1話:就職列車で東京へ
雪深い、秋田の漁村で、海藤努は、難産の末、1948年に生まれた。
「当時は、戦後3年で、食べるものがなく、常に困窮していた。」
「ここは、豊かな漁場と米の産地で、食べるのには、比較的、困らずに育った。」
小学校に入学すると海藤努は、同じクラスの個性的な仲間達と仲良くなり、毎日、日が暮れるまで遊んだ。海藤努は、努力家で、勉強熱心、本好きで中学でもよく本を借りて読んでいた。
「もし家が、裕福なら高校、大学まで上がりたいと考えていた。」
「しかし、もちろんそんなことは、夢のまた夢だった。」
「友人の1人目、内藤哲人は、人見知りが、激しく、なかなか友人の出来ない。」
「でも彼は、口数は少ないが、人の心の中を見抜く特殊な能力と天性の勘の鋭さがある。」
「そして包容力のある海藤努と自然に心が、通じた。」
「友人の2人目、内藤智惠は賢く悪知恵も働くし何か事を起こす時には、うってつけの参謀。」
「友人の3人目は、斎藤渉、弁舌に優れ、他人をのせ得たり説得したりする話術の達人。」
「4人とも共通していたのは、みな貧乏な家の生まれと言うことだ。」
「中学卒業すると独り立ちしないと生きていけない運命を背負っていた。」
「しかし仲間意識が強く、都会に出る時に、みんなで一緒に行こうと誓い合った。」
「やがて中学に入ると思った通り池上智惠が抜群の成績で、学年トップの成績になった。」
「斎藤渉は、成績は今一だが、英語に素晴れラジオで聞いた英語を瞬時に覚える記憶の達人。」
「内藤哲人は、記憶力が抜群、国語、英語が得意で、勘の鋭さと決断の速さは天才的。」
「海藤努は、成績は今一だが、愛想の良さと人に好かれる性格で人気者。」
「人の喜ぶツボを知っていて生まれながらのスーパーセールスマンといった感じ。」
「4人とも個性的で中学校の中でも異彩を放っていた。」
「そして中学3年生になり就職列車にゆられ一緒に東京へ出て行った。」
「その後、海藤、内藤哲、池上、斎藤の4人は、御徒町の商店に住み込みで働き始めた。」
「御徒町商店街でアパートを借りて男女別で6畳に2人か8畳に3人で生活を始めた。」
「上手い具合に、仲間の男子3人は,同じ部屋となった。」
「池上智惠も同じアパートの6畳に同じ秋田の娘と2人で生活を始めた。」
「夜間高校に希望すれば入れたので4人とも入学した。
アパートで同じ高校に入学したのは、非常に幸運だった。
「池上は、高校でもダントツの成績で計算も速く珠算の有段者になり勤め先でも重宝がられた。」
「そして高校2年で珠算3段の免状を取った。」
海藤努と斎藤渉、は定時制商業科で勉強していた。
「その時の担任の先生が、これからの日本の株式市場は面白くなる。」
「つまり上昇する可能性が高いと常に話していた。」
「それを聞き株に関係する経済の本を図書館で借りて片っ端から読んだ。」
「その後、チャンスがあれば、株式投資をやってみたいと考えた。」
この高校の先生に可愛がられみんなは、セールスマンの心得を聞いてセールスのイロハを教えてもらい将来はスーパーセールスマンをめざしたいと思うようになった。内藤哲人は、定時制高校に、なじめなかったが、同郷の3人と通っていたので、何とか商業科に通い続けた。
あっという間に高校3年が過ぎて1967年4月、進路を決める事になった。海藤努は生命保険会社のセールスマン、斎藤渉はトヨタ自動車の営業マンとして巣立っていった。池上智惠は働いている商店主が教育熱心で一橋大学商学部の受験を許してくれた。
さらに返済不要の育英会奨学金を取って受験して見事合格した。問題の内藤哲人は持ち前の勘の鋭さを試すために相場の世界で働きたいと言った。そこで兜町の小さな証券会社・AB証券の場立ちの下働きとして就職。
その後アパートを出て秋田の4人組は何かと連絡を取り合った。そして食事したり映画をみたり、遊園地へ行ったりして仲良く付き合っていた。海藤努は内藤哲人に電話を入れて証券口座を作る手続きをした。