25話:イラク攻撃とソニーと任天堂のゲーム機戦争
国連安保理の中でもフランス、ドイツ、ロシア、中国らは軍事介入に反対した。合意を得られないまま、アメリカやイギリスなどは有志連合を組み、3月17日にフセイン大統領らの即時国外退去を勧告。これに応じなかったため、3月20日、空爆という先制攻撃に踏み切ったのです。2003年の査察で見つからなかった大量破壊兵器は、その後も存在の証明ができないままだった。
この戦争に本当に大義はあったのかという声も多くイギリスでは当時のブレア首相が退陣に追い込まれた。以上の事から9.11のテロについて、いくつも疑問点が持ち上がり、いまだに不明な点が多い。2004年は、オレオレ詐欺。振り込め詐欺で、警察官や弁護士を名乗った複数人が登場するなど手口も巧妙化した。また、この年に「冬のソナタ」が流行。
長女が太陽光発電、風力発電、地熱発電など自然エネルギー分野の仕事で日本中を出張で動き回っていた。特に太陽光発電が国からの補助金目当てに一気に数を増やした。しかし電気の需要と供給のバランスが崩れて大きな停電などを引き起こす可能性が指摘されていた。その解決策を見いだすのが至上命令となっていた。1つは、電気の需要の少なく余っている深夜。例えば、水力発電所の下に貯まった水を電気モーターでくみ上げダムの貯水量を上げて明日の発電にそなえる揚水発電が行われるようになった。
もう一つ過剰につくられた電気を保存しておく方法について、大企業各社で、大規模な実験が開始された。しかし日本で有力されていた地熱発電については、温泉施設の反対が大きいため、その動きが鈍かった。それでも日本の電気代が高いので電気を使って、くず鉄をとかして鉄を再生する電炉製鉄事業者の中には割引率の高い深夜電力・通常時の半額を利用し深夜に仕事をする工場もあった。
そして2004年が終わりを告げて2005年となった。その頃、長男の一郎は、ソニー・プレーステーションで新しい技術DVDなどを投入して売り上げを増やそうと躍起になっていたが、任天堂のゲームの手軽さ、面白さの牙城はなかなか堅くて崩せないでいた。しかし、これに対してソニーは、2006年11月にブルーレイディスクを採用したプレーステーション3を発売した。
発売当初は「AVとネットとゲームが一体となって溶け合うような世界」を目指していた。ゲーム・アーカイブスを利用することによってプレーステーション用のソフトを有償ダウンロードしてプレい・ステーションやプレーステーション、ポータブル、ビータでソフトを利用する事も可能。そのため初回出荷量は量産体制が整わず8万台と限られたために即完売で、しばらくは入手困難だった。
しかしプレーステーション3の製造が順調に行き、1か月あまりで品不足は解消された。そしてプレーステーションがゲーム機器を席巻するかに見えたが、その後、数年、苦戦が続いた。そして海藤一郎がゲーム機械の仕事から、もっと、夢のある仕事をしたいと上司に2006年に訴えた。しかし、犬型、ロボットのアイボも、ほぼ同じ時期に開発が終わりを告げた。
パソコン事業も競争激化で厳しい状態。しかし、ソニーはプレステーションのゲームの愛好家に支えられて、これからも継続して行くと上司に諭された。新しいシステム、半導体技術で高度なゲームの要求に答えられる半導体で息の長い事業展開ができるはずだと説明された。その時こそ、優秀な技術者が必要なんだと言われプレーステション事業部の技術者として残ることを決意した。
2006年10月、突然シティバンクが2007年4月に日本から撤退という思ってもみないニュースが飛び込んだ。困って外貨預金のできる日本の銀行を必死に探すとネット専用のソニーバンク、シティバンクを買収した三井住友銀行の子会社SMBC信託銀行と新生銀行だった。その他、ネット証券の子会社の銀行も外貨取引をしていたが海藤夫妻は支店のある銀行でないと心配だと思った。
しかし2000年頃、相次いで日本の大手銀行に巨額の公的資金が投入された。その公的資金については、みずほ、三菱UFJ、三井住友銀行が完済し。りそな銀行、あおぞら銀行も完済できると宣言した。しかし、新生銀行の昔の会社、日本長期信用銀行に注入された2160億円という巨額の公的資金が、唯一、完済できてなかった。