26話:退職後、みなとみらいのマンション購入
その点が一番,気になったが、家の近くにも新生銀行の店舗があり説明を受けた。しかし、特に問題がなかったので新生銀行で外貨取引をしようと考え新規に取引したいと新規口座を開き預金することに決めた。そして11月に熱海と箱根に2泊の温泉旅行に出かけた。その後2007年となった。そして2007年4月にシティバンクの個人事業部が廃止され法人事業部だけとなった。
2008年5月に海藤努がトヨタ自動車を定年退職。退職金2千万円をもらい資産合計が1.9億円。その後2008年9月に海藤智惠さんが、専務までなって退職。彼女の退職金後を入れて総資産が1.5億円。その直後2008年9月15日にリーマンショックが起こった。海藤智惠さんがリーマンショック後、みなとみらいのMMタワーズのマンションの部屋の売りが出たら買おうと語った。
MMタワーズのマンションを外人の買い、慌てて売りが出るはずだから安く買えると踏んだようだ。三菱地所に電話すると10月、11月、12月と4軒の売りが出ていて、その中の30階建ての23階で3LDK、89平米、値引き後で1.2億円で売りが出た。それを見て購入することにし海藤努が1.2億円を支払い残金が7千万円となった。
2008年12月に智惠さんは60歳を迎え定年退職し退職金8千万円を手にした。退職後もみなとみらいのマンションに移り住んだ。そしてセリカを手放し電動アシスト自転車を買った。それに乗って遠くは根岸の三渓園、根岸森林公園、近くは、野毛山動物園、山下公園、中華街、元町、横浜港・大桟橋を走り回った。食事も気が向けば、ランドマーク、クイーンズスクエアなど、いくらでもある。その後も、過度に贅沢にならず、それなりに優雅な生活を送った。
気が向けばジャズバーへ言ったり、落語を聞いたり、ショーを見たりして人生を楽しんだ。近くのKU病院で定期検診を受け、健康アドバイスを聞いて、食べ物に気をつけながら生活した。2009年4月8日に海藤努が内藤夫妻、斉藤夫妻の合計6人で退職祝いの食事会を横浜中華街で企画した。海藤が仲間3人の予定を聞いて5月10日、午前11時に横浜中華街駅で待ち合わせることにした。
そして定刻に待ち合わせ場所に行くと、口々に久しぶりと言い、変わらないねとか、ふけたねとか、言いながら再会を喜んだ。その後、駅から近い北京飯店で個室を借り切り、まず最初に菜館の乾杯をし、発起人の海藤努が、我々も地方から出て来て、長い年月がたっても仲間達が元気でいる事をうれしく思いますと開会宣言をした。
これからの人生、時間だけは、十分あるので、この6人で楽しい時間を過ごしたいと思いますと挨拶。その後、いろんな話を始めた。すると全員が定年退職し最近、時間の潰し方に戸惑っている事がわかった。そして斉藤渉が海藤に、お前トヨタの車に乗ってるのかと聞くと最近、この近くのみなとみらいにマンションを買い住んでいて駐車場代が高いし健康のために自転車で動いてるよと話した。
斉藤の奥さんの保子さんが、えー、もしかしてみなとみらいのMMタワーと聞いた。池上智惠さんが、そーよと答えると億ションとなのと尋ねると、まーそうねと返した。すごいわね、智惠さんが、出世して重役になったと言う話は聞いたが、たいしたものねと驚いた。すると、海藤努が内藤哲人に所で、今、どこに住んでると聞くと、和光市のマンションに住んでる25年になるといった。
斉藤はと聞くと横浜市青葉区の郊外に27年前に農家を買い建て替えたと言った。横浜市と言っても、子供の国の近くで、田舎で不便なので、車は、手放せないと話していた。北京料理のコースで北京ダックが出てきて店の人が食べ方を教えてくれて食べ始めた。そうか、皮を食べるんだと言い、タレの甘辛さが旨いと喜んでくれた。フカヒレスープもついてくるぞと海藤がいうと、そりゃ豪勢だ。
お値段も高いのと聞くのでランチコースだからたいしたことないと言った。すると、内藤が紹興酒、飲まないかと提案すると、斉藤ものったと言い、紹興酒をたのんだ。それぞれ、子供達も家を出て独立して、孫が、可愛いと言う話が、飛び出した。