
「やばいな。本格的に暗くなる」
宮地が言うと、ケンがひらめいたように手を叩いた。
「そうだ。宿直室にロウソクがあったはずだ」
「取って来る」
「ミヤジ待って。私も行く。それと、傘を持っていきましょう」
「?」
「何か出るかも知れない」
確かに、さっきは学校に誰もいなかったが、今も同じとは限らない。ゾンビが出て対処できないのは致命的だった。
「わかった」
「ケンは来ないの」
「めんどくさいもん。二人でいってらっしゃい~」
そう言って『よっちゃんイカ』をくちゃくちゃと音を立てて食べている。
「いきましょ」
紗英と宮地は傘を握りしめて廊下に出た。夕陽と反対側になっている廊下は、教室より暗かった。
気温も少し下がって来たように宮地は感じ、体が震えた。
「怖いわけじゃなくて、寒いからだよ」
「そうね、確かに少し寒くなった気がする」
紗英が体を寄せてくると、体の震えが伝わってくる。
「!」
宮地が気付いたように顔を見ると、紗英は言った。
「怖いんじゃなくて、寒いからっ」
二人は笑った。
暗いため、ゆっくりと階段をおりていく。余りに暗くて見えない所に、傘の先端をスッと押し込む…… 何もない。
宿直室は職員室の並びにあった。二人は体を寄せ合いならがら、慎重に廊下を進んだ。
「おかしいな『ザップ』がいたはずなのに」
職員室は暗いままだった。
残っている生徒がいるのに、そのまま先生が帰ってしまうだろうか。こんなに暗ければ、先生もロウソクとかと点けるに違いない、と宮地は考える。
それに職員室の扉が少し開いていた。人が半身になれば通れるぐらいの隙間だった。宮地は自分がここから出た時に、こんな半端に開けたつもりはなかった。きっちり閉めたはずだ。
宮地は紗英に確認する。
「職員室開けてみる?」
「……」
紗英はうなずいた。
宮地が扉に手をかけて、ガラッと音を立てて職員室の扉を開く。暗い中並ぶ机がうっすら見えるだけで、人影は見えない。
「先生? 中山先生?」
宮地の声にも反応がない。職員室をざっと一通り見回すと、二人は入った扉から職員室を出た。半開きにはせずに、きっちりと扉を閉めた。
さらに廊下を進み、暗くて読み取り辛かったが『宿直室』と書かれたプレートを見つけた。
「ここだ。紗英、入ったことある?」
「……入ってはないけど、中を覗いたことがあるかな」
宮地はドアノブに手を掛けると、ひねって引いた。
「あれ?」
今度は扉を押してみた。
『ガシャ』と音だけがして、扉は動かない。
「鍵がかかってる」
「そうだ」
紗英が言った。
「ちょっと宿直室を見てみた時も、先生が鍵を使ってた」
「じゃあ、駄目だね」
「待って、その時鍵って、職員室の壁に引っ掛けてあったと思ったよ」
少しだけ廊下を戻って、職員室のもう一つの扉を開ける。
壁沿いにフックが並んでついていて、いくつも鍵がぶら下がっていた。
「どれだろう…… 暗くて字が読みずらい」
宮地は職員室を眺めると、キャビネットの上に立ててある懐中電灯のらしきものを見つけた。
「ミヤジ、どこいくの」
紗英が気付いてそう言うと、紗英の目に光が入ってきた。
「まぶしい」
「ほら、懐中電灯があったよ。これでよくない?」
宮地は、あちこちを照らして見せる。
「ダメ。これは歩いたりするには都合がいいけど、長く光らせ続けるには都合が悪いわ。ちょうどいいからそれで鍵を見つけて」
宮地は紗英のいる壁を照らして、鍵を探した。
「あった。宿直室って書いてある」
宮地は鍵の並びから一つのカギに目をつけた。
「はやく行こうよ」
紗英が手招きする時に、一つのカギをパッと手に取って、ポケットにしまった。
二人はその鍵を持って職員室を出て、宿直室の鍵を開けた。
懐中電灯のおかげで、難なくロウソクとマッチを探しあてた。
二人は宿直室を出ると、上の階に向かう階段に向かった。
『ガタッ』
と職員室側から物音が聞こえた。
二人は立ち止まった。宮地が、ゆっくりと職員室の扉に懐中電灯の光をあてる。
「いやっ」
扉に体を預けて立っているように扉のすりガラスに人の頭のような影が見える。
宮地は近づいていこうとする。
「どうするの?」
紗英が呼び止める。
「だって、中山先生かも」
「呼びかければいいじゃない」
宮地は自分が母に言ったことを思いだした。『話しかけても返事をしない人に、扉を開けてはいけない』これは宮地の家の約束だった。
「先生? 中山先生?」
『ガタッ』と音がして、『ガタガタッ』と何かが押し付けれられるように音がした。しかし、返ってくる言葉はなかった。
「先生! 中山先生!」
今度は紗英が呼びかけた。紗英の声に、その人影は反応しなかった。
「……どうしよう、ミヤジ」
「ど、どうしようって?」
宮地はかっこよく決断したかった。
「逃げよう」
「わかった」
紗英は先に階段を上がって行く。宮地の懐中電灯の灯りが追い付かない。
「待って、まって紗英」
宮地はどんどん先に上がって行く紗英に追い付こうと必死に階段をのぼる。
自分たちの教室のフロアに着くと、紗英がいきなり立ち止まった。
宮地は勢いあまって紗英にぶつかった。
「ご、ごめん」
「ミヤジ、ちょっと懐中電灯」
紗英の手が宮地の方に伸びてくる。
宮地は紗英がなぜ急に立ち止まったのか、理由が分かった。
自分たちの教室の扉の方から、何か物音が聞こえてくる。扉を開けようとしてもがいているような、そんな風に思えた。
紗英の手が宮地の懐中電灯にかかると、紗英の手が宮地の手ごと先を照らした。
「誰?」
暗い廊下をスッと光が伸びて、扉を照らす。革靴とスーツのズボンが見える。
「先生?」
紗英が少し後ずさりする。宮地は懐中電灯の手を動かし、照らす先上げていく。
ダークブルーに薄いストライブが入ったスーツ。
顔が照らし出される。静脈が浮き出たような首や頬の皮膚は青黒かった。
「ゾ、ゾンビ……」
声と同じように、照らしている懐中電灯の光も震える。
「教頭先生!」
「紗英、あれ教頭先生なの? 教頭先生、ゾンビになった?」
金属が擦り合わさるような音がすると、教頭が二人の方に向き直る。
どこに焦点が合っているのかさっぱりわからない目が、見つめる。
肩を回して、右肩が前に、つられるように右足が出て、左肩、左足…… ゆっくり二人に向かって進んでくる。
「どうしよう……」
紗英が宮地の後ろに回ってしがみつく。
「さっき見たろ、あいつは扉を開けれない。先に教室に入って、扉を閉めてしまえば……」
「!」
紗英は宮地の言葉に何かを思い出したようだった。紗英の顔を見て、宮地は思いだした。
『ケン!』
二人は声を合わせてそう言った。
教頭に噛みつかれてゾンビ化してしまったのだろうか、それとも宮地と同じように『話しかけても返事をしない人に、扉を開けない』というルールを知っていて、教頭を教室に入れなかっただろうか。
「ミヤジ、とにかくそこの教室に入ろう」
「けどケンと離れ離れになっちゃう」
「いいから、このままただ後ろに下がっていると、いつか教頭につかまっちゃう」
「う、うん」
紗英が引っ張るままに二人は教室に入って扉を閉める。
「ミヤジ、こっち」
紗英は窓際に進んで窓の鍵を開ける。
「どうするの?」
紗英は窓から身を乗り出す。
月が出たのか、外の方がそれなりに明るい。
「窓の下の…… この縁に立って、私たちの教室に戻るの」
紗英はロウソクを上着の内側に差し入れて、宮地も同じように懐中電灯を上着の内側に入れた。
「けど、傘はどうするの? 両手使わないと、こんな細いのをつたっていけないよ。けど、傘ないと、武器が無くなっちゃう」
「そんなこと後で考えればいいでしょ。とにかく、ケンのところに行って、ケンに知らせないと」
紗英の真剣な表情に、宮地はうなずいた。
紗英は傘を置き、宮地は両手を使える状況にして傘を持っていけるように、腰のベルトに傘を引っ掛けた。
身軽な紗英は簡単に窓の外に出て、カニのように横歩きで自分たちの教室へ向かう。
宮地は窓から外に出るときに、傘を窓枠に引っ掛けてしまう。
「うわっ!」
引っ掛けた傘を通そうとして、危うく体ごと落ちるところだった。傘はベルトにギリギリ引っかかっている。
「ミヤジ、大丈夫?」
紗英の声に、宮地はうなずく。
「慎重にね」
紗英は右手を横にずらし、右足を同じようにずらす。そしてゆっくり左手、左足を引き付ける。
紗英より小さい宮地は、紗英が一回で進む距離を、三回も四回もすりながら進まねばならない。
「わっ!」
宮地が右足を滑らせてしまう。
ベルトにぶら下がっていた、傘がその揺れでベルトから落ちる。
傘が落ちた音がするまでの間が、この場所の高さを教えた。
足を壁に擦り付け、なんとか足をもとの縁に乗せたが、宮地の心のなかに『ここから落ちたら』という恐怖が頭をもたげてくる。
そして、思わず下を見てしまう。
高い。ここから落ちたら、あの手洗い場に体を打ちつけて死んでしまう。宮地はそう考えて、進むことも戻ることも出来なくなってしまった。
「怖い……」
「ミヤジ、だめ、下をみないで。こっちだけ見て」
言葉で宮地を勇気づけるが、紗英だって怖いことは変わりなかった。
戻って宮地を引っ張って進めたら、どれだけいいか。しかし紗英も戻って、さらに宮地に手を貸すほどの力はない。言葉で勇気づけるしなかない。
「駄目だ…… だめ、もう進めないし戻れない……」
「ミヤジ、だめだよそんなこと言ったら。ほら、ミヤジが教室に入れたら、教室に入れたら……」
紗英は目をつぶって決心した。
「ミヤジとチューする」
「!」
宮地は目を丸くして、紗英を見つめた。
女の子にこんなことを言わせてしまうなんて…… 宮地は自信の発言を情けなく思った。紗英だってこの移動はきつくて、つらいはずなのに、こっちを奮い立たせるように思いやってくれている。好きな子にこんなことを言わせて、何もやる気をみせないなんて、そんなんじゃダメだ。
「ごめん」
「駄目だよ、ミヤジ、頑張るんだよ!」
「ちがうよ。頑張るよ。頑張るから、紗英も頑張って」
紗英が、少しだけ笑顔になった。
「うん!」
二人は教室の窓に到達した。
片手を縁から離し、窓を横に動かそうとする。
ビクともしない。
「開かない?」
飯塚とケンがこの窓を開けて外を見ていたはずだ。だから、開けられる、と思っていた。
今度は宮地が片手を離し、窓ガラスに手を押し付けて開こうとする。
やはりビクともしない。
宮地が、頭を動かして確認すると、クレセント錠がかかっている。
「鍵かかってる」
ケンがこんな時に鍵をかけるなんて……
「ケン! 鍵開けて!」
紗英が呼びかける。
二人は窓の外から教室の中を見回すが、ケンの姿が見えない。
もう一度、片手を離して、窓を『ドンドン』と音がするぐらい叩く。
「ケン! 窓を開けて、早く!」
「ケン!」
教室の後ろの方で、誰かが立ち上がる。
「ケン! こっち!」
ケンが目をこすりながら、窓の鍵を開ける。
「どうしたの? なんで窓から来るの?」
「話は後……」
開いた窓から、紗英が教室に入る。
中に入ると、すぐに宮地に手を貸した。
「ミヤジ!」
宮地は紗英に引っ張り込まれるように教室に入った。
勢いあまって倒れた紗英に、宮地の体が重なってしまう。
紗英は宮地をぎゅっと抱きしめると、目を閉じて唇を重ねた。
「やくそくだもん」
宮地は目を丸くしていた。
「で、どうしたんだ?」
ケンは机の影で、二人の様子が見えてないようだった。
二人は慌てて立ち上がる。
「教頭が、教頭がゾンビになった!」




