第三七話 目覚めと進化
「……知らない天井だ」
目を覚ました俺は、寝起きでぼーっとしたまま、そんな有名なセリフを口にした。なんとなく言わなければならない気がしたのである。
「何が『知らない天井』か。ここはおぬしの私室じゃろうが」
呆れたような声が聞こえ、そっちの方へ向くと、そこには窓際に座る白焔龍――いや、ヴィリアの姿が見えた。
ヴィリアを見て、徐々に記憶が蘇っていく。確か俺は、ヴィリアに名を付けて、気絶したんだったよな? 何でか判らないけど、大量の内包魔素が抜けて……あれ? どうして俺は布団に寝かされているんだろうか。
《おそようございます、マスター》
おそよう、ですか……。まぁ確かに外を見れば、すっかり暗くなっているけど。ぐっすり一二時間ほど眠ったのかな。
《いえ、マスターが魔素喪失により気絶してから、凡そ三日経っております。お寝坊さんが過ぎますよ、マスター》
三日も? ひょぇ~、それは正しく『おそよう』ですな。というか、めちゃくちゃ聞いてはいけないような言葉が聞こえたんだが……魔素喪失って……。
《はい。マスターは白焔龍――ヴィリアに名を与えたことにより、大量の内包魔素が消失。消滅の危機に陥っていました》
そこからヒイロに、俺が気絶した理由からその後の話を詳しく訊いて、肝を冷やした。
まさか名付けにそんなリスクがあったなんて、全く知らなかったわ。今までホイホイと軽く名付けて来たんだが……あれは大丈夫だったの? 今まで名付けによって内包魔素が減ることさえ無かったんだけど。
《前提として。名付けには自身の内包魔素を使用しなければなりません。自身の内包魔素の一部を譲渡し、名付けを行います》
うんうん。ヒイロが言っているように、俺も自分の内包魔素を使って、皆に名前を付けていたんじゃないのか?
《しかし、マスターの場合は少し事情が違います》
俺の場合は違う……?
《これまでマスターが名付けを行うにあたって、マスターの内包魔素は使用しておりません。迷宮権能である魔素循環によって収集された純粋たる魔素――DPを流用していました》
え? 初耳なんですけど。つーか、DPって魔素循環によって収集された純粋たる魔素だったんだ。驚愕の新事実!
ただ疑問が残る。これまでは自分の内包魔素を消費せずにDPを流用することで、眷属の名付けを行ってきたらしい――俺は全く知りませんでした――のだが、力の譲渡にはならないんじゃないかと少し疑問。だってDPは俺の内包魔素とは別物なんだから。
そう思った俺だが、ヒイロ曰く《マスターはこの迷宮の主である為、何も問題はありません》とのこと。
本当はもっと詳しく説明されたのだが、よく理解出来なかったので割愛。DPも俺の魔素だと理解出来ていればいいのである。
ん? 待てよ? つーことは、俺には自分の内包魔素とは別に、ダンジョンという魔素貯蓄庫を持っているっていうことか? ヤバくね? いくらでもDPが続く限り、魔法をぶっ放せるってことじゃん。
《それは現状不可能です。マスターがヴィリアに名付けを行った際、全てのDPを流用した為、現在残DP量はゼロです。また、マスターが消滅の危機に瀕していた為、魔素循環機能を強制的に動かし、周囲の魔素を集めた結果、現在全ての迷宮権能が停止中です。復旧予定日は二五日後となります》
え……それって……ヤバくない? 魔物召喚は今のところ別に問題ないけど……物質召喚出来なければ日々の食事が……。
《災龍という超上位種族に名付けなどを行うからです! 反省して下さい!》
あ~ららぁ、ヒイロに怒られちゃったよ。まぁそうだよな。名付けによるリスクについて知らなかったのは言い訳にしかならない。今回の事態のきっかけは、俺の迂闊さが招いたものだ。これからは思慮深く、慎重に物事にあたっていこう、うん。
「シャンよ。さっきから蒼褪めたり、キュッと眦を決したり、まだ体調が良くはならんのか?」
色々とヒイロから報告やら、小言を貰っていると、ヴィリアが心配そうにこちらを見て来た。
「あ~いや、もう大丈夫そう」
ちょっと言葉を濁す。確かヒイロはずっとヴィリアを警戒して沈黙を……ってあれ? 今、ヴィリアが居ても普通に報告してきたよな?
俺がそんな疑問を浮かべていると、ヴィリアは納得気に頷いている。
「なるほどのう。今し方、あの御か――んんっ! 今し方、ヒイロに報告を受けていたわけじゃな」
「え? 何でヒイロの事知っているんだ?」
「まぁその、な。おぬしが気絶しているときにのう……」
驚いて問い掛ける俺に、ヴィリアは何だか歯に物が詰まったかのような曖昧な言い方をする。
どうやら俺が気を失っている間に、ヴィリアとヒイロの間で何かあったようだ。先のヒイロの報告では、特に何も聞かされていないが……一体何があったんだろうか。
それよりもヒイロは俺の切り札的存在だ。信頼出来るシュヴァート達、眷属にさえ言っていない極秘事項なんだが。
「そのような顔をせずとも判っておる。決して口外はせぬよ。白焔龍の――いや、ヴィリアの〝名〟に誓って約束しよう。それと、妾以外には何者にもヒイロの存在を知られてはおらんから安心せい」
俺の表情を見て敏く察したようで、ヴィリアが自身の名に誓って約束してくれた。
以前にもこんな事があったよな。その時は確か『白焔龍の名に誓って』だったか。それが今は『ヴィリアの名に誓って』か……。
ちょっぴり嬉しくもあり、何だか気恥ずかしくもあり。俺は頬を掻きながら曖昧に頷くことしか出来なかった。
そんな俺の気持ちを知らないであろうヴィリアが、コホンと空気を変えるように、一つ咳払いをする。
「シャンよ、此度の件、誠に済まなかった」
いつになく真剣な表情のヴィリアが、俺に向かって頭を下げて来た。
意外な行動に一瞬呆けてしまった俺だが、直ぐに慌てて口を開く。
「いやいや、お前が謝るようなことは――」
今回の事は全て俺の落ち度だ。ヴィリアに非は全くない。そう思って口を開いた俺だが、ヴィリアは俺の言葉を遮り、首を横に力なく振りながら話す。
「それは違うぞ。妾がおぬしから付けられた名を拒否すれば、このような事態にはならなかったのじゃ。だからこそ、妾にも責任の一端があるのじゃよ」
そう。ヴィリアが言うように、名付けは拒否出来るのである。
魔物にとって〝名〟とは、魂に刻まれるほどまでに、とても重要な意味を持っている。だからこそ、名付けられる側にもその名が、又は、名付け親が気に食わなければ、名付けを拒否することが出来る、らしい。
らしいというのは、今まで俺は名付けを拒否されたこともなければ、拒否出来るなんて、さっきヒイロに名付けについて教えられるまで全く知らなかったのである。
「妾は拒否出来なかった――いや、違うか。出来なかったのではなく、しなかったという方が正しいかのう。気付けばいつの間にか、妾の魂に〝名〟が刻まれておった」
淡々と語るヴィリアの声音には、嬉しさと後悔――複雑な感情が混ざり合っていた。
「大切な友を失くしてしまうところじゃった。本当に済まぬ」
もう一度深く頭を下げたヴィリアに、俺は冗談っぽく、それでいて優しく微笑み掛ける。
「もう過ぎたことだし、俺も無事だったからさ。そんなに気にするなよ。シュンとしたお前なんてキャラじゃないだろ?」
「む。妾だって偶にはしおらしくなるぞ!」
「あはは。そうそう、そんな感じの方がお前には似合っているよ」
「くっ。妾がこうやって頭を下げておるのに茶化しおって」
俺の冗談に口を尖らせ、思わず怒ってしまうヴィリア。だが、俺にはその方がらしいと思うんだ。
「悪い悪い。まぁとにかく、これからよろしく頼むな、ヴィリア」
俺がそう言うと、ヴィリアの表情は一転。
「うむ! よろしくじゃ! 我が友シャンよ」
うん、いい笑顔だ。やっぱりヴィリアには笑顔がよく似合う。
さて。ひょんなことからこの異世界で初めて死にかけた訳だが。まぁ反省はした。なので、過ぎたことをくよくよ気にしても時間の無駄だろう。私は過去を振り返らない男なのだよ。
《ジィ~……》
コ、コホン。と、とにかく、ヒイロの報告によれば、どうやら消滅の危機を脱する為に、俺を進化させたらしいのだ。なので、ちょっと軽く確認してみようと思う。
名前:シャン・ドラグニエル
種族:悪魔公(半精神生命体)
称号:迷宮の支配者
性別:男性型
年齢:一七歳
髪:黒 瞳:紅 肌:白
補助人格:ヒイロ……統廃合・解析鑑定・思考加速・神速演算・能力還元
固有能力:『傲慢者』……配下支配・弱者排除・能力模倣
『白焔龍』……白焔支配・白焔龍召喚・詠唱破棄
『炯眼』……解析鑑定・思考加速・言語理解・超感覚
『闇影者』……闇影支配・精神操作・暗殺
特殊能力:〈魔力感知〉〈武芸百般〉〈悪魔覇気〉
技能:「思念伝達」
魔法:「白焔魔法」「闇魔法」「悪魔召喚」「全属性魔術」
耐性:「熱変動無効」「物理攻撃無効」「状態異常無効」、「精神攻撃耐性」「聖魔攻撃耐性」
まぁスキルの詳細は、また時間があるときにでもしっかり確認するとして……シャン・ドラグニエルかぁ~。
「ドラグニエル、ねぇ……」
「うむ。良い名じゃろ?」
ドラグニエル……ドラゴンから文字ったような感じだけど、それはいいのか? いいんだろうな、ヴィリアの満足げな表情を見ている限りでは。
「その名は、妾と同格の盟友であるという証じゃ! 妾とおぬしは……その……盟友でいいじゃろ?」
胸を張って嬉しそうに言ったかと思えば、途端にしおらしくなるヴィリア。だから、お前にはそんなキャラは似合わないってば。
それにしても、同格の盟友の証ねぇ。友達と面と向かって言われ、少し気恥ずかしく思う。
「ん~いいんじゃないか?」
「うむ! 妾とおぬしは盟友じゃ!」
俺が気恥ずかしさのあまり適当に相槌を打つと、ヴィリアにとってはそれだけでも満足だったようで、ホッと安堵しつつ、嬉しそうに破顔した。
ヴィリアの真っ直ぐさがたまに羨ましくなるよ。ひねくれている俺とは違って。
「で、ずっと気になっていたんだけどさ」
「む? 何じゃ? むむむっ!? い、今更撤回は認めんぞ! 絶対じゃ!」
あいや、別にそうじゃなくて……。つーか、そんなに友達が出来たことが嬉しかったのかよ。
「そうじゃなくて、だな。何でお前、ヴィリア・ドラグニエルになってんの?」
そう。俺が気になっていたのはこの事だ。ふとヴィリアを解析鑑定してみると、俺が名付けた〝ヴィリア〟の後に、〝ドラグニエル〟って付いているんだよ。何で?
「うむ、そのことか……」
いつになく真剣な表情を浮かべるヴィリア。何か問題でもあるのだろうか。
「妾にもよく判らん!」
……お~い。そんな胸張って堂々と言う事じゃないだろ! つーか、何で意味深な表情をしたんだよ!
「妾がそのことに気付いた時には、既に魂へと〝名〟が刻まれておったのじゃ」
魂に〝名〟が刻まれる。確かに俺の魂にも〝シャン・ドラグニエル〟という名がしっかりと刻まれている事が判る。それだけ魔物にとって〝名〟が大切なものだということだろう。
「おぬしとお揃いじゃのう。まぁ妾とおぬしは、同格の盟友じゃから何も問題は無かろう」
いや、それは同格の盟友と言うよりも……うん、これ以上は色々な意味で危険な香りがするね。ここは素直に同格の盟友の証という事にしておいた方がいいと、俺の勘が告げている。
「あ、あぁそうだな。同格の盟友の証だからな、うん」
「うむ! その通りじゃ!」
盟友と口に出す度に、本当に嬉しそうな表情を浮かべるヴィリア。そんな表情を見せられたら、なんだか俺の方まで嬉しく――いや、気恥ずかしくなるわ。
これ以上、名前に関して掘り下げてしまうと、ヤバい気がするので、話を変えるように口を開く。
「俺、悪魔公っていう種族になったみたいだぞ」
苦しい話のすり替えだけど、実際に気になっていたことだ。どうやら俺は上位悪魔から悪魔公に種族進化したようだった。
悪魔公に種族進化したと言えど、外見に変化はあまり見られない。まぁ黒髪に一房白髪が混ざっているのと、翼がより龍っぽくなったことくらい。
「ふむ。やはり悪魔公になっておったか。どうやら種族進化限界を超えたようじゃな」
俺の話のすり替えに付き合って――多分、本人は気付いていないけど――、ヴィリアがとても気になる発言をした。俺が視線で続きを促すと、ヴィリアは悪魔族について話し始める。
「悪魔族は魔界に封じられている上位種族じゃ。それは知っておるか?」
「あぁ。ヒイロに教えてもらったよ」
「うむ。では何故、魔界に悪魔族が封じられているのか、その理由を知っておるか?」
続けて来た質問に、俺は首を横に振った。その理由は、ヒイロにも聞いていない。
「何故、悪魔族が魔界に封じられているのか。妾が聞かされた話によるとのう、どうやら悪魔族とは、遥か太古、この星が誕生した際、超越存在によって創造された初めての生命体らしい」
超越存在――神様が初めて創造した生命体が悪魔族?
「この星初の生命体である悪魔族じゃったが、その性質は一言で言えば、残虐で凄惨。果てなき闘争本能のまま、同族同士で競い合い、戦い合い、暴れに暴れ回っておった。この世全てが悪魔族にとっての戦場。故にこの星に与える戦いの波動は凄まじく、この世が崩壊する一歩手前まで危機に瀕しておった」
うぇ~。この世界が崩壊する程までに、戦い合っていたというのかよ。どんだけ戦闘民族なんだ? 悪魔族って奴は。全く。博愛精神の申し子と呼ばれている俺とは、正反対の奴らだな。
《……》
何か言いたげだなぁ、ヒイロさん。だけど、俺は無視します。
「この世が崩壊してしまう。この重大事態に超越存在が動く。統一次元を多元化させ、その一つの次元――後に魔界と呼ばれる界に、超越存在が悪魔族を閉じ込めたのじゃ。悪魔族が魔界に封じられている理由が判ったかえ?」
「あぁ。悪さして折檻されている子どもみたいだな」
「カカッ。然り然り。超越存在にとっては、この世を崩壊させかけた悪魔族でさえ、我が子のように考えておったのかもしらんのう」
俺の返答にヴィリアは愉快そうに笑った。
「じゃが、超越存在は悪魔族を危険視しておった。このまま成長し続ければ、いつか超越存在を打倒し得る存在が現れるやもしれんとな。そこで悪魔族に枷を掛けた。それが種族進化限界じゃ」
話が繋がった。なるほど。悪魔族が神をも超える力を得ないよう、種族進化限界という枷を掛けたってわけね。
「魔界に封じられた悪魔族が、自力で到達し得る進化限界は悪魔将まで。おぬしの悪魔公は、悪魔将の進化の先……種族進化限界を超えた先にある種族じゃ」
「へぇ~。つーことは、俺は神様を倒せる程強くなったってわけか?」
「カカッ。さて、それはどうであろうな。少なくとも妾に勝てなければ、超越存在を超えることなど不可能じゃよ」
ヴィリア――災龍を、か……。進化を果たしたことによって、俺の内包魔素量は、以前の約三倍大きくなっている。しかし、目の前にいるヴィリアの内包魔素量は、下限で俺の約一〇倍だ。全く勝てるヴィジョンが見えない。
まぁそれでも、以前の俺であったらヴィリアの力の足元さえ見えなかったのが、今では下限であっても見えるようになった。種族進化したことで、俺も力を付けているんだと良く判る。けど……。
「はぁ~……俺も強くなったと思うんだけど、全くそんな気が起きないわ」
「カカッ。妾はこの世の頂点たる災龍が一柱、〝白焔龍〟ぞ。超えられる高みではあらんわ」
「くっ。悔しいけど、何も言い返せねぇ……」
――悔しがれ、もっと悔しがれと、落ち込む俺をヴィリアは本当に楽しそうに揶揄う。
「まぁおぬしならば、いつかは妾と同じ高みに至れるじゃろうよ」
そう言ったヴィリアの言葉が気になった。まるで確信しているような口振りだ。
「なんか確信しているみたいだな、その言い方」
「うむ。おぬしじゃから、と言いたいところじゃがのう。残念ながら前例があるんじゃよ」
「前例?」
「おぬし以外に、種族進化限界を超えた悪魔族がいないと思うてか?」
あぁ、確かに言われてみれば、俺でも種族進化限界を超えられたんだ。他の悪魔族が種族進化限界を超えられていないはずが無い。
「そいつは?」
どうか出来れば、もうご存命でないことを祈るばかりである。神様にも危険視されている悪魔族なんだ。出来れば会いたくないし、お亡くなりになっていて欲しい。
そうした俺の願いは、次のヴィリアの言葉に儚くも打ち捨てられる。
「クク。おぬしが何を考えているのか、よく判るぞ。じゃが、残念ながらそやつは消滅しておらん。それに魔界では無く、この現界に留まっておるぞ」
「マジですか……」
「まことじゃよ。そやつは、原始の悪魔族の一柱じゃ。今は魔王を名乗っているようじゃのう」
原始の悪魔族……始まりの生命体。それの一柱という事は、他にもいるってことだよな……。
それにしても魔王、ねぇ。
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*次回更新日は、2019/11/20 16:00の予定。
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