人似
アリは自然界の中でもかなり成功した部類に入る生物であるらしい。
熱帯から冷帯まで、砂漠・草原・森林など陸上の様々な地域に分布をし、その数も種類も非常に多く、高度に社会性が発達した種も珍しくない。
だからこそ、アリの繁殖が他の生物にとって脅威となるケースも多いのだけど、それは裏を返せば、もしアリを利用できたなら、“生き残り方略”にとってとても役に立つという事でもある。
アリ植物と呼ばれる植物は、アリの為に自らの身体を巣として提供して代わりに護ってもらっているし、アブラムシのように体内で作り出した甘露をアリに提供し、護ってもらっている種もいる。
そして、そんな生物の一種に、普通の生物にとっては非常に怖ろしい、アリの巣を住処にする生物達もいるのだ。
それらは好蟻性生物と呼ばれている。アリヅカコオロギがその代表的なものになるのだろうと思う。
アリの巣を彷徨いながら、アリのエサや幼虫や蛹などを食べ、もしアリに遭遇したなら逃げ出すという猛者もいるようだけど、もっと進化適応した種の中には、アリが出すフェロモンを身に纏ってアリの振りをして騙し、餌を分けてもらうという驚くべき能力を手にしたものもいる。
これら好蟻性生物は、アリ(の巣)に対して間接直接的にダメージを与える事によって、アリの繁殖を抑えてくれる。だから、生態系を破壊したり農業にダメージを与えたりする種類のアリの好蟻性生物を見つけ出せれば、生物農薬として利用できる可能性があるらしい。
もっとも、そんな事を訴える為に、僕はこんな説明をした訳じゃない。
実はこの好蟻性生物と、同じ様な方略を執る種が近年になって現れたのだ。しかも、そいつらは急速に進化していて、そのターゲットはどうやら人間社会であるらしいのだった。
「――近所に“人似”が出たらしいよ」
友達の村上君がそう言った。登校の途中で偶然会って、そのままの流れでなんとなく一緒に喋りながら歩いていたのだけど。
「本当? どこに?」
「第三公園の奥の森。ほら、ゴーレム達の棲家になっていた場所。だから、なるほどねって感じだけど、そのゴーレム達に育ててもらっていたらしい」
因みに、ゴーレムというのは、持ち主がいなくなって彷徨っている野良ロボットのことをいう。
「それでどうなったの?」
「誰かが市役所の人似処理班に連絡を入れて、駆除してもらったらしいよ」
僕はそれを聞いて眉を曲げる。
「なんだか、ちょっと可哀想に思えて来るな、そういうの」
ところがそれを聞いて、村上君は肩を竦めるのだった。
「同情は禁物だよ。人似は人間社会にとって脅威なんだから。このままでは、限られた資源を、知らず知らずの内にどんどん人似に奪われてしまう。
それに、放っておいたら、人似はどんな進化を遂げるか分かったもんじゃないんだから。生物と違ってロボットは進化がとても速いってのもあるし」
僕はそれに弱く頷いた。
「そりゃ、理屈では分かっているけど……」
そして、そう返す。
理屈では分かっていても、人の外見にとってもよく似たものが駆除されるとなるとあまり気持ちの良いものじゃない。
「まぁ、気持ちは分かるよ。“気持ち”はね。でも、そこが問題なんだ。人似は当にそこを突いて来るんだから」
その僕の様子に村上君はそう言った。
「今はまだ公式には、ロボットに育てられている人似しか見つかっていない事になっている。でも、人間社会に紛れ込んでいる人似だっているって話じゃないか。そうなると、事態はもっと深刻だ。ま、飽くまで噂に過ぎないけどさ」
そう続ける村上君に、僕は「そんなの、都市伝説じゃんか」と抗議をした。いくら何でも心配し過ぎだと思ったんだ。
「分からないぜ。生物の進化を見てみなよ。どうやったらこんな進化をするんだ?ってくらいの驚くような能力を獲得している生物がたくさんいる。ロボットの進化だってそれと同じ原理に則っていると考えるなら、既にそこまで進化している人似がいたっておかしくないじゃないか。
ロボットの進化は厄介だよ」
ところが、そんな僕に村上君はそんな事を言って来る。ただし、口調はややおどけていたから、恐らく本気ではないと思う。ただ、ロボットの進化が厄介だという点は正しい。
「本当に、ロボットに自己修繕機能なんて付けなければ良かったのに」
それで僕はそう返した。
「まったくね」と、村上君はそれに同意してくれた。
実は僕は人似が処分される為に連れて行かれようとしているのを何度か見たことがあるんだ。
その人似は、小学校低学年くらいの男の子の姿をしていて、多分、偶然だろうけど、僕に目を合わせるとまるで助けを求めるように僕に向けて手を伸ばした。
だけど、もちろん何もできない。
こんな表現が適切かどうかは分からないけど、だから見殺しにした。
その時僕は、なんだか物凄く悪い事をしているような気分になったのだった。
――ロボットの開発が本格化し始めた時代。一部の専門家達から、こんな警告が発せられた。
『ロボットにロボットの修理を行わせてはならない。
ロボットにロボットの修理を可能にすると、ロボットを自律進化させる事に繋がってしまうかもしれない』
ロボットにロボットの修理が可能という事は、ロボットが自分達の構造を理解しているという事で、ならば元に戻すだけでなく、改善だって可能になるはず。
専門家達はそのように考えたのだ。
それは、つまりはロボット達が勝手に進化できるようになる事を意味する。そしてそれは、ロボットの進化を人間が制御できなくなる事を意味してもいた。ならば、人間にとって害になるロボットだって誕生してしまうかもしれないじゃないか。
だから、ロボットに自己修繕能力を付けるべきではないと、その専門家達は主張したのだった。
がしかし、その専門家達の主張は無視された…… とまでは言い過ぎだけど、実現はできなかったんだ。
何故なら、やっぱりロボットに修理を行わせた方がコストが安く済むから。
一応、国際的にガイドラインのようなものは敷かれたのだけど、そのガイドラインに従う企業は非常に少なく、結果的にそれは有名無実になってしまった。そして、専門家達の懸念した通り、ロボット達は人間の手を離れて、勝手に進化をするようになってしまったのだった。
人間の手から離れた野良ロボット…… ゴーレムの間で主にそれは観られ、その内に人の姿にとてもよく似たロボットが誕生した。つまりは、それが人似だ。元より、“ロボットを人間にできるだけ近づける技術”は存在していて、非常に情熱的に取り組んでいる技術者達もいたから、それがロボットの自律進化と結びついたのではないかと推測されている。
人似は、人間の姿を真似る事で他の野良ロボット達に育ててもらうという生き残り方略を執っているらしく、自分達ではほぼ何もしない。ロボットの人間へ奉仕する性質を、人似は巧く利用しているという訳だ。まるで、アリの振りをしたアリヅカコオロギが、アリから餌を貰うように。
人似が発見されたばかりの頃は、人間に似ていると言っても子供騙しで(いや、子供すら騙せないけど)、性能の未発達なロボットは騙せても人間はまず騙されないような滑稽な外見をしていた。しかし、それからわずか数年で可愛い子供の姿を執るようになり、最近では良心的な人間が引き取りたいと申し出るまでになってしまった。
どうも人似は基本的に子供っぽい恰好をしているらしい。“保護される”という方略を執っているのだから、当たり前かもしれないが。
人似にはそれほどの害はないように思える。だけど、地味だけど、決して馬鹿にできない悪影響があるらしく、貴重な金属の類が無駄に使われてしまうし、エネルギーだって奪われてしまう。どういった計算かは分からないけど、ある専門家の言葉を信じるのなら、その損害規模は全世界で数十兆円にまで達するらしい。
「お、薬谷。小学生が何で高校に来ているんだ?」
教室に入るなり、そう言われた。クラスメートの鋤屋という奴だ。因みに、薬谷というのは僕の名前。
「なんだよ、それ?」
と、僕は返す。
鋤屋は僕がコンプレックスを抱いていることを平気で言って来る。もっとも、別に嫌われている訳ではないらしく、それから彼は僕の言葉には返さず、無言のまま頭をぐりぐりと強く撫でて来た。
いつも通りの行動だ。
どうも彼は僕を愛玩したがっているようなのだった。外見はけっこうごっつい男なのだけど、それに似合わず可愛いものが好きらしい。
いや、単にからかっているだけかもしれないけど。
迷惑な話だ。
僕らは今年高校に入学して、一年生になった。ただ、僕の外見は同級生達に比べればちょっと幼い。鋤屋が小学生と言っているのが言い過ぎだとしても、中学生にはよく間違われてしまう。
クラスに一人か二人くらいは、そういう成長が遅い生徒がいるものだけど、僕はそのうちの一人という訳だ。
……“そのうちの一人”と、思わせぶりの言い方をしてみたけど、それは、まだ他にも幼い外見のクラスメートがいるってことを意味する。
ただし、そのもう一人は鋤屋の犠牲になってはいない。何故なら、女の子だからだ。鋤屋は間違いなく女の子が好きなのだけど、いや、多分だからこそだと思うのだけど、女の子とコミュニケーションを取るのが苦手で緊張してしまうらしく、積極的に接しようとはしないんだ。だから撫でるどころか話しかけることすら滅多にしない…… いや、できない。
自分の幼い外見のお陰で警戒され難いってこともあるのかもしれないけど、僕は別に女の子と話すのに緊張はしない。けど、その幼い外見をしている彼女に関しては、鋤屋の気持ちが僕にも分かってしまう。
その子はただ単に幼いだけじゃなく、何と言うか、とても神秘的な雰囲気を持っているんだ。しかも人間離れした美しい造形をしていて、なんだか儚げ。もし仮に、フランス人形の一群に彼女が混ざっていても僕らは違和感を覚えないだろう。逆に動き出す彼女に驚くかもしれない。
彼女は名前を三谷楓という。
そして、正直に言うのなら、僕は彼女に少なからず惹かれていた。
いや、これは仕方ないと思う。多分、健康な年頃の男なら、誰でも少しくらいは彼女に惹かれるだろうから。もっとも、彼女の方が僕を気に入ってくれる自信はあまりない。彼女みたいなタイプの女の子は、頼りがいがありそうな男が好きなのじゃないだろうか?
だから僕は、遠くから彼女を眺めることしかしていなかった。それは他の皆も同じで、近寄り難いと思っているのか、あまり彼女に接しようとしない。それは男生徒達だけでなく、女生徒達も似たようなもんで、それで彼女はいつも一人でいる。
つまり、孤独。
もっとも、彼女には、それを特に気にしているような素振りはない。むしろ、安堵しているような感じすらある。
そんな彼女に同情をしたりするのは、むしろ失礼な気もする。けど、もしもそれが勘違いで、彼女がとても寂しがっていたならどうだろう?
そんな妄想を、僕はついしてしまうんだ。
もしそうなら、もしそうなら、僕が彼女に接することで、告白することで、彼女をそんな孤独から救い出せるかもしれない……
不意に三谷さんが教室に入って来た。
――彼女は寂しがっている。
そんな妄想をしていた僕は、その所為で少し恥ずかしくなってしまった。そんな僕の様子に気が付いたのか、彼女は軽く首を傾げた。何を誤魔化す為にかは分からないけど、とにかく何かを誤魔化す為に僕は笑った。するとその笑顔を見て、彼女も笑った。
その笑顔で、僕の心に何か温かいものが膨れ上がって来た。
嬉しい。
そしてその時、もしかしたら、僕の妄想通り、彼女は寂しがっているのじゃないか?と、そんな風に僕は思ってしまったのだった。
休み時間。
ついと三谷さんが教室から出て行った。彼女は時折、こんな風にいなくなる時があるんだ。
何処に行っているのかは分からない。
彼女の謎めいた雰囲気に合っているからか、そんな行動も不思議と皆から受け入れられている。
だけど、もしも彼女が寂しがっているという僕の妄想が本当だったならどうだろう? あんな風に一人で出て行く彼女が、実は誰かに追いかけてもらいたがっているとするのなら?
それも僕の妄想であるのかもしれない。けど、妄想であるのならそれでも別に構わないとも思う。単なるお節介、考え過ぎだと僕が笑われるだけだ。
だから、彼女が出て行ってから少し後、僕は彼女を追って教室を出たのだ。彼女の向かった方角から、なんとなく行きそうな場所は予想できた。
多分、美術室だ。
美術室はこの時間帯は誰もいないはずだ。そこで彼女は一人きりで何かをやっているのじゃないか。
ところが、その僕の予想は外れた。美術室にまで辿り着いて、中に入っても誰もいなかったんだ。
それで僕は、方角からいって考え難いけど、単にトイレに行っただけだったのかもしれないと考えた。美術室の近くのトイレは教室から遠いけど、その代わり人が少ない。彼女は人が少ないトイレの方が好きなのじゃないだろうか? それで、わざわざこっちまで来ているんだ。
ただ、そう思って美術室の外に出ようとして僕は気が付いた。
美術準備室。
ドアが閉まっている。
それは平素通りの光景だ。美術準備室は、一般生徒には公開されていなくて、先生達だけが自由に利用できる。一応、申請を出せば鍵を貸してくれるから入れる事は入れるけど、面倒くさいし、美術準備室に用がある生徒なんてあまりいない。だから、大体は閉まっているんだ。
――けど、
なんでか知らないけど、その時、僕はこう思ったんだ。
三谷楓。
彼女なら、僕らにはまったく想像ができないような理由で、美術準備室を使うかもしれない。
それから僕は、ゆっくりと美術準備室のドアに近付いていった。ドアノブを回そうかと少し悩んで止める。
もしも、本当に彼女がこの中にいるとしたら、音で気付かれてしまう。どうせなら、こっそりと彼女が何をやっているのかを見てみたい。
そんな邪な考えが頭に浮かんだからだ。好奇心。……彼女が中にいるかどうかも分からないのに。
そして、美術室のベランダにそっと出ると、僕は美術準備室の窓、そのカーテンの隙間から中の様子を覗いてみたんだ。
すると、そこには彼女、三谷楓がいた。
本当に。
僕はどうしてか、それにあまり驚かなかった。なんでか、彼女が中にいると確信を持っていたんだ。
だけど、そこにいた彼女の姿には流石に驚いた。
彼女は上半身の前だけ隠す姿勢で、素肌の背中を大きくさらしていた。それだけなら、着替えの最中だと思うだろう。けど、それだけじゃなかったんだ。
彼女の背中は開いていた。これは服を脱いでいたという意味じゃない。文字通りの意味で開いていたんだ。その中からは機械の臓器が覗いていて、その臓器からはコードが伸び、そのコードは何かの機械に接続されている。その機械を彼女は凝視していた。何をやっているのかは分からない。分からないけど、これだけは分かった。
彼女は人間じゃない。
彼女はロボット。人間に紛れて生活をしている“人似”だったんだ。
僕は愕然となった。
“都市伝説じゃなかったのか! 人似が既に人間社会に紛れ込んでいるってのは!”
頭の中がグルグルと回る。僕にはどう反応すれば良いのかが分からなかった。
だってそうだろう?
憧れていた女の子が、人間じゃなかったなんて、一体、どう反応するのが正解だって言うんだ?
僕はそこで固まってしまった。逃げるべきだったのかもしれない。或いは、誰かを呼んでその事実を市役所に報せ、彼女を駆除してもらうのが人間として正しい行動だったのかもしれない。
でも、そんな理性的な判断は、宇宙の彼方にまでぶっ飛んでしまっていて、僕の頭の中にはなかった。
そして、僕が固まっている間で、彼女はゆっくりとこちらを見たのだ。
気付かれる?
恐怖を感じたけれど、まだ動けなかった。そして僕はそのまま彼女と目が合ってしまったのだった。
彼女は僕を見ても慌てなかった。いや、それどころか、何故か嬉しそうに笑った。それは今日、僕が笑いかけた時に返してくれたあの笑顔にどこか似ていた。
僕はその笑顔の意味をできず、底知れぬ恐怖を覚えた。――いや、恐怖を覚えたと思う。ただ同時に、恐怖を覚えるべきではないような気もした。だって彼女は、あんなに嬉しそうに僕に笑いかけてくれているのだもの。
それで僕は、混乱してしまった。そして、何をどうすれば良いか分からず、結果的にその場から逃げ出してしまったのだった。それが適切な行動だと思っていた訳じゃない。逃げるという選択以外は何も思い付かなっただけだ。
逃げてしまった後で、僕は彼女を傷つけてしまったかもしれないと、何故かそんな心配をしていた。
人似である彼女を傷つけたところで、気にする必要なんかないのに。いや、そもそも傷つきすらしないかもしれないのに。
教室に戻った僕は、さっきの光景を見なった振りを決め込んだ。
もしかしたら、彼女は僕を見て笑った訳じゃなかったのかもしれない。実は僕に気付いてすらいなかったのかもしれない。そんな可能性だってある。なら、取り敢えずは、何も見なかったことにするべきだ。
そう思ったんだ。
やがて、しばらくが過ぎると三谷さんが教室に戻って来た。僕に人似であることがバレたことを心配する素振りがないどころか、僕を気にすらしない。
それで僕は、彼女が僕を見ていなかったことを期待したのだった。ただ、やっぱりそれは甘かったみたいだったのだけど……
昼休み。
ちょっとばかり外に出ていた僕は、戻って来た教室の雰囲気がいつもとは違っていることに気が付いた。
原因は直ぐに分かった。
三谷さんだ。
いつもは教室の隅で大人しくしている彼女が、何故か中央にいて、皆の話題の中心になっているようなのだ。
……どうしたのだろう?
僕は不思議に思ってそこに近付いて行った。すると皆が変な目で僕を見る。なんだろう?と思っていると、突然、鋤屋が僕の胸倉を掴んで来た。
「薬谷! てめぇ! この野郎!」
その行動の意味はさっぱり分からなかったけど、彼が怒っているのだけは分かった。恐らく、三谷さんが僕を何か悪く言ったのだろう。そして、皆の僕を見る視線には、僕に対する侮蔑の意味が込められているのだろうことにも僕はそこで気が付いたのだった。
「止めて、鋤屋くん!」
鋤屋が僕を今にも殴ろうかというタイミングで、そう三谷さんが言った。
それで再び、彼女に皆の視線が集中する。そして彼女はその集まった視線に対し、こう告げたのだった。
「ワタシは着替えを見られたのなんて、まったく気にしていないわ。
いいえ、それどころか、薬谷くんがワタシの裸を見に来てくれて、嬉しいって思ったくらいなんだから」
それを聞いて、僕は頭の中で思い切り叫んだ。
“着替えぇぇぇぇ?”
どう考えてもあれは着替えなんかじゃない。いや、問題はそんなところにあるのじゃないのだけれど。
一体、彼女は何がしたくて、こんな主張をし始めたのだろう? まさか、僕を悪者にすることで口封じでもするつもりなのだろうか?
僕がいくら彼女は人似だと主張しても、覗きをしたという悪事を誤魔化す為に嘘を言っているのだと皆に思わせる為に。
でも、そんなの、大人達や市役所には通じないのじゃないか? 少し検査をすれば、人似かどうかなんて直ぐにバレてしまうのだもの。
僕は少し考えた。
彼女がどんな計画を立てているのかは分からない。だけど、その前に人似であることをバラシてしまえば何にも関係ない。それだけで彼女の脅威は取り除かれる。
しかし、そう思っても僕の口は動かなかった。
どうしても、彼女が人似であるのを皆にバラシてしまう気にはなれなかったんだ。そして、そのわずかな間で、彼女はこんなとんでもないことを言い始めたのだった。
「ただ、ワタシはね、薬谷くんに責任を取って欲しいだけなの。ちゃんと付き合ってって。それくらいのことを彼はしたと思うのよ」
――へ?
僕はその予想外の主張によって、完全に頭の中身が核分裂した。
何がどうなったら、そうなるのだろう? これも口封じの為? いや、よく分からない。彼女はちょっと恥ずかしそうにしながら、とても嬉しそうにしている。それが演技であるようには僕には思えなかった。
これは多分、男なら、誰だって有頂天になるようなシチュエーションだろう。
覗き(?)をしたのに、それを責められるどころか、その被害者の女の子と付き合えるって言うんだから。しかも、前々から憧れていた女の子と。
でも、
彼女は人間じゃない。人似だ。ロボットだ。そして僕は、彼女にとって彼女が人似であることを知ってしまった危険人物であるはずなんだ。
恋人どころか、むしろ敵だ。
一体、どんな意図があるのか、分かったもんじゃない。当たり前だけど、その彼女の告白には、慎重に答えなくてはならないだろう。核分裂した頭で、僕は必死にそんな思考を巡らせる。しかし、慎重に答えている時間は僕にはなかったのだった。
「薬谷ぃぃぃ!」
三谷さんの告白を聞いた鋤屋が、そう叫びながら僕に迫って来た。
「羨ましい! 羨ましいぞ、こんちくしょうめ! この果報者がぁ!」
祝福されている。そしてそれは鋤屋だけじゃなかった。他の皆もその三谷さんの告白に沸きに沸きまくっていたのだ。「ひゅーひゅー」とか、いつの時代なんだ?って囃し方で僕をからかっている奴までいる。
つまり、なんと言うか、僕の返答なんて誰も待ってはいなかったのだ。どうやら、有無を言わさず、僕は三谷さんと付き合うということになっているみたい。
「ある意味、お似合いの二人かもしれないわね。どっちも見た目が幼いし」
「微笑ましい」
「小さな恋のメロディだな」
クラスメート達は、口々にそんな事を言っていた。
こんな空気の中、彼女との交際を断ることは、ましてや彼女が人似であることをバラすなんてことは、僕にはできなかった。
三谷さんを見てみると、とても嬉しそうな顔を見せている。
“うまくいった”
その顔は、そう言っているように僕には思えた。
放課後。
僕は三谷さんと一緒に帰っていた。
それは、
“付き合い始めたんだから、一緒に帰るのが当然だろう?”
そんな空気が教室内には流れていて、その空気に僕が従った結果なのだけど。
我ながら、流されやす過ぎるとは思う。でも、どうにも逆らえない。昔から、僕にはそういうところがあるんだ。
横に並んで歩く彼女は、見た目では心から僕と一緒に帰れることを喜んでいるように思えた。
――でも、
人似であることが僕にバレたから、彼女がこんな行動を執っているのは明らかなんだ。絶対に何か裏があるはず。
ただ、彼女が何を考えているのかは僕にはまったく読めなかった。
「あの……」
それで僕は直球勝負をすることにした。
「なに?」と彼女は返す。
何かを期待しているみたいな喋り方。演技には思えないのだけど、きっと演技なのだろう。
「――君が人似であることを僕が市役所に報告すると不安に思っているのだったら安心して。僕は絶対にそんな真似はしないから……」
そう告げた僕がかなり緊張していたのは、言うまでもない。ところが、彼女はそれを聞くと可笑しそうにケラケラと笑ったのだった。
「なにそれ? 冗談?」
なんだ、この反応?
僕はそれを不思議に思った。まさか、白を切り通すつもりだろうか? いくらなんでも無理がある。
だけど、“不可解”のクエスチョンマークが頭の上に浮かびまくっている僕に構わず、彼女は喋り続けるのだった。
「ごめんなさいね。あんな強引な手段を使っちゃって。でも、薬谷くんと付き合える数少ないチャンスだと思って。あなたは周りの人には逆らえないでしょう? そういう風にできているのだもの」
どうやら、僕の流されやすい性格は、彼女の目から見ても明らからしい。
なんだか、ちょっと恥ずかしくなった。
彼女は喋り続ける。
「ワタシ、今、とっても喜んでいるのよ? 薬谷くんみたいなより高度な人と一緒になれることになって。
本当によくワタシの“アレ”を覗きに来てくれたわ。ま、そこは薬谷くんもオスだってことになるのかしらね? 興味を抑えられなかったんだ。生物として正しいわ」
高度な人?
僕が?
どうして、そうなるのか、どうして彼女がそんな風に考えているのか、僕にはまったくさっぱり一ミクロンも分からなかった。どうにも彼女の言動は、僕にとって謎過ぎる。いや、彼女の存在そのものが謎なのかもしれない。
「あの……」
戸惑いながらも、僕はまた口を開いた。
「アレは一体、何をやっていたの?」
人似であることがバレた当にその瞬間のあの行為。流石にそれを尋ねられたら、彼女は怒るだろうと僕は思った。けれど、彼女は怒らなかったのだ。それどころか、その反対に喜んだのだった。
「知りたい?」
はしゃいでいるようにすら思える。
「薬谷くんになら、教えてもいいな。ううん、むしろ知って欲しい。ね、それを教えるから、これから家に来ない?」
「うん……」
僕は気が付くとそう応えていた。
それは彼女の勢いに押されたからということもあったのだろうけど、“僕の覗き”に対する僕と彼女との間にあるだろう認識のギャップに混乱していたというのも大きい。
なんか、おかしい。
ひょっとしたら、僕が見た彼女のアレは夢か何かで、本当はもっと別の何かを彼女はあの時、やっていたのだろうか?
彼女の態度はどう見ても自然で、何も怪しい点はなかった。強いて言うなら、神秘的な彼女の印象とはかけ離れている点に違和感を覚えるくらいだ。だけど、これは彼女の所為ではない。僕が勝手にそんなイメージを持っていただけなんだから……。
僕は色々なことが信じられなくなっていた。一体、何が現実で、何が嘘なのだろう? ただ、それでも、上機嫌の彼女に導かれるまま彼女の家を訪ねようとしている僕は、少しばかり浮かれているようでもあったのだった。
まるで、普通の女の子の家を訪ねるような感じで。
まぁ、女の子の家に行ったことなんて一回もないのだけど。少なくとも、女の子と二人切りでは。
やがて彼女の家に着いた。普通の一軒家で、もしかしたら豪邸かもしれないなんて想像をしていた僕は拍子抜けしてしまった。もちろん、彼女は少しも悪くない。
玄関の扉を開けると、三谷さんは軽くステップでも踏みような感じでドアの所まで行って鍵を開ける。
それから、半分程ドアを引くとそこで振り返って僕に向ってこう言った。
「この時間は、まだ親は帰っていないの。だから、気にする必要はないわよ」
本当に普通の女友達から聞くようなセリフだ。それも、思い切り甘いタイプの。
「うん…」と、僕は返す。
なんだか随分と間抜けだ、とそう僕は自分でも思った。
相手は人間じゃない。人似の女の子。それが僕にバレていることを彼女は知っているはずなのに、どうしてこんな風に普通に話せるのだろう?
彼女がとても図太い神経をしているから?
いや、そんな問題じゃないはずだ。ないはずなのだけど……
「入って」
僕の言葉を聞くと、嬉しそうにしながら彼女はそう言った。恐る恐る、その言葉に従って僕は彼女に家に足を踏み入れる。
人似であるはずの彼女の家には、何も変わった点はなかった。ただ、それは人間の振りをする為なのかもしれない。入っただけで、人似だと分かってしまうような家に住んでいたら、今頃とっくに彼女は駆除されてしまっているはずだろう。
「ワタシの部屋に行きましょう」
相変わらず、嬉しそうにしながら彼女はそう言った。
罠じゃないか?
そう少しだけ疑った。
でも、彼女と僕が一緒に帰っているのを皆が知っている。もし、僕が何かしら危害を受けたら、一番に疑われるのは彼女だろう。そんな馬鹿なことは恐らくしないと思う。
でも僕はそんな理屈で自分を安心させるよりも前に、彼女が僕に悪意を持っていないだろうことを既に分かっていたような気がしてもいた。
なにしろ、僕は彼女が人似であると知っていながら、これから彼女の部屋にいけることにワクワクしているようなのだ。自分でもそれが何故なのか分からなかったのだけど。
そのまま、二階にあるらしい彼女の部屋に僕は通された。
僕の中の“女の子の部屋”のイメージよりも、殺風景だったけど、それ以外は何も変な所はなかった。一応断っておくと、そもそも、僕のイメージなんてまったく信用できないから、これは何ら不審な点ではない。
そして、そうして、僕らは狭い部屋の中で、二人切りになってしまったのだった。
そこに至って、ようやく彼女も緊張している風に思えた。強がりなのか、なんなのか「うふ。男の子を部屋に連れ込んじゃった」なんて言っている。
それから、ゆっくりと息を吐き出す。
それを見て、僕は彼女が人似であることも忘れて“可愛い”と思ってしまった。いや、それどころか、自分が学校で見たあの光景は何かの見間違いで、彼女は人似なんかじゃなく人間なのじゃないか?とそう思い始めていた。
だって、そうじゃないと、三谷さんのこの態度の訳を説明できないもの。
そして、それから彼女は「じゃ、手っ取り早く見せちゃうわね」とそう言ったのだった。
――何を?
と、僕は思う。僕の疑問に答えるように、彼女は後ろを向いて上半身の服を脱ぎ始めた。僕は一瞬で緊張をする。
――本当に、何を見せる気なんだ?
背中の肌を僕にさらしながら、彼女は語った。
「大人になっていく過程で、メスは子供を造れる身体の構造に変化するの。こんなに幼い外見でも、ちゃんとそうなるのよ。ワタシがあの時していたのは、その確認作業。とても大きな変化だから、神経を使うのよね。こまめにやらないと」
その彼女の驚くべき行動に、僕は興奮してうんうんと頷いた。彼女が何をしているのかは相変わらずに分からなかったけど、とにかく、彼女が人似っていうのは、やっぱり僕の勘違いなのだろうと改めてそう思っていた。
だとしたなら、今僕は、半裸の姿の女の子と二人きりで狭い部屋の中にいる事になる。この状況で、興奮しない男がいるだろうか?
この先の展開を、期待しない訳にはいかなかった。
――が、その瞬間だった。
何も継ぎ目の見えない滑らかな肌の一部に突然、切込みが入ったのだ。そして、まるでフタが開くように、あっさりときれいに、それは開いた。
中からは、エレクトリックな臓物が覗いている。
ええええええ!
僕の予想…… と言うか、願望はそれでいとも簡単に粉々に砕け散ってしまった。
“やっぱり、やっぱり彼女は人似じゃないかぁぁぁぁ!”
しかし、そんな僕の心中を知ってか知らずか、三谷さんは僕にその人似である証拠の背中を向けたまま喋り続ける。
「薬谷くんには分からないかもしれないけど、これでちゃんと“子供が造れる身体”に成長しているのが分かるのよ」
僕は見ちゃいけない物を見ているような気持ちになって、指で自分の目を塞いだ。ただ、やっぱり気になって、指の隙間からそんな彼女の姿を凝視していたのだけど。
「まだ、子造りは無理だけど、後少ししたらできるようになる。だから、期待していてくれて良いのよ」
そんな僕をチラリと見ると、彼女はそう続けた。
「うん。大丈夫。僕は君が人似だなんてバラすつもりはないから。安心して!」
何故、こんな行動を執るのか、何故、そんな事を彼女が語るのか、その理由をまったく理解できなかった僕は、彼女が僕の口封じをしようとしているのだと無理矢理に解釈をしてそう言った。
そんな僕の言葉に、彼女は首を傾げる。身体をこちらに向けようとする。服で前を隠してはいるけど、上半身は裸だ。彼女が人似でさえなければ、夢のようなシチュエーションであるはずなのに!
「何を言っているの?」
そう彼女。
「君は僕の口止めがしたいのだろう? だから、そんなものを見せているんだ」
「どうして、これが口止めになるの?」
もっともな意見。
「とにかく、僕は告げ口をしたりなんかしないから、安心して! それだけは信じて!」
それを受けて、三谷さんはキョトンとした表情を見せた。
「そんなの当たり前でしょう? どうして薬谷くんが、ワタシが人似だって、人間達にバラすのよ?」
「どうしてって……」
なんでか分からないけど、彼女は僕を心の底から信頼しているようだった。彼女はそんな僕の様子を不審そうに見やる。
「まさか、来る途中に言ったあれも冗談じゃなかったの?」
それから直ぐに合点がいったような表情を見せた。
「つまり、そういう事? 変だ変だとは思っていたのだけど……」
そして、それから目を輝かせながら、彼女はこう言い放ったのだった。
「薬谷くんは、自分が“人似”だって気が付いていなかったの?」
――は?
と、僕は思う。
それから彼女はゆっくりと近付いて来ると、キスでもするんじゃないかってくらいに顔を近づける。ただ、キスはしなかった。その代わりにおでことおでこを合わせた。
その瞬間、お腹に違和感が。
彼女が離れたので、急いで服を捲って確かめると、僕のお腹は開いていた。彼女と似たようなエレクトリックな臓器が見えている。
なに、これ?
混乱している僕に向けて彼女は言った。
「治療が必要になった時の為に、仲間の人似からの命令を受け付けるようになっているのよ。
人似はとても結束力が強いから、仲間を100%信頼しているのね。だから、そんな機能も付いている。
どう? 分かってくれた? 薬谷くんは人間じゃないの……
人似なのよ?」
僕は自分の開かれているお腹と、彼女の顔とを交互に見比べた。
「そんな…… まさか…」
もしかしたら、人似が駆除されるのを、僕があんなにも可哀想に感じていたのは、僕が人似だからなのだろうか?
僕はショックを受けていた。
ただ、ショックを受けているにも拘らず、僕は何処かでそれを受け入れてもいた。もしかしたら、心の奥底では自分でも気が付いていたのかもしれない。
自分は人似だって。
三谷さんが口を開いた。僕の開いている“お腹”を、手で優しく押して、ゆっくりと閉じながら。
「ワタシ達は微弱な電磁波による通信で、お互いを認識し合う。だから、ずっと前からワタシにはあなたが人似だって分かっていたのよ?
そして、多分、あなたもそれは同じ。意識していなくても気が付いていた。それできっと、ワタシを覗きに来てしまったのだと思うのだけど。
オスの本能に従って……」
彼女は微かに妖艶に笑ってそう言った。
僕は何も応えない。いや、応えられなかった。人似として、どうそれに対応するべきなのかが、突然過ぎて分からなかったから。それから更に彼女は語った。
「でも、凄いわね。人間に似せようと進化し続けた結果、自分を人間だと思い込むようにまでなるなんて。
流石、高度な種ね。薬谷くんは」
「何を言って……」
僕は弱弱しくそう返す。彼女は即座に返した。
「そのままの意味よ、薬谷くん。ワタシの造形は人間達から好まれるけど、その反面、とても目立ってしまう。でも、薬谷くんは地味で控えめ。目立たない。人間社会に紛れ込む人似として、どちらが優秀かは分かり切っているでしょう?
だからワタシは、より優秀な種であるあなたとつがいになりたかったのよ。より優秀な子供を造る為に。
それで今日、あんな強引な手段を使ってあなたに交際を迫った。注目を集めるのは嫌だったけど、普通にやったんじゃ、目立つワタシとは、あなたは一緒になってくれないかと思ってね」
僕は茫然となったままそれを聞いていた。
当り前だ。いきなりこんな現実を突き付けられて、正常でいられるはずがない。そんな様子の僕を見て、彼女は軽くため息を漏らした。
「いきなりだから、無理もないとは思うけど、そんなにショック?
ま、分からなくもないけど。
でも、ワタシは思うのよね。人似ってそもそも人間とどう違うのかしら?
ワタシ達は人間のように食べ、人間のようにコミュニケーションを執り、人間のように悩み、人間のように生きようとする。
果たして、人間の定義って何なのかしらね?
実は人似でも人似じゃなくても、あんまり関係なんてないのじゃないの?
本当は、ワタシ達は人間だって言ってしまっても良いのかもしれない。もし、そうじゃないと言うのなら……、自分は人間だって思っている人達だって、本当は人間じゃなくて人似なのかもしれないわよ?」
――その彼女の言葉に、僕は何も反論ができなかった。
……もしかしたら、これを読んでいる君は、僕に起こった出来事を、他人事だと思っているのかもしれない。自分には関係ないって。
でも、本当にそうだろうか?
もしかしたら、君だって、人間じゃないのかもしれないよ? 少なくとも、それを証明する手段はないはずだ……
絶対に。