第三話 森林逃走劇
愕然とする俺を見下し、ニタリと嗤うおぞましい巨大なナニカ。
マンティス LV36
蟷螂の上半身に、蠍の下半身を有する中級モンスター。じっくりと獲物を嬲る嗜虐的な特性を持ち、瀕死の獲物を生きたまま食す際の悲鳴を好む。
……ナニコレ。じっくり嬲った後、生きたまま喰う? なんちゅうヤバヤバな魔物なんだよ。
〈分析〉先生がしっかりと仕事を果たしてくれたわけだが……こんな情報は知りたくなかったわ。というか……何か透明な液体が滴っている口許にこびり付いたナニかって……おっぷ、また吐きそう。グロ耐性皆無なんだよ、俺は。
つーか……あれ? これってすご~くヤバめな状況じゃね?
LV36だよ、36。クソ兎、十八匹分だよ? いや、あのクソ兎が十八匹も居たら、それはそれでめちゃくちゃムカつくけど。
――ヒュン! と、唐突に聞こえた風切り音。
「……へ?」
素っ頓狂な声が漏れ出た。一体何が……いや、何があったのかは、マンティスの様子を見れば判り切っている。
まるで死神の持つ大鎌のような鋭利な前足を振り切った体勢。
そして、遅ればせながら腹部に感じる淡い痛み。
見れば、服がスパッと真一文字に切り裂かれており。薄皮一枚だけを綺麗に斬ったのだろう、腹部には薄く血が滲んでいた。
――ニタァ~リ。
マンティスのおぞましく嗜虐的な笑みを見た瞬間、背筋に悪寒が走った。
と、俺は無意識に即座にその場から駆け出す。
ヤバイヤバイヤバイ……。アイツまじでヤベェ奴だわ。
木立を縫うように走る、走る、走る。
悪態を付く暇さえ、もはや無くなってしまった。とにかくアイツからは逃げないと……死ぬ。それも生きたまま喰われ、俺の腕をボリボリと――そんなの嫌だッ!
妙にリアルなイメージが脳裏を一瞬よぎり、俺は更に速度を上げる。
必死に腕を振り、脚を動かし、全力逃走。
背後から迫るドタドタとした物音が付かず離れず、迫って来る。
――ヒュン、ヒュン。
死神の大鎌が空気を切り裂く音が近付いてくる。
このままじゃあ、追い付かれるッ!?
俺は咄嗟に地を蹴って転進、木々を盾にすべく身を滑り込ませるが……。
「――クッ」
人間の胴はあろうかという木の幹がいとも容易く、スパッとバターの様に切り裂かれる。
背後にいた俺にも僅かながら切っ先が届くが、僅かに照準がズレたらしく、俺の腕を浅く傷付けるだけに留まった。
繰り返される斬撃に、時には木々を盾に、時には滑り込んで身を屈め。躱しに躱し、今の所致命傷には至っていないものの、身体には無数の生々しい切傷が刻まれていく。
――キシシシシシ。
逃げ惑う俺がそれはそれは滑稽なのだろう。聞こえて来るマンティスの鳴き声には、嘲笑と愉悦が混じり合っていた。
「チッ。気色悪い声しやがってッ!」
不愉快な鳴き声に、思わず舌打ち一つ。ゴールの見えない逃走劇に苛立ち、沸々と怒りが湧いてくる。
気付けば、マンティスに相対した時に感じた圧倒的な恐怖感は霧散しており、ただただ苛立ちが募るばかりとなっていた。
愉しむ様に追い詰めて来るアイツがムカつく。ただ逃げるだけしか出来ない自分がムカつく。あ~マジでイライラしてきたわ。
……いや、ちょっと待てよ? 本当に俺は逃げるだけしか出来ないのか?
確かにマンティスに見つかってしまった時には、圧倒的恐怖に思わず身体が反応し、逃げ出したわけだが……。いや、それは間違った判断じゃないと思う。レベル差だけでも30もあるんだ。逃げの一択しかなかっただろう。
でも、それでも……恐怖感が無くなった今なら、何か出来るんじゃないか?
マンティスから繰り出される連撃を辛うじて躱しつつ、思考をフル回転させる。
何か……何かないか……? このムカつくクソ野郎をぶっ殺す何かは……。
ふと脳裏によぎったのは焦土と化した草原の光景。予想外すぎた俺の火魔術の威力――ッ!?
その瞬間、俺は走りながらも、ニヤリと頬が吊り上がる気がした。
俺の火魔法なら奴をぶっ殺せるんじゃないか?
周囲一帯を灰燼に帰した上級火魔術〝火葬柱〟。あの威力ならマンティスもただじゃあ済まないはず。
ただ、問題がある。それはMPだ。逃走中に多少は回復しているが、〝火葬柱〟を使うにはまだまだMPが足りない。
〝火葬柱〟以外の上級火魔術も軒並みMPが足りず使用不可。中級火魔術なら使えるものも多少あるが……。
チラリと背後を窺い、マンティスの巨躯を捉える。
〈分析〉によると、アイツは中級モンスターらしいが……彼我のレベル差があり過ぎる現状、中級火魔術には期待出来そうにない。
それに火属性魔術の多くは広範囲殲滅型だ。この森林地帯でぶっ放すには少々躊躇われる。
ヤツだけを仕留めるにはどうすればいい? 俺に使えるのは火魔術だ……け?
この極限状態の中で、俺がふと思い出したのは、PC画面でキャラクリをしているところだった。
その時に少し疑問に思ったことがあったのだ。
『なんでスキルに「火魔法」と「火魔術」があるんだろう?』
スキルガチャをしていた時、ふと目に入った「魔法」と「魔術」の二つのスキル。この時は特に「どうでもいいか」とサラッと流したのだけど……。
なにか違いがある……? いや、絶対に違いがあるはずだッ!
俺は直感の赴くまま〈分析〉を発動。そして……見つけた。この危機的現状を打開する手立てを!
後は状況を整えるだけ。逸る気持ちを抑え付け、目を皿にして視線を巡らし――あそこだッ!
目的の場所を発見し、少し気が緩んでしまったのだろう。一瞬、マンティスから意識が逸れてしまった。
たった一瞬。されど一瞬。
俺の注意が逸れたその隙を見逃さず、マンティスが俊敏に幹を蹴り跳躍。一瞬で距離を詰め――。
「ぐがッ!」
今までの遊びの様な斬撃とは一線を画す、獲物を仕留める為の一撃。
上段から放たれた大鎌は深く肩口を抉り込み、余りの衝撃に俺は吹き飛ばされてしまった。
噴き出す鮮血。灼熱の如き激痛。明滅する視界。
無様に倒れる俺にゆっくりと近付いてくるマンティスの姿が視界の端に微かに見える。
まだ……まだ、まだだッ! こんなクソ野郎にやられてたまるかッ!
飛びそうになる意識を唇の端を噛み切って繋ぎ止める。口内に広がった苦い味。この味は一生忘れることは無いだろう。世の理不尽さと屈辱感の味を。
不幸中の幸いだったのは、そのまま腕を斬り飛ばされる事無く、身体ごと撥ね飛ばされた事だろう。少しだがマンティスとの距離が取れた。
悲鳴を上げる身体を叱咤し、何とか立ち上がると、這う這うの体で目的の場所を目指す。
背後から驚愕した雰囲気がマンティスから伝わって来る。いや、違うな。あれはまだまだ愉しめると思っている雰囲気だ。
まぁいい。精々今の内に余裕ぶっていろ。もうすぐ……もうすぐ……お前をブッ殺ス。
フラフラと覚束ない足取りながらも、しかし確実に目的の場所を目指し――辿り着いた。
そこは洞窟。薄暗く冷たい空気が漂う小さな洞窟だ。
小さいと言えども、マンティスの巨体でも辛うじて中に入れるほどには広い。
俺は奥へ奥へとただ前だけを見て進む。ハァ、ハァと荒い呼気。抉られた左肩から溢れた鮮血がぽたりぽたりと、地面を赤く染めるのも気にも留めずにひたすらに前だけを。
俺は洞窟に逃げ込んだ訳じゃない。アイツを仕留める為には、この洞窟が最適な場所だっただけだ。
ある程度進んだところで反転。未だ身体を貫く激痛に歯を食いしばって耐えながらも準備を整えつつ、クソ野郎を待ち構える。
マンティスは……特に警戒した様子もなく、ニタァ~リと醜悪な笑みを浮かべ、ゆっくりと向って来ていた。
クソ虫野郎の表情なんか判らないし、判りたくも無いが……あれは獲物を追い詰め切ったと確信している顔だな。
でもな。それは違うんだよ。お前が俺を追い詰めたんじゃなく、俺がお前を嵌めたんだよ。
マンティスに負けず劣らずの不敵な笑みを浮かべる俺。
その表情に感じるものがあったのか、不意にピタリとマンティスは動きを止め――次の瞬間には、目を瞠る速度で距離を詰めに掛る。
――が。
「おせぇんだよッ!」
右腕に集束する紅き魔力の渦。限界までMPを注ぎ込んだ乾坤一擲のオリジナル火魔法。
距離を詰めたマンティスが俺を素早く仕留めようと、大鎌を振りかぶるが――遅いッ!
「〝螺旋焔〟ッッツ‼」
響き渡る渾身の咆哮。
紅き魔力が集束した右腕を鋭く突き出す。
全てを深紅に染める紅蓮の光芒が迸った。
螺旋の劫火がマンティスを喰い破り――。
――ギシッ!? ギシシャァァァァアアア!?
マンティスの断末魔が微かに聞こえた気がしたが、それも刹那の出来事。
数瞬後には、燃え盛る炎が消え、ただただ鼻腔に刺さる焦げた臭いと煤煙だけが残っていた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
夥しい汗が噴き出し、荒く息を付く。
イチかバチかではあったが、俺は賭けに勝った。
俺がマンティスを仕留めた魔法は、俺オリジナルの火魔法〝螺旋焔〟。
この魔法を思い付いたのは本当に偶然。逃走中に思い浮かんだ「魔法」と「魔術」の違いに気付けたから、今回の危機を打開する為に編み出したものだ。
「魔法」と「魔術」の違いとは何か?
〈分析〉先生によると……。
魔法とは、『神秘的で超常的な力の理。感覚的又はイメージによって事象を改変、または操る』とのこと。
大事なのは『感覚的又はイメージによって』という部分だ。
つまりは俺の妄そ――イメージ力によって新たに魔法を作り出すことに成功したのである。可能性は無限大というわけだ。
今回、俺がイメージしたのは、魔力を込めるだけ込める事によって威力を増し、しかしながら広範囲に拡散することなく、収束する魔法だった。そのイメージによって創造したのが〝螺旋焔〟だったというわけである。
ちなみに魔術とは、『詠唱又は術式、魔法陣によって魔法の骨格を組み上げ、そこに魔力を流し込むことにより、魔法を完成させる術』のこと。
俺が使った〝火葬柱〟なんかは魔術に分類される。まぁ俺は〈炎威〉によって火属性に関しては詠唱破棄を有しているので、詠唱は必要なかったんだけどね。
強大なる魔法を人の身に合わせ、行使できるようにしたのが魔術というわけらしい。
とにかく、逃走中に〝螺旋焔〟は思い付けたのだが、巨体の割に素早いマンティスに避けられてしまう可能性があったわけで。
万全を期す為にマンティスの行動を制限できる閉所――この洞窟に逃げ込んだという訳である。
「人間、やれば出来るもんだな。……あ、いや俺、人間やめてたんだっけ?」
そう言えば今の俺は上位悪魔になっていたんだ……っけ……あ、やべ。
急激に力が抜けていき、そのままドサリと倒れ込む。ひんやりとした地面が妙に心地良い。
血を流し過ぎたか……。あ、MPも完全に無くなっちゃって……いる……な……。
ステータスを確認すると、MPはゼロ。やっぱりMPを全損すると気絶するようだ。
今回は結果的に上手くいったが、もうあんな酷い目はこりごり。暫くは平穏無事に過ごしたい。
意識が沈み行く中でそう切に願わずにはいられなった俺であった。
《――適応者との接続が完了。これより迷宮核116番は、適応者『シャン』のサポートを開始します》
《レベルが上がりました》
《スキル「逃走」を取得しました》
《スキル「悪路走行」を取得しました》
《称号「死線を越える者」を取得しました》
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*次回更新日は、2019/8/10 16:00の予定。
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