12
真っ暗な空の下、真っ白い顔の少年は、ゆらゆらと駅近くの路地を歩いていた。
細い輪郭に細い目、鼻筋に、豆粒のような『ほくろ』があった。真っ白い服はところどころほつれていたり、裂けているところもあった。はだけたり、裂けているところから見える肌は、青黒く、腐ったように見える。そう見ると、顔や手足の見える部分は白粉を塗って、白くしているように思える。
その容姿からも目立つが、小学生が出歩く時間ではなかった為、余計に目立っていた。しかし、話しかけるものはいなかった。
もし知っている人が見たら少年に『小泉』と呼びかけただろう。
すると、路地に派手な電飾を出している店から、客と店員が出てきて少年の前を塞いだ。
ネクタイを額に巻き、顔を真っ赤にしたオヤジとそれに肩を貸しているスーツを着た青年。そして、真っ赤で胸元から肩まで開いた、露出度の高いドレスを着た女性が一人。
「じゃあ、また来てね」
髪をアップにまとめた女性は、軽く手を振り、胸を揺らして言う。それに対して、大きく手を振り上げてオヤジが応える。
「来る来る。ほら、来ちゃったぁ!」
拳を握って、起き上がるように腕を動かす。
「課長、危ないから暴れないでください」
「何が危ないだ、お前が言うか」
青年の方が、そう言って頭を叩かれた。
「課長さん、あんまり叱ると嫌われますよ」
「上司たるものだな、嫌われるぐらいが……」
青年が頭を下げて女性に礼を言った。
「こっからは長いんで。失礼します」
「じゃね」
女性は、こんどは青年の方に小さく手を振る。
酔っぱらったオヤジと青年が去っていくと、女性は後ろにいた少年に気付いた。
駅近くの路地。看板の灯りがあるとは言え暗い場所で、スポットライトを浴びているかのように白い顔。対象的に落ち込んだ目の周り。
鼻筋に、豆粒のように飛び出した『ほくろ』があった。
時間と場所から考えて、少年は一人でここに立っていてはいけない存在だった。
「えっ、ちょっと、あんなこんなところで何してんの?」
顔は真っ白く化粧がされていて、着ている服は真っ白。死装束にしか見えなかった。
「ねぇ、聞いてる? 君の事だよ?」
と、女性が少年の背の高さに合わせて屈み、肩に手をかけた時だった。
少年はいきなり口を開いた。
女性からは見えなかったが、真っ白な肌と違い、口の中は真っ赤で、外見と違って生き生きとしていた。
『何か変だ』そう気付いた瞬間、女性は噛みつかれてしまった。
「うわっ、なに、なにすんの!」
大声をだして、ドン、と少年を突き飛ばすと、女性の肩に突き立っていた歯がポロリ、と路地に落ちる。
少年は全身の力が入っていないかのように、どすん、と尻餅をついた。
「なに、これ。めっちゃ痛い……」
女性は立っているのもつらくなって、店の壁に寄りかかる。
少年はグラグラしながらも立ち上がって、また路地を進み始める。
「何したの、ねぇ、あんた何……」
派手な格好の女性は、壁にもたれながら座り込んでしまった。
しばらくして、路地に別のオヤジがやってくると、座り込んだ女性に声を掛けた。
「おっ、こんなところにおっぱいが落ちてる」
オヤジは、座り込んだ女性にそう言ったつもりだったが、女性の反応がないのをみて、態度を変えた。
「おい、こんなところで寝てると風邪ひくぞ」
肩を揺するが、女性の反応はない。
「おい、起きろ」
音に反応したのか、女性は壁に背中を擦りながら立ち上がる。
肩の開いたドレスがずり落ちて、下着が見えてしまっている。
「相当酔っぱらってるな、おい」
オヤジが、自分の上着を抜いて、女性にかけようと近づく。
壁と擦れた背中に引っかき傷のような紫色のスジがついていた。
「だ、大丈夫か?」
オヤジが上着をかけようとした瞬間、女性は顔を上げ、大きな口を開いた。
避ける間もなくオヤジの首筋に歯を立てた。
「うわああああっ!」
白いワイシャツがアッと言う間に真っ赤に染まる。
オヤジが押し返そうとしても、女性の顔は、突き立てた歯は、オヤジの肩に食い込んで離れない。
「痛い痛い!」
女性が出てきた店から、黒服が出てくる。
「おにいちゃん助けてくれ」
オヤジが言うと、状況を把握して即座に女性の頭を『グイッ』と引っ張る。
「こら、お前何しやがる」
肩から女性を引きはがした黒服は間髪入れずに女性の頬を平手打ち…… したはずだった。
「ギャー!」
黒服の叫び。
手は女性が大きく開いた口の中に挟まれ、血が腕を伝って肘からポタポタと垂れる。
必死に手を抜こうとするが、ビクともしない。抜こうとすれば抜こうとするだけ、傷口が広がっていく。
「バカ、離せ、離せ!」
左手で引きはがそうと手で押すが、手は抜けない。黒服は拳を握って、何度も殴る。痛みを感じないのか、女性は表情一つ変えない。
「離せ、離せって言ってるだろ!」
「どうした?」
店からもう一人、男が出来てきた。
見たままの状況から、とにかく黒服の手を女性の口から外す為、顎と額を押し広げた。
「抜けっ!」
黒服の手が抜ける。手の甲に人間の歯型とは思えないような丸い穴がいくつもついている。流れ出る血が止まらない。
黒服の様子を見て、男は女性に言う。
「メイコ。お前なんてことしやがる!」
「ゾんび……」
黒服はそう言いかけて顔を地面に向けたまま倒れてしまう。
「カズヤ? おい、カズヤ、今、なんて言った?」
次々に噛みつかれてゾンビ化しているのだが、全体を把握している者がいない為に、何が起こっているのか、誰一人把握できていない。
「おい、カズヤ、どうした、しっかりしろ」
男は、顔面を地面に打ちつけたカズヤの肩を引っ張り、体を起こす。
「いてっ」
ちょっと背中を見せたすきに、メイコと呼ばれる女性に男が噛みつかれてしまう。
「痛いっ、痛い、なんだこれ…… 誰か、救急車……」
翌朝、小学校へ通う通学路をケンと宮地が歩いていると、二人は紗英の後ろ姿を見つけた。
「紗英」
「ああ……」
紗英は大きなあくびをした。
「ケン、ミヤジ、おはよう」
「どうしたの? 眠そうだけど」
「ミヤジは気が付かなかった? 昨日、めっちゃくちゃ救急車が通ったの」
「へぇ…… 寝ちゃうと、音とか気付かないんだよな」
宮地が続ける。
「それより、小泉の遺体のこと、お父さんに言ってみた?」
紗英が視線を落とす。
宮地は少し間を置いて、言う。
「ダメだった?」
「死体遺棄はまずいけど、現時点だと遺体の盗難とかになってしまうから何も動けないんだって」
「よくわからない」
「死体はしかるべき時間内に正しく処理をしないと法律に違反するんだけど、それまでになんとかすればいいだけで、しなかった時になって初めていろいろ出来るらしいの。現時点では警察の捜査も終わって、死亡届も受理されているから、遺失物の扱いなんだって。遺失物は所有者の盗難届がいるって」
「……やっぱりよくわからない」
「小泉のご両親、あるいは葬儀社が『遺体が盗まれた』と言わない限り捜査出来ないということね」
「だから、盗まれたんじゃなくって、死体が勝手に動いて……」
紗英が首を横に振る。
「ごめん。その部分は、お父さんに『バカなことを言うな』って。もうその件について、それ以上言うなって、怒られた」
うつむく紗英の顔を、宮地が見上げるように見て言う。
「ごめん」
「ううん。お父さんがわるいのよ」
「死体が動くなんてちょっと信じ難いしな」
「ケンも見たろう? そういうこと言うか」
「けど、人間と鼠じゃ大きさが違う」
「じゃ、人間より大きい牛が動けば信じるか?」
宮地は歩きながらランドセルをお腹なの方で抱えるように持ち直し、中に入れていた新聞の切り抜きを取り出した。
「なんだよ、それ」
「新聞の切り抜きだよ。昨日の夜、ニュースで言っていた内容が書かれているものさ」
「わりい、ニュースとか見ないし」
「紗英は見た?」
宮地は紗英の方に切り抜きを見せる。
紗英も首を横に振る。
「隣国で、牛の奇病が流行っているんだって」
「なんだよ、急に」
「じゃあ、読むから二人とも聞いて。隣国で牛に流行している奇病が日本にも入って来るかもしれない、というニュースなんだ。この奇病は、牛を死なせてしまう病気らしいんだけど。この病気で、死んだまま放置していた牛が『再び立ち上がった』ということが、あったらしい」
「はあ?」
「どうやら、病気が作り出す異常タンパクが死んだ牛の体を動かしているらしい。人間にうつるかはわからないけど、その病気にかかった牛の肉は食べるなと政府が発表しているって」
「怖いわね。知らずに、いつの間にか食べてたりして」
「それと、この牛の病気の原因になるのが、牛が食べている飼料にあるらしいんだけど。一部疑いをかけられているのがこれ」
宮地が新聞の切り抜きの中の写真を指さす。
形としてはキノコそのものだった。白黒の新聞では形で、キノコだと分かるものの、色あいまではわからない。
「新聞の切り抜きだとわからないけど。テレビで見た時は色がついてたから、どこかで見たことがあるな、って」
宮地はランドセルからもう一つ、何かを取り出す。
二人に見えるか見えないか、というタイミングで、自転車の鈴が鳴る。
宮地は出しかけたものをランドセルに戻す。
目を剥いて、正面を睨みつけるように凝視した女性が自転車に跨り、すごい勢いで走ってくる。
『ダブルオー』と、飯塚が勝手につけたあだ名のその女性は、おかっぱ髪で、頬は何か含んでいる感じに膨らんでいる。体も顔と同様に太っていた。どう見ても、速く自転車をこげるとは思えないのだが、その太い足がグイグイとペダルを回し、飛ばしてくる。
そして、宮地たちの脇を通り過ぎると、勢いをそのままに走り去っていく。
何か『ピン』と来たように手のひらをポンと叩く紗英。
「まさか」
と言って、ケンもランドセルと通り過ぎた自転車を交互に指差す。
宮地がうなずく。
「キノコ。給食に出たやつ」




