第1話
「つかれた………」
俺は疲弊しきった身体にムチを打ちながら歩いていた。
俺は佐倉 大空。
小さな事務所に所属している舞台俳優だ。
俳優と言っても、最近もらえる仕事はセリフの少ない脇役ばかり…
どんなにオーディションを受けても、受かる事なんてほんのわずか…
俺が憧れていた俳優は、スポットライトを浴びて堂々と主役を演じている姿だ…
それなのに、俺は未だに名も知られていない脇役ばかり…
稽古も自分の出番は少なくて、それでも一生懸命やるが、待ち時間が長い…
待ってる間の現場の緊張したピリピリとした空気の方が精神的に疲れる…
皆、真剣にやっていることは分かっているんだが、いつも現場に行くと暗い空気を感じる…
それが毎日毎日続いていてとても居心地が悪い…
疲れてるけれども気分転換したいな…
そう思い、帰り道を少し変えることにした。
街灯の少ない公園の中、普段はみんなの遊び場であろう遊具を横目で見ながら散歩道を歩く。
散歩道には様々木が植えられており、森林を思い起こす風景だ…
「腹減ったしそろそろ帰るか…」
そう思い、帰路に着こうとした瞬間、どこからか美味しそうなスープの香りが漂ってきた。
ここは公園の中だし、民家なんてない。
ホームレスかとも思ったが、なんとなく違う気がした。
俺は誘われるようにその香りを辿った。
思いの外深くまで来たのか、周りは深い森になっていた。
この公園はこんなにも深い森などあっただろうかと思いながらも、香りを辿る足は止まらない。
むしろ少し早歩きになっていた。
しばらく歩いていると古い街灯が見えた。
いくつか並ぶ街灯の先には、ほんのりと明かりを灯したレンガで造られた建物も見えた。
きっとあの建物から香ってくるのだろうと思い、建物に近づいた。
建物の目の前に立つと、遠くからでは分からなかったが、古いのか、レンガの壁は煤けているし、蔦が絡まっている。
こんなところに住む人は物好きだと思うくらいだ。
怪しそうな建物の扉の前には看板が掲げてある。
「えっと…『星の夢館』…?
なんだそれ…」
木で作られた看板にはそう書かれており、怪しい建物だろうかと思った。
しかし、ここまで来てしまったからには気になってしまう。
本当に怪しい所ならば、疲れてるが、逃げよう。
そう思い、俺は扉をゆっくり開いた。
ギギギ…と軋むような音を立てて扉が開く。
「えっと、すいませーん、誰かいますかー?」
俺は真っ暗な室内を見回しながら、中に入る。
視界が保てないと思った途端、いきなり電気が着いた。
「わっ!?」
「あれ?お客さんかい?」
電気のスイッチの場所には、現代的な服装ではない、袴を着た可愛らしい男の子がいた。
男の子はふわふわしたクリーム色の髪に翡翠のような色の大きな瞳、薄緑色の着物にグレーの袴を着ている。
男の子は俺に近付いてきて珍しそうに俺の顔と服装を見る。
「へぇ…お客さんさ、案外珍しい服着てるんだねぇ…
仕事してる時の僕に似てるね!!」
男の子はにこっと笑って言ってくるが、こちらとしては、男の子の方が珍しい服装だ。
「えっと…君、中学生くらいだよな…?
こんな夜更けにこんなところにいたら、親が心配するぞ?」
俺は色んな疑問をぶつけたかったが、とりあえずこんな子供が夜更けに遊んでるなんて危ないと思い、大人らしい事を言った。
すると男の子はきょとんとした顔をした後に、大笑いをした。
「あはははは!!
君、面白いね!!
まぁ、童顔だってのはよく言われるんだけどさ、中学生は初めてだな!!」
笑うと更に幼く見える男の子に、俺は心配してやったのに笑われるなんてと思い少しムカついたが、彼の次の言葉に呆気に取られた。
「僕、こう見えて26歳だからね?」
ぽかんとする俺に対して、彼はまた大笑いをする。
彼は散々笑うと、俺を連れて窓際のカフェテリアのような場所に連れて行った。
「君、お腹空いてるんじゃない?
もうすぐ出来るだろうから、君の分も頼んでくるよ!!」
「え、ちょっ…!?」
彼はそれだけ言うと、厨房があるであろう扉へ姿を消してしまった。
俺は座ったまま彼が出て行った扉を見つめるしか無かった。
しばらくするとパタパタという足音が聞こえ、さっきの彼が戻ってきたのかと思った。
しかし、姿を現したのは、大人しそうな可愛らしい女性であった。
栗色の腰まであるロングストレート、カントリー調の赤いロングスカートに白のブラウスを着た、黒いくりくりとした瞳を持った可愛らしい女性が、口を開く。
「え…お、お客様…!!
本当にお客様なんですね!!
あぁ、久しぶりのステラ君以外のまともな人間のお客様!!
嬉しいです!!感激です!!いらっしゃいませっ!!」
彼女は本当に嬉しいのか、泣きながら俺の手を取ってぶんぶんと手を上下に振り、怒涛の早口で言う。
俺はそのギャップに驚きながら後ろから「おまたせぇ」と言いながら皿を運ぶ、先程の彼が戻ってきた。
「おとは、スープ持って行かないとせっかく作ったのに冷めちゃうよー?」
「あ、そうでした!!
ステラ君、次はカトラリー出しておいてくださいっ!!」
彼女はパッと手を離して再び裏へ走っていく。
「な、なんだ…」
「彼女がこの館の管理人なんだよ。」
「はぁ!?あの子が!?」
ステラと呼ばれた彼が、同じテーブルに3人分のオニオンスープを置く。
くすくす笑いながらカフェのキッチンスペースに移動するとカトラリーを3人分用意して戻ってくる。
「彼女は24歳なんだ。僕と年齢近いから仲良いんだよねぇ。」
カトラリーも同様に3人分並べると彼も椅子に座った。
「いやぁ、それにしても、まさかこんな所に来るなんて余程大変だったんだねぇ…
何?お金にでも困ってるの?それとも、家でも追い出された?」
ステラはくすくす笑いながら俺に聞いてくる。
なんだか嫌な奴だなと思いながら俺は口を開く。
「そんなんじゃねぇよ。
俺には仕事もあるし、家にも困ってねぇっての。」
「ふーん…」
ステラはにやにやした笑みを浮かべながら俺を見てる。
すると奥から「ステラくーんっ!!」と呼ぶ声が聞こえ、ステラは渋々立ち上がり、裏へと行った。
怪しい奴だなと思いながら、俺は目の前のオニオンスープをみた。
バターの柔らかい香りとオニオンを焼いた香ばしい香りが混ざり、温かく湯気が立ち上る。
香りが鼻腔をくすぐる度に涎が口の中を満たし、喉を鳴らして唾液を飲み込む。
誰かが作ってくれた手料理なんて、家を出てから何年も食べてない気がする…
いや、よくチェーン店とかには行くが、なんだろう…人の温かみを感じれる料理なんてここ数年食べていない…
俺は我慢できずに、小さな声で「いただきます…」と言ってから、スプーンでスープを1口掬い、口に入れた。
バターのまろやかな味わいが、オニオンの香ばしさが、口の中から喉を通っていく。
美味しくて優しい味わいが口の中に広がる。
堪らず俺はスープを何度も掬い、飲んだ。
ふと気付けば、自分の皿にはもう残っていなかった…
そして、知らず知らずのうちに涙が頬を伝っていた。
美味しさだけじゃない…このスープから感じる優しさ、温もりを感じて、なぜか安心して涙が溢れたのだ。
「オニオンスープ、美味しかったですか?」
いつの間にか近くに来ていたのか、切り分けられたバケットを籠にいれて立つおとはちゃんがいた。
「あぁ…美味しかった…
こんなに美味しいの、こっちに来てから初めて食べたよ…」
おとはちゃんがバケットをテーブルに置くと、嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえて嬉しいです。
おかわり、いりますか?」
おとはちゃんの言葉に俺は泣きながらゆっくり頷いた。
おとはちゃんが俺のスープ皿を持って行くのとすれ違ってステラがオーブンで焼いたのであろう、3人分の鶏肉のステーキを置いた。
「おとはのスープ、美味しいでしょ?
僕もね、初めてここに来た時は、君みたいに泣きながら食べたなぁ…」
彼はしみじみとした様子で話した。
彼も俺みたいに疲弊しきって、ここに辿り着いたのだろうか…
先程まで、なんとなく嫌っていた彼の事を少しだけ知りたいと思った。
おとはちゃんがスープ皿を持って俺の前に置いてくれてから席に座った。
「では、いただきます。」
おとはちゃんが行儀良く手を合わせて言うと、ステラも俺もそれに習って「いただきます」と言い、食事が始まった。
他愛のない会話をしながら楽しく食事をする。
普通に美味しい食事を食べていたが、ふと、ここが何処で、この者達は何者なのかと頭を過ぎった。
「あのさ、今更なんだけど…
ここはなんの建物なんだ?」
俺の素朴な質問におとはちゃんがフォークを置き、口元を拭いてから口を開いた。
「ここは『星の夢館』。プラネタリウムを経営してる建物なんです。
私が祖父の跡を継いだ歴史あるプラネタリウムなんです。
そして、現管理人である私は鹿畑おとはと申します。」
「で、僕はステラ。
まぁ、おとはにもらった源氏名なんだけどね?本名は言いたくないかなー…
普段は南蛮楽器のギターを弾いて歌ってるんだ。」
おとはちゃんと対照的にバケットを食べながら言うステラ。
なるほど…おとはちゃんのおじいさんが造った建物であればこの建物の古さにも納得がいく。
というか、時々、ステラは古めかしい表現を遣うなぁと思う…
2人が自己紹介してくれたのに、俺がしない訳にもいかないかと思い、俺も口を開いた。
「俺は佐倉大空。ソラって呼んでくれ。
歳は29歳で、舞台俳優をしてるんだ。」
「へぇ…ソラ、ねぇ…
僕達と歳の差は余りないんだね。
俳優って、あのキネマに出てる人ってことだよね?」
「ステラ君、キネマじゃないよ。
演劇場の俳優さんだよ。」
「き、きねま…?」
ステラの言葉に俺は首を傾げるが、どうもこの中で分かっていないのは俺だけらしい。
キネマもステラ特有の古い表現なのだろうなと思い、無視した方がいいかと思い、それ以上は聞かなかった。
「あ、よろしければ、プラネタリウム見ていかれますか?」
おとはちゃんが俺の方を向いて聞いてくれる。
確かに、なんとなく此処に来てしまって、そのままの流れで食事までご馳走してもらったんだから、その流れでプラネタリウムを観ても悪くない気がした。
「うん、そうだな…
観て帰るよ。」
「ありがとうございますっ!!」
本当に客が少ないのだろうか、俺の言葉に溢れんばかりの笑顔を浮かべるおとはちゃんは食事を早く平らげると足早にどこかへ行ってしまった。
片付けをステラがしており、手伝おうと思ったが、ステラからやんわりと断られ、俺は椅子に座ったまま水を飲んだ。
しばらくして食器を裏へ運び終えたステラが戻ってきた。
「お待たせぇ。じゃあ、ホールに行こうか。」
ステラに言われ、俺達は赤い絨毯の床を歩き、階段を登る。
プラネタリウムは2階にあるのか…と思いステラについて行く。
そして大きな扉の前に立つと、ステラはゆっくり扉を開いた。
「おぉ……」
中は赤い絨毯の床、立ち並ぶクッション性の良さそうな椅子、そして真ん中には星を映し出す大きな機械…
その機械の近くにおとはちゃんはマイクを持って立っていた。
「こちらへ!!
今日の特等席はここですよ!!」
北側の椅子を指差しながらおとはちゃんはマイクを通して教えてくれる。
俺とステラは言われた通りに席に座るとゆっくりと照明が暗くなった。
「皆様、当プラネタリウムへお越しくださりありがとうございます。
只今から上演致しますのは、冬の星、オリオン座とアルテミスのお話です。
どうぞごゆっくりお楽しみください。」
先程までの元気な声ではなく、穏やかな静かな声で話し出すおとはちゃん。
おとはちゃんが話す内容よりも、この声の方が心地よい…
オリオンの勇姿、アルテミスとの恋愛、そして、オリオンの最後…
星座の神話を聞いているうちに疲れが溜まっていたのか、ついうとうとしてくる。
そして、俺はいつの間にか深い眠りに着いていた…。