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魔女殿シリーズ

意地っ張りな魔女殿へ~依頼と、そして報酬を~

作者: 日車メレ



 だれかの不幸を食べる魔女がいる。


 そんな魔女に会いたがる人間は、変わり者の伯爵だけ。


 不幸を食べられてしまった者は、さてどうなる?





 着飾った紳士淑女で賑わう目抜き通りから、細い路地に入ってしばらく歩いた場所。日当たりの悪い細い通りにかかげられた木の看板には「東方より来たりし魔女の店」と書かれている。

 店内は薄暗くて、外からだとなにを売っている店なのか、よくわからない。こんな店に勇気を出して入ってみようと思う者は、なかなかいないだろう。


 その店の中では、黒髪の乙女が長いすに座って、異国の文字で書かれた本を読んでいる。


 カランカランと来客を知らせる鈴が鳴る。黒髪の乙女――――ユウリは本をパタリと閉じた。

 来客が誰なのかは考えるまでもない。この店を訪れる客人はたった一人、背の高い金髪の青年だけだ。


「ごきげんよう、不幸を食べる魔女殿。また会いに来てしまったよ」


 極上の笑みを浮かべる青年に対し、ユウリは無表情で応対する。


「ごきげんよう、伯爵様。……でも、その呼び名は嫌いです」


 彼は宮廷に出仕している貴族で、伯爵の地位にある高貴な人物だ。

 偉ぶったところがなく優しげな風貌で、身分の高い人物にありがちな近寄りがたさを感じさせない。その代わり、なんとなく軽薄そうな印象を与えてしまう、ちょっと残念な印象の青年だ。

 そして、人の寄りつかない魔女の店に好んでやってくる、かなり変わった人物でもある。


 まっすぐな黒髪と黒い瞳、というこの国ではめずらしい容姿のユウリとは真逆で、輝く金髪にペリドットのような瞳をした青年。

 彼はほかの女性にも、同じような態度で接するのだろうか。交友関係が極端に限られているユウリには、なかなか想像しづらい。そして、がんばって想像しても不愉快になるだけなので、途中でやめた。


「ユウリ殿。私のことはエルネストと呼んでくれと言ったのに。君はいつになったら、なついてくれるのかな?」


 馴れ馴れしい態度でおどけてみせるエルネストは、ユウリの座っている長いすに足を組んで座る。まるで、彼女の隣が指定席だとでも主張するように。


「エルネスト様、今日はなにをお求めですか?」


 店の中には、瓶に詰められた植物の根、酒に漬けられたカエル、得体の知れない粉末、異国の言葉で書かれた書物……と、まさしく魔女の店にふさわしい品々が並べられている。


「うーん、とりあえず、茉莉花茶ジャスミンティーを一杯」


「当店は魔女の店なのですが、お忘れですか?」


 ここは喫茶店ではない。ユウリがにらんでも、彼はどこ吹く風といった様子で、にこにことほほえむ。


「君に、お願いがあるんだ。魔女の力を借りたい。……今日はその相談にね」


 ユウリは東国の魔女の末裔だ。一度その知識で、ある事件の解決を手助けして以降、エルネストはたびたび厄介ごとの解決を、彼女に依頼するようになった。


「また、ですか?」


「うん、まただよ。私のところには、なぜか君の力が必要な厄介ごとがたくさん集まるようになっているんだ。……どうしてかわかる?」


 急に真剣なまなざしで、エルネストが隣に座る魔女を見つめる。


「知りません。……それに、お役に立てるかわかりません。でも、お伺いするだけなら」


「ありがとう。……報酬は、いつものあれ(・・)でいいのかい?」


 ユウリはごくりと喉を鳴らしてから、小さく頷く。


 薄暗い室内なら、ユウリの頬が赤く染まっていることなど気づかれないだろう。彼女は気恥ずかしさを隠すために立ち上がり、店の奥にある小さな厨房に向かった。

 そして持っている中で一番よい茶葉を使って、丁寧にお茶をいれる。


 時間をかけて丁寧に茶の用意をしたユウリは、取っ手のない東国のカップにそれを注いだ。

 カップの中で揺れる液体の色は、透明に近い黄金色。東国の文化に馴染みのない者に飲ませると、淡い色からは想像できない芳醇な花の香りに皆が驚く。

 エスネストを最初にもてなした時のことを思い出して、ユウリは小さく笑う。


 お茶の用意を済ませた彼女は、仕事の話を聞くために彼の隣に座る。座れる場所がそこしかないのだから仕方がない。そう心の中でいい訳をしながら。


「私の親友……彼は子爵家の跡取りでレイモンという名なのだけど、結婚を控えた婚約者と仲違いをしてしまってね。簡潔に言えば、仲裁をしたいんだ。協力してくれないか?」


「そういう話は、あまりお役に立てそうにないです。男女のもめごとなんて、私が仲裁できると思いますか?」


 ユウリは亡き祖母から東国の魔女としての知識を得た。

 両親や兄はいるが、最低限の関わりしかもっていない。少し前まで祖父母と一緒に暮らしていて、祖父母が亡くなってからの話し相手といえば、エルネストだけだ。


 恋人どころか友人すらまともにいない魔女に、男女の仲裁など無理難題というものだ。


「この店に、惚れ薬は置いていないのか?」


「ほ! 惚れ……?」


 ユウリは飲んでいた液体を吹き出しそうになるのを、ぎりぎりでこらえた。男性の発想とは、なんと安直なのだろうと正直あきれてしまう。


「魔女の薬は高いですよ。それに、効果の切れない薬はありません。一時的に気分が高揚するたぐいの薬なら、知識としては知っています。ですが、いつわりの愛情なんて、最終的にお互いの傷が深まるだけです」


 人付き合いが苦手なユウリは、一般論を述べてみた。


「それもそうか、では素直になれる薬は?」


「素直に……? たとえばですが、自白剤というものがありますよね。私よりも国政に関わる立場のエルネスト様のほうがよくご存じのはずです。そんな危険な薬が、こんなところで売っているわけないでしょう?」


 この国の薬と、ユウリの先祖がすんでいた東国の薬には、根本的な部分での差はない。効果があれば、副作用がある。同じ植物が毒にもなれば薬にもなる。それはどの国でも同じなのだ。

 東国に生息する動植物がこの国にはなく、この国にあるものが東国にない。大きな違いはそこだけだ。


「うん、魔女としては面白みに欠ける回答ばかりだ」


 エルネストは残念そうにしている。残念なのはユウリも一緒だった。依頼に応えられなければ、彼から報酬はもらえないのだから。


「なんども申しあげていますが、私は物語に出てくる魔法使いとは違い、奇跡を起こせません。この国の医学や薬学とは異なる知識を持っている、というだけですから」


「あきらめるのは早い。一度、レイモンに会ってくれないか? 女性から見て、どう思うか意見を聞きたい」


 よし決定だ、とでも言うように、エルネストが立ち上がり手を差し出す。


「え、今からですか? 外に出るんですか……?」


 引きこもり気味の魔女としては、外に出ることは非常に勇気がいる。そして、知らない人に会うのも苦手だった。


「そのつもりだけど? 幸いにして今日は曇りだから、日焼けの心配もない。さあ、行こう」


「え、ええっ!?」


 エルネストは壁に掛けてあったフード付きの外套を彼女に着せてから、小柄な彼女をさらうように、外に連れ出した。



***



 日が沈み、三日月が空にぼんやりと浮かぶ。

 ユウリとエルネストは、星が見えなくなるほどたくさんの明かりが灯された貴族の屋敷まで、馬車に揺られてやって来た。着飾った男女が馬車で乗りつけ、談笑しながら屋敷の中に吸い込まれていく。


「どうして、私が……? 聞いていません!」


 ユウリは深い青のドレスに身を包み、とある男爵家の夜会に来ていた。エスコートするのは、もちろん正装姿のエルネストだ。


「だって、話したら絶対に逃げたでしょう?」


 なぜ独身のエルネストが、女性用のドレスや首飾りを持っているのか。こういった夜会に、恋人でもなんでもない女性を連れていくのは、彼にとってなんでもないことだとでもいうのか。

 ユウリの頭の中は、エルネストに問い正したいことでいっぱいだったが、やはり一つも言葉にはならない。


「伯爵、よい夜ですな。……あなたが女性を、それもどこぞの異国の姫君をお連れになっていると、さっそく噂になっておりますぞ」


 エルネストに声をかけてきたのは、夜会の招待客と思われる壮年の貴族だった。


「そうですか? ははっ、困ったな。紹介します、こちらはワトー商会のご息女でユウリ殿。……ユウリ殿、この方はルニャール子爵だよ」


 ルニャール子爵、というのは今回の依頼にでてきたレイモンの家だ。この紳士はレイモンの父親、ということになるのだろう。


「ワトー商会のご令嬢でしたか! たしか東国の品物を扱っているという……」


「はい、以後お見知りおきを」


 エルネストの言葉は嘘ではない。ユウリの実家は商会を営み、財を成している。貴族ではないが、こういった夜会に出てもおかしくはない程度に裕福な家だ。

 そしてワトー家は曾祖父が東国の生まれで、ユウリにはたまたまそちらの血が色濃く容姿に表れている。

 ちなみに、実家が東国と貿易をしているから、彼女の魔女の店が成り立っているという裏事情がある。店に置いてある商品のほとんどが、実家経由で購入した東国の品、というわけである。


「子爵、ところでレイモン殿はどちらに?」


「リシュー殿と一緒にバルコニーのほうへ行ったきりですよ。……まったく、あの二人はいつもいつもいつも。この前も破談にする、などと言っておりましたし。幼い頃から決まっているものを、今さら覆せるはずもないとわかっているでしょうに。と言っても、たちが悪いのは、あの二人は本当のところ仲が悪い、というわけでもないことでしてな」


「……え、ええ。あの二人はわかりやす――――」


「そう! それが一番の問題なのですよ。知らぬは本人だけ、というやつですな。本気で仲が悪いのなら、私としても無理に結婚させるつもりもなかったのです。ですが、あれは引き離すわけにもいかんのですよ。まったく! もう式の日取りも決まっているというのに。だからこそ、悲観的になるというのは誰でもあることですが、あの二人は度が過ぎますな。そもそもあの二人は――――」


「子爵! 私が二人の様子を見てきましょう。それでは失礼」


 長引きそうな子爵の話を、耐えられなくなったエルネストが遮る。ユウリも一瞬気が遠くなりかけたが、おかげでレイモンと彼の婚約者、リシューの関係は、なんとなく察することができた。


 男爵邸の広いバルコニーにはレイモンとリシュー以外、誰もいない。いないというより、ただならぬ雰囲気を察してほかの人間が立ち去った、といった様子だ。


 バルコニーに出たところで、エルネストがユウリを柱の影に引き込む。そして、ユウリの背後に立ち、逃れられないように手をまわした。ユウリは動揺して、彼の手を振りほどこうと抵抗する。


「静かにしていて?」


 ユウリの耳元で、低くささやく声。彼女の心臓がどくん、どくんと音を立てる。


「エルネスト様は、いろいろ趣味が悪い……」


 痴話げんかを盗み聞きして、恋人でもなんでもないユウリにこんなことをする。それで楽しそうに笑っている彼は、間違いなく悪趣味だ。

 それなのに、結局彼の言うことに従ってしまう。小さな声で抗議するのが彼女の精一杯だった。


 ユウリは、後ろが気になって集中できないまま、離れた場所にいる調査対象二人のほうへ耳をすませた。





「それだけではありませんわ。今夜、つい先程だって!」


「さっき? とくになにもしていないだろう?」


 レイモンに対し、リシューが一方的に腹を立てている。レイモンは怒った婚約者を外に連れだし、彼女を落ち着せようとしている。そんな様子だ。


「なにもしていない、ですって? 同僚の方の妹君に色目を使っていたではありませんか!」


「頼まれて、一度ダンスのお相手をしただけだ。まさか、誰とも踊るなとでも? 狭量すぎやしないか?」


「そういうことではありません。『そのサファイア、瞳の色と同じなのですね? よくお似合いですよ』などと、ほめていたではありませんか!」


「社交辞令くらい、誰でも言うだろう? ……少し、冷静になってくれないか?」


 リシューの声に引きずられるように、レイモンの声も大きくなっていく。


「社交辞令? 冷静に!? レイモン様……あなた、一度だってわたくしをほめたことないでしょう!」


「そんなことはない。……では言おう。きょ、今日の、ド、ドレスは……」


 彼が最後まで言い終わらないうちに、リシューの平手が飛んできて、彼の頬の上で乾いた音を立てる。相手に言われてからほめるというのは、いくらなんでもあんまりだ。


「本当に最低ですわ! ……帰らせていただきます」


 リシューは目に涙を浮かべて、走り去ってしまった。レイモンは彼女を追いかけることすらせずに、立ち尽くしている。

 長い沈黙。そのあと、大きくため息をついたレイモンがバルコニーの手すりに拳を打ちつける。


「くそ……! なぜ『君は美しい』と、言えないんだっ! 俺は、俺は……くそっ!」


 何度も拳を打ちつけて、恥ずかしいことを叫びながらレイモンはどこかへ去っていく。





「……あの、いっそお別れしたほうがいいのでは?」


 それがユウリの素直な感想だ。エルネストや子爵の話を聞くかぎり、レイモンという人物は悪い人ではないのだろう。けれど、男性として魅力的かというと、ユウリにはまったくそう思えない。


「私も、若干そう思えてきた。我が友人ながら情けない。でも、彼女のほうも、彼を愛しているんだ。……だからこそ、腹が立つのだろう?」


 リシューがもし、貴族同士の結婚だと割り切ることができるのなら、あんなふうには怒らない。そして、リシュー以外の女性をほめていたというレイモンも、やはり彼女を特別に想っているのだろう。

 あまりに意識しすぎて、ほめることができない。おかしな態度を取ってしまう。

 その気持ちは、お世辞にも素直な正確とは言えないユウリにも、多少理解できる部分がある。


「……あの、そろそろ離してくれませんか?」


「これは失礼。それで、魔女殿にはなにかよい解決方法が思いついたのかな?」


 レイモンはリシューを愛している。そして彼女がいないところでなら、大声で愛を叫ぶことができる。それなら――――。


「魔女の力をお貸しします。そうですね……やっぱりエルネスト様の言うとおり“素直になれる薬”がいいでしょう」


 そしてユウリは、次に二人が一緒に出かける日を調査するようにエルネストに依頼した。



***



 エルネストからの報告によれば、互いの両親からのフォローもあり、二人は仲直りをしたということになっているが、依然ぎくしゃくしたままだという。

 ユウリは魔女特製の“素直になれる薬”をエルネストを通してレイモンに渡した。エルネストに任せておけば、次の夜会のときに薬を使うはずだ。彼は人を丸め込むのがとても上手いのだ。


 エルネストからの手紙で二人が夜会に出る、とされた日の翌日、ユウリの店をレイモンが訪ねてきた。そのすぐ後ろにはエルネストもいる。

 レイモンが不機嫌な顔をしているのに対し、エルネストは相変わらずの笑顔。これは、彼が悪巧みをしているときの表情だとユウリは知っていた。


「あなたが魔女か? ……あの薬だが、まったく効果がなかった! 飲んでも本音など、一言も出てこない! また彼女を傷つけただけだった」


 自己紹介もしないまま、レイモンは半分怒鳴りつけるような態度で、ユウリをにらんだ。


「魔女の薬に間違いはありません。それがあなたの本音ということでしょう」


 ユウリは自信を持って、断言する。年上の男性が相手だとしても、魔女のユウリがひるむことはない。


「いんちき魔女め! そんなはずはない。俺はリシューを愛している。いつも美しいと、心からそう思っている! ほめたいと思っている! それなのに、美しい彼女を前にすると、呪いのように言葉が消えていくんだ!」


 それは、ユウリとエルネストが彼から引き出したかった言葉で、おそらくリシューが聞きたかった言葉だ。

 つかみかかる勢いのレイモンを、エルネストが割って入って制止する。


「……ということです、リシュー様。これがレイモン様の本音です。魔女の薬に間違いはありません」


 ユウリは店の奥、彼女の居住スペースにつながる扉のほうに向かって呼びかける。その扉は少しだけ開いていた。

 ユウリがさらに扉を開くと、その先にはリシューが立っていた。


「なっ! なんでリシューが……」


「私がお呼びしました」


 こうなることが予想されていたので、事前にリシューを呼び寄せておいたのだ。


 レイモンに渡した“素直になれる薬”の中身は滋養によいとされる薬草を砂糖漬けにした、ただのシロップだった。飲んでも身体が温まる程度で、それを飲んだからからといって素直になれるはずもない。


 つまりは偽物だった。


 ユウリは二つの想定をしていた。一つは薬を飲んだという思い込みから、彼が素直になれる予想。いわゆる偽薬効果と呼ばれるもので、彼女としては、こちらになってくれることを願っていた。そのほうが面倒くさくないからだ。

 もう一つの想定は、現在進行しているとおり。すべてが彼女の想定内だった。エルネストも当然すべてを知っていたので、余裕の笑みを浮かべていた、というわけだ。


「レイモン様……、本当に困った方ね」


 リシューはレイモンの前に立ってほほえんだ。その瞳には涙がにじんでいる。


「や、あの、……その」


 彼女を想う気持ちがばれても、やはり本人を目の前にすると言葉にできない。レイモンの病は重篤で、完治にはほど遠い。


「よいのです。あなたの気持ち、本当はまったくわからないわけではないの。わかっているはずなのに、自信がなくて、不安になってしまったの」


「リシュー」


「あのね、わたくしは不器用なあなたのことが好きなのよ? もしあなたが毎日愛をささやいてくれる人なら、それはもうわたくしの好きなあなたとは違う人だわ。それなのに、おかしいでしょう?」


 言葉にできないのは、愛する人だから。レイモンが彼女を特別に想う気持ちを、リシューはきちんと知ることができた。それが彼女の不安を消し去ったのだ。


 不器用な二人の問題はとりあえず解決したのだろう。

 しばらく照れくさそうにしていたレイモンが、ユウリのほうに向き直る。


「ところで、薬の代金はいくらだ? 礼もしたい。怒鳴ってしまい悪かった」


「……あ、あの……もうおわかりだと思いますが、あれはただの滋養によい薬ですから、銅貨五枚です」


 それは少し高級な店でいただく紅茶一杯と同じくらいの値段だった。


「いいや、魔女の薬としての代金を支払いたい。そうさせてくれ」


「でしたら報酬は――――」


 この茶番はすべておせっかいな伯爵が仕組んだこと。だから報酬はいらない。そう説明しようとした口を、エルネストが手で軽く塞ぐ。


「レイモン。結婚の前祝いとして、ここは私が払っておくよ。……もともと依頼したのは私だからね。私が払うべきだ」


 それでもなにかをしたいと食い下がる二人を、エルネストは追い払う。彼は、魔女へ報酬を払いたがる変わり者の伯爵だから。



***



 閉店の看板が吊された扉。「東方より来たりし魔女の店」は臨時休業になっていた。店の中は昼間だというのにカーテンで閉ざされ、様子をうかがい知ることはできない。


「さあ、魔女殿。……報酬をどうぞ」


「エルネスト様。結局、今回はあなたの考えたお芝居の中で“魔女役”をやっただけでしょう? 報酬はいりません」


 ユウリは少し怒っていた。レイモンが本音を話しているところを聞かせるという台本シナリオなら、わざわざ魔女が登場する必要性などなかった。登場人物はレイモンとリシュー、そしておせっかいな伯爵だけでも成り立ったはず。

 台本ができあがっている芝居のなかで、役者だと知らされないまま行動するのは、まるで道化のようだ。ユウリの魔女としてのプライドが、ひどく傷ついた。


 彼女としては、レイモンに偽薬を渡すという考えは、自分で考えたことだと思いたかった。けれど、本当はそうではない。

 エルネストは、ユウリならこうするだろうと予想していて、わざわざ相談に来たのだ。それが、彼女にとってはひどく腹立たしい。


「魔女の力は借りなかったけれど、君の時間を借りたのだから、私には支払いの義務がある。……たくさんあげるから、許してほしい」


 一つしかない長いすに深く腰をかけるエルネスト。ユウリがエルネストの前に立つと、彼は引き寄せるように腰の当たりに手を回してくる。


 彼女はその手を振りほどかない。


「じゃあ、首もとをゆるめてください」


「君がすればいい。吸血鬼なのに、そんなこともできないのかい?」


 ずいぶんと意地の悪い言葉だった。


 正確には吸血鬼ではなく、吸血鬼の末裔だ。必要な血はごくわずかで、数ヶ月に一度、舐めるだけでいい。

 ユウリの吸血鬼としての血はとても薄い。けれど、同じ血族の父や兄にまったくその特徴がなかったのに比べると、少しだけ濃いということになる。

 あきらかにこの国の人間ではないとわかる黒髪と黒い瞳。夜目がきく代わりに、強すぎる光が苦手という特徴。これらは亡き祖母とユウリにだけあって、ほかの家族にはあらわれなかった。

 血を吸ってみたのは、エルネストにしたのがはじめてだった。けれどその前から、先祖返りのような彼女は、家族から少しだけ浮いてしまった。


 だから距離を置いて暮らしている。


 一年ほど前のこと。エルネストは、宮廷で発生した毒物混入事件についての調査を任されていた。国内の毒でめぼしいものがなかったことから、東国の毒や薬草についての情報を得るために、魔女の店を訪れた。これが二人の出会いだった。


 エルネストに出会って幾度か話をしているうちに、ユウリは突然、喉が渇いてどうにもならないという症状におそわれた。


 生前に祖母から聞いた話だと、喉が渇くのは大人の吸血鬼だけだという。その血を色濃く受け継いでいる自覚のあったユウリだが、吸血という人ならざる者の特徴までは受け継ぎたくはなかった。

 この国での成人年齢を超えても、自身に変化があらわれなかったことから、吸血衝動だけは受け継がれなかったのだと楽観視していた。


 その予想は外れてしまったのだ。


 ある日、報酬はどれくらいかと聞いてきたエルネストに、ユウリはつい「血が欲しい」と口にしてしまった。


『魔女の知識を借りたいのなら、お金なんかじゃだめです。……たとえばあなたの血、とか。私は吸血鬼の末裔だから、三月みつきに一度は血を飲まないと、喉が渇いてしまうの』


 そう告白するのはとても怖かった。けれど、彼から血をもらえないのならば死んでしまう。貰えないのならば、いっそ死んでしまいたい。そう思うくらい、ユウリはどうしようもなく血を欲していて、我慢できなかったのだ。


『ほう。君の美しさは、人ならざる者のそれだということか。まあ、納得かな? 血、というのはどれくらい?』


 意外にも、エルネストは拒絶しなかった。少し高価な宝石をねだられた。その程度の反応だった。


『ちょっと傷をつけて、舐めるだけでいいんです』


 彼女の言葉を聞いたエルネストは、近くにあったペーパーナイフで、人差し指を少し傷つけてから、手を差し出した。


『試飲してみるといい』


 血を見た瞬間、ユウリの吸血鬼の本能がそれを求めた。ほかの人間の血を見たことくらいあるのに、同じようにはならなかった。エルネストの血は試すまでもなく、ユウリにとってのごちそうだった。

 それ以来、彼女はすっかりその血のとりこになってしまった。本音では、エルネストが依頼に来る日を心待ちにしている。



 そしてやっと、今回の報酬を受け取る時がきたのだ。



 ユウリはエルネストのタイに手をかけて、するりとほどく。シャツのボタンを外そうとするが、自分の服とは勝手が違って上手くできない。


「むきになって……。そんなに私の血が欲しいのかい?」


 彼の挑発的な言葉を無視して、四苦八苦しながらシャツのボタンを外していく。上から四つまで外したところで、襟の部分を引っ張り、シャツをはだけさせる。

 女性のものとは違う太い首。鎖骨や引き締まった胸元まであらわになる。ユウリが少し視線を上げると、エルネストがひどく嬉しそうにしていた。


「……怖くないのですか?」


 ユウリは怖かった。いつかエルネストに嫌われてしまうかもしれないと、いつも怯えている。


「どうかな? これは君への報酬なのだから遠慮はいらないよ。どうぞ召し上がれ、かわいい吸血鬼殿」


「……はい、いただきます」


 ユウリは吸血鬼の末裔で、本物の吸血鬼とは違う。きっとご先祖様はもっと尖った犬歯を持っていたのだろう。ユウリの歯は“人にしては尖っている”程度。あまり鋭くない歯で、血が出るほど噛まれるのだ。エルネストが誇り高い貴族の青年だとしても、痛いものは痛いはず。

 それを笑顔で受け入れてしまうエルネストの気持ちが、彼女には理解できない。理解できないから、恐ろしいと思う。


 けれど彼が与えてくれる報酬が、欲しくて、欲しくて、たまらない。


 誰かを傷つけてしまう自分自身のことが嫌なのに、彼女の行動は止まらない。だって、彼が嫌がらないのだから。

 ユウリは彼の首すじに、だらしなく半開きになったくちびるを近づけて、ためらわずにガブリと噛んだ。その瞬間、エルネストの身体が強ばる。

 きっと痛いのだろう。そうだとわかっても、ユウリはもう首筋からあふれ出すごちそうの香りに狂わされて、どうすることもできない。


 甘い果物をかじるのと一緒だ。一度果物の甘い汁が流れ出したら、それをこぼさないように、舌でからめ取ろうと必死になる。

 エルネストの血が舌に触れると、どんなお菓子よりも甘い。その香りは高級な茶よりもずっとずっとかぐわしい。ユウリにとって最高のごちそうだった。


 息を荒くして、熱い吐息を男性の首筋に吹きかけるのも、獣のように舌を使って食事をすることも、たまらなく恥ずかしいことだ。

 浅ましいユウリの姿を目の当たりにしたエルネストは、いったい彼女をどう思うだろう。

 エルネストの血がもたらす強い刺激になれてきたユウリは、突然我に返り、もう終わりにしようと顔を上げる。


「もったいないだろう? 血が完全に止まるまで、そうしていていい」


 エルネストの大きな手が、ユウリの頭を撫でる。軽く押されてさっきまであった場所に戻される。

 彼が許してくれるのだから、これはやっていいこと。彼の望んでいること。そう思うと、おいしいごはんを食べているときに感じる気持ちとは、まったく別の感情で心が満たされていく。


 いつのまにかエルネストの膝に座るように身を預け、彼の背中に手を回していた。彼も頭を撫でる手を止めないのだから、この行動も許されている。


 やがて血が止まると、ユウリはそのまま乱れたシャツに顔をうずめた。おいしいごはんを食べた満足感、それだけでは説明できない多幸感。このまま少しこうしていられたら、と彼女はつい考えてしまう。


「お腹がいっぱいになって、眠くなったのかい?」


「…………」


 そんなことはないと答えたら、彼から離れなければならないだろう。だからユウリはなにも答えず、眠くなったふりをした。


「そう。……また三ヶ月くらいは血を飲まなくても大丈夫かい? お腹がすいたら、君はほかの誰かから血を貰ってしまうのかな?」


 ほかの人の血なんていらない。たぶん飲めない。それを告げたら、彼はどう思うのだろうか。あるいは三ヶ月後にはユウリに興味がなくなっているかもしれない。依頼がこなくなったらどうしようと思う一方で、依頼もないのに飲ませてほしいと頼む勇気がない。ユウリはとても臆病だった。


「エルネスト様には、関係のない話です。……私の勝手です」


 三ヶ月も待てない。あなたの血しかいらない。彼女の心の中にある想いはいつも声にならずに、別の言葉が紡がれる。

 素直ではないあの青年と、同じような呪いをかけられているのかもしれない。


「君は本当に悪い魔女だね。そうだ、今度は私のために本物の“素直になれる薬”をお願いしようかな。……作ってくれたら、また報酬を支払おう。どうだい?」


「いや」


「拒否するということは、その薬を誰が飲むのか予想がついている、ということだよね? それって、君が素直ではないと認めることだってわかっているのかな? 不幸を食べる魔女殿は」


 不幸を食べる魔女。それは彼女の祖母のあだ名だった。もともとの意味は「食べられたら、幸福だけが残る」という祖母に対し親しみを持っていた人々がつけた名だった。けれど時が流れ、名前だけが残り、つけられた意味が忘れられてしまった。だから彼女はその名が嫌いだ。


「この町の不幸を君が食べ尽くしてしまったら、いくら私でも依頼を探してこられない。その前に、素直な君を見せてくれ……」


 そうして彼は一月ひとつきも経たないうちに、また新たな依頼をたずさえて、魔女の店の扉を開ける。

 彼は、どこからか厄介ごと、困りごとを探してきては、魔女に会いに行く、変わり者の伯爵だから。





 終



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― 新着の感想 ―
[良い点] 依頼対象の素直になれない男に本心では婚約者を愛していることを口に出させ、仲を取り持つことができた一連の流れが良かったです。 また、そのストーリーが、魔女が素直になれずにいることにかけられて…
2018/01/05 18:39 退会済み
管理
[良い点] 登場人物みんな可愛いですね。 とくに魔女殿! つんとした黒猫のようで、好ましいです。 報酬のドキドキ展開も良かったです。
[一言] 報酬はなにかなーと思いながら読んでたら…なるほど納得です(^^) 魔女ちゃんの性格のせいか、可愛らしいお話だなと思いました。 タグの異類婚姻譚だけはちょっと違うかな?と感じました。
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