第八十四話
ちょっと待って、成松君は今なんて言った?婚約を解消するって、なんで!?たしかに玲奈さんもそんなようなことを言っていたけれども、明らかに様子がおかしいし、そんな状態での言葉を真に受けちゃうの!?
「もともと、今までの婚約関係には俺も不満があったし、何時かはこの関係も正さないといけないと思っていたから渡りに船、かな」
ええ!?婚約が不満って、成松君の方は玲奈さんのこと好きじゃなかったってことなの?それは確かにアツアツの付き合いたての恋人同士っていうふうには見えなかったけれども、それでも仲が悪いようでも無かったし、なんというか落ち着いた二人っていう感じだったのだけれども。
「さて、これで俺たち二人は婚約者でも何でもないただの幼馴染に戻ったね。まあ、正式には父さんたちに話してからなんだけど、二人の合意があるならやかましくは言われないだろ。じゃあ、次のステップに移ろうか、断罪されなきゃいけない、だっけ?」
成松君の言葉に玲奈さんの肩がビクリと跳ねる。表情は俯いている所為でよくわからない。
「森山さんへのいやがらせに、階段から突き落とした、か。それは後で森山さんによく謝っときなよ、はい終わり。他にもまだあるのかな?無いのなら、この話はこれでお終いだね」
軽ぅい!私への扱いが雑!とでも思わないでもないけれども、私の方へ振り返った成松君の申し訳なさそうで真剣な表情と立てられた片手で矛を収めることにする。
それに、成松君は謝れって言ったけれど、怒っている訳じゃないしね。嫌がらせについては誰がやっているか分からないという不透明さに不安はあったしストレスは溜めさせられたけれども、行為自体にはそれほど、というかほとんど実害は無かったわけだし、階段から突き落とされた、というのも正確ではない。
階段から転げ落ちる直前に誰かに背中を押されたような感覚はたしかにあったのだけれども。それは、それだけで体勢を崩すようなものではなく、あれ?押されたかな?くらいのものでしかなかった。だから、正確には、階段から転げ落ちたのはその感覚に気がいっていたせいで私が段を踏み外しただけという間抜けな理由だ。
第三者から見たら突き落とされたように見えるかもしれないけれど、私からしてみたら自分の不注意の自業自得で誰かに責任を負わせるようなことじゃないんだよね。
「俺との婚約も解消されたし、断罪も成されたし、君の望みは全て叶った。次は俺の望みを叶えてもらおうかな」
「分かっているわ、学園から、貴方の前から消え去って二度と顔を合わせない様にすればいいのでしょう」
顔を上げて言葉を返す玲奈さんからは表情が消えていてその内心がどうなっているのかは読み取れない。肩の荷が全て降りてすっきりしているのか、今の状況に絶望しているのか。ただ、望みが叶って喜んでいるようにだけは見えない。
「それは玲奈の望みだろう?まあ、俺の望みを叶えるうえでそれだけは叶えてあげるわけにはいかないんだけど。──宇都宮玲奈、俺と結婚して欲しい、俺の婚約者になってくれ」
居住まいを正してそう告げると、玲奈さんの手を取る成松君。って、えええ!?
「──っ!何を言っているのよ!婚約関係は破棄されたのでしょう!?」
取られた手を強引に振り払って胸に掻き抱く。言葉を荒くしているけれど、怒っているというよりは混乱しているように見える。
「ああ、あのふざけた条件付きの婚約関係は、ね。そのうえで改めて俺と婚約して欲しいと言っているんだ。今度は条件も何もない対等な二人として」
条件、というのが何かは知らないけれど、二人の関係には何か問題があって、成松君にはそれが不満だった。だから成松君は一度そんな婚約関係を解消して改めて不満の原因になることが何もない婚約契約を結びたいってことなのかな。
「勝彰はさっきまでの話を聞いていたんじゃなかったの!?私との婚約を続けていたら貴方まで──」
「不幸に巻き込むって?それがどうかしたのか?そんな起こるかどうかも分からない先の事でどうして玲奈の手を離さないといけないんだ。巻き込めよ、一緒に、乗り越えて欲しいって、そう言えよ」
成松君が玲奈さんを抱きしめたところで私の肩をトントンと誰かが叩く。あの、ちょっと今いいところなのでって、木下君?居たんだっけって、そういえば私って木下君に話しかけようとしていたんだった。
ちょっと強めに腕を引かれて連れてこられた休憩室でハンカチを手渡される。ハンカチをどうしろと、ってああ、そういえば玲奈さんに水をかけられてたんだっけ、怒涛の展開が続いていて忘れていたよ。まあ、グラスに入っていた分くらいだからそれほどびしょ濡れって感じでも無かったし。
「あの二人はどうにか納まりそうだな」
最後まで見届ける前に引っ張り出されてしまったけれど、あの感じだったらどうにかなりそうだと思うよね。あれで玲奈さんのこと逃したら成松君にはキングオブヘタレの称号をあげてもいいと思う。
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