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 霧が追いかけてくる中を、飯塚と宮地は走って道まで戻って来た。先に林の中の通り道で待っていたケンと紗英に合流する。

 四人が顔を見合わせる。

 疲れたのか宮地が膝に手をついて、息を整えていると、気付いたように紗英が口を開いた。

「ねぇ、松崎さんは?」

「それは……」

 宮地がそのまま答えないでいると、飯塚が代わりに言う。

「子犬を探しに戻った」

 視線を落としている飯塚と、宮地の顔をかわるがわる見ながら、紗英が言う。

「えっ? なんで一緒に探してあげないの?」

「それは……」

 言いかけて宮地は再び黙ってしまった。紗英の視線が『痛い』そんな風に感じた。

 うつむいたまま飯塚が言った。

「『ダブルオー』が自分を追うな、と言ったんだ。そんで、こっちを突き飛ばして、あの人、一人で子犬を探しに戻ってしまった」

「……」

「霧が出てきてる。早くここから出ないと……」

 宮地が林を抜けようとするが、紗英は指をあごに当てて悩んでいる。

「けど、松崎さんが……」

「大人なんだから、大丈夫だよ。子犬をここで見つけて、子犬に餌をあげに、いっつも来ていたんだ。こっちより林のことには詳しいはずだ」

「……」

 宮地が紗英の手を取って言う。

「紗英、まずは自分たちの心配をしないと」

 全員が顔を見合わせて、静かにうなずいた。

 四人は林を抜けると、口数少なく、それぞれの家路についた。

 何度も何度も、宮地の頭の中に松崎さんのことが思い返された。本当に見捨てて良かったのか。しかし、あの霧の中、見えもしない姿を追いかけて林に入っていったら、おそらく自分も…… と考えて、ブルっと震えた。

「ただいま」

 勝手口は鍵が掛かっておらず、そのまま扉が開いた。

「!」

 まずい。

 宮地は家に入ると、音を立てないようにそっと扉を閉めた。そして、この国の一般的な慣例に反して、靴のまま家に上がった。

 頭の中に『ゾンビがいる』と言う考えが浮かんでいたからだ。 

 家にゾンビがいて、もし母が噛みつかれていたら、どうすればいい。宮地は悩んだ。ゾンビに噛まれてしまったら、助けられない。だから、母を放置して逃げるべきなのだろうか。それとも自分も母に噛まれてゾンビになればよいのだろうか。自分が噛まれないようにして、病院に連れて行けるだろうか。

 勝手口から入った部屋には誰もいなかった。

 部屋の曲がり角から先を覗き、何もいないことを確認すると先に進む。階段まで来たら一歩一歩、足音を立てないように上がって行く。

 階段を上りきると、奥の部屋から物音が聞こえた。

 宮地は背中を壁につけて、そっと近づいていく。部屋のドアノブをゆっくり回すと、扉を開ける。

 徐々に顔を動かして、その隙間から中を覗く。部屋の中には誰もいない。じゃあ、物音はどこから? 窓だ、窓が開いている。

 宮地は音が出ないように大きく扉を開けて、すり抜けるようにして部屋に入る。

 開いた窓から、再び物音が聞こえてくる。

「うわっ!」

 宮地は人影に驚いて、部屋の中で尻餅をついた。

 窓の外には、母が洗濯ものを両手に広げて、物干し竿(ざお)に引っ掛けているところだった。

「あら、お帰り」

 宮地は母の姿をつま先から頭のてっぺんまで、何度も見返した。

「?」

「お母さん?」

「なあに? あれ、靴! 靴履いて部屋に入るって、あんた頭おかしくなったの?」

 宮地は、慌てて靴を手に持つと、言った。

「いや、勝手口が開いてたから、泥棒かなにかいるんじゃないかって」

 宮地は母に『ゾンビ』と言っても信じてもらえないだろうと思って、とっさに『ゾンビ』を『泥棒』と言い換えていた。

「あら、鍵開けっ放しだったかしら…… ま、それにしても心配性ね。泥棒はいないわよ」

「うん。よかった。けど、本当に物騒だから、鍵かけて。話しかけても返事しない人が来たら絶対玄関を開けちゃダメだよ」

「よく覚えているわね。大丈夫。それをあなたに教えた本人なんだから」

「約束だよ」

 宮地は、靴を手で持って勝手口に戻っていった。

 靴を玄関に置いた時、チャイムが鳴った。

 宮地の中で『ゾンビが来たのでは』という警戒心が働いた。

「どなた?」

「ミヤジ!」

「えっ? さ、紗英?」

「ミヤジ、早く開けて」

 声は紗英のもので間違いなかった。けれど…… もしこれが…… 宮地はそれを疑いきることが出来なかった。

 玄関を開けて飛び出していた。

「どうしたの紗英?」

「ミヤジ!」

 紗英の姿を確認するかしないかのタイミングで、宮地はきつく抱きしめられた。

 背の低い宮地は、紗英に抱き着かれて何も見えなかった。暖かくてやわらかい感触と、いい匂いだけが宮地を包み込んだ。

「ど、どうしたの紗英」

 そう言うと、ようやく紗英は体を離した。

 見ると、紗英は涙を流している。

「お母さんが…… お母さんが……」

「えっ? お母さん? 紗英のお母さん?」

 紗英はうなずく。

「とりあえず、紗英の家に行こう。お母さんに話してくるから、とりあえず玄関に入って」

 宮地は紗英を玄関の中にいれて、扉の鍵を閉めた。そして慌てて二階に上がって、洗濯ものを干している母に言った。

「これからちょっと紗英の家に行ってくる」

「はい。いってらっしゃい」

「……」

 母は宮地の様子をみて首を傾げた。

「今、この街で『変なこと』がいっぱい起きているんだ。さっき言った通り、返事しない人が来ても絶対に玄関を開けてはダメだよ。たとえボクの姿をしていても」

「?」

「お願いだよ」

 宮地が言うと、母は手招きした。宮地は、母に近づくと、母は宮地を抱きしめた。

「わかったわ。いう通りにする」

「……じゃ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

 宮地は踵を返すと、急いで階段を下りた。

 玄関先の傘立てから、太くて大きな傘を一本、手に持った。

「紗英も使う?」

 そう言うと、紗英も傘を一つ選んで手に取った。

「ケンと飯塚も呼ぼう。ちょっと待って、電話するから」

 紗英は袖で涙をぬぐいながらうなずいた。

 ケンの所には電話が通じたが、飯塚の所はずっと話し中だった。

 宮地は諦めて言った。

「飯塚のところは通じない。ずっと話し中。とにかく、行こう」

 紗英は何も言わずにうなずいた。

 紗英の家の前で、ケンが待っていた。

「どうしたんだ?」

「紗英のお母さんが」

 宮地がそう話しても、紗英は黙っている。

「……」

「とにかく確かめよう」

「なんで二人とも傘持ってるの?」

「武器…… かな。ケンも何か……」

「電話で言ってよ。何にも持ってこなかった」

 ようやく紗英が口を開いた。か細い、小さな声だった。

(うち)の玄関にも、傘あるから」

「お、おう」

 ケンはサエの様子がおかしいことに気付いたように、小さい声でそう答えた。

 宮地が紗英の家の玄関にたって、振り返ると、紗英は「鍵はかかってないわ」と言った。

 宮地は同意を求めるようにうなずくと、ケンと紗英もうなずいた。

 ガッ、と音を立てて勢いよく扉を開ける。

 紗英の家。

 初めて訪ねる女の子の家、それが、こんな状況で訪れるなんて。宮地は少し残念な気持ちになった。

 家の中に入ろうとすると、傘を抜き取りながらケンが言った。

「お、おい、ミヤジ! 靴脱げよ」

 後ろから、紗英が小さい声で言った。

「いいの。ケンも靴のまま上がって」

「外国のお家みたいんだな」

「……」

 紗英はケンの言葉に反応しなかった。

「どっち」

 宮地が言うと、紗英は「左」と答えた。

 左に進んでいくと、洗濯機が回っている音が聞こえてくる。

 ゴン、ゴン、ゴン、と回転するドラムとそれに伴って洗濯機全体が揺れる音がした。

 突き当たりが洗濯機のあるお風呂場のあたりに見えた。

 人影がある。

 髪を後ろで縛って、ポニーテールにしている。紗英に似て、スラっとして背が高い。

「お母さん」

 宮地が言った。ケンが言う。

「なんで紗英の家にミヤジのお母さんがいるんだ?」

 宮地は振り返らずに言う。

「ちがうよ、紗英のお母さんだ」

「だって、いま、お母さんって」

「ちょっと黙ってて!」

 紗英が大声を出すと、ケンは黙った。

 紗英の声に反応したのか、洗濯機の方にいる人影が、ゆっくりと振り返る。

 右肩、右足、右肩、右足、右肩、右足。少しずつ、肩から回って振り返るその動き…… 宮地は確信した。

「お母さん!」

 紗英が風呂場の方へ駆けだす。宮地は廊下の壁に手を突っ張って、紗英が行かないように遮る。

「紗英、落ち着いて、紗英!」

 紗英は宮地の腕にしがみつくようにつかまって、泣きながら声にならない声をだしていた。

「残念だけど…… お母さんは亡くなった」

「亡くなったって、死んだってこと?」

 ケンが無神経にそう言った。

「死んだって言ったって、お母さん立ってるじゃん…… あれ…… なんか……」

 紗英の母が風呂場から出てきて、廊下の灯りに照らされた。

 口元だけが生き生きと赤く、歯が牙のように変形していた。肌は青い血管が浮いて見え、まるで皮膚全体が青黒く見える。

 首元に深い傷跡があって、そこから流れ出た血で、着ている服が真っ赤に染まっている。

「ゾ、ゾンビ!」

 ケンが大声で言い放った。

 紗英の鳴き叫ぶ声が、ケンの声に呼応して大きくなった。

 声の大きさと宮地の腕を握る力は比例するように強くなった。宮地は歯を食いしばった。

「に、逃げよう」

「いやぁ……」

 紗英は目に映る現実が受け止められなかった。

 おそらく、自分で母を見た時に、はっきりと理解していたのだろう。だが、どうしてもそれを現実として受け入れられなかった。だから宮地のところに助けを求めてきたのだ。自分の見間違えじゃないか、ということを確かめる為。

 宮地が、あるいはケンや飯塚が、はっきり『母はゾンビだ』と言ってくれれば、訣別できると思ったのだろう。しかし、実際はそれでも受け入れることが出来なかった。突然の母の死。小学生の女の子でなくても、受け入れることは難しいだろう。

 宮地は振り返って、紗英の肩に手を置き、言った。

「紗英。しっかりして。辛いけど、このことをお父さんに伝えないと。そうしないと、知らずに帰って来たお父さんもゾンビされてしまう」

「いやいやいや、お母さんはゾンビなんかじゃない!」

 母親の方へ駆けだそうとする。

 宮地が全力で受け止める。

「だめだよ。紗英まで失う訳にはいかないよ」

「いやよ、お母さん!」

 紗英の力が抜けてくると、宮地が押し返し始める。二人が家の中を戻ってくると、ケンは先に玄関で待っていた。

「ほら、二人とも早く!」

 宮地はうなずき、「紗英、ほら」と言って先を促す。

 紗英の家を出ると、三人は小さな公園まで走った。

 その小さな公園にはボックスがあって、公衆電話が置いてあった。

「お金ないぞ」

「緊急時だから、この赤いボタンを押せばいいんだよ」

 公衆電話から、警察や消防に繋がるように赤い緊急通報のボタンがついていた。宮地はそれを押した。

 受話器を外し、警察に電話する。

『ツー・ツー・ツー』

 話し中の音が繰り返し返ってくる。つながるのか、つながらないのか。

 宮地は受話器を置いて、もう一度繰り返す。やはり『話し中』の音が繰り返し返ってくる。

「どうして! つながらない」

「貸して」

 紗英が電話の前に立って、宮地と代わって電話を掛ける。

 しかし、応答はない。同じように『話し中』を示す音がするばかりだった。

「……」

 ケンが、紗英と宮地の背中をつつく。

「……」

 電話をかけるのに必死な二人は、それを無視して受話器に聞き耳を立てる。

 するとまた、ケンが紗英と宮地の背中をつつく。

「おい、ヤバいぞ」

「……」

 それでも二人は無視して警察への電話をかけ続けた。

 つながらない。回線がパンクしている、とでも言うのだろうか。

 と、ケンが紗英と宮地の背中をつつく。

 その時、奇妙な音が聞こえた。

 林の中で聞いたことがある、金属が金属に擦り付けられるような音。宮地はケンが何を言いたいのかが、なんとなく分かって寒気がした。

「なぁ、ヤバいって。二人とも、無視すんな!」

 その大きな声に、紗英と宮地がケンを振り向く。

 ケンが後ろに手を伸ばす。

 ケンの伸ばした手の先に、小さな公園を囲んでいる柵がある。その柵の周りに、青黒い肌の『生ける屍(ゾンビ)』達が三人を見ていた。

 ゾンビたちは柵を乗り越えることは出来ないらしく、柵にぶつかると方向を変えた。

 柵のない公園の入り口に、到達したゾンビが、順番に、中にいる宮地たち目指してやってくる。右肩、右足、左肩、左足…… と一歩一歩。

 三人は体を寄せ合いながら、じりじりと後ずさりする。

「ま、まさかこんなに増えてるなんて」

「逃げよう!」

「逃げようったって、どこにさ」

 宮地は考えた。頭の中に緊急避難所の看板が浮かんだ。

 まず思いだされた看板に書いてあったのは、この公園だった。もちろん、ここは駄目だ。

「この公園以外の、ほかの避難所って?」

 『家』が良いがそっちへ帰る方向は、公園の入り口方向を見るかぎり、戻れそうにない。

 紗英がボソッと言う。

「……学校」

 宮地も、学校のことを『緊急避難所』と示している看板があったことを思いだす。

 柵を超えれないゾンビを出し抜くには、学校の方に逃げるのは良い考えに思えた。

「それだ! 学校に逃げよう!」




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