第八話 悪魔にも心があるようだ
キラーアント・ソルジャー LV9
蟻型の魔物。低級モンスター。女王蟻の兵隊。各個体は脆弱ながらも、『一匹みたら三十匹はいると思え』と言われるほど、繁殖力が強い。
キラーアントの鋭い前脚が華奢な少女の身体を貫いていた。
腹部を串刺しにされてしまったみすぼらしいローブ姿の少女。串刺し状態のまま、ゆっくりと持ち上げられる少女はぐったりとしており、手足がだらりと垂れ下がっている。
致命傷だ。誰がどう見たってもう助からないだろう。
そして……初めて人が死ぬ瞬間に立ち会ってしまった。なのに……俺の心は動揺するどころか、まるで凪のように静か。
あぁ……俺は心まで悪魔族になっちまったのか。転生する前の俺であったなら、この光景に心が取り乱すはずなんだ。少なくとも心を痛めるはず。なのに……。
何も感じない。それがちょっと悲しくもあり……今後の事を考えれば、良かったのかもしれないと思っている。これから先、こういった光景を何度も見る事になるだろうし、または俺の手で……。
貴重な情報源を失ってしまった。仕方がない。今回は運が悪かった。
そんな乾き切った感想を抱きながら踵を返そうとしたその時。
串刺しにされてしまった少女の左腕が弱々しく持ち上がり……俺の方へと伸ばされ……。
――助……け……て……。
フードの奥。口許から血を流しながらも、微かに唇が動く。
「――ッ!?」
ドクンッ。今まで何の感傷も感じなかった俺の心が激しく脈打つ感覚が。
俺は反射的に少女を串刺しにするキラーアントへと掌を向け、火魔法を放った。
無詠唱。掌から迸るは一条の紅炎。
〈炎威〉によって高められた炎がキラーアントを容赦なく焼き尽くす。
――キシャアア!
断末魔さえ焼き尽くす高温の炎。あっという間に消し炭と化し、持ち上げられていた少女が支えを失って落下。腕を俺の方へ伸ばしたまま地に落ちた。
俺は弾かれるかのようにすぐさま駆け寄り、未だ少女の身体を貫くキラーアントの前脚に手をかけ……引き抜く直前で止まった。
このまま強引に引き抜いちゃダメだ。今は傷口がコイツのおかげで圧迫され、血が止まっているんだ。無茶に引き抜けば、確実に出血死。
だが、このままの状態を保ってもいずれ死んでしまう……どうするべきか……。
「クソッ! 悩んでいる暇はねぇッ!」
みるみるうちに青白くなっていく少女の顔色。残された時間は余りにも少ない。
俺はシステムウィンドウを咄嗟に開き――。
《マスター、サポートします》
ヒイロが俺の意志を汲み取って、目的の項目を即座に表示してくれた。
――サンキュー、ヒイロ!
俺は躊躇いなくその項目を選択。瞬間召喚されるとある物質。
「痛いかもしれねぇが、我慢してくれよッ! 諦めんじゃねぇぞッ!」
キラーアントの前脚を掴みながら声を掛けると、微かに少女が笑った気がした。
想像を絶する痛みが今少女の身体を苛んでいるはずなのに……なんだ、俺なんかよりもよっぽど肝が据わってるじゃねぇか。
自然と笑みを浮かべる俺。そして、ふぅと深く息を吐き出し――そぉらぁぁあ!
力任せに強引に前脚を引っこ抜く。
と、同時に夥しい鮮血が噴き出した。
だが、俺は慌てる事無く、即座に手にした物を風穴にぶっ掛ける。
鮮やかな紫色の液体が風穴に降りかかり……シュウゥゥ~っと、まるで焼きコテを押し付けた時と同じような煙が立ち上った。
「う……うぅ……」
少女の苦悶の声が耳を掠める。だが、俺は目の前で起こる奇跡としか言えない現象に驚き、見入ってしまった。
細胞の一つ一つが活性化し、ぽっかり空いた風穴を埋めていく。まさしく再生だ。
俺はジッと見守り……完全に風穴が塞がったのを見届け、少女の手首を取って脈を確認。規則正しく打つ脈を確認したところで、ふぅと安堵の息を吐き出す。
「何とかなったな……」
いつの間にか少女は気絶していたようだ。土埃やら血やらで薄汚れているものの、整った可愛らしい顔立ちの少女は、安心しきったように安らかに眠っている。
それにしても……このポーションヤベェな。致命傷でも一瞬で回復させやがった。
俺は手の中にあるガラス瓶を見る。
最上級ポーション(空)……HPを80%回復する回復薬。一部欠損の修復も可能。別名エリクサー。使用済み。
……おぉふ。まさかエリクサーだったとはな。咄嗟に選んだからよく詳細を確認してなかったわ。
《そのお値段はなんと! 2000DP!》
……やっちまったかな。
《いえ、マスターの判断は正しいかと。上級ポーション以下では欠損部位の修復は出来ませんので、一命を取り留めたとしても、欠損によって落命は免れませんでした》
今俺が手に入れられるポーションの中では最上級だったエリクサー。まぁこの少女を助ける為には、このエリクサーを選んで正解だったと思おう。ヒイロ曰く、これより安いポーションでは欠損の修復は出来ないらしいし。
因みに、この最上級ポーションの上もあることはある。霊薬(一万DP)に、神薬(百万DP)とかね。
〈分析〉先生の力をもってしても、その詳細は不明。消費DPから想像して、多分死者蘇生とかできちゃいそうだよな。神の薬っていうくらいだし。
さて。折角大枚叩いて助けたんだ。このまま放置って訳にはいかない。
「しゃぁ~ない。連れて帰るか」
俺はそっと少女の身体を持ち上げる。
「――ッ!?」
……軽い、軽すぎる。
改めて少女の身体を抱き上げると、その軽さに愕然とし、その幼さがよく判る。そして、その事実が俺を容赦なく責めているかのように思えてしまった。
こんな幼気な少女を俺は……一度は見捨てようとしたのか……?
俺はダンジョンへ帰る道中、ずっと答えの出ない思考を続けるのであった。
◇ ◇ ◇
道中、特に魔物とエンカウントすることも無く、無事にダンジョンに辿り着いた訳なのだが……ここで想像もしていなかった問題に直面することになる。それは――。
「……部屋が無い」
そう、この少女を休ませる場所が無いのだ。まさかこんな事が問題になるとは思っても無かった。
俺のダンジョンは現在たったの一階層のみ。そして、最奥に六畳一間の俺の居室のみ。あとは洞窟の迷路だけである。
命を救ったとはいえ、この少女の素性も性格も全く知らない。それにこう言っちゃあなんだが部外者だ。その為、流石に俺の居城へは連れて行けない。ダンジョンコアもあることだしね。
はぁ~……仕方がない。作るか、牢屋。
何で牢屋なんだよッ! っていう苦情は受け付けない。だってさ? 部外者なんだよ? 別に俺の配下って訳じゃないんだよ? いくら幼気な少女とは言え、野放しにするほど俺は優しくないのだ、わっはっはっはぁ~。
とまぁ、悪者を演じてみるものの、牢屋とはいえ、多少居住性は快適にしてやろうとは思っている。
六畳の空間に逃亡させない為の鉄格子。安めのベッドと簡素なテーブルと椅子のセット。灯りのランプを置いて……。
……あるぇ? なんか俺の部屋より豪華じゃね? 未だに床に直敷きのお布団だし、テーブルなんてないし……。
何故か、俺の部屋より豪華になってしまったが……気にしないことにした。いつの日にかこの牢屋よりも素晴らしい部屋にしてやるしな、うん。
《私の希望としては、マスターと愛を語り合うキングサイズのベッドを――》
モジモジとした桃髪美少女のイメージをヒイロに提示されるが、即座に消去した。
《もう! 照れちゃって~このぉ~!》
う、うぜぇ……。
とにかく未だ眠ったままの少女をベッドへ寝かせる。
規則正しい寝息で、暫くは目覚めなさそうだ。無理に起こす必要もないしな。
少女の寝顔を確認して、俺は自室に戻った。
「シャン様、おかえりなさいませ」
「おう、ただいま」
軽く手を挙げ、お布団に寝転がる。ちょっと疲れたし、このまま眠っ……て……。
ガバッと、勢いよく起き上がる俺。そして、あわあわと口を閉じたり開いたりして……絶叫。
「だーれぇ!? おま、お前、だーれぇっ!?」
部屋の隅に佇む、少年然とした見知らぬ人。ま、まさか侵入者!?
いつの間にか、俺の居城に侵入してきたのかと、システムウィンドウを起動しログを辿るが……侵入者のログは無かった。
「この姿ではお初にお目にかかります、シャン様。シュヴァートでございます」
慇懃に頭を下げるシュヴァート。……シュヴァート!?
「え? え? お前、シュヴァートなの!?」
「はい。シャン様に名を頂き、進化が完了致しました」
キリッと淀みなく答えるシュヴァート。驚き過ぎて、開いた口が塞がらないよ、俺……。
まさかあのモフモフ狼が、黒髪赤目のショタイケメンくんに成り果てるとは……。
《これはこれは好青年ですね。マスターに弟がいればシュヴァートのような感じですかね?》
そんな感想を述べるヒイロだが……俺は軽口を返すことさえ出来なかった。
「シャ、シャン様!? だ、大丈夫でございますか!? いかがなされましたかッ!?」
俺が辛い現実に打ちひしがれて四つん這いで蹲ると、シュヴァートが慌てて駆け寄って来る。
取り乱すシュヴァートには悪いが……俺は今それどころじゃないんだ。モフモフが……モフモフが……俺の唯一の癒しが……。
「な、何か私が粗相を」
「い、いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。ただ……モフモフが……」
「モフモフ? ――ッ!?」
俺の口から漏れ出てしまった魂の叫びがシュヴァートに届いてしまったようだ。あぁなんて情けない主人だ。そう思われてしまったに違いない。
ふぅ……落ち着こう。シュヴァートが進化したんだ。それは俺にとってもすごく嬉しいこと。なら、主人として祝ってやらなければ。
自分の情けなさを張り倒し、己に活を入れる。
「悪かった、シュヴァート。俺はお前が進化してすごく嬉……し……いっ!?」
顔を上げればそこには、以前よりも体躯が大きくなり、さらにさらに毛並みが凄まじく鮮やかなモフモフがあった。
『シャン様、申し訳御座いません。進化が完了し、新たなスキル「人化」を試したく――』
「モフモフだぁぁぁぁあああ!」
シュヴァートが何か言っていたが、俺はそれどころじゃなかった。永遠に失われてしまったかと絶望していたモフモフが目の前にあるのだ。
俺はシュヴァートに飛び掛かり、パワーアップしたモフモフをしばらく――いや、結構な時間、堪能するのであった。
三日ぶりのモフモフを堪能する事、数時間。
《マスター……いつまでモフモフしているのですか?》
いつになく底冷えするような冷淡な声音。
あれ? まだ十分も経ってな――。
《もう三時間も経ってますっ! そろそろシュヴァートを解放してあげて下さいっ!》
ヒイロの声にハッとし、手の中にいるシュヴァートを見やると、疲労困憊のようにグデェ~っとしていた。
あ、やべ。レベルアップしたモフモフを堪能し過ぎた。
ちょっとモフり過ぎたと反省。シュヴァートが呆れて、今後モフらせてくれなくなってしまっては死活問題だ。手遅れかもしれないが、威厳のある主人を演じる事にしよう。
「ゴホン、取り乱して悪かったな。シュヴァートよ、進化が完了し、俺も嬉しく思う」
目一杯、俺なりの威厳を醸し出しながら祝福する。さて、どうだ……?
『シャン様、ハァハァ……勿体ないお言葉、ハァハァ、誠に、ハァハァ、ありがとうございます』
息も絶え絶えながら、シュヴァートはうるうると瞳を潤ませて感動しているようだった。……チョロい。
別に俺のモフりを嫌がっている素振りは見受けられないので、ちょっぴり一安心。この様子ならこれからもモフらせてくれるだろう。
《出来れば今後は止めて頂きたいのですが……》
ゴルァァ、ヒイロッ! ふざけたことぬかしてんじゃねぇッ!
《………………はぁ》
嘆息するヒイロは無視だ、無視。俺からモフモフを取り上げるなど万死に値するッ!
さて。随分とモフモフして脱線してしまったが、シュヴァートの進化結果を確認しておこうと思う。
名前:シュヴァート LV15
種族:黒牙狼
称号:シャンの眷属
性別:雄
年齢:0才
毛:黒 瞳:赤
特殊能力:〈影移動〉〈影操作〉
技能:「疾駆」「人化」
魔法:「闇魔術(影)」
耐性:「暗闇耐性」
ダークウルフから黒牙狼に種族進化を果たしたようだ。この黒牙狼は魔物召喚項目にも載っていないので、全くの新種ではないだろうか。流石、俺の眷属だ。モフモフも素晴らしいし。
そして、注目なのはやはり特殊能力〈影操作〉だろう。
〈影操作〉……影を自在に操ることが出来る。
試しにシュヴァートに〈影操作〉を使ってもらったところ……。
「おぉ~! 本当に自由自在に動かせるんだな。影の触手って感じだ」
シュヴァートの影がまるで触手のように動き、近くにあった物を持ち上げてみせてくれた。
『しかし、シャン様。操作できる影は私自身の影だけで御座います。強度もまだまだ未熟故、一層研鑽に励み、必ずや使いこなせてみせましょう』
鼻息荒くシュヴァートは意気込む。俺と違って、眷属はホント真面目だよね。
「闇魔術(影)」、「暗闇耐性」は特殊能力〈影操作〉を取得したことによって、発現したスキルのようだ。文字通り影に関係するものばかりである。
因みに、シュヴァートが取得したこれらのスキルは、俺にも還元されている。固有能力『支配者』によって、配下が取得したスキルは自動的に俺も取得可能になるらしい。他人の努力の結晶を奪うなんて……俺、ダメ人間になりそう。
《訂正します。マスターはダメ人間では無く、ダメ悪魔です》
ヒイロよ、その訂正は必要あるのか?
さて、シュヴァートが取得したスキルはもう一つある。それは……。
「そう言えば、「人化」も出来るように――って、おわっ!? ど、どうした!?」
俺が「人化」のことに触れると、滂沱の如く涙を流し始めるシュヴァート。
『も、申し訳御座いません……シャン様。以後、「人化」は……ふ、封印させて頂きます……うぅ……』
な、何故だ!? 何故、そこまで涙する!?
よく判らないがこのまま放置することも出来ず。俺はシュヴァートを落ち着かせながら、その理由を聞き出した。
中々強情で口を割らなかったが、何とか聞き出したことをまとめると……。
・「人化」を取得したのは、どうしても俺と同じ人型形態になりたかったから。
・それに「人化」することによって、主である俺の世話が出来るのではないかと考えた為。
・だが、「人化」状態で俺と対面した際、俺が余りにも落胆した姿を見せてしまったことで、主である俺に不快な思いをさせてしまったと激しく後悔。
・主である俺を悲しませるなど、下僕としてあるまじき行為。以後「人化」は封印する。
とのこと。
《全てマスターのせいではありませんか》
珍しくヒイロに何も言い返せねぇ……。
これはフォローしてやらないといけないな。さて、どういってやればいいのやら……。
「なぁ、シュヴァート。お前は知っているか判らないが、俺はモフモフが好きだ」
『……?』
《……》
突然の告白に、それも既知の事実に思わず涙が止まり、キョトンとするシュヴァート。と、ついでに呆れ果てているヒイロ。
「モフモフはいいぞぉ~。心が癒される。俺にとっては、モフモフタイムはかけがえのない時間なんだ」
『……?』
「けどな。心が癒される時間が大事ってのは……裏を返せば、いつも寂しかったってことでもあるんだよ。俺はこの世界にたった一人、誰も心許せる奴もなく転生しちまった。意識してなかったけど、寂しかったんだと思う」
この世界に来て、初めて己と向き合っている気がする。今までは考えないようにしてきたんだ。
いや……違うな。別にこの世界に来てからじゃない。転生する前も、ずっと独りだった。寂しかったんだろうけど、心がずっと麻痺していただけなんだろうな……。
《マスター……》
俺の記憶を読んでいるヒイロが悲し気な声を出す。
あぁ~……うん。悪い、ヒイロ。お前にも俺は救われているよ。
「悪い、弱音みたくなっちまったな。こういう事を言いたかったわけじゃないんだけどよ。まぁ……なんだ。これからもモフモフはさせてほしい。だけど、俺の世話も頼めるか?」
なんだか小恥ずかしくなり、強引に話を締め括る。すると、シュヴァートの身体が変化していき……。
「シャン様の仰せのままに」
恭しく一礼する人形態のシュヴァート。顔を上げるとそこにはとても嬉しそうな笑みを浮かべているショタがいた。
うん、これからは人形態のシュヴァートは、シュタートと心の中で呼ぼうかしらん。
ちょっと小恥ずかしい場面もあったが、まるく収まり、今後身の回りの世話はショタートに任せる事になった……のだが。
――ガチャンガランゴロゴロドッシャンッ!
……残念ながらショタートはめちゃくちゃ不器用で、今後一切の世話を禁じる俺であった。
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*次回更新日は、2019/8/25 16:00の予定。
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