第二五話 VSハンクメン伯爵軍
総大将グリューからの突撃命令を受け、まず飛び出したのは黒狼部隊のダークウルフ四〇名。狼系魔物としての脚力を活かし、凄まじい加速力を以って敵軍に吶喊していく。
前方から凄まじい勢いで突撃してくるダークウルフの群れに、伯爵軍指揮官が冷静に指示を出す。
「重装歩兵部隊は前にッ! 盾を前に陣形を整え、衝撃に備えろッ!」
前進していた重装歩兵部隊は指揮官の指示に即座に反応。身の程もある大盾を前に密集陣形を取る。
「弓兵部隊は射撃準備ッ! 正確な狙いは付けなくて良いッ! 射程範囲内に入ると同時に、一斉掃射ッ!」
歩兵部隊に続いて進軍していた弓兵部隊が急停止。重装歩兵部隊を盾に、一斉に弓を構える。
「掃射開始まで三、二、一、放てッ!」
指揮官の合図と共に放たれる無数の矢。一度空に向かって飛翔し、山なりの放物線を描きながら疾走するダークウルフたちの元へ降り注ぐ。
ダークウルフたちに回避行動は見受けられない。指揮官はその様子に、「所詮、魔物か」と嘲笑――
「な、なにぃぃぃいい!?」
――出来ずに、目を見開いて驚愕した。
一斉掃射による範囲射撃は、ダークウルフを穿つと思われたその瞬間、ダークウルフの影がまるで生物かのように蠢き、殺到する全ての矢がその影へと飲み込まれていくのであった。
特殊能力〈影操作〉。全てのダークウルフが疾走しつつ影を操り、飛翔する矢を影空間へと収納しただけのこと。人族が放つ矢程度ではダークウルフの疾駆を止めるには至らない。
「放て放てッ! とにかく奴らを足止めしろッ!」
予想外の展開に混乱する指揮官は、狂ったように唾を飛ばしながら指示を出し続ける。
が――。
「ダ、ダメですッ!? と、止まりませんッ!」
幾度も矢を射掛けるものの、その全てが無意味。不可思議な蠢く影により阻まれ、進軍を止めるには至らない。
「クッ! 全弓兵部隊員に告ぐッ! 武装を変更ッ! 接近戦に備えろッ!」
ダークウルフは既に目前だ。もはや効果の無い弓装から接近戦装備に換装を指示。
牙を剥き出しに憤怒の表情で迫るダークウルフの群れに、重装歩兵部隊の面々は、グッと奥歯を食いしばり、衝撃に備える。
「なっ!?」
決死の覚悟で進軍を阻もうとした重装歩兵をまるで嘲笑うかのように、直前でダークウルフたちは跳躍。重武装による鈍重さにより、重装歩兵は即座に対応出来ず、頭上を飛翔するダークウルフたちを呆然と見送ることしか出来なかった。
易々と敵陣内部へと侵入を果たしたダークウルフは疾走そのままに鋭い爪牙を振るい、そして闇魔術を用いて、動揺極まる兵士共を蹂躙していく。
「ぎゃぁ! う、腕がっ!」
「ひぃぃ!?」
「狼狽えるなッ! 侵入した奴らの数は少ないッ! 複数人で掛かれば――ひぎゃっ!?」
必死に部隊の立て直しを図る指揮官だったが、シュッと真横を横切ったダークウルフの鋭爪によって、頭部を粉砕されてしまう。
指揮官を失ってしまった部隊の末路は、最悪の一言。障害物の多い森林地帯でこそ、その真価が発揮されるダークウルフの機動力を前に誰も対策を打てず。至る所から鮮血の飛沫が噴き出し、腸を食い散らかされていく。
伯爵軍中央は、たった四〇のダークウルフに翻弄され、蹂躙され、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄へと化していく。
左翼を預かる指揮官は、中央部の甚大な被害に思わず舌打ち。援軍に向かおうにも、恐怖に駆られて逃げ惑う中央軍兵士に阻まれ、思うように動けない。
練度の低さが足を引っ張っており、迅速に援護することが出来ずにいた。
そこで左翼指揮官は、非情な決断を下す。
「敵前逃亡は極刑ッ! 中央から逃れて来る愚か共は斬り伏せながら進めッ!」
まさかの同士討ち指示に、兵士達に動揺が広がっていく。が、誰もが口答えはしなかった。いや、出来なかったというのが正しい。
指示を出す左翼指揮官の血走った瞳を見てしまえば、命令違反で斬り伏せられるのは自分だと直感的に悟ったからだった。
「「「う、うぉぉぉぉ!」」」
悲壮な雄叫びを上げ、潰走する同士を斬って捨てていく。その誰もが顔を涙で濡らしていた。
逃亡者を斬り伏せ、中央へと向かう左翼軍。その直後、左翼指揮官の元に新たな報告が届く。
「し、指揮官殿ッ! 自軍の側面にダークウルフがしゅ、出現ッ! ほ、包囲されていますッ!」
「何ィッ!?」
ハッとして振り返る左翼指揮官。彼が見たのは、いつの間にか自軍を包囲するかのように展開したダークウルフの群れが。中央部へと意識が向き過ぎるあまり、側面への警戒が疎かになってしまっていた。
「中央は囮かッ!」
気付いた時にはもはや手遅れ。既に交戦中の模様。更に戦況は劣勢と、最悪の状況だった。
指揮官は思案する。伯爵軍へと攻勢をかけて来たのは、中央部へと向かった四〇匹だけだったはず、と。
「いつの間に我が軍を包囲し――なっ!?」
絶句する左翼指揮官。目を見開き、驚愕する左翼指揮官が見たものは、交戦中のダークウルフの影から新たに出現するダークウルフの姿。
「召喚だとッ!?」
左翼指揮官は自分の知識の中で該当する情報――召喚だと決めつけた。
実際は召喚では無く、味方のダークウルフの影を起点として、影空間を通って駆けつけただけなのだが、スキル〈影移動〉の存在を知らない左翼指揮官には理解出来る話では無かった。
左翼指揮官の悲劇はまだ始まったばかり。
「敵軍のゴ、ゴブリンが到着した模様ッ! ダークウルフに加勢し、中央軍は壊滅ッ! 繰り返す、中央軍は壊滅ッ!」
「バカなッ!? 交戦開始からまだ十数分しか経っておらんのだぞッ!? ゴブリンなど低級モンスターに我が軍が敗れるはずが――」
「報告ッ! ゴブリンがダークウルフに騎乗している模様ッ! 縦横無尽に戦場を掛け、自軍の被害は甚大ッ!」
「ゴブリンが……ダークウルフに騎乗する……だと……」
もはや左翼指揮官の理解許容量を超え、茫然としてしまう。
戦場にて呆けるなど愚の骨頂。左翼指揮官が最期に見たのは、報告通りダークウルフに騎乗するゴブリンの槍が眼前へと迫って来る光景だった。
頭部を粉砕され、躯と化した左翼指揮官を冷たい視線で見下すのは、黒牙狼に騎乗する中鬼族。
「訂正するっす。俺はゴブリンでは無く中鬼族っす」
「いやいや、もう死んでるから」
ゴブリンと勘違いされ不機嫌になっている中鬼族を宥めるのは、相棒の黒牙狼だった。
「つーか、そんな事よりも戦わなくてもいいのか? シャン様の御命令は殲滅だぞ? 一人でも多く討ち取って武功を上げるのがいいと思うんだけど」
「む!? 確かに、この下衆に係わっている暇など微塵も無かったっすね。行くっすッ!」
「へいへい」
黒牙狼は肩を竦めることは出来ないが、そんな気分になりながら相棒を乗せ、戦場へと駆け出す。より多くの愚か共を討ち取る為に。
左翼では狼鬼兵隊一五名が主力となり奮戦。指揮官と思わしき存在を率先して排除。一切の慈悲を掛ける事無く、敵軍兵士を殺戮し、完全殲滅まで残り僅かとなっていた。
◇ ◇ ◇
一方、右翼では――。
戦場を優雅に歩む幼い少年。仕立ての良い執事服を身に纏い、異様な雰囲気を放っているのは、何を隠そうシャンの初めての眷属であり最側近であるシュヴァートだった。
戦場を優雅に闊歩するシュヴァートの前に現れたのは、傲慢な態度を一切隠そうともしない右翼軍を預かる指揮官だった。
「おやおや。こんな戦場に勘違いのガキが紛れ込んでいるわ! ガハハッ!」
シュヴァートを外見だけで判断し、右翼指揮官は扱き下ろすかのように高笑いする。
何故、この右翼指揮官がこうまで余裕を見せているか。それには訳があった。
至極簡単な事だ。この右翼には魔物軍が一切攻勢を仕掛けていないからである。
右翼指揮官はこう考えていた。愚かな魔物共は、中央、左翼を攻める事しか出来なかったのであろうと。右翼軍に向ける戦力が無く、このガキが時間稼ぎに来たと考えているのだ。
「フンッ! 無駄な足掻きを。まぁ良い。貴様のようなガキ一人が時間稼ぎに来たところで、何も変わらぬだろうが、少しばかり付き合ってやろうではないか」
傲慢極まる右翼指揮官をシュヴァートは無表情で見詰めている。何も語らず、ただただ淡々と。
シュヴァートが何も語らないことが、右翼指揮官の機嫌を良くする。
右翼指揮官は勘違いしているのだ。シュヴァートが恐れ慄いて口を開くことも出来ないでいると。
「フフフ。貴様も判っているのだろう? もう間もなくこの儂の軍以外が敗北すると。それは儂の望むところである。奴らが敗走すれば、全ては儂の手柄となるだろうからのう」
得意げに右翼指揮官が語るが……シュヴァートにはこの右翼指揮官の頭の中の考えが全く理解出来なかった。ただただ『何をほざいているんだ?』と、呆れるばかりだった。
「中央軍と左翼軍は捨て駒なのじゃよ。奴らが魔物共と戦い、儂の為に魔物共の体力を削ってくれておる。もうしばらくすれば、奴らは潰走するだろう。そして消耗した魔物共を儂の軍で殲滅すればよい。なに、簡単な事じゃ。儂の子飼いの三騎士にかかれば、弱った魔物共を殺すのに、そう苦労はせぬ。そうじゃろう? 三騎士よ」
「「「ハハッ! 私たちにお任せ下さいッ!」」」
右翼指揮官の言葉に反応したのは、立派な甲冑を着込んだ三人の騎士。
確かに他の兵士に比べれば、多少は強い。武防具も高級品であり、なかなかの性能だ。
だが――。
「その雑魚が我らを滅すると?」
その時、初めてシュヴァートが口を開いた。その口から飛び出た辛辣な言葉に、数瞬呆けてしまう右翼指揮官だったが、直ぐに腹が痛いとばかりに哄笑する。
「ガハ、ガハハハハッ! 初めて口を開いたかと思えば、グフフ。強がりもここに極まれりだのう」
面白いとばかりに笑う右翼指揮官。一方、侮辱された三騎士は顔を真っ赤に憤っている。
「ラージン閣下ッ! この不遜なガキを始末する許可を頂きたいッ!」
「グフフ。まぁそうよのう。この世間知らずのガキは仕置きせねばならぬて。許可してやろう、三騎士よ。このガキを――殺せ」
右翼指揮官の瞳に剣呑な光が宿り、一言冷たく命ずる。命令が下った瞬間、三騎士は一斉にシュヴァートに襲い掛かろうとして――
「「「なッ!? う、動けないッ!?」」」
――その場から全く動けなかった。
三騎士――いや、その場にいた全ての者の足元には巨大な漆黒の影が広がっていた。
動揺しつつも、必死に身体を動かし抜け出そうと試みる三騎士。だが、足首まで埋まった影からは抜け出すことは敵わない。
動揺が広がる右翼軍。そんな彼らにシュヴァートが淡々と口を開く。
「さて。貴様の話は麦粒程も理解出来なかったが、一つだけ理解した」
声を張り上げている訳でも無いのに、やけに通るシュヴァートの声。
「貴様らのような愚物はシャン様が支配する世界には不必要だとな」
能面のような無表情で、刃のように鋭く冷たい言葉。
シュヴァートの全身から濃密な妖気が溢れ出し、表情とは裏腹にその内心の激情を表している。
この時、初めて右翼指揮官は目の前の幼い少年の本性を悟った。決して敵には回してはいけない存在だったと。
「ま、待ってく――」
「〝深淵への暗影〟」
右翼軍の足元に広がった影から幾百もの漆黒の触手が迸り、範囲内の全てを深淵へと引き摺り込んでいく。
「い、嫌だぁぁぁ!」
「たす、助けてく――」
「放せッ! 俺は三騎――」
未知なる恐怖に轟く悲鳴。その一切合切を全く取り合わず、シュヴァートは呟く。
「シャン様に楯突いたこと、永劫の暗闇にて悔いるがいい」
役目は終わったと、シュヴァートが踵を返す。その時にはもう戦場は静寂に包まれていた。
◇ ◇ ◇
「何だこれは……一体何が……」
ハンクメン伯爵が呆然と繰り返し呟く。
目の前に広がるは、魔物軍に蹂躙され壊滅した中央・左翼軍。そして、いつの間にか姿形さえ消え去ってしまった右翼軍。
ハンクメン伯爵軍約六五〇名は、たった二〇〇の魔物軍の前に完全に敗北を喫した。
残るは、ハンクメン伯爵を守護する近衛兵のみ。眼前で繰り広げられる圧倒的までの蹂躙劇に呆けてしまっていたが、近衛兵は立ち直るや否や、すぐさまハンクメン伯爵へ撤退を進言する。
「ハンクメン伯爵様ッ! 直ちに、て、撤退をッ!」
近衛兵は唾を飛ばし、慌ててそう進言する。次は自分達の番だと本能的に理解しているからこそ、近衛兵は必死だった。
「撤退……あぁ、そうじゃ! す、直ぐに撤退するのじゃッ!」
近衛兵の進言にハッと我に返ったハンクメン伯爵は、即座に撤退を指示。慌ただしく撤退準備に入る近衛兵達。
その中で一人、ある男がスゥーっと気配を消し、ゆっくり一団から離れていく。
(チッ。今回はザコ魔物を討伐するだけの簡単な依頼だと思ってたんだが……)
その男は、ヒイロの〈分析〉により判明していた、ハンクメン伯爵軍の中で一番の強者であるLV30の冒険者だった。
(ゴブリンがダークウルフに騎乗する? こんなバカな話があっていい訳が無い。というより、アイツはゴブリンなんてザコじゃねぇ! どう見ても上位種だろうがッ!)
冒険者は心の中で悪態を付きながらも、その感情は一切に表に出さない。隠形術に乱れが生じないよう、徹底的に感情の発露をコントロールする。
(今は逃げ切ることが最重要課題。依頼主だろうが、この際は俺様の為に囮になって――)
瞬間、冒険者の男はバッと勢いよくその場から飛び退った。
「ほう」
感心したような声が冒険者の耳朶を打つ。
冒険者の男はすぐさま抜剣。切っ先を向けた先には、悠然と佇む緑髪の青年――いや、魔物の姿が。
(クソッ! あのブタ貴族は囮も出来ないのかよッ!)
冒険者は悪態を付きながら、魔物に捕捉されてしまった今、単独での逃走は不可能だと判断。
「敵襲ッ!」
即座に叫び、応援という名の囮を集める。
「何ッ!? 敵襲だと!?」
冒険者の男の声に気付き、続々と集う近衛兵。その際、緑髪の魔物――グリューは一切の動きを見せなかった。
(俺が援軍を呼ぼうが問題ないってか、クソッ!)
冷徹な気配を纏うグリューから放たれる圧倒的なまでの存在感。泰然と佇み、隙がまるで無い。
冒険者の男は、未だかつて経験したことが無い危機感に、構えた切っ先が震えるのを感じる。
「何やら撤退準備を行っていたようだが……それは許容出来ん」
獲物を構える事もせず、淡々とした口調で話すグリュー。
「へッ、たった一匹で何が出来るって言うんだッ! 死に晒せ、クソ野郎ッ!」
相手はたった一人。数的有利に気が大きくなってしまったのか、近衛兵の一人が果敢にもグリューに斬り掛かった。
だが――。
「ふむ。実力差が判らぬとは。観察眼をもっと鍛えよ」
グリューはまるで助言するかのように諭したのだが……近衛兵は前のめりに倒れ、聞こえていない様子。
(一体何が起きやがった!? いや、判っている。奴が近衛兵を斬ったのは……)
驚愕に目を見開く冒険者の男。グリューは相も変わらず泰然としているが、その右手にはいつの間にか抜き放たれていた大剣が。
目を遣れば、地に伏した近衛兵の身体が上下に別たれ、血溜まりに沈んでいた。明らかに斬り伏せられた後だったが、冒険者の目にはその剣筋は一切認識出来なかったのだった。
「いやいや、グリュー様。もうそいつ死んでいるから、そのアドバイスは無意味ですよ」
誰もが思っていたことを口にするのは、新たに現れた亜人兵士たち。
「そんな事、指摘されずとも判っている。クルト殿たちへの助言だ」
「へ? 俺たちの?」
ポカンとする亜人兵士――クルト。自分を指差しつつ、他の仲間とお互い顔を見合わせている。
「そ、そうでしたか。えっと……助言感謝します? まぁいいや。で、グリュー様。俺らの獲物はコイツラですかい?」
とにかく、角が立たないようにグリューへと謝意を述べた後、クルトはスッと目を細めて近衛兵を見渡した。
「あぁ。奥で異臭を放っているブタ二匹が、クルト殿の村を襲った主犯格だ」
グリューがハンクメン伯爵とブッターラを指差し、クルトに示す。
「へぇ~」
クルトたちが放つ剣呑な雰囲気に、主犯格の二人は無様に「ひぃっ」と悲鳴を漏らす。
「ま、待ってくれ! いや、お待ち下さいッ! わ、私はシャン様のご指示通りに、う、動いたんですッ! 約束を果たせば、私の命は見逃して下さると、シャン様はッ!」
全てはシャンの指示に従ってハンクメン伯爵軍を誘導したと、ブッターラは密約をぶちまけてしまった。このままでは助からないと直感的に悟ったからこその自白。
「お、お前!? ワシを裏切ったのかッ!?」
「五月蠅い五月蠅いッ! 私はまだ死にたくないんだッ!」
最愛の息子に裏切られたハンクメン伯爵の心境は推し測らずとも、その絶望した表情を一見すれば容易に判ると言うもの。がっくしと肩を落とし、放心してしまうハンクメン伯爵。
「救えない程クソ野郎だな」
クルトはブッターラの様子に顔を顰め、吐き捨てるように言った。
「俺自ら殺してやりたいところだが……シャン様と約束しているというのならば、手が出せねぇな」
いくらクルトにブッターラに対する憎悪があったとしても、シャンを裏切るような真似だけは出来ない。だからこその諦めにも似た言葉だったのだが。
「クルト殿があのブタを殺しても何も問題は無いぞ」
「グリュー様?」
「シャン様がお約束されたのは、『ハンクメン伯爵軍をダンジョンに誘き寄せる事を条件に、シャン様はブッターラの命を取らない』だ」
「いや、だからあのクソブタ野郎は殺しちゃいけないんじゃ?」
「クルト殿。シャン様は命を取らないとお約束されたのだぞ? その意味が判らんクルト殿では無いだろう」
グリューはチラッとクルトを横目で見やりながら再度伝えた。そして、クルトにもその意図、真意が伝わったようで、ニヤァっと笑みを浮かべる。
「なるほどなるほど。シャン様自ら手を下す訳にはいかないが、俺たちなら問題ないわけだ」
「そうなるな。シャン様としてはリーシャ殿たちの心の淀みを自らの手で払拭させようとお考えになっていたようだが……」
「ふむふむ。まぁ汚れ仕事は大人の役目だろう」
グリューとクルトは互いの目を見て頷き合った。
「さて。お待たせして申し訳ない。そろそろこの戦の幕引きといこうか」
ジッと状況の移ろいを観察していた近衛兵たちは、その言葉が切っ掛けとなり、一斉に攻めかかって来た。
即座に対応し、反撃に移るクルト達亜人兵士。と、クルトがグリューに声を掛けた。
「グリュー様! そいつだけはお任せしても?」
クルトの視線の先には、ずっと逃げる隙を窺っていた冒険者の男の姿が。
「クルト殿、良い観察眼を持っておられる。任されよう」
グリューは満足げに頷く。クルトたちはグリューに鍛えられ実力を飛躍的に伸ばしたが、それでも冒険者の男と相対するには、些か実力が足りない。それが判っているからこそ、グリューへと応援を要請したのだった。
「さて。クルト殿たちが後顧の憂いなく、実力を発揮出来るよう、一手お相手願えないか?」
「チッ! その油断が命取りになるんだよッ!」
冒険者の男は懐からある物を取り出し、勢いよく地面へと叩き付けた。
その瞬間、ボワッと辺りに拡散する白煙。
冒険者の男は、瞬時に気配を断ち切り、地を滑るように疾駆。
グリューの背後へと回り込むと。
(もらったッ!)
短い呼気を放ち、一閃。渾身の斬撃はグリューの首筋へ向かい――。
――キンッ! と甲高く澄んだ音が響いた。
「なッ――!?」
完全なる死角から放たれたはずの致死の一手。しかし、グリューには通用しなかった。
特殊能力〈鬼ノ眼〉を所有しているグリューには、小手先の目晦ましなど通用しない。知覚速度十倍の前にはあまりにも稚拙過ぎた。
「笑止」
目を見開き驚愕に固まる冒険者の最期の光景は、迫り来るグリューの大剣だった。
◇ ◇ ◇
圧倒的だ。予想はしていたが、これ程とは……。
俺はシステムウィンドウに映る戦場にて、勝鬨を上げる魔物たちに何とも複雑な感情を抱いていた。
三倍もの兵力差を諸ともせず圧殺。見事だと感心する反面、コイツラ強くなりすぎじゃね? と若干戸惑ってしまう。
総大将であるグリューから作戦内容は聞いていた。
まずは黒狼部隊によって吶喊。中央軍を喰い破り、敵軍を二分する。そして、左右に別れた敵軍を残りのダークウルフが側面から取り囲み、包囲網を築く。
ダークウルフによって包囲網が完成した後、歩兵である緑鬼部隊の半数が中央から侵入し戦闘。残り半数が左翼軍の側面から挟撃し殲滅していく。中央・左翼軍にほぼ全戦力を向け、残る右翼はシュヴァートが対処する。
聞いていた作戦概要は以上の通り。確かにこの通りに作戦は進んでいった……いったのだが……。
ダークウルフが〈影操作〉で弓矢を無効化したことに驚き。
そのダークウルフによって伯爵軍が混乱した隙を突き、〈影移動〉を使用しての急襲包囲網の迅速な構築速度に感心し。
精鋭部隊である狼鬼兵隊が指揮系統を即座に破壊し、緑鬼部隊が混迷極まる伯爵軍兵士を無情にも殺戮していく事に戦慄し。
シュヴァートが新たに広範囲殲滅攻撃を披露した事に苦笑し。
最期は堂々たる貫禄を以って、グリューが近衛隊を圧殺。クルトが敵討ちを果たしたことに、俺は呆れと共に無表情になってしまった。
結果は言うまでも無く完勝。ヒイロからの被害報告では、我が軍に死者はゼロ、重傷者二名、軽傷者二一名――ポーションによる治療によって回復済み――である。因みに伯爵軍は、全七一八名の死亡が確認されている。
何故、正確な数字が判るのかと言うと、どうやら眷属が殺害した者の魂が俺へと捧げられたからだ。魂なんて捧げられても使い道が無いんだけど……。
まぁ眷属からしたら戦利品を俺に捧げたって感じなんだと思う。アイツらも多分理解していないし。
因みに眷属ではないクルト達が殺害した近衛兵の魂は、ダンジョン領域だった為、獲得できた模様。
まぁそれはともかく。戦った訳でも無いに何だかどっと疲れたわ。俺は背もたれに身を預け、ふぅ~っと深く息を吐き出す。
「シャン様、おめでとうございます。シャン様の見事な差配により、我が軍は完勝致しましたわ。流石で御座います」
「え? あ、あぁ、そうだな。ありがとう」
とってもいい笑顔で祝福してくれるレイラ。精神的に疲労していた俺は、『総大将として頑張ったのはグリューなんだけど?』と、ツッコむ気にもなれず、曖昧に頷く。
眷属が俺を異様に持ち上げて来るのはいつもの事だしな。慣れたというより、気にしなくなってきたわ。
レイラが温くなった緑茶を淹れ直してくれたので、ずずぅーっと一口。疲れた心に沁み渡り、緑茶の香ばしい薫りが気分を解してくれる。
「さて、ひと息ついたことだし、頑張ってくれた勇士たちを出迎えるとするか」
俺は俺でこのダンジョンの主としての義務を果たすべきだろう。んしょっと重い腰を上げ立ち上がった。
「まぁ! シャン様が自らお出迎えになられるのならば、兵たちにとってこれ以上の褒美は御座いませんわね」
まぁ~た、レイラが俺をヨイショしてくるよ。つーか、ちゃんと論功行賞は行う予定だったから。その辺はちゃんとしないとな。
俺はレイラを伴って、勇士たちを出迎えに赴くのであった。
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*次回更新日は、2019/10/15 16:00の予定。
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