第一二話 シシリアの小さな願い
「わたくしが意識を取り戻したのは、それから随分経った後でした。エリーはわたくしを抱えながら王都を脱出し、この『魔の森』までやって来たのです」
シシリアが辛そうな表情ながらも淀みなく話すのを、俺はじっと静かに聞いていた。
「どうやら屋敷に王国軍兵士が押し掛けて来た時には、もう既にわたくしの両親は処刑されていたそうです。エリーからそう聞かされました」
そうか……シシリアの両親はもう既に……。
「エリーは本来お父様の護衛だったのです。お父様が王城で囚われる間際、エリーを逃がし、最期の命令をしたそうです。『シシリアだけは絶対に助けろ』と。ご自身の身よりも、わたくしのことを案じて……」
シシリアはキュッと唇を噛み締める。膝に置かれた手がグッと握り締められ、微かに震えていた。
「なんとかエリーたちと共に『魔の森』まで逃げ切れたのですが……運悪くマンティスと遭遇してしまい、エリーたちはわたくしを逃がす為に……」
もう堪え切れなかったのだろう。シシリアは嗚咽を漏らし泣き出してしまった。
「誰も居無くなってしまいました。わたくしのせいで皆が死んでしまった。もうわたくしなんて生きている意味が無い。そう思っていました。そして、わたくしも魔物に遭遇してしまい、ジュリアと同じように身体を刺し貫かれて」
そこからの話は判る。俺がシステムウィンドウから侵入者を発見し、駆けつけたんだからな。
「あぁこれでわたくしも皆の所に行ける。そう思って死を受け入れようと……でも、そんな時、近くに誰かの気配を感じたんです」
あぁ、その誰かの気配ってのは、俺の事だろうな。
「そんな時、ジュリアの言葉が蘇ったんです。だからわたくしは必死に……」
あぁ、覚えているよ。必死に助けを求める君の瞳をな。
「ふぅ~、ごめんなさい。これがわたくしに起こった全てです。どうしてもシャン様にはお伝えしたいと」
心を落ち着けるように、シシリアは深く息を吐き出し、涙を拭った。
「そうか……」
かなり重い話になんと答えればいいのか判らず、ただ頷くことしか出来なかった。
判っていたつもりだった。シシリアが目覚めた直後に見せていた暗い瞳を見て、何かを抱えていることは……。
でも、想像以上に重苦しい話だった。正直、胸糞悪い話だと思うし、可哀想だとも思う。だけれど、同情はしない。だって、あんな平和な地球にさえ、人種差別問題はまだまだ根深く残っているしな。
「話は判った。正直、かなり胸糞悪い話だったが……同情はしない」
「えぇ、わたくしも同情なんてしてほしくはありません」
きっぱりと言い切ったシシリアに、俺は思わず「ほう」と感心してしまう。
「ただ……シャン様に一つお願いがあります」
お願い……? 一体なんだろう?
「勿論、今のわたくしが置かれている立場は重々承知しておりますし、こんな事を言える立場では無いかもしれませんが……」
「まぁいいから話せよ。じゃないと何も決められないから」
俺がそう促すと、シシリアはふぅと深く息を吐き出し、真っ直ぐに俺を見詰めて言う。
「シャン様、わたくしをこのダンジョンに置いて下さいませんか? メイドでも雑用係でも性処理道具としてでも構いませんっ! お願いします! わたくしにはもうどこにも居場所が無いんですっ!」
前のめりに強く願い出るシシリア。ゆったりとした服装で今まで気付かなかったが、中々に良い物をお持ちで――って、待て待て待て! 聞き捨てならない単語を聞いた気がするぞ?
《性処理道具と仰っていましたね》
「そうだ、今性処り――じゃねぇ! 今、ダンジョンって言ったな?」
「えぇ、ここはダンジョンなのでしょう? そして、シャン様はこのダンジョンの主――ダンジョンマスターだとシュヴァート様から」
……おい、シュヴァート。テメェ、それは言っちゃいけねぇ情報だろうがッ!
俺が鋭くシュヴァートを睨み付けると、ビクッと震え、途端にソワソワし出す。
「シャ、シャン様? 何か失敗してしまったでしょうか?」
ビクビクしながら、俺に問い掛けて来るシュヴァートにチョップをブチかます。
「――痛ッ!? シャ、シャン様!?」
「『失敗してしまったでしょうか』じゃねぇ! テメェ、何サラッと部外者に最重要情報を話しているんだよッ!」
「痛いッ!? も、申し訳――イタぁ!? 御座いません――あべしッ!?」
「シュヴァート様!? お、お気を確かに!」
俺の渾身のチョップがクリーンヒットし、シュヴァートは出してはいけない悲鳴と共に蹲る。
シュヴァートの中身は魔物だとしても、人化状態では幼げな少年だ。シシリアが思わずシュヴァートの元へ駆け寄り抱きかかえる。
――むにょん。どことは言わないが柔らかい何かがシュヴァートに押し付けられ形を変えるのを目にし、ますます苛立ちが募る。
《羨ましいのですか?》
むちゃくちゃ羨ましいわッ!
「シシリア、すまん。我は大丈夫だ。……我は何を失敗してしまったのだろうか?」
「えっと……ダンジョンの事をわたくしに伝えたからではないでしょうか。わたくしも聞いた時、とても驚きましたし……安易に教えてはいけない情報だと思いますよ」
「そうか……それでシャン様はお怒りに……うぅ、またシャン様にご迷惑を……」
「シュヴァート様、たとえ失敗してしまったとしても、今後同じような失敗をしないようにすれば良いのです。わたくしに判る事であれば、お教え致しますから頑張っていきましょう」
「うむ。シシリアの言う通りだ。以前シャン様も同じような事を仰っていた。すまんが、世話になるぞ、シシリア」
「はい、シュヴァート様」
至近距離で見つめ合い、そして微笑み合う二人。
……ナニコレ? 俺、今何を見せられているんだ? まるでリア充の睦言を聞かされている気分だ。
「おい、お前ら。いつまでそうしている? さっさと離れやがれッ!」
「「も、申し訳御座いません!」」
バッと勢いよく離れ、土下座する二人。……チッ、行動も言動も息ピッタリじゃねぇか。ハラワタガニエクリカエリソウダ。
《男の嫉妬ほど醜いものはありませんね》
うっ。た、確かにな……。
「ハァ~……もういいや、バカらしくなった。とにかく座れ」
土下座状態のままじゃ、ちゃんと話し合えないからな。とにかく二人を立たせる。
「シュヴァートが口を滑らしたんだな。シシリア、どこまで知っている?」
「えっと……シュヴァート様が黒牙狼という魔物であること。ここがダンジョンだということ。シャン様がダンジョンマスターであること。わたくしのような見ず知らずの者に、貴重なエリクサーを使って頂いたこと。それから……」
シシリアが指折りしながら、シュヴァートが漏らした事を上げていく。そして、俺は気付く。
「全部じゃねぇかッ!」
「シャン様、申し訳御座いませんッ!」
ズサッと、フライング土下座をかますシュヴァート。おうおう、そこで反省しとけ。
「ハァ~……これも俺のミスだな。ちゃんとシュヴァートに伝えておくべきだったか。今後の課題として……まぁ今はいいや。で、シシリアはその全てを知った上で、ここに残して欲しいと言っているんだよな?」
「はい、その通りです」
「そうか……。さっきお前は、『自分の置かれている立場』を判っていると言ってたよな? それ、本当に判っているのか?」
俺はジッとシシリアの眼を見詰めて問う。シシリアがここに残ることの意味をちゃんと理解しているのかどうかを見極めるように。
「えぇ、重々承知しておりますわ。ロードスティン王国から指名手配を受けているわたくしがこのダンジョンに置いてもらうリスクを」
ふむ。伊達に公爵令嬢だった訳じゃなかったようだな。しっかりと理解した上で、願い出ている。どうやらウチのポンコツ執事とは違うみたいだね。
「ちゃんと理解しているならいい。好きなだけ居ればいいさ」
「よろしいので?」
「ただしッ! 枷はしてもらうことになる」
「……枷、でございますか?」
枷。それは『支配者』のスキルを使って、シシリアを奴隷に堕とすということ。
「あぁ。俺は〈奴隷術〉が使える。ここで過ごしたいというなら、奴隷に堕ちてもらうぞ」
「それは……わたくしがここの情報を漏らさないようにする為ですわね?」
あぁ、シシリアはちゃんと判っている。奴隷に堕とされる意味を。
コクリと首肯すると、シシリアはふぅと胸に手を添え、深く息を吐き出すと、真っ直ぐ俺を見詰めて来た。
「畏まりました。その条件を受け入れましょう。どうぞ、お好きなように」
シシリアはスッと目を閉じる。
どうやら覚悟は出来ているようだ。俺は立ち上がって、シシリアの額に手を触れると、奴隷術を行使した。
俺の手から魔力が流れ、シシリアの細い首元へと集まると、赤と黒の紋章が刻まれる。
「もういいぞ」
そう声を掛けてから、シシリアに鏡を渡してやる。
シシリアは反射率の高い鏡に驚きながらも、首元に刻まれた赤と黒の奴隷紋をしきりに触って確かめていた。
「まぁ奴隷といっても特に酷い制限は付けていない。ここの情報を部外者に秘匿しろってぐらいだ。それからウチは人手不足だし、ちゃんと働いてもらうぞ」
俺がそう伝えると、シシリアは何故か満面の笑みを浮かべ喜ぶ。
何故だ? 普通奴隷に堕とされたら悲しむだろうに。
「有難う御座います、シャン様っ! 今夜からちゃんと働かせて頂きますわっ!」
えーっと……何故、今夜から? あぁ、そうか。まだまだ本調子って訳じゃないんだな。仕方がないか。まだ目覚めたばかりだし。
「そうか。色々聞きたいことがあったんだが……明日にした方がいいかな」
早急に情報収集したいところではあるが、病み上がりの少女を酷使する訳にもいかない。そう思って、お暇しようとしたのだが。
「はい? わたくしは大丈夫ですよ? 何でも聞いて下さい。シャン様に頂いたたまご粥のおかげで元気が出ましたから」
「お、おぉ? 元気なら色々聞かせてもらうか」
「はいっ、シャン様」
奴隷堕ちしたはずなのに、グイグイと来るシシリアにちょっぴり引きながら、聞きたかった情報を聞き出していくのだった。
――そして、その夜。
そろそろ眠ろうかと、布団に入った時、コンコンとノック音が。
いつも夜は独りで狩りに出掛けるシュヴァートがこんな時間に来るなんて珍しい。何かあったのかなと思いながら入室を許可してやると……。
「失礼致しますわ」
そこにはシュヴァート――ではなく、シシリアの姿が。それも肌着のみの扇情的過ぎる格好で。
「シャン様、今夜のお勤めを果たしに参りました」
サッと布団の傍で膝を付き、頭を下げるシシリア。その顔は真っ赤なリンゴのように赤面していた。
状況が掴めず、混乱してしまう俺。そんな俺に気付かずに、シシリアがそっと布団を捲り――。
「シャン様、シシリアの食事用に何匹か獲物を仕留め……失礼しました。ごゆっくりお楽しみ下さい」
と、タイミング悪く(?)シュヴァートが訪れ、そして一礼し、退出していく。
予想外の出来事の連続に呆然としてしまう俺だったが、パタンと扉が閉まる音がやけに脳裡に響き、なんとか再起動を果たす。
「ちょっと待ってくれぇぇ、シュヴァートぉぉぉ! これは誤解なんだぁぁあ!」
閉じられた扉に手を伸ばし、まるで浮気現場を妻に目撃された不倫夫のように絶叫してしまう。
「うぅ……恥ずかしいです……」
なんか隣ではシシリアの恥ずかしさパロメーターが限界突破したらしく、頭から湯気を出して、目を回しているし……。
あぁ、そうか。そうだったのか。
慌て恥ずかしがるシシリアを見て、冷静になった俺は今更ながらに気付く。昼間シシリアが言っていた『今夜から働く』とは、こういう意味だったのかと。
「え~と……んんっ、その、シシリアさん?」
「は、はいっ!」
「こういうのは、その……しなくていいから。取り敢えずはメイドとして、その、働いてくれたら充分だからさ」
「…………………………はい、判りました」
何その間は!? そして、めちゃくちゃシュンとしてるぞ!? つーか君、シュヴァートといい感じじゃなかったっけ?
ショボ~ンと肩を落とし、出て行くシシリアが何とも哀れで居た堪れなく。俺は咄嗟にいつも使っている黒の外套をシシリアの肩に掛けてやる。
「まだ病み上がりなんだから、暖かくして寝ろよ。明日から色々と働いてもらおうと思っているんだからさ」
な、何だ!? この気恥ずかしい雰囲気はッ!
「シャン様……ありがとうございます。明日から頑張りますね。それでは……おやすみなさいませ」
俺が掛けた外套をギュッと抱き締めながら、シシリアはハイライトの消えた瞳のまま退出していった。
一人残された俺は、思わずはぁぁぁぁあ~っと長く深いため息を吐き出し、ドサッと布団に倒れ込む。
ちょっと……いやかなり焦った。つーか、シシリアグイグイ来過ぎじゃね? シュヴァートの事はいいのかよ。
予想外の出来事が続いたせいで、なんか異様に疲れてしまった。もしかしてシシリアって亜吸血族じゃなく、サキュバスだったりしないよな?
そう思って、シシリアのステータスを再確認してみる。
「ふぅ~、見間違いじゃなかっ――ッ!?」
確かにシシリアの種族は、間違いなく亜吸血族だった。だが、とある項目に見慣れない文字が追加されていた。俺は大きく目を瞠り、何度も見返す。
「な、なんじゃぁこりゃぁぁあああああ!」
その夜、俺の絶叫が門番をしているゴブリンにまで聞こえたそうな。
仕方が無いと思う。だって、新たな称号がシシリアに付いていたんだから。
『称号:元ロードスティン王国ブラットフォールン公爵家令嬢・シャンの奴隷(愛妾)』
愛妾だと……!?
「愛妾……つまりはお妾さん……おい、待て! 本妻が居ないのに愛妾って……どんな称号システムだよッ!」
称号システムの謎が深まった夜であった。
……因みに他の眷属の称号を再確認してみたが、どこにも『本妻』の文字が無く、ちょっぴりホッとした俺であった。
《ふっふっふ。それはですね。私が本さ――》
ないから。それだけは無いから。
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*次回更新日は、2019/9/6 16:00の予定。
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