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 夕方。

 陽が沈む方向に、遠くの山々が見える。

 反対の方向は、暗く沈んでいくような林があった。

 何が怖いわけでも、寒いわけでもないのに宮地(みやじ)はぶるっと震えた。

 下校時刻を過ぎても小学校の校庭で遊び続けたせいで『お家に帰りましょう』という意味の、地域に流れる放送はすでに鳴り終わっていた。

 一緒に遊んでいた友達は、別々の方向へ、バラバラに帰っていく。

 中学の兄弟がいる子は、隣の中学に向かったし、塾がある子は親が迎えに来ていた。

 兄弟も、塾にいく必要もない宮地(みやじ)は一人になっていた。

 夕日が見えなくなると、あたりが一気に暗くなった。宮地は意味なく震える体を、無理やり押さえて決断した。

『林を抜けて帰ろう』

 学校から家への近道が、林の中を突っ切る道だった。

 林の道は、定められた正しい通学路ではない。宮地(みやじ)達の地域の子は、立ち入ってはいけないとされている道だった。

 明るいうちは問題ないが、暗くなると電気が通っていない道は暗く、舗装していない曲がりくねった道は転んだり、道に迷うことが考えられた。

「大人たちは通るのに」

 宮地(みやじ)はさみしいからなのか、誰もいない空間に向かって声に出して言っていた。

 宮地の通う小学校から出て、坂を下り、左右に広がる田んぼを通り抜けると、川があった。

 橋に回り込んで、渡ると、さっき下った分だけ上っていく道がある。その途中から明かりが消えていて、その薄暗い『林』になっている。

 宮地は寒いわけではないのに、ブルっと一度震えると、小さく頷いて、小走りに坂道を上がって行った。

 サッカーチームや草野球など、運動をしていたわけではない宮地は、その坂の半ばで息が切れた。

「はぁ、はぁ……」

 膝に手をついて、体を曲げて休むと、木の枝が『ザワッ』と音を立てた。

「……」

 宮地は風も吹いていないのに音がしたのに驚き、辺りを見回した。

 何もいなかった。

 いや、何もいなかった、というより何かを確認できるほど明るさがなかった。さらに言えば、坂道左右に曲がりくねっていて、アップダウンもある。そこここに死角があり、それらのどこにでも隠れることが可能と思われた。

 ここ、林の入り口まで来て、宮地は後悔していた。

 しかし、いつもの通学路、正しい通学路に戻るには、橋を戻って、田んぼを戻り、大きな道へ戻らねばならなかった。

 これ以上帰宅時間が遅れると、間違いなく両親に怒られる。

 宮地は進むか戻るか、二つの道で迷った末、林の中を進むことに決めた。

 自分の呼吸だけが聞こえてくる真っ暗な林の中の道を、ゆっくりと登っていく。

 すでに道は舗装がなくなっていて、すこし湿気があるせいか、何度か足を滑らせた。

 足元に注意しながら進むと、何か奇妙な鳴き声が聞こえた。

 立ち止まって辺りを見回すと、スッと足に触るものを感じた。

「うっ……」

 宮地は慌てて飛び退くものの、足に触ったものが何かは分からなかった。

 見回しても見回しても正体が分からず、次第に恐怖だけが膨らんでいた。

 恐怖の理由は、そこが、ただ暗い、変な鳴き声が聞こえる、というだけが原因ではなかった。

 この先の林の中に、宮地たち小学生の間で『ミイラー』と呼んでいるおじさんの小屋があるからだ。

 そのおじさんは、頬がこけ、頭は剥げかかっていた。わずかに残っている頭髪も、白髪で、無精なのか切らずにいるせいで、髪の毛は肩まで垂れていた。

 口を開くと残っている数本の歯が、虫歯として目に入る。頭や(あご)の骨、首元の骨やあばら骨も浮いて見えていて、手の甲も、皮の下の筋と骨がはっきりわかるくらい痩せていた。

 生きたミイラのようなおじさん。ついた呼び名が『ミイラ―』だった。

 『ミイラ―』の小屋は、薄汚れたトタン屋根の掘っ建て小屋だった。小屋を覆う板の何枚かは剥がれ、壊れていた。

 小屋の周囲に用をたす穴が掘ってあって、近づくと糞尿の匂いがする。

 今、その小屋から、『ミイラ―』が出てきたら……

 宮地は想像して怖くなった。

 林の道は、急いで走って通り抜けようと思い、宮地は坂を上りきったら、ダッシュしようと考えていた。

「!」

 坂を上がり切ったところで、再び足に触れるものがあった。

 足元をじっと見るが、やはり何もいない。

 恐怖が全身を覆う前に、宮地は走り出していた。

 暗い林の中の道を走っていると、突然足を取られて宮地は転んでしまった。

「うわっ!」

 どうやら、水はなかったものの土の表面が緩いねんどのようになっていて、その上で足を滑らせてしまったようだった。

 倒れた場所も同じように濡れた土が粘土のようになっていて、体中に張り付くようだった。

 顔を上げると、鼠がいた。宮地の手のひらより大きな鼠が目に映った。

「あっ!」

 慌てて立ち上がろうとして、また足を取られた。今度はお尻と背中に泥をつけてしまった。

「……」

 鼠が素早く近づいてきて、口を開く。宮地はパッと手を退けた。

 鼠は急に鳴き声を上げ、腹を上にしてひっくり返る。

 バタバタともがくように足が空をかいていると思うと、ぴったりと止まった。

「死んだ……」

 なおも鼠の死体を見つめていると、鼠の体は痙攣(けいれん)するようにくねった。

 宮地は気味悪さに手を口に当てる。

 鼠はなおもうごめいていると、鼠の皮膚、短毛の下にもぐりこんでいる何かが見えた。

「虫?」

 右に左にカーブを描きながら、皮膚が持ち上がる。宮地は気味悪いながらも、鼠の皮膚の下にいる『何か』を知らなければならないような気がしていた。

 その何かが通り過ぎた後の鼠の皮膚は、盛り上がり、時には裂けて血が出ていた。そのカーブが鼠の頭に至り、目から飛び出てきた。

 線虫。

 いやどんな名前の生物かは知らないが、白く、うねる芋虫のような生物。

 鼠のまぶたから出てきたかと思うと、先端の尖った口のようなものをパクパクと開閉し、鼠の眼球に食らいついた。

「うわっ」 

 宮地は慌てて立ち上がろうとして何度も足を滑らせる。

 全身が泥だらけになりながら、ようやく立ち上がると、宮地は家の方へ走り出した。

 走っていると、息が切れてくる。

 疲れてきたところで、道の脇にある『ミイラ―』の小屋が見える。

 こんなところで止まるわけにはいかない。

 何かが、いや、『ミイラー』が出てきたら怖すぎる。

 大きく口で息をしながら、小屋の方向をチラチラと見て、意識しながら歩き続ける。

 何も…… 何もうごくものはない。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫、と自らの心に言い聞かせる。

 動くものは…… ない。

 ドン、と何かにぶつかり、宮地の目の前が真っ暗になる。

「!」

 おもわずその正面の闇に両手を突き出すと、何かに押し返され、その暗闇はなくなった。そして、宮地にぶつかったその暗闇の正体が見えた。

「だ、誰?」

 暗い林の暗い道に、真っ黒なシルエットが見える。『ミイラ―』のおじさんと同じぐらい背丈だったが、体が左に傾げて『く』の字に曲がっている。

 曲がった先にある顔が、ゆらっと揺れたかと思うと、宮地に手を伸ばしてきた。

「たっ……」

 助けて、というつもりだった。しかし、恐怖でそれ以上の言葉が出てこない。

 その歪んだ体の上についている頭は、頬の皮膚がはがれ、骨と歯がむき出しになっていた。頭髪は剥がれた皮膚と一緒にところどころ垂れている。目は見開かれたまま瞬きしなかった。体のあちこちに傷があって、血まみれになったような服と体は、黒くなっていた。

 加えて鼻を突く異臭が宮地を追った。

 死体。

 立ち上がっている死体、とでもいう形状だった。

 その立ち上がっている死体が、再び、ゆらっ、と反対側に揺れると、宮地の方へ足が踏み出された。

「!」

 宮地は反射的に、揺れて傾いた方の反対側に向かって走り出していた。

 一瞬、立ち上がった死体の腕が背中に伸びてきた気がしたが、それが宮地の体に触れることはなかった。

 さらに大きく、激しく口で息をしながら、宮地は振り返ることなく林を走り切った。





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