12話:久しぶりの休息と空虚感
このネットワークを使用し大手コンピューター関連企業が独自のネットワークを構築し日本におけるインターネット開発の基礎が形成された。1988年10月に智惠さんが、久しぶりに7日間の休暇をとってレンタカーで、家族3人、熱海、箱根、御殿場、甲府、へ行き温泉に入った。箱根、芦ノ湖の遊覧船に乗って湖畔から眺める冨士の霊峰をながめて湖畔のホテルに泊まった。
その後、美味しい洋食をいただき露天風呂からの景色を堪能し床についた。翌朝、御殿場へ出かけ、美味しい洋食の昼食をいただき甲州へ入り湯村温泉の老舗ホテルに泊まって素晴らしい日本庭園を散歩して温泉につかった。その後、この数年の疲れを癒やして東京へ帰った。帰ってから智惠さんが、もっと良い所へ引っ越さないかと言った。
そこで緑が多くて都心に近い所を探し歩いて、目黒川沿いの月18万円の豪華マンションに引っ越すことに決めた。休暇中に契約を済まして来週の土日に引越しする事にした。そして1988年11月に新居へ引越、家財道具も買い換えた。その後、智惠さんの会社のある大手町まで通勤が15分となった。やがて1988年が去り1989年を迎えた。
この頃になると友人達の多くがバラバラなってきた。斎藤渉は埼玉の和光市へ引越し内藤も亀戸へ引っ越して行き、3人で共同して買ったトヨタ・ハイエースも、既に売却。3ケ月に1回位のペースで海藤努、内藤哲人と斎藤渉が会う程度になった。
「智惠さんは今年、銀行のオンライン化の仕事を終えて、心に大きな穴が開いたような空虚感が去来した。」
その後はソフトウェア担当者が、忙しく銀行から依頼されるソフトウェアの開発。その他、ソフトウェアの管理などで、忙しく仕事をしていたが連絡係の仕事はめっきり減ってしまった。
「高給もらってるが意思疎通をはかる以外やる仕事がなくなって行くのに、あせりを覚えた。」
そして智惠さんは、1989年4月に海藤努に、この気持ちを打ち明けた。
すると、そんなの贅沢な悩みだなと言われた。
「俺よりも高い給料をもらって楽な仕事をしているんだから良いじゃないかと言った。」
「その言葉に対して、むきになって仕事は遊びじゃないのよと、大きな声で言った。」
「海藤勉が、嫌なら辞めて、転職したらと冷たく言った。」
「冷たいのねと言うと、じゃー,どうしたいんだよと大きな声になった。」
「すると智惠さんが、もっと充実した仕事がしたいのと寂しそうに言った。」
「それで年収が減っても良いのか聞くと、それも、そうーねと困った顔をした。」
「そんなに嫌なら、何か、今より楽で、良い仕事が見つかったら、転職を考えても良い」
「仕事が少なくなっても、給料が下がらなければ、喜ぶ奴は、世の中に大勢いる。」
「しかし仕事が減り給料が良いのに困った顔する奴なんていないと意地悪そうに言った。」
「どうせ、贅沢な悩みですよと智惠さんが海藤努にあたるように言って話は終わった。」
「翌週、智惠さんが海藤努に海外旅行に行かないかと聞くと長期休暇は無理と答えた。」
「せいぜい沖縄か北海道に3泊4日が位だなと言った。」
「じゃー今年の夏、沖縄に行こうよと言うので7月25日、4日の休暇をもらった。」
夏休みの羽田空港は混雑していたが10時の飛行機で12時半頃に那覇空港に到着。
「レンタカーを借りて2時間で、沖縄本島の北、国頭村のニッコーオクマに着いた」。
その夜は夕日を眺めて、夕食をとりオリオンビールを飲んで部屋へ戻り熟睡した。
「翌日はホテルの大きなプールで、ひたすら泳いだ」。その後、部屋で一休みし飲み物を飲んで、子供と一緒に海岸へ出て散歩したりして過ごした。
こホテルの部屋のベランダの下のプールに青い蛍光灯の光が反射して幻想的な景色が素敵だ。
「海を眺めてオリオンビールと泡盛の古酒を智惠さんとゆっくり飲んで酔って熟睡」。
「翌日はリゾートの海辺のソファーに座りパラソルの下で休んだり、子供と海水浴を楽しんだ」。
食事は朝、昼、晩と食べたが旨い。
「ニッコー・オクマ・リゾートは快適で素敵なビーチ・リゾートだ」。そして24日の朝6時に起きて車で那覇空港へ朝の渋滞もあり9時に到着してレンタカーを返して11時の羽田行きの飛行機で帰り家に着いたのは14時過ぎだった。