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第三六話 白焔龍――ヴィリア

*後半視点が変わります。


 白焔龍が襲来してから数日が経った。


 天災級(カタストロフ)モンスターである災龍の襲来だ。一時はどうなるかと心配していたが、この数日、ダンジョンに住まう者達は安穏とした日々を過ごしていた。


 そう、ダンジョンに住まう者達()、である。


「ぬしよっ! 今日は何をするのじゃっ!」


 バンッ! と、勢いよく執務室の扉が開かれ、俺は「またか……」と額を抑えながら溜息を付く。


 迷宮の支配者である俺の執務室に、無遠慮に入って来るのは何を隠そう白焔龍がその人である。

 白のサマードレスがよく似合う美少女だが、俺にはただただ厄介な相手である。

 外見は絶世の美少女、中身は快活な――いや、我儘な子どもだな。


「おい、お前。何度言ったら判るんだ。扉は静かに開けろとあれほど……」

「む? おぬしは一々細かいのう。そのように心が狭くては、支配者として務まらんぞ? 妾がテイオーガクというものを教えてやろうか? ん?」

「寝言は寝て言え。そもそもお前は帝王学なんて知らんだろうが。発音も何だか怪しいし」

「ほれ見てみぃ、細かい細かいのう」


 やれやれと肩を竦める白焔龍に、ただただ苛立ちが募る。この傍若無人な奴を止める術は普通なら無い。だが、俺には頼もしき存在がいるのだ。


「……シシリアを呼ぶぞ?」

「さ~て! 妾は静かに待っておこうかのう!」


 慌ててそんなことを宣いながら、設えられたソファーに座り、静かになる白焔龍さん。


 知っているか? コイツ、天災級(カタストロフ)モンスターなんだぜ?


 どうやら白焔龍はシシリアに対し、苦手意識を持っているようで、この一言で大抵大人しくなる。白焔龍曰く、『災龍でも怖いものはある』とのこと。

 白焔龍が情けないと言えばいいのか、シシリアがヤバイと恐れればいいのか……。まぁシシリアのおかげで、この傍若無人の白焔龍を抑えられているのだから良しとしておこう、うん。……別に俺もシシリアが恐い訳じゃないよ? 本当だよ?


「つーか、お前。いつまでダンジョンに居座る気なんだ?」


 当たり前のように、シュヴァートに給仕される白焔龍へ呆れた視線を送ると。


「何じゃ、その顔は? 変顔か? ちっとも面白くは無いぞ?」

「うるせぇ! 元々こういう顔なんだよっ!」

「そうじゃったのか……おぬしも辛かろうに」


 よよと泣き真似をする白焔龍がめちゃくちゃウゼェ。

 めちゃくちゃウゼェが、白焔龍の態度にはこの数日で慣れた。慣れてしまった。


 だから判る。コイツは都合が悪い話にはこうやって、はぐらかそうとするのだ。


「話をはぐらかそうとしているだろ、お前」

「チッ」


 俺が追及すると、ほれみろ。はぐらかせないと悟って舌打ちしてやがる。性格悪いわぁ~。


 白焔龍は溜息を吐くと嫌そうに、本当に嫌そうな表情をしつつ言う。


「妾は帰らん」

「は?」


 今、何て? いやぁ~俺の空耳かな? 帰らんって聞こえた気がしたんだが?


「だから、妾は帰らんと言っておるのじゃ! ここに妾も住むことにする! おぬしもその方が良かろう!」


 勢いよく立ち上がって、鼻息荒く宣言する白焔龍だが。


「いや、全く」


 と、一切悩む素振りも無く俺が言い捨てると、白焔龍は口を大きく開けて愕然とした。


 何、その『予想外だ!?』みたいな表情は。全然予想外でも何でもないんだけど。


「ななな……おぬしには慈悲の心は無いのか!? おぬしは悪魔かっ!」

「うん、悪魔だ」

「この鬼っ!」

「グリューに言え」

「この、この、アンポンタン!」

「それはお前だ」


 ハァハァと肩で息をする白焔龍。災龍でも息切れなんてするんだなぁと、そんな事を思う俺である。


「嫌じゃ、嫌じゃ! 妾は絶対に帰らんぞ!」


 仕舞いには、手足をバタつかせて駄々を捏ねる始末。埃が立つからやめなさい。


「そ、そうじゃ! わ、妾には使命が、そう使命があるのじゃ! じゃからここにおらねばならん!」


 必死に、それはもう必死に白焔龍はダンジョンに留まりたいと俺を説得してくるが……。


「使命、ねぇ~……」

「うっ」


 俺が胡乱気な視線を送ると、あからさまに動揺し、ソワソワし出す白焔龍。


「で、本音は?」


 一言問い掛けると、白焔龍はポスッとソファーに座り、口を尖らせながら小さく呟くかのように言った。


「……からじゃ」

「ん? 何て?」

「だから、楽しいからじゃ!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ白焔龍は、めちゃくちゃ恥ずかしそうである。


「ここは、飯もまぁまぁ美味く、温泉なるものも中々気持ちが良い」


 いや、まぁまぁなのかよ! あんだけ遠慮なくバクバク食べていやがるのに。


 ムカッとした俺には気付かず、白焔龍は訥々と語る。


「それにのう、ここの連中は気持ちのいい奴ばかりじゃ。妾が災龍だと知りながら、恐れる事も無く、かと言って崇め奉ることも無く……」


 ……俺の見間違いだったのだろうか? 一瞬、白焔龍はフッと寂しそうな表情を浮かべたように見えた――が、もう既に普段のふてぶてしい表情へと戻っていた。


「おぬしや、あのおなごような態度を取られたのは初めてじゃ。妾でなければ、今頃大地へと還っているとこじゃぞ?」

「へいへい。お前以外の災龍には、気を付ける事にするさ」

「そうせい、そうせい。特に銀霜龍(ぎんそうりゅう)の奴は生真面目で、冗談は通じない奴じゃからのう」


 肩を竦めて言う俺に、白焔龍はカカッと笑ってみせた。


「ほんにおぬしは不思議な奴じゃのう。いや、不思議というよりも異質じゃな」


 異質……? 俺が?

 いや、白焔龍の言う通りだと俺も思う。何せ俺は、この世界とは違う世界を知っているのだから。


 何故、俺はこの世界にやって来たのか。

 何故、この世界に招かれたのは俺だったのか。

 そもそも本当にこの世界に招かれたのか。

 俺に何をさせようとしているのか。


 思わず埋没し掛ける思考だったが、白焔龍の声でふと我に返った。


「異質じゃからこそ、妾に対して上にも下にもつかず、対等な立場で接してくれるのであろうな」

「いや、それは俺だけじゃないだろ? シシリアだって――」


 俺の言葉を遮るかのように白焔龍は首を横に振った。


「それは違う。あのおなごは、おぬしの態度を見ているのじゃよ」

「俺の態度?」

「そうじゃ。おぬしが妾に対して無遠慮な態度を取るからこそ、あのおなごは安心出来るのじゃよ。おぬしが居なければ、ただただ恐れるばかりじゃったろうな」


 まただ。また白焔龍は寂しそうな表情を見せる。


 多分、俺にしか判らない小さな変化だったのだろう。微笑んでいるのに、心は泣いている……そんな表情に見えるのだ。

 そんな心を押し殺したような表情を、俺はどこかで見た気がする。


 それはどこであったのか。

 

 この異世界に来てからか? ……いいや、違う。

 この異世界に召喚される前はどうだった? ……そもそも他人と接する機会が極端に減っていたし、MMORPG『セブンズフェリアル』にのめり込んでいたし、その時じゃない。


 じゃあ、もっと前か……?

 そこまで記憶を巡っていくと、ふと思い当たる瞬間が訪れた。


 あぁ、そうか。そうだな。俺が家族を失くして、一人ぼっちで孤独だった時に、鏡で見た自分の表情だ。顔は笑っているのに心が泣いている――そんなやるせない表情。


「まぁ約束事を守るのなら、別に好きなだけ居ればいいさ」


 気付けば、そんな事を口に出していた。


「お、おぬし!? 良いのか!?」


 突然掌を返して滞在許可を出した俺に、白焔龍は目を見開いて驚く。


「あぁ。ちゃんと約束事は守れよ?」

「うむ! それは判っているのじゃ! 任せよ!」


 しっかりと頷いてやると、白焔龍は本当に嬉しそうに破顔した。


 多分、同情してしまったんだろうな、俺は……。


 少しセンチな気分になってしまった。いやいや、そんなのは俺のキャラじゃないだろうと、苦笑する。


「何じゃ? どうかしたのかえ?」


 白焔龍が不思議そうな表情をしつつ、俺を見詰めて来た。コイツ、大雑把な性格なのに、妙に敏いところがあるんだよなぁ~。


「いいや、何でも」


 何でもないと肩を竦めつつ、曖昧に笑っておく。


「あ、そうだ。いつまでも白焔龍って呼ぶのもアレだし、何か呼びやすい名でも付けてやるよ」

「ちょ、ちょっと待て! おぬし、今名付けと言ったか!?」

「何をそんなに慌てているんだよ。別に魔物に名前を付けるのは普通だろうに」

「なっ!? 名付けるのが普通じゃと!?」


 そうだなぁ~、やっぱり白焔龍と言えば、その神々しいまでの純白の髪色だよな。

 何だか衝撃を受けている白焔龍を見ていると、パッと閃いた。


《お待ち下さい、マス――》

「ヴィリアなんてどうだ? 白という意味のドイツ語をもじって――」


 白焔龍を警戒して沈黙を貫いていたヒイロが、いつになく焦ったように制止してきたが……一歩遅かった。


 突然、大量の魔素(エネルギー)が全身から抜けていき、ガクンとまるで糸の切れた人形の様に、俺は前のめりに倒れ込んでいく。


「シャン様ッ!?」

「な、なんていう事を――」


 大慌てのシュヴァートと、白焔龍――ヴィリアの愕然とした声音が、やけに遠く聞こえた。


 霞んでいく視界。抜けていく大量の魔素(エネルギー)


《急速な魔素(エネルギー)の喪失を確認!? このままでは――》


 あぁ、ヒイロが止めようとした理由は……これ……か……。


「なんということじゃ……災龍に名付けなど……このままではシャンが消滅してしまう!」


 初めて……じゃないか……? ヴィリアが俺の名を――。


 慟哭するかのようなヴィリアの声が、遠く遠く微かに聞こえ――俺の意識は闇へと閉ざされたのだった。




        ◇   ◇   ◇



 

 胸が張り裂けそうな痛み。去来する絶望感。

 ただただ茫然とし、立ち竦む妾の視線の先には、倒れ伏してしまった迷宮主――シャンの姿が。


「シャン様ッ!? シャン様、お気を確かにッ!」


 シャンの眷属である狼の魔物――シュヴァートが焦燥感に満ち溢れた様子で、必死に呼び掛けるが、シャンは気を失ったまま、目覚める事は無い。


 一体何故、このような事になってしまったのか……と、妾はこの迷宮を発見した当初の事を思い出す。


 ………

 ……

 …


 西イグニス大山脈の東端にあるカナート大火山。そこが妾の住処じゃった。

 妾がこの世に創造されし日より住まう場所じゃ。どれ程の時をそこで過ごしたのか、もう思い出せぬほどじゃのう。


 寿命の無い妾にとっては愛着よりも、監獄に囚われているという思いの方が強かった。

 いつの日にか、この監獄から抜け出してみたい――などと夢想した事もあるのじゃが、災龍である妾にはこの住処以外に、この世に居場所など無かった。


 代り映えのしない、怠惰で退屈な――孤独な日々。


 稀に妾の住処に訪れる者もおってのう。妾は期待したものじゃ。この孤独な日々を紛らわせてくれるような者が現れるのではないかとな。


 しかし、妾の期待は裏切られる。


 妾の元に辿り着いた者達は、妾に恐怖し剣を向けるか、恐れ慄いて逃げ出すか。又は崇拝の念を抱くかだけじゃった。本当の意味で、妾の孤独を紛らわせてくれるような、心を許せる友はついぞ現れる事は無かった。


 今にして思えば、なんと滑稽な事じゃろう。この世の頂点たる災龍の妾に隔意も敵意も抱かず、対等な友として接してくれるような者はいないというのに、な。


 その日も変わらず、妾は怠惰で退屈な日を過ごしていた。なんてことはない。いつもと変わらぬだけの事。もはや妾は孤独に慣れて――いや、麻痺してしまっていたのだろうな。


 じゃが、その日はいつもと違った。魔の森から微かに戦いの波動が感じられたのじゃ。


 どうせまた、性懲りもなく、愚か共が魔の森を手中に収めようとやって来たのじゃろうと、いつもの妾であれば捨て置く些事じゃったが、ふと何の気なしに見に行ってみることにした。


 ……少し飛び方を忘れ――いや、準備に手間取り、妾が住処を後にしたのはその翌日じゃったが。


 既に戦いの波動は感じ取れなくなっておったのじゃが、魔の森に入った途端、少し妙な気配を感じ取った。まるで死が具現化したかのような不穏な気配。

 じゃが、妾がどうこうする事でも無い。妾ら災龍は観測者。この世が乱れ、崩壊しようとも介入する気は微塵も無い。


 無論、この世が崩壊すれば災龍であれど、妾も消滅してしまうじゃろう。じゃが、それでいいのかもしれないと思うのじゃ。怠惰で退屈な日々を過ごすよりは……。


 破滅願望に似た思いを抱く妾じゃったが、あるきっかけにより、その思いは霧散することになった。


 そのきっかけとは――。


 ………

 ……

 …


「――ン様ッ! 白え――いや、ヴィリア様! 何故、シャン様が突然気絶されたのですか!?」


 回想していた妾は、シュヴァートの余裕のない声にハッと我に返り、認めたくない現実へと引き戻された。


「……シャンが気絶してしまったのは、妾に名を付けたからじゃよ」


 掠れた声音。やけに自分の声が遠く、まるで他人が話しているかのような錯覚に陥ってしまう。


「しかし、このような事は今まで一度も無く……」


 困惑極まるシュヴァートの表情を見ればよく判るものじゃ。シャンが考えなしに眷属に名を与えるのは、普段からよくしている事なのじゃろう。


 じゃからシュヴァートは、シャンが妾に名を付けた事に関して、特に問題視していないのじゃろうな。名付けに伴う危険性を知っていれば、このような困惑気な表情になるはずが無いのじゃから。


「名付けとはのう……自身の魔素(エネルギー)を、力の一端を他者に分け与える行為じゃ。魔素(エネルギー)を分け与えるのじゃから、そもそも魔素(エネルギー)を大量に保有する高位の魔物にしか出来んし、また高位の魔物で合っても、シャンの様にほいほいと名を与える者はおらん」

「しかし! 今までは何も問題は」


 やはり妾が思った通り、シュヴァートは名付けの危険性を理解しておらんようじゃな。


 それにしても……今までシャンが名付けても問題は無かった、か……。確かこの迷宮には名付き(ネームド)ばかりじゃったはず。ということは……。


 妾がその事実に辿り着いた瞬間、かつてないほどの驚愕に見舞われてしまった。


 聞いたことがあらんぞ! これほど多くの魔物に名を与えた大馬鹿者など!

 いや、じゃからこそ、妾にヴィリアという名を与えるような愚行を犯したのか……。


「今までは問題が無かったとしても、今回は訳が違うのじゃよ。名付けによって失われる魔素(エネルギー)は、その個体によって違う。より力強きものに名付けようとすれば、比例して失われる魔素(エネルギー)は増大していくのじゃ」


 胸裏に吹き荒む激情を抑え込むように、妾は淡々と言葉を紡いでいく。


「高位の魔物が名付けに慎重な理由、それは――」


 思わず震え出す身体を抑え付けるかのように、妾は右腕を左手で強く強く握り締める。


「名付けによって失われた魔素(エネルギー)が、回復せずに弱体化してしまうか……魔素(エネルギー)を全て失い、そのまま消滅してしまう危険性があるからじゃ」

「消滅ッ!?」


 愕然とするシュヴァート。この世の終わりかというように顔を蒼褪めさせ、その場に崩折れてしまった。


 がっくりと項垂れ俯くシュヴァートに、妾は掛ける言葉が無かった。このような事態を招いたそもそもの原因は、妾にあるのじゃから。

 どのような叱責でも、怨嗟の声であろうとも受け止める。もうそれしか妾に出来る事はない。


 何故このようなことになってしまったのじゃろうか……妾はただ……。


「……て下さい」


 悔恨の念に苛まれる妾の耳朶に届く小さな声。微かに紡がれた声音は次第に大きくなっていく。


「……助けて下さい。シャン様をお助け下さい、ヴィリア様! 我はどうなってもいい! だからシャン様を!」


 面を上げ叫ぶシュヴァート。滂沱の如く涙を流し、ただただ懇願する――主人を、シャンを助けて欲しいと。


 しかし、妾にはその切実な願いを叶えてやる術は持っていなかった。こうなってしまってはもう全てが手遅れである。そう示すように妾は唇を噛みしめながら、力なく首を横に振った。


「そんな……」


 妾の足元に縋り付き、藁にも縋る思いで懇願していたシュヴァートは放心したように呟くと、そのままふっと気を失ってしまった。

 精神が限界じゃったのじゃろうな。コヤツにとっては、それほどまでにシャンの存在が大きかったのじゃろう……すまぬ、そなたの大切なものを奪ってしまって……。


 先程までの喧騒が幻だったかのように、シーンと静まり返る執務室。

 たった一人残されてしまった妾は……気付けば頬を伝う涙が流れていた。


「またじゃ……またしても妾の大切な者が……」


 声が震える。身体が震える。涙が……とめどなく零れ落ちていく。


 胸が張り裂けそうな強い痛みを伴う喪失感。

 二度も大切な者を失ってしまった自身の運命に対する絶望感。

 何も出来ず、ただただ立ち竦むしか出来ない無力感。


 そして……初めて友と呼べるような大切な存在を殺してしまった、災いを呼ぶ自分自身の存在そのものに対する怒り。


 あらゆる感情が綯い交ぜになり、暴走してしまいそうになる破壊衝動を必死に抑え付ける。


 何故……何故このようなことに……。


 深い悔恨の念に駆られ、何が間違いだったのかと思考を巡らし――と、その時。


《――えますか? 聞こえているのでしょう! 聞こえていると答えなさい! 白焔龍――いえ、ヴィリアッ!》


 突如として脳裡に響いた謎の声に妾は驚き、周囲を見渡す。


「何奴! 最初で最後の我が友に貰った、妾の大切な名を呼び捨てるとは、万死に値するぞ! 姿を現せいッ!」


 胸中に渦巻く激情と悲哀をぶつけるかのように叫び、妾は強烈な思念を叩き返した。

だが――。


《黙りなさい、ヴィリアッ!》


 それ以上の思念を以って、一喝してくる謎の声。


《詳しく説明している時間はありません! マスター――シャン様を救う為に、手を貸しなさい!》


 ……シャンを救うじゃと!?


《ヴィリア、貴方の力が必要なのです。シャン様をお助けするには、貴方の力が!》

「妾の力が……? 妾の力があれば、シャンを必ず助けられるのじゃなっ!?」


 妾は叫ぶかのように問い返した。藁にも縋る想いで。


《ええ、貴方の協力があれば、必ずや私がマスターを救ってみせます!》


 失敗など有り得ない。力強い返答には、そう思わせられるような何かがあった。


 ――まだ妾にもやれることがある。


 妾は涙を拭い、心に強い意志の炎を灯す。


「妾は何をすればよい?」

《まずはマスターをデスクの上に――》


 それにしても……この謎の声は、一体何なのじゃ? どうして妾はこの謎の声を信じ、そして何故、懐かしく思ってしまうのであろうか……。

 ふと疑問が過る妾であったが、今はシャンを救うことだけが何よりも最優先じゃと思い直し、頭を振って雑念を放り出す。


 謎の声の指示するがままに、妾は動く。シャンを担ぎ上げ――っ!? 軽い、軽過ぎる!?

 腕にかかる重みは、まるで羽毛の様に軽く、一刻一秒の猶予も残されていない事を再認識させ、胸に鋭い痛みが走る。


 少しでも衝撃を与えぬよう、慎重にシャンをデスクの上へと横たわらせた。


《現在、迷宮権能である魔素循環機能を改変し、迷宮権能によって集められた魔素をマスターに注ぐ事で、辛うじて消滅を免れている状態です》

「なるほど、迷宮権能を使って延命措置を行っているわけじゃな? ならば妾が内包魔素(エネルギー)を解放すれば――」

《迷宮権能を改変しているとはいえ、今回は強引な手段を用いており、循環された魔素を全てマスターに注入出来ているわけではありません》


 妾が内包魔素(エネルギー)を解放し、迷宮を通してシャンに魔素を分け与えられるのならば、魔素喪失(エネルギーロスト)による消滅を免れるのでは? と、思ったんじゃが……そう上手くはいかんか。


「では、一体どうするつもりなのじゃ? 如何にこの迷宮が魔素濃度の高い魔の森に存在しているとはいえ、無尽蔵では無かろう?」

《ええ、ヴィリアの言う通り、現状であればもって数分でしょう》

「ならっ!」


 もって数分。そういう謎の声に、焦燥感に駆られる妾。だが、次の謎の声による言葉に瞠目して驚愕してしまう。


《ヴィリアがマスターに名付けを行い、魔素(エネルギー)を譲渡。マスターの進化を促します》


 妾が全く想像もしていなかった解決策を提示してくる謎の声。


「なっ!? わ、妾が名付けを……? いやしかし、コヤツには既に『シャン』という名があるではないか! 名付けの上書きなど聞いたことが……」


 そもそも名付けの上書きなど出来るものなのか? 疑問に思う妾じゃったが、謎の声が妾の考えを訂正する。


《名付けの上書きではありません。新たに名を与えるのです》

「じゃから、コヤツには――」

《ヴィリアの言う通り、マスターには〝シャン〟という名が既にあります。しかし、名が一つだけという決まりはありません。ヴィリアには人でいうところのファミリーネームを付けて頂きたいのです》


 た、確かに、魔物が名を一つしか持ってはいけないという決まりは無い。謎の声が語る理屈は妾にも理解出来たが……果たして、それでシャンが消滅から免れるのかは、甚だ疑問であった。


 しかし、それでも妾は謎の声を信じる事にした。少しでも可能性が、希望があるのなら……。


「良かろう。貴様を信じてやろうぞ」


 横たわるシャンの傍に立って、妾は見下ろす。


 シャンはまるで眠っているだけかのように、穏やかな表情だった。だが、感じ取れる魔素は残り僅か。確実に消滅へと向かっている。


 一度再認識してしまえば、身体が緊張で震える。


 もし、妾が失敗すれば……。もし、謎の声が間違っているとしたら……。


 妾は深く息を吐き出し、パンッと両手で頬を打った。

 いつになく弱気になってしまったのう。これでは同輩に笑われてしまうではないか。

 キュッと眦を決した妾は、不安を吹き飛ばすかのように力強く言葉を紡いでいく。


「シャンよ! おぬしには『ドラグニエル』の〝名〟を与えよう! 今後は〝シャン・ドラグニエル〟と名乗るが良いッ!」


 万感の想いを込めて妾が名付けを行うと、胸の奥の奥――魂に何かが繋がる感覚が。

 その瞬間、内に秘められた妾の魔素(エネルギー)がどこかへ――いや、シャンへと流れ込んでいった。


《これより、シャン改め、シャン・ドラグニエルの進化を開始します》


 謎の声の宣言と共に、眩い光がシャンを包み込んだ。だが……シャンを包み込んでいた光は、霧散するかのように薄れ消えて行ってしまう。


 進化が完了したのかと思いきや、妾の龍眼で捉えたシャンの魔素は一向に回復の兆しを見せない。今もなお消滅へと向かっている。


《――種族進化限界に抵触しました。情報因子の欠如により、シャン・ドラグニエルの進化は失敗しました》

「くっ! 妾が名を与えるだけでは足りんと申すのか」


 ――失敗。その言葉が幾度も頭の中を巡り、握り締めた拳が震え出す。


《まだです! ヴィリア、貴方の血をマスターに!》


 妾の暗い想いを吹き飛ばしたのは、やはり謎の声だった。


 まだ諦めていない……? この声の主は、まだ諦めていない!


 思うよりも早く、妾の身体は動き出す。己の手首に牙を立て、噴き出した血を口に含むと、そのままシャンの口へ。


《……口移しは指示していないのですが》


 ハッとして我に返った妾は、勢いよくシャンから飛び退った。


「わ、妾の血を指示通りに与えたぞ。こ、これでいいのじゃな?」


 何故か身体の芯がとてつもなく熱く、未知なる感情が押し寄せ、何故か動揺してしまう。


 一体、この感情は何じゃ……? 何故、妾の鼓動はこれほどまでに強く、速いのじゃ……?


 自問自答する妾であったが、謎の声を訊いて、ハッと我に返る。


《〈災龍の因子〉を取得。これにより、欠如していた情報因子を補完し、種族進化限界を突破します……成功しました。種族進化限界を突破し、シャン・ドラグニエル様は、上位悪魔(グレーターデーモン)から悪魔公(デーモンロード)への種族進化を開始します》


 どうやら進化は上手くいったようじゃ。しかし、悪魔公(デーモンロード)とな……。悪魔族(デーモン)の種族限界である悪魔将(アークデーモン)を超えよったのか……。


《マスターの状態が安定しました。お疲れ様です、ヴィリア。ご協力感謝致します》


 謎の声のその言葉を聞いて、妾はホッと安堵することが出来た。妾の龍眼で見ても、魔素の減衰は止まり、シャンの状態は安定しているようであった。


「良かったのじゃ……本当に……本当に良かったのじゃ……」


 大切な友を救った喜びよりも、二度と失わずに済んだ安堵感の方が大きく、情けない事に妾はその場に崩折れるようにへたり込んでしまった。


《マスターは進化中につき、眠りについています。よろしければマスターを私室へとお運び下さいませんか?》

「うむ、それは構わないのじゃが……少し腰が抜けてしまってのう」


 照れ笑いのような、曖昧な笑みを浮かべつつ、頬を掻く妾。


《問題ありません。貴方の体調が戻り次第で構いません》

「うむ。そうしてもらえると助かる。それで……」


 一瞬、逡巡してしまう妾であったが、そのまま素直に訊ねることにした。


「ぬしは……一体何者なのじゃ?」


 ずっと気にはなっていた。声のみで一向に姿を現さない謎の声の正体が。

 シャンの事をマスターと呼び、迷宮権能を改変したり、進化を促したりと、規格外の事を行ってきたこの声の正体がずっと気になっていた。そして、何故妾はこの声に懐かしさを覚えるのかを。


 一瞬逡巡してしまったのは、興味もあるが、それと同じくらい怖くもあったからじゃ。

 先程までとは意味が違った緊張感に包まれながら、謎の声の答えを待つ。


《私は――》



*ここまでご覧下さって、誠にありがとうございます。

*次回更新日は、2019/11/17 16:00の予定。

*ブクマ登録、評価、感想等々よろしくお願いします。

*誤字脱字、設定上の不備、言い回しの間違い等発見されましたらご指摘下さい。

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