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第一一話 シシリアの過去


 コンコンコンと、ノックの音が聞こえた。ん? ノック?

 誰がノックなんて……と小首を傾げながらも許可を出してやると、そこにはシュヴァートの姿が。


「シャン様、シシリアの食事が終わりました」


 そう報告するシュヴァートをまじまじと俺は見詰めた。


「な、何か粗相をしてしまったでしょうか?」

「ん~いや、別にそういう訳じゃないんだけど……まぁいいか」


 俺がジッと見詰めるからかシュヴァートが何か勘違いをしたようだけど……これは俺の知らないところで何かあったな。何せあのシュヴァートがシシリアの名を口にしたんだから。


《ふふふ。まぁ良いではありませんか。悪い変化ではないのですから》


 何かあったのかヒイロは知っているみたいだが……まぁ確かに悪い変化じゃなさそうだ。シュヴァートを残すことが少し不安だったんだけど、結果上手くいったようで何よりだわ。


「シャ、シャン様!? 何をニヤニヤと……はっ! まさか、この短時間で抜け出したのでは!? お一人で外出なされないよう強く申したではありませんかッ! 危険なマネはなさらないようにとッ!」


 ずいっと近付き、柳眉を逆立てるシュヴァート。お、落ち着けって。というか、顔が近ぇ……。


「待て待て待て。別に抜け出したりしてねぇから。色々考える事があったから、ずっとここに居たぞ」

「…………本当ですか? そのお言葉、御自身に誓って嘘ではありませんね?」


 ……あるぇ? もしかして俺って信用ないの? というか、『御自身に誓って』って……普通、ここは『神に誓って』とかじゃないの?


《シュヴァートにとっての神は、マスターの事ですよ?》


 あぁ、そうか。シュヴァートにとっての神は、俺の事なんだな。ここでも神様扱いかよ……もうお腹いっぱいです。


「嘘じゃねぇよ。シシリアから得た情報の整理と、後で聞こうと思っていた情報の選別をしていたんだよ。ほら」


 びっしりと文字が書き込まれたメモをシュヴァートに証拠として見せてやる。


 受け取ったシュヴァートは文字を目でじっくりと追っていき……。


「申し訳御座いません、シャン様」


 誤解が解けたのか、シュヴァートは素直に頭を下げた。そして、頭を上げるとキッパリと言い放つ。


「私は文字が読めません」


 ズコーッ! 思わずズッコケそうになってしまったわ。シュヴァートよ、いつの間にお笑いを学んでいたんだ……。


《いえ、天然だと思います》


 だよねぇ……。


「ま、まぁそれはまた今度教えてやるよ。あいや、シシリアも文字が判るよな。アイツに教えて貰え」


 俺の場合、スキル「異世界言語」によって、文字が変換されているって感じだし、ちゃんと一から教えられる気がしないのだ。……まぁ、メンドクサイってのもあるけど。

 あ、でもシシリアに教えて貰うっていうのは、無理かもしれんな。シシリアは怖がっていたし、シュヴァートも毛嫌いしているみたいだったしな。


「シシリアですか……。確かにあの者も文字が理解出来ていたようですし、シシリアに教えを乞う事に致します。このような些事にシャン様のお手を煩わせてしまうわけにも参りませんので」


 しかし、それは俺の杞憂だったようだ。素直にシシリアに教えを乞うとシュヴァートは言う。


 ふ~ん。やっぱり何かあったみたいだ。なんかすごぉ~く気になるけど、聞き出すのは無粋だしな、人として。……あれ? 俺って人じゃなく悪魔だし、問題ないのか?


 まぁとにかく、シシリアの所に向かうことにするか。


「……シャン様。先程から私の顔を見て、何故ニヤニヤとしているのですか? はっ! まさかやっぱり、抜け出して――」

「天丼はよろしいッ!」


 チョップをかましてシュヴァートを黙らす。あうあうと頭を押さえ涙ぐむシュヴァート……お前、あざとすぎじゃね?


 そんなバカなやり取りをしつつ、牢屋に辿り着いた。


「入るぞ~」


 一応声を掛けながら中に入ると、シシリアが立ち上がり、綺麗な所作で腰を折って俺を出迎える。


「お待ちしておりました、シャン様」

「おう。それにしても見事なもんだな。まさしく令嬢って感じだわ」

「お褒め頂き、光栄に存じますわ」


 素直に賛辞を贈ると、シシリアはポッと頬を染める。……可愛いのう。


 シュヴァートが椅子を引いてくれたので、軽く礼を言って着席。いきなり本題に入るようなことはせず、まずは世間話がてら、シシリアの様子を探ることにした。


「ちゃんと飯は食ったみたいだな」

「ええ、とても美味しかったです。優しく心が暖まるようなお味でした。このようなお料理をわたくしの為にお出しくださり、誠に有難う御座います」

「口に合ったようでなによりだよ。というか、そんなに畏まらなくてもいいぞ。肩凝っちゃうだろ? 気楽にしとけ」

「シャン様、この私、シュヴァートが肩をお揉み致し――」

「いや、いい」


 素気無く断ると、ショボ~ンとシュヴァートが落ち込む。つーか、なんかいつにもまして積極的だな、お前。


「では、僭越ながらわたくしが――」

「いらねぇからッ! というか何でシシリアが張り合ってんだ」


 何だ何だ? なんでシシリアも肩を揉みたいとか言い出すんだ? 


 凄まじい殺気を放つシュヴァートに、微笑みながらも真っ直ぐ睨み返すシシリアの図。……マジで意味が判らん。


《では、間を取って私が――》


 お前は出てくんなッ!


「ゴホンッ。とにかく! シシリア、体調はどうだ? 問題なさそうなら、色々聞きたいことがあるんだけど」


 とにかく軌道修正。よく判らんが一発触発の雰囲気を強引にぶち壊す。


「あっ……え、えぇ。少し身体が重いですけど、激しい運動をしなければ問題ありません」


 そうか。少し怠いのは四日間も眠っていたからだろうな。というか……何故『激しい運動』の所でベッドを見る? 誘ってんのか、アァッ!? 誘いに乗るぞ、コラァ!


《お巡りさんはどこですか~?》


 ヒイロ……それはシャレにならないから、やめてくれない?


 まぁ冗談は置いといて。話すくらいは問題なさそうだな。


「なら、早速で悪いが、シシリアに聞きたいことがあるんだが――」

「シャン様、その前にわたくしの話を聞いて頂けませんか?」


 俺の言葉をシシリアは遮った。ん? いつものシュヴァートなら俺の話を遮る輩にブチキレそうなものだが……静かだな。

 あぁ、なるほど。シシリアの眼を見れば、何でシュヴァートがキレなかったのかよく判る。


 澄んだ青空のような瞳。ジッと俺を見詰めて来るその蒼い瞳はとても真剣だった。


「……判った。話を聞こう」

「有難う御座います。では、お話させて頂きますね。まずわたくしの正体ですが……ロードスティン王国の公爵令嬢でした……あまり驚かれてはいませんね」

「まぁな。ステータスで判ってたし」


 そうでしたわねと、フフフと微笑むシシリア。


 食事を摂る前のシシリアはどこかテンションが振り切れおかしかった印象だったのだが……今はとても落ち着いているような気がした。多分だが、シュヴァートが何か言ったのではないだろうか。


「シャン様ならば、お気づきかと思いますが……わたくしはロードスティン王国を追放……いえ、正確な表現ではありませんね。わたくしはロードスティン王国から指名手配を受け、逃亡している身なのです」

「何かやらかしたのか?」

「いえ、罪に問われるような事は……いえ、違いますね。わたくしという存在自体が罪なのです」


 ん? どういうことだ? シシリアの存在自体が罪って。


「ロードスティン王国……というより全ての国家では、魔族と呼ばれる種族は全て悪とされています。魔族は人族(ヒューム)に仇成す悪しき存在だと……魔物と同様に排除しなければならない存在と考えられています。そして……シャン様もご存じの通り、わたくしは人族(ヒューム)ではなく、魔族の血を引く者です」


 魔族の血を引く者……なるほど。シシリアの種族は亜吸血族(デミヴァンパイア)だ。このデミっていうのは『半分』とかいう意味だったはず。つまり、半人族であり、半魔族でもあるってことか。


「どうやらわたくしのご先祖様の一人が魔族であったそうで、わたくしは隔世遺伝というものだそうです。両親はわたくしとは違い純粋な人族(ヒューム)でした。なのに……なのにッ!」


 感情が抑えきれなくなったのか、シシリアは涙を流しながら訥々と語り始めた。




        ◇   ◇   ◇




 シシリアが自分の本当の種族を知ったのは、五歳になる年の事だった。

 偶然、両親がシシリアの事について相談している所に出くわし、自分の本当の種族を知ってしまったそうだ。


 まだ幼かったシシリアにとっては、受け止め切れる話ではなく、当時は凄まじい絶望に圧し潰されそうになったという。

 ようやく五歳になろうかという幼子でも知っていた。魔族という存在がどういったものなのかを。そして、ロードスティン王国で徹底的に敵視されていることを。


『自分は皆とは違う。仲の良い友人とも、愛する家族とも……誰とも違うんだ……生きていちゃダメなんだ……』


 絶望のあまり川に身を投げてしまったこともあったらしい。それ程までに幼いシシリアを追い詰めてしまったのだ。

 ただ、その時は運よく助かり、涙を流して自分を抱き締めてくれた両親に心を救われたという。こんな自分でも愛してくれる、必要としてくれている人がいるんだと、何とか踏み止まれたらしい。


 ブラッドフォールン家にとっては、祖先に魔族に連なる者が居ることは、代々語り継がれていたそうな。後世に魔族の血が色濃く出てしまう可能性を懸念して、公爵家の秘密として申し送りがなされていたそうだ。


 その為、シシリアの家族も、勿論魔族の血を引いているのだ。ただステータスに表示されないだけで。

そして、長年に渡って代々公爵家に仕えて来た者。ごく一部の者は公爵家の秘密を知っており、シシリアに対して変わることのない愛情を注いでくれたのだった。


 両親の愛情、公爵家に仕える者たちの優しさに救われ、徐々にシシリアは立ち直り、昔の様に笑えるようになった。心に黒い棘が刺さったままなのを必死に隠して……。


 それから十年後、シシリアは公爵家令嬢として立派に育った。品が良く、美しい姫君だと貴族たちの間では評判の娘であった。


 そして、極め付きは、シシリアの婚約者。ロードスティン王国の第一王子である。

 人徳に溢れ、穏やかな性格。更には頭脳明晰でありながら、武術の才能もあり、誰もが憧れ尊敬する、まさしく王子様であったのだ。


 貴族の間では、素晴らしくお似合いのお二人と評判だったそうだが、シシリアには負い目があったし、それに……その第一王子に対して何だか得体の知れない気味悪さを感じていたそうだ。しかし、婚姻とは家と家の取り決めだ。シシリアには選択の権利など無かった。


 それでもシシリアは満足していた。人並みの幸せを噛み締めて、感謝していた。ただ……本当の種族を隠していることは、いつまでも心の奥に黒い棘となって刺さったままになっていたが。


 そして、絶望の日は……唐突に訪れることになる。


 その日、シシリアは普段と変わらず読書を楽しんでいた。すると突然……。


 ――ドカァァァンン!


 と、屋敷全体を揺るがす爆音が轟いた。


「お嬢様、早くお逃げ下さいッ!」


 シシリアの私室に駆け込んできたのは、シシリアの教育係であった老齢のメイドであった。


「一体、何があったの!?」


 品が良く、いつも優しく微笑み掛けて来てくれた老メイドの鬼のような形相に、シシリアは只ならぬ事態が起こっていると感じ、問い掛けるものの……。


「いいから、早くッ! 説明している暇はありませんッ!」


 老メイドはシシリアの腕を強く掴み、強引にシシリアを連れ出す。

 廊下を必死に走る二人。その間にも爆音が二度、三度と轟く。


「侵入者ですか? お父様や、お母様はご無事なのですかッ!?」

「……」

「ジュリア、答えてッ!」


 シシリアは老メイドの手を振り切り、立ち止まって真っ直ぐ見詰めた。


 老メイドは説明している暇は全くないと、再度シシリアの腕を強引に掴もうとしたが、シシリアはそれを避け、答えるまではここを動かないと真剣な瞳を向け続ける。


 その強い意志の前に、老メイドが折れ、苦し気に口を開いた。


「……王国上層部にブラッドフォールン家の秘密が漏れてしまいました」


 ――ブラッドフォールン家の秘密……? 何かお父様が不正を働かれたのかしら……?


 そんなバカバカしい考えが脳裏を過ぎった。が、即座に否定する。


 シシリアの父親――ゴーエン・ブラッドフォールンは、公明正大な人物と知られ、宰相職に任じられるほど王に信頼されている重要人物だった。

 シシリアにとっても尊敬できる父であり、そのような人物が不正を働くなど想像も出来ない。


 ――なら、一体何が……はっ!? まさかっ!?


 シシリアは気付いてしまった。ブラッドフォールン家の秘密……それは……。


「……わたくしの事ですね?」

「……」


 老メイドは答えなかったが、その苦し気な表情が如実に物語っていた。


 今、この屋敷を襲撃しているのはただの賊ではない。王国軍であると瞬時に理解したシシリアは、ふぅと息を吐き出し、決意する。


「わたくしはこのまま王城へ出向きます」


 顔面蒼白ながらも、強い意志を見せるシシリア。凄まじい気品に、老メイドは一瞬呑まれてしまうが、すぐさまシシリアを諫める。


「お、お止め下さい、お嬢様! 今、王城へ向かえば――」

「判っています。当然、わたくしは打ち首でしょうね」


 悲しそうに微笑むシシリア。

 魔族である自分が王城へ向かえば、どうなるかなどシシリア本人にも判っていた。


「それがお判りなっているのならば、お止め下さいっ!」

「いいえ、ジュリア。わたくしのせいで皆に迷惑を掛ける訳には参りません。あの優しき王であれば、御家取り潰しは免れないかもしれませんが、貴方たちの助命嘆願くらいは受け入れてくれるはずです」


 泣きながらシシリアの足許に縋り付き、止めようとする老メイドに優しく声を掛けた。

 気高き心、折れぬ決意の前に、老メイドは何も返せず、ただただ嗚咽を漏らして蹲る。

 シシリアは、幼少期から仕えてくれた老メイドを労わるように、そっと優しく背中を摩った。


「ジュリア……貴方にはとても感謝しています。わたくしのような者にも、厳しく、そして優しく接してくれて……」


 老メイドと過ごした月日を思い出し、思わず涙が溢れ出しそうになるのをグッと堪える。


「早くお逃げなさい。このままでは貴方までも――」


 だが、それは少しばかり遅かった。


「いたぞッ!」


 その声に振り返れば、すぐそこまで迫った王国軍の姿が。


「早く逃げなさいっ!」


 シシリアは老メイドを無理やり立たせて、その背中を押す。


「おいッ! 逃がすなッ! シシリア嬢以外は皆殺しと命令を受けているッ! 決して逃がすなッ!」

「そんなっ!? わたくしは抵抗なんて致しませんっ! 彼女は無関係で――」

「黙れッ! 魔族の言うことなど聞く必要無いッ!」


 シシリアが必死に乞うものの、王国軍兵士は聞く耳を持たず、剣を手に迫って来る。


「くっ、ジュリアっ! 早く、早く逃げてッ!」


 シシリアは両手を広げて迫る兵士の前に立ちはだかる。少しでも老メイドが逃げる時間を稼ぐ為に……だが……。


「退けッ!」


 日々鍛錬している屈強な兵士にか弱いシシリアが敵うはずもなく。シシリアは乱暴に壁へと打ち付けられた。


「――かはっ!」


 強く壁に打ち付けられ、シシリアはそのままズルズルと倒れ込んでしまう。

 肺の中の空気が押し出され、あまりの衝撃に意識を失いそうになる中で……シシリアは見た。見てしまった。兵士の剣が無情にも老メイドの背を貫く瞬間を。


「い……いやぁぁぁああああ!」


 背を貫いた剣がズボッと抜かれ、俯せに倒れ行く老メイド。


 シシリアは跳ねるように老メイドの元へ。老メイドを刺した兵士を突き飛ばし、老メイドの傍らに膝を付くと、必死に止血を試みる。


「ジュリア、ジュリアっ! お願い、死なないでっ! 今すぐ誰か呼んで来るから、死なないでよぉおお!」


 顔を涙でぐちゃぐちゃにしながらも、懸命に止血を試みるシシリア。だが、抑えつけた両手からは止めどなく赤い血が溢れ出ていく。


「なんでよっ! なんで止まってくれないのよっ!」


 誰がどう見ても致命傷だった。それでもシシリアは懸命に強く、強く手を押し当て続ける。泣きながら……悲鳴を上げながら……。


 兵士たちは泣き叫び、懸命に老メイドを助けようとするシシリアの様子に戸惑っていた。

 魔族とは人類にとって仇成す悪しき存在だと、身をもって知っているはずの兵士たちでさえ、戸惑っていた。


 ――本当にこのシシリア嬢は魔族なのか。俺たちは正しい事をしているのだろうか、と。


 上から与えられた命令は、『シシリア嬢の捕縛。ブラッドフォールン家に連なる者の皆殺し』である。

 だからこそ、兵士はシシリアに侍っていた老メイドを刺し貫いたし、それが正義だと思っていた。だが……泣き叫ぶシシリアを見て、戸惑いが生まれてしまい、何も行動を起こせなくなってしまった。


 すると、シシリアの膝にそっとしわがれた年老いた手が置かれた。


「お嬢……さ……ま……」

「ジュリアっ!? 喋らなくていいわっ! わたくしが、わたくしが必ず助けるからっ!」


 諦められないシシリアは必死に止血を続ける。だが、老メイドには判っていた。もう自分が助からないことは。

 老メイドは力の入らない身体を必死に動かし、シシリアに顔を向ける。


「言わせて下され、お嬢様。私はもう……助かりま……せん……」

「そんなこと無いわっ! わたくしが、わたくしが助けるんだからっ!」


 イヤイヤと首を振るシシリア。そんなシシリアの様子に、老メイドは嬉しく思い、死の間際だというのに、優しい微笑みを浮かべる。


「お嬢様に……最後までお仕えできたことは……私にとって喜びであり……誇りでもありました。自身の境遇にも……負けず……気高く美しい姫君に育たれ……不遜かもしれませぬが……いつも我が孫のように……感じておりました」


 弱々しい声ながらも必死に告げようとする老メイド。綴られる優しい言葉に、シシリアはゆっくりと涙でぐちゃぐちゃになった顔を老メイドに向けた。


「ずっと……見守って……いきた……かった……ですがもう……」

「ジュリア……」

「お嬢様……いつか……いつか必ず……お嬢様の全てを……受け……入れてくれる方が……現れます……だから……生きて……生きて下され……お館様も……奥様も……お嬢様の幸せを……願っておいでです……」


 老メイドの手から力が抜け、すとんと落ちていく。


「ジュリア? ジュリア……ねぇ、ジュリア」


 シシリアが何度も老メイドに呼び掛けるが、老メイドが答える事は二度となかった。


「ジュリアぁぁぁあああああ!」


 シシリアの慟哭が響く。老メイドの冷たくなっていく身体を抱き締めながら、シシリアは泣き続けた。


 戸惑いながら見守っていた兵士たちだったが、任務である以上、これ以上時間をかける訳にもいかず、シシリアに近付いていく。


「シシリア嬢。貴方には国家反逆罪の嫌疑が掛けられております。御同行願えますか?」


 先程までと違い、シシリアの本性を見た兵士は、傲慢な態度を改め、真摯に話し掛けた。だが……。


「……ない」

「え? 今何と?」

「許さないッ!」


 黄金の髪を振り乱し、顔を上げたシシリア。その瞳は赤く、憤怒に染まっていた。


「確かにわたくしは魔族よっ! 悪しき存在なのかもしれないわ! でも、でもっ!」


 ゆっくりと立ち上がったシシリア。その周りには、老メイドが流した鮮血が、まるで鞭のように何本も立ち昇っていた。


「ジュリアは人族(ヒューム)だったのよっ! 心優しいメイドだったのっ! なのに、なのに!」

「そ、総員、抜剣っ!」


 只ならぬシシリアの雰囲気に、兵士たちはすぐさま戦闘態勢を整える。


「許さないわ、絶対にっ! 貴方たちだけはっ!」


 シシリアが咆えた。その瞬間、鮮血の鞭が兵士たちに襲い掛かる。


 シシリアの本来の種族――亜吸血族(デミヴァンパイア)が有する闇魔術「ブラッドウィップ」。それが兵士たちに襲い掛かっている正体だった。


「クッ! やはり、魔族は魔族ということかッ! 総員心して掛かれッ!」


 いきなりの反撃に、多少面食らったものの、そこはロードスティン王国が誇る王国軍兵士。荒れ狂う鞭の奔流をいなし、斬り飛ばし、素早く対応してみせた。だが……。


「クソッ! いくら斬り飛ばしても、すぐに再生してくるぞ!」


 そう。いくら剣で鞭を斬り飛ばしたとしても、鞭の元となったのは血だ。直ぐに鞭として再生し、兵士たちに襲い掛かっていく。


 一見、シシリアが兵士たちを圧倒しているかのように見えるが……シシリアにはそれほど余裕は無かった。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 荒く息をするシシリア。血の鞭が斬り飛ばされる度に消耗していくMP。限界はすぐそこまで迫って来ていた。


 ――レベルが違い過ぎる……このままじゃあ……。


 シシリアのレベルは6。対して、王国軍兵士の平均レベルは20だ。多数のLV上位者に対して、シシリアが何とか渡り合っているのは、未知の闇魔術に兵士たちが戸惑っているからだ。


 更にもう一つ理由があった。それは兵士たちに出されている命令が『シシリアの捕縛』だった為。強引な行動がとれず、更には廊下という閉所だったことが、シシリアにとっては幸いした形である。


 だが、それもシシリアのMPが尽きれば、この均衡は一気に崩れることになるだろう。


 ――このままじゃあ、ジュリアの願いも……復讐も果たせない……。


 とうとうMPが尽き、ブラッドウィップが解かれてしまった。


 バシャッと突然落ちていく鮮血に少し面食らった兵士たちだが、直ぐにその意味を悟り、醜悪な笑みを浮かべる。


「クソガキが、よくも俺たちの手を煩わせやがってッ!」


 はぁはぁと荒い呼気を繰り返すシシリアにゆっくりと近付いてくる兵士達。


 ――あぁ……もう……わたくしは……。


 絶望が押し寄せ、シシリアは力なくその場に座り込む。と、その時――。


「「「お嬢様ッ!」」」


 背後から多数の足音が。振り返れば、そこにはブラッドフォールン家に仕える護衛騎士たちの姿が。


「チッ! 護衛が来ちまったか。おい、汚らしい魔族の娘、さっさと行くぞッ!」


 呆然としているシシリアの腕を兵士が掴もうと手を伸ばし――。


「お嬢様に触れるなッ!」


 一人の女護衛騎士が吶喊。素早くシシリアの元に辿り着き、兵士の腕を斬り飛ばした。


「うぁぁああ! う、腕が――」

「黙れ、下郎。汚い手でお嬢様に触れることなど、私が許さん!」


 腕を斬り飛ばされ、喚く兵士に剣を一閃。首を撥ね飛ばす。

 あまりの気迫に王国軍兵士が二の足を踏む。シシリアの前に立ち、王国軍兵士へと鋭い視線を向けながら、女護衛騎士はシシリアに声を掛ける。


「お嬢様、ご無事ですか? この者たちに何もされていませんね?」

「え、えぇ、わたくしは大丈夫です。でも……ジュリアが……」


 シシリアの悲痛な声に、女護衛騎士はチラッと背後に視線を送る。そして、クッと奥歯を噛み締める。


「そうですか……母が……」


 実は老メイドは、この女護衛騎士の実の母親だったのだ。親子二代に渡ってブラッドフォールン家に仕えていた。


「ごめんなさい、エリー。わたくしのせいで、ジュリアが……ジュリアが……」


 ボロボロと涙を流すシシリア。その瞳が赤く染まっていた事に女護衛騎士は気付く。

そして、理解した。シシリアが嫌っていた魔族としての力を使ってまでも、母の仇討ちをしてくれようとしていたことに。


「……お嬢様、母はなんと?」

「『いつか必ずわたくしの全てを受け入れてくれる方が現れるから、生きて』って……最期まで私の心配をして……」

「ふふふ、母らしい最期の言葉ですね。しかし、その気持ちは私も同じです。そして、この者たちも同じ気持ちです」

「……え?」


 シシリアが顔を上げると、そこにはシシリアに優しく微笑み掛ける護衛騎士たちの姿が。


「でも、でもっ! わたくしのせいで……わたくしが魔族だから――」

「いいえ、お嬢様。お嬢様はお嬢様ですよ。例え、魔族だとしても、心優しき我らの主君です。なぁ、そうだろ? お前たち」

「おう。そうだぜ。いつも優しく気遣ってくれてなぁ」

「だな。俺もよく声を掛けて貰ったわ。ただの護衛なのによ」


 ガハハハと笑い合う護衛騎士たち。皆知っていた。シシリアが誰よりも優しく、素晴らしい姫君だと。そして、見えない所で涙を流し葛藤するシシリアの姿を。


「さて。お前たちのガラの悪い言葉遣いは後で矯正するとして……」


 女護衛騎士がそう言うと、一斉に『げっ』と嫌そうな顔を浮かべる護衛騎士達。だが、それも一瞬の事。すぐさま歴戦の猛者のような真剣な顔つきになる。


「このままお嬢様と共に脱出するぞッ!」

「「「おおぉ!」」」


 数名の護衛騎士が飛び出し、王国軍兵士へと襲い掛かった。

 その隙に、女護衛騎士はシシリアを担ぎ上げ、その場から逃走する。


「待って、待ってエリー! あの人たちを置いて行く訳にはっ!」


 遠くなっていく護衛騎士たちの背中へ手を伸ばすシシリア。だが、女護衛騎士は止まらない。


「エリー! お願いだから放してっ! もう、わたくしなんかの為に誰も死んでほしくは無いのよっ! 放して、エ――」

「ごめんなさい、お嬢様」


 ドスッとシシリアの首筋に手刀を落とす女護衛騎士。


 薄れゆく意識の中、シシリアは最後まで護衛騎士たちの背に手を伸ばし続けていたのだった。


 


*ここまでご覧下さって、誠にありがとうございます。

*次回更新日は、2019/9/3 16:00の予定。

*ブクマ登録、評価、感想等々よろしくお願いします。

*誤字・脱字や設定上の不備等・言い回しの間違いなど発見されましたらご指摘下さい。

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