第一八話 旅立ち、そして蹂躙
サキュバスの報告から一週間。俺はダンジョンを離れるにあたって、防衛能力の強化に努めていた。
まずは、ダンジョン階層の増築。一層目は変わらず迷路状にしたまま、新たに二層目、三層目を増築した。
とはいえ、DPも潤沢にあるわけではないので、二階層目はだだっ広い草原地帯だったりする。それと隅っこに小さな鉱山も設置した。
この鉱山では、すっかり従順になったジョージ達を鉱夫として働かせている。毎日毎日えっさほいさとつるはしを振るっているようだ。
二階層では日々グリュー率いるゴブリン部隊が訓練を続けており、数匹はホブゴブリンやゴブリナに進化しているようだった。ゴブリンにも雌がいたことに驚いたっけ。
続いて三層目は、またしても迷路状にし、中央には広い闘技場じみた空間を設置。一応ここが最終防衛ラインとなるので、トラップ類も盛り沢山に詰め込んだ。
ここを突破されてしまえば撤退するしかないが、脱出時間を稼ぐ為にその先も一応迷路状にしている。更に奥に俺たちの居住空間や様々な重要設備を移築した。勿論、脱出路も構築済み。
設備等は特に変わっていないが、鍛冶の巫女という称号を有するココの為に、新しく鍛冶場を追加設置した。二層目の鉱山もこの為で、鉱山で産出した金属類を使って、配下の装備を拡充したいという狙いがある。狙いがあるのだが……。
『鍛冶したことないのです』
ココから齎された衝撃の事実。ココに詳しく訊ねると、どうやら鍛冶作業を行うのは土人族の中でも男だけだそうで、女であるココは鍛冶場への立ち入りさえ禁止されていたそうだ。
それでもココの鍛冶才能を眠らせておく訳にはいかない。昔ながらの悪しき因習などクソ喰らえだと、ココに鍛冶を命じると……。
『いいのですっ!? ココも鍛冶してもいいのですっ!?』
瞳を輝かせてめちゃくちゃ嬉しそうに喜んでいた。どうやらココは元々鍛冶に興味があったらしく、それからは毎日、鍛冶場へ入り浸るようになった。
カンカンと槌を一所懸命に振るうココに、『この様子ならすぐにでもいい装備を作ってくれそうだ』と、期待していた俺だったのだが……。
抑え付けられていた反動からか、皆が寝静まる深夜でもお構いなく槌を打ち付ける金属音が鳴り響き……深夜の鍛冶禁止を申し渡したのだった。
『ごめんなさいなのです……』
ショボ~ンと項垂れるココが少し可哀想だったが、シシリアとリーシャからの強い視線に、俺は毅然とした態度を取るしかなかった。
まぁそんな珍事があったわけだが、ダンジョンの増築は概ね完了したと言っていいだろう。本当はもっと増築したいんだけどね。DPがもっと増えれば、色々増築したいと思う。
あ、そうそう。ダンジョン領域も1㎢から5㎢まで拡大した。勿論、監視カメラ――イービルアイも各所に設置してある。
続いて、ダンジョン防衛能力の本命であるダンジョンモンスターだが……ダンジョン増築に結構DPを消費してしまい、あまり追加戦力は整えられなかった。
まぁそれでも、ダークウルフを二十匹、シュヴァート直轄部隊として追加召喚している。このダークウルフたちは、シュヴァート直轄部隊ではあるが、ゴブリン部隊と共に合同訓練させている。
戦闘に於いて機動力というのは、最も重要視すべきファクターだ。なので、ゴブリンとダークウルフを組ませ、ゴブリンライダーとして運用したいという思惑がある。
まぁまだあまり上手く行っていないけどね。将来性に期待しているよ。
という感じで、この一週間をダンジョン強化に費やしてきたのである。一週間も掛かっちゃったのは、DPが不足しては魔物を狩り、DPが不足しては魔物を狩り……を繰り返していたからである。
正直、かなりしんどかったが……まぁDP確保と同時にレベルも上がったし、一石二鳥だと思っておこう、うん。
さて、準備は整ったし、そろそろ情報収集の為、人里へ向かおうと思う。
ダンジョンの入り口である洞窟を抜けると、俺の見送りに来た配下たちが待っていた。
「シャン様……私はやはり同行させては頂けないのですか?」
まるで捨て犬のように悲しそうな瞳を向けて来るのは、シュヴァートであった。
「うん。お前はお留守番」
「そんなぁ~~!」
ガックシと項垂れるシュヴァート。だけど、お前を連れて行く訳にはいかないんだよ。
「シュヴァート。何度も言っているけど、お前が俺の留守を守らなくてどうする?」
「……シャン様」
「お前がダンジョンを守ってくれるからこそ、俺は外へ出られるんだ。お前だからこそ、な」
項垂れるシュヴァートに目線を合わせて、真剣な表情を作りながら言ってやると。
「シャン様はそこまで私に期待を……」
瞳をウルウルと潤ませ、感動に震えるシュヴァート。シュタッと立ち上がると、サッと敬礼してみせる。
「シャン様のご期待に添えるよう、このシュヴァート、粉骨砕身このダンジョンを守り抜くと誓いましょうッ!」
「あ、うん。頑張って」
「畏まりましたッ!」
おぉ~、適当な言い訳でこんなにもやる気を漲らせるとは……流石、アホのシュヴァートだ。
シュヴァートを同行させない一番の理由は……絶対に何かトラブルを起こすだろうからだ。俺に関係することに対して、良くも悪くも大袈裟なんだよなぁ~、シュヴァートって。
「シュヴァート殿。留守を任されたのは俺も同じだ」
少し不機嫌そうにそう言ったのはグリューだ。コイツもアホだし、留守番させることにした。
まぁダンジョン最大戦力であるゴブリン・ダークウルフ部隊を指揮しているのは実質グリューだしな。
ダークウルフは本来シュヴァート直轄部隊なのだが……俺のお世話があるという理由で――シシリアもいるし、シュヴァートは別に必要としていないのだが――、些事に構っていられないとグリューに丸投げ状態なのである。
「グリューも頼むぞ」
「はっ、お任せ下さい」
俺の激励に、グリューはスッと跪き答えた。
「シャン様、もうご出発なされるのですか?」
眷属を宥め――いや、激励していると、見送りに来たシシリアが少し不安そうな表情で言ってきた。
「おう。準備も粗方終えたしな」
「そうですか……シャン様、申し訳御座いません。わたくしのせいで……」
あ~そういうことか。シシリアは自分のせいで、俺がダンジョンを離れて情報収集しなくてはならなくなったと心を痛めているのか。
「別にシシリアのせいって訳じゃねぇよ。俺が平穏に暮らす為には、いずれ周辺国家の動向を調べないといけないとは思っていたしな。そんなに気にするなよ」
「……シャン様」
俺が気にするなとシシリアの頭を撫でてやる。すると……。
「あ~っ! シシリアちゃんだけずるいのですっ! ココも撫でて欲しいのですっ!」
そう元気よく割り込んできたのはココだ。すっかり鍛冶場の主となっているココだが、見送りには来てくれたみたいだな。
「お~撫でてやるぞ、ココ。よしよし」
「うふふ。ご主人様は優しいのです」
ココは目を細めて気持ち良さそうに頭を撫でられている。
「こ、ココちゃん!? だ、ダメでしょ。ご主人様なんですよっ!?」
リーシャが慌ててココを引っ張っていく。どうやらリーシャはココのように、まだ俺に心を開いていないみたいだ。
「何でなのです? ご主人様は優しいのですよ?」
「そうだとしても、わたしたちはメイドでしょ!」
「メイドだったらご主人様に撫でて貰うのはダメなのです?」
ココが残念そうに俺を見て来るので、俺は微笑みながらココの頭を撫でてやる。
「何も問題は無いぞ。ココは思う存分、俺に撫でられとけ」
「やったーなのですっ! やっぱりご主人様は優しいのです。リーシャちゃんも撫でて貰うのです!」
「えっ!? そ、それは……」
ココの思わぬ申し出に戸惑うリーシャ。まぁ仲間外れはいけないよな。
「リーシャもよろしく頼むな」
「は、はい……判りました」
ポンポンと軽くリーシャの頭を撫でてやると、リーシャは少し緊張気味でありながらも、ほんの少し口許を緩めていた。
さて。一応主だった者たちへ挨拶は済ませた。そろそろ出発するとしますかね。
「皆よろしく頼むな。んじゃあ、行くか、レイラ」
「はい。御供致しますわ」
うふふと微笑む妖艶な美女。この美女は元サキュバスで、レイラと名付けた。今回、唯一の同行者である。
レイラは元々サキュバスで人型の外見をしていたので、名付け進化を果たした後も、その容姿に目立った変化は見受けられなかった。強いて言えば、頭に生えていた翼のような角と尻尾を隠せるようになったくらいかな。あぁ、あるところのサイズも大きくなっていたっけ。
因みにレイラのステータスは以下の通り。
名前:レイラ LV24
種族:夢魔族
称号:シャンの眷属
性別:雌
年齢:0才
髪:黒 瞳:紫 肌:白
固有能力:『悪夢』
特殊能力:〈精吸〉
技能:「尋問」「礼儀作法」
魔法:「闇魔術(精神)」
耐性:「精神耐性」「暗闇耐性」
何とビックリ、レイラには固有能力『悪夢』が発現していたのだ。俺の配下では初めての固有能力保持者である。
この事実を知った時、俺は大層驚いたもんだが……それ以上にシュヴァートやグリューの落ち込みようが凄まじかったわ。
因みに『悪夢』の内容だが……。
『悪夢』……一定範囲内にいる全ての対象者に対して、強力な幻覚作用を付与。
正直、〈分析〉で得た説明ではよく判らなかったので、魔の森にいる魔物に使ってもらった結果……魔物は悲鳴を上げながらのたうち回り、更には体中の穴という穴から血が噴き出し、そしてピクリとも動かなくなった。
もう……あれね……ヤバかったとしか言い様が無いね。めちゃくちゃ物騒なスキルだったよ。
レイラは配下の中でもレベルは低いんだけれど、この『悪夢』が強力過ぎるので、正直トップスリーに入っていると思う。なので、レイラ一人だけが同行者でも問題ないってわけだ。
それにレイラは「尋問」スキルも所持しているし、情報収集にはもってこいの人材でもある。
「ではシャン様、私にお乗り下さい」
シュヴァートが人化を解き、本来の姿――黒狼となって、俺に背を向けた。
ダンジョン領域の端まではシュヴァートに送ってもらう事になっている。〈影移動〉でササッと移動出来たら良かったんだけど……〈影移動〉ではスキル使用者しか移動出来ないしね。
という事で、シュヴァートの背に乗り、レイラに手を伸ばす。
「有難う御座いますわ」
一つ一つの何気ない動作に色気があるんだよなぁ~レイラは。
レイラの細い綺麗な手を取り、グイッと引っ張り上げてやる。レイラは俺の後ろへと乗ると、ギュッと俺の腰に腕を回し――むみょんと嬉しい感触と共に密着してきた。
「……シャン様?」
《……マスター?》
シシリアとヒイロの抑揚のない声音がやけに耳に付く。そして感じる冷たい視線。
「んじゃ、い、行って来るわッ!」
俺は慌てて挨拶すると、シュヴァートを急かし、まるで逃れるように旅立ったのであった。……突き刺さる冷たい視線が消えるまで、少し時間が掛かった。
俺たちを乗せたシュヴァートが魔の森を縦横無尽に疾走。風景が凄まじい速度で視界を流れていく。
「うふふ。シシリア様、嫉妬しておりましたわね」
不意に聞こえたレイラの楽しそうな声。……おい、確信犯かよ。
「シシリア様には悪いですけど……今だけは独り占めさせて頂きますわ」
嬉しい感触が大きくなった。はぁ~……出発したばかりだけど、もう帰るのが何だか嫌になって来たわ。
「……我も居るのだがな」
《私も居ますが……》
シュヴァートとヒイロが少しつまらなさそうに呟いた。なので軽く首筋を撫でてやると、途端に走るスピードが加速した。単純な奴め。ヒイロにも脳内イメージで桃髪美少女の頭を優しく撫でてやる。
《あうぅぅ~……》
いっちょ前に照れてやがんの。
スキル「疾駆」を有するシュヴァートに運ばれ、ものの数分の内にダンジョン領域の端へと辿り着く。
「シャン様、到着致しました」
予定地点まで辿り着くと、シュヴァートが即座に降り易いように身を屈める。
「サンキュー、シュヴァート」
俺はレイラと共に降りると、感謝を込めてモフモフしてやる。やっぱりシュヴァートの毛並みは最高だなぁ。
「じゃあシュヴァート。ダンジョンは任せた。あとシシリアたちを守ってやってくれな」
「畏まりました。ダンジョンは私共下僕にお任せ下され。ではッ!」
黒狼のまま器用に頭を下げ、颯爽と走り去っていくシュヴァート。やっぱ速ぇなぁ~……。
「んじゃあ行くか、レイラ」
「はい。参りましょう」
レイラを伴い、さぁ行こうか、未知なる世界へ。目的地はアルメニア王国領内だ。
ダンジョン領域であれば、システムウィンドウ上からマップを確認出来るが、領域外ではそうもいかない。シシリアから魔の森周辺の地理は聞いているものの、正確性にはどうしても欠けてしまう。
出来れば今日中にどこかの村か街へと辿り着きたいところ。野宿は勘弁してもらいたいし、少し急ぎ足で魔の森を進む。
魔の森と呼ばれるだけあって、道中魔物とのエンカウントが多い。まぁ魔の森の浅い地域へと差し掛かっているので、そこまで凶悪な魔物は出現しないけどね。
そして、運悪く出会ってしまった魔物は、俺が何かするよりも早くレイラが瞬時に屠っていく。
そっと歩いて来た進路を振り返れば、点々と続く魔物の遺骸の数々……。その全てが赤い血に塗れ、変死体となって横たわっている。ちょっとしたホラーだよ……。
「レイラ……そろそろ『悪夢』の使用は控えろ。結構浅いところまで来たみたいだし、ここからは冒険者を装うぞ。『悪夢』を使っているところを見られるわけにはいかないからな」
俺は腰に佩いた剣をポンと叩いてレイラに示す。
人里に向かうにあたって、俺たちは冒険者を装う事にした。絶対に俺たちが悪魔族や夢魔族――所謂魔族だとバレる訳にはいかないからね。各地を旅する冒険者という設定なのである。
黒の外套に、腰に佩いた剣、そして革袋だけと、魔の森へ向かう冒険者としてはすげぇ場違いな格好だけれどな。防具類を交換するDPは残念ながら無かったのよ。
まぁジョージ達が使っていた防具を再利用しても良かったんだけど……これがめっちゃ臭いんだ。鼻がもげそうな臭さで、身に付けるのは諦めた。
「えぇ、畏まりましたわ。しかしシャン様、わたくし少し疑問なのですけれど……」
「ん? 何だ?」
歩きながらレイラに振り向く。レイラも俺同様、黒の外套に片手杖だけといった冒険者風の格好だ。だけれど……隠し切れない色香が漂っている。街へ到着したら絶対ひと悶着あるだろうなぁ~と、今から心底憂鬱だ。
レイラが害されるとは露程思ってないけど……変死体が山のように築かれそうで怖いのだ。どうか世の中の男性諸君、無謀な特攻は止めてくれよ……。
そんな俺の胸中など塵程も知らないレイラは心底不思議そうに言う。
「目撃者は全て抹殺すればよろしいのではないでしょうか? その方が確実だと思いますが」
「…………」
思わずあんぐりと口を開けて絶句する俺。
コレだよ、コレ。どうして俺の眷属はどいつもこいつも物騒な思考回路をしているんだよ……。平和って言葉、知ってるか? いや、知らないだろうな……。
「はぁ~……あのなぁ――」
俺は大きな溜息を吐き、何が問題なのかを説明しようとしたその時。
――キャァァアアアア!
突如、魔の森に響く甲高い悲鳴。そして続く叫声と怒号の数々。
俺はスッと目を細め、そしてチラッと横目でレイラを見た。
「わたくしはどこまでもシャン様にお供致しますわ」
レイラはニコッと微笑む。全て俺の判断に任せると。
まぁ俺の眷属ならそう言うよなと、頭の片隅で考えつつも思考を回転させる。
悲鳴が聞こえるくらいだ。俺たちからそんなに距離は離れていないだろう。助ける助けないに関わらず、状況は確認しておきたいところだな。
そう判断した瞬間、俺は悲鳴が聞こえた方へと駆け出す。
レイラが付いて来られる速度で魔の森を疾走し、そして次第に視界が開けると、俺は目を瞠った。
「穢れた血を引く亜人めッ! 死ねッ!」
「や、止めてッ!」
「お前らの居場所なんて無いんだよッ! オラァ!」
「イヤァアアッ!」
「ゲヘヘ、亜人のくせして、良い身体してるじゃねぇかッ!」
「い、いやぁあ! お願いですッ! 止めて下さいッ!」
「死ねッ! 死ねッ! 死ねぇぇぇえええ!」
「ギャァアア! う、腕がぁああ!」
眼前に広がる光景は、まさしくこの世の地獄と表現すべき凄惨な光景だった。
破壊の限りを尽くされたのだろう、赤く燃ゆる小さな村。
逃げ惑う者を哄笑しながら追い掛ける兵士。
無抵抗の女性を組み伏し、己が欲望をぶつける身なりの良い指揮官。
兵士の凶刃に倒れ、血塗れでのた打ち回る亜人の男性。
その全てに共通するのは、この村の者だろう亜人族や獣人族――所謂亜人が一方的に人族の兵士に襲われているということだった。
「如何致しますか?」
スッと俺の隣に立ち、周囲を警戒しているレイラが訊いて来た。
「さて、どうすっかな……」
突然の事に驚いたものの、レイラの声で少し冷静になった俺は、顎を摩りながら逡巡する。
正直に言えば、可哀想だとは思うけど、助けたいとまでは思えなかった。
目の前に広がる光景は、えげつない虐殺だし、嫌悪感が強いものの、憤りまでには至っていない。何と言うか……そう、テレビで戦争映画でも見ている気分だ。
多分、そんな風にしか思えないのは、この村の人々が俺とは全く関係のない見ず知らずの人たちだからだと思う。もし、シシリアが……ココが……リーシャが……そう想像するだけでも、俺の中に途轍もない怒りや憤りが湧き上がっていく。
そこで気付いた。いつの間にかシシリアたちは、俺にとって大切な身内になっているんだと。
では、目の前で救いを求める人々はどうか。
ん~やっぱり心の底から強い衝動が湧き上がって来ない。どちらかと言えば、面倒事に巻き込まれたくないという気持ちの方が強い気がする。
「ここってアルメニア王国の辺境だよな?」
「えぇ、間違いないと思われますわ」
「ん~じゃあ、この村を迂回しても焼野原になっちまっているのか。出来ればアルメニア王国で情報を集めたかったけど、後回しにしてカトレアに向かった方がいいのかもな」
当初の予定では、まずアルメニア王国で情報収集を行い、続いてカトレア王国に潜入する予定だった。
情報収集の優先度としては、第一に開戦についての情報だ。アルメニア、カトレア両国の軍勢規模及び、進軍経路、開戦予定地等々である。
魔の森と接している二国の動向は知っておかなければならない。飛び火して俺のダンジョンが危険に晒される可能性もあるのだから。
第二に、ロードスティン王国第一王子ラディウスに関する情報。どれくらい本腰を入れて、シシリアを捜索しているのか、その規模や本気度を確かめたいのだ。
流石にお膝元のロードスティン王国に潜伏するのはリスクが高いと判断。ジョージ達を捕縛した事が伝わっている可能性も勿論考慮してである。
無論、いつかはロードスティン王国へと潜入しなければならないだろうが、今はまだ時期尚早。アルメニア、カトレア両国が落ち着くまで様子見しようと考えている。
今回の潜入先は、アルメニア王国、カトレア王国のどちらでも良かったのだが、リーシャに聞いた話から判断して、まずはアルメニア王国に潜入すべきだと考えたんだけれど……。
《カトレア軍の侵略速度が、予想よりも早いようですね》
眼前の地獄絵図を見ている限り、俺もヒイロと同意見だ。
この村を迂回して次の村なり街なりに向かっても、既にカトレア王国軍に占拠されている可能性が高いだろう。ならば、当初の予定を変更し、カトレア王国に潜入した方がいいかもしれないな。カトレア王国内であれば、カトレア王国軍の動きが多少なりとも判るだろうし。
「うん、やっぱりアルメニア王国は後回しにして、カトレア王国に向かうか」
考えが纏まり、うんと一つ頷いた。すると、レイラがそっと口を挟む。
「宜しいので?」
「ん? 何が?」
問われている質問の意図が理解出来ず、俺は小首を傾げる。
「リーシャ様やココ様のことで御座います」
リーシャとココ……?
「彼女たちはこことは違う村出身だそうですが……散り散りに逃げた同郷の者が居るかもしれませんわよ?」
あぁ、なるほど、そういう事か。その可能性に関しては全く考えていなかったな。
「だけど、この中から一人一人訪ね回るのか? 『リーシャやココを知っていますか?』って」
リーシャとココの知り合いなんて、俺が知っているはずが無い。そんな状況でリーシャたちの知り合いを探すとしたら、一人一人聞き回らなければならないだろう。
そんな面倒な事、俺はしたくないな。リーシャとココは大切な身内だが、彼女らの知り合いは、言ってみれば俺とは無関係な人だし。
「申し訳御座いません。出過ぎた事を申しました」
スッと綺麗な所作で頭を下げるレイラ。どうやらレイラも、この村の人たちを助けたいとは微塵も感じていないようで、ただ確認事項として聞いて来ただけだったようだ。
「いや、気にするな。些細な事でも言ってくれる方がいい。俺は完璧超人じゃねぇしな」
「いえいえ、シャン様のような至高の存在は、この世にただ一人としておりませんわ」
レイラが微笑を収め、真剣な表情でそう言い切った。
あ~コレも俺の眷属の悪いところだ。俺を異常に持ち上げるんだよ、眷属たちは。
このまま問答しても無意味だし、誰かに見つかってしまうかもしれない。サッサと退散するとしますかね。
「判った、判った。それよりもサッサと退散して――」
「いやぁああ!」
突然、間近に聞こえた悲鳴に口を噤み、つい視線を向けてしまった。そこには、背中を血塗れにし、倒れ伏す一人の若い女性の姿が。背中を大きく斬り付けられ、ドクドクと止めどなく血を流している。
一目見ただけでも判った。これはもう助からないだろうと。
奥から血走った眼をした兵士がゆっくりとやって来るのが見えた。どうやらこの女性を仕留めに来たらしい。このままじゃあ、兵士に俺たちが見つかってしまうな。
レイラに視線を送って、即座にその場を離れようと踵を返したその時。
「……けて……この……子だけでも……お願……ます……どうか……この子を……」
微かに聞こえた弱々しい声。チラリと肩越しに振り返れば、真っ直ぐ俺を射抜く力強い瞳が。
ただひたすら真っ直ぐにその女性は俺だけを見詰めていた。もはや声を出す力さえ残っていないだろうに、ただ真っ直ぐに……。
俺は不意に立ち止まると、振り返り、女性の方へとゆっくりと歩いていく。
「シャン様……?」
レイラの不思議そうな声が後ろから聞こえてきたが、俺はそれに答える事無く、虫の息である女性の元へ。
近付いて初めて判った。血塗れの女性が大事そうに少女を抱えているのを。
腕の中の少女は全く微動だにせず、更に血塗れだったこともあり、一瞬『もう死んでしまっているのでは……?』と思ったが、よく耳を澄ませてみれば微かに呼吸音が聞こえた。
「……助けて欲しいか?」
俺は息も絶え絶えの若い女性に短く問う。
「この子……だけ……でも……ねが……ます……」
懸命に。ただ真っ直ぐに。強い意志を持って。
「俺は悪魔だ。悪魔は契約を必ず履行する。代償はお前の命だ」
俺の言葉に女性は――。
「わたし……なんかの……いの……ち……でよけ……れば……」
――弱々しくも安堵したように微笑んだ。
「では、お前の命を以って、契約を結ぶとしよう」
俺は影空間から非常時用に備蓄していた最上級ポーション――エリクサーを取り出す。
「後は任せろ。今は眠れ」
「ありが……ござ……す……」
限界などとっくに過ぎていたのだろう。若い女性は安らかな微笑を浮かべたまま、そっと目を閉じた。
俺は即座にエリクサーを背中の傷口に振り掛けた。まるで超速再生するかのように、傷口が塞がっていく。
そっと手首を取り、弱々しいながらも脈があることを確認して、心の中でホッと胸を撫で下ろした。
「アァンッ!? なんだテメェ? 冒険者が何故こんなとこに居やがるッ!」
耳障りな声が間近に聞こえた。スッと面を上げれば、血走った瞳の兵士が。
俺は無言で立ち上がり、能面のような無表情のまま兵士を真っ直ぐ見詰める。
「おいッ、テメェ聞いてんのかッ? 今は魔の森への――」
そこで兵士の言葉は途切れた。耳障りな声が消えて少しスッキリする。
なんてことは無い。ただウザったい粗野な兵士の首を掻っ斬っただけだ。
頭部が無くなった首元から噴き上がる鮮血の泉。血の雨が降り掛かって来るが――ジュウッと、俺に掛かる寸前で赤いオーラに阻まれて蒸発していく。
周囲を覆う赤いオーラの正体は、蒼炎と共に俺が編み出したオリジナルスキル――炎鎧。
グリューが「身体強化」スキルを行使する際、全身に魔力を纏うのが「魔力視」で見え、試しにその魔力に属性を加えた結果、取得した特殊能力であった。
スッと背後にレイラが無言で控えたのが気配で判った。
「殲滅する。ただ一人の兵士も逃がすな」
「畏まりました」
短い命令。レイラは恭しく頭を垂れる。
《マスター、サポートします》
任せた、ヒイロ。
「行くぞ」
レイラが返答するのも待たず、俺は凄まじい加速を以って、この世の地獄へと飛び込んでいく。
◇ ◇ ◇
シャンが助けた若い女性に抱き締められ、守られていた少女が目を覚ます。
甲高い悲鳴や、狂った怒号が鼓膜に突き刺さり、少女は恐怖に身を竦ませた。
気絶する直前の凄惨な記憶が蘇り、ギュッと目を瞑って声にならない悲鳴を上げる。
と、不意に少女は気付く。優しく、それでいて暖かなものに抱き締められているのを。
薄っすら目を開ければ、間近に見えたのは愛おしい姉の顔だった。
良かった、生きていたんだ……と、安堵する少女。だが次の瞬間には気付く。姉が血塗れになっていることに。
少女は慌てて姉の腕の中から飛び出す。直ぐに姉の身体を隈なく調べ……そして、ほっと胸を撫で下ろした。
姉は生きていた。血塗れになっているものの、傷らしい傷もなく、ただ気絶しているだけだと判り、心の底から安堵する。
だが、直ぐに状況を思い出し、ハッとする少女。逃げなくてはと、小さな身体で姉を担ぎ上げようと試みるものの……やはり小さい少女では、姉を担いだまま、満足に歩くことも出来なかった。
少女は溢れ出しそうになる感情をグッと奥歯を噛んで堪える。必死に助けを求めるように辺りを見渡し――そして、見た。
村の皆を襲ってきた兵士が鮮血を噴き出し、四肢を斬り飛ばされ、蒼い炎に焼かれ、命を散らしていくのを。
自分たちが成す術も無く虐殺されるだけだった兵士を蹂躙する二人組の男女。
野原を散歩するが如く戦場を歩く、赤いオーラを纏った黒髪の男性――いや、黒い翼に二本の角を有している魔族だ。
襲い掛かって来る兵士を一顧だにせず、次々と蒼い炎を立ち昇らせ、淡々と屠っていく。
その黒髪の魔族と同じ様に、優雅に戦場を歩く女性もまた、黒い翼に細長い黒い尻尾を有した魔族であった。
妖艶な微笑を浮かべ、近付く兵士にそっと手を翳す。すると、手を向けられた兵士は、突然全身から血を噴き出し、深紅の華を咲かせていく。
少女は、ただただ茫然と目の前の光景を眺め続けた。
蹂躙に蹂躙を重ねる魔族の二人組を見ても、少女には何故か恐怖心が湧いて来なかった。
それはこの少女だけではなく、襲われていた村人たちも同様だった。一様に茫然とし、ただただ目の前の光景を、息を呑んで見守るだけだった。
鮮烈な光景は、村人にある感情を刻み付ける。
それは恐怖心ではなく、二人の魔族に対する崇拝に似た感情であった。
*ここまでご覧下さって、誠にありがとうございます。
*次回更新日は、2019/9/24 16:00の予定。
*ブクマ登録、評価、感想等々よろしくお願いします。
*誤字脱字、設定上の不備、言い回しの間違い等発見されましたらご指摘下さい。