38話:東日本大震災、孤児と石油を何とかせねば
その地震を見て海藤智惠さんが、日本でも大きな地震が来ると言う胸騒ぎがして旦那さんにも、今年の夏までは、外出しない様に厳しく言った。2月23日、内藤哲人も全く同じ事を感じると海藤努に電話してきたので、奥さんの智惠さんに電話を代わると2人とも興奮したように話をしていた。余り不気味なので、一応、斎藤夫妻にも年のために、この話をした所、最初、笑っていたが、斎藤の奥さんが、用心すること残したことがないと言い遠出しないようにすると言った。
そして2011年3月11日午後14時47分、東京、神奈川では14時48分頃、揺れはじめ、その後、尋常でない程の大きな揺れに襲われた。海藤の高層マンションではマンション自体が円を描くように長い間、大きな振幅で揺れ動いた。結局、東日本大震災で死者15895人、行方不明者2539人、合計8434名の人命が失われた。
特に、東北太平洋沿岸では、大きな津波が襲いかかり、多くの人と家が津波にのみ込まれ、多くの死傷者が出た。日本国内で起きた自然災害で死者・行方不明者の合計が1万人を超えたのは戦後初めて、明治以降でも関東大震災、明治三陸地震に次ぐ被害規模だった。追い打ちをかけるように地震から約1時間後に14から15メートルの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、1から5号機で全交流電源を喪失。
そのため原子炉を冷却できなくなり1から3号炉で炉心溶融・メルトダウンが発生。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した。この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置づけられた。同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島県住民の避難は長期化するとともに、2012年からは帰還困難区域、居住制限区域も設定された。
その他、火力発電所などでも損害が出たため、東京電力の管轄する関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では655年ぶりに計画停電が実施された。計画停電は東北電力管内でも震災直後に実施された。これは、日本の産業界の供給路に大きな障害を与えた。シリコンウェハーの世界シェア6割をもつ2工場、信越半導体白河工場とSUMCO米沢事業所が操業停止した。
建築ガラスの3割を生産する旭硝子鹿島工場・鹿島臨海工業地帯が被災したうえ、専用港も破壊された。国内最大のタイヤ工場である住友ゴム工業白河工場が破壊された。3月上旬で、東北では、暖房が欠かせないのにもかかわらず、石油の供給路の東北線が普通になり、首都圏から供給できなくなり、自動車用のガソリンと暖房用の石油、工業用の軽油が東北全地域で不足する事態となった。
政府は当初石油の生産量の方に気を取られており石油の物流の問題への対応が遅れる事となった。3月17日になり海江田万里経済産業大臣は「タンクローリーを西日本から300台移す」と発表。同日、JR貨物によりJX日鉱日石エネルギー根岸製油所から日本海側の鉄道路線を利用し盛岡貨物ターミナル駅への石油列車の運行が行われる。
3月23日には国鉄DD51形ディーゼル機関車二重連での磐越西線経由による郡山オイルターミナルへの石油輸送も行われた。3月19日には仙台港に入港した海上自衛隊の輸送艦おおすみが灯油入りドラム缶70本・14KLを輸送したほか、3月21日には仙台塩釜港塩釜港区の油槽所にオイルタンカーの第一船が入港している。また3月23日までに被災10港で暫定の航路が確保され、海上からの緊急物資の搬入が可能となった。
その他、東日本大震災により、震災孤児が岩手県で126名、宮城県で93人。他に福島県で21の計210人、震災遺児が岩手県で476名、宮城県で712人、福島県で139の計1327人、総合計1567名となった。
ちなみに定義としては、両親を亡くした児童が、震災孤児。両親のどちらかが死亡した児童、片親を亡くした児童を震災遺児と呼ぶ。これを情報を知った海藤智惠さんと内藤哲人は、震災孤児と震災孤児のための募金を使用と動き出した。海藤夫妻で200万円、内藤夫妻で200万円、斎藤夫妻が100万円の募金をヤフーの募金サイトで送金した。




