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現代の魔法少女の日常に異変が起こったようです。

赤く燃え盛る、私がつい先ほどまでいつもと変わらない日常を送っていた世界。

森は真紅の焔に飲まれ、水はまるで毒でもあるかのように紫色に染まっていた。


ときおり風上から聞こえてくる人の狂ったような笑い声は私の心を揺さぶり、めちゃくちゃにかき回していく。

空に上がっているはずの太陽は分厚い灰色の雲に覆われていて下からはまったく見えない。



私の日常は、まるで分らない何かに、あっという間に侵食されてしまった。




4時間前――――――――


「ほら、由美朝だよ、起きなさい」


いつもと変わらず、今日も今日とておばあちゃんに起こされる。

昨日は本を読みながら眠ってしまったのか、私の隣には分厚い本が置かれたままになっている。


「お、おはよう、ございます…」


いまだはっきりしない頭をどうにか起こせないかと。

視界がまだぼやけて天井に白い靄がかかったように見える。

さらさらと右手に伝わるシーツの滑らかさ。左手は本の上に置かれていて、そのざらざらとした感触を私に伝える。


「ほら、いい加減起きなさい」


「はーい…」


あちこちにしわのよったパジャマが薄い毛布の中から現れる。

今日も今日とて外からは元気なセミの声が聞こえてくる。

おばあちゃんは私が目を覚ましたのを確認したのか、台所からトントンと何かをきざむリズミカルな音が聞こえてくる。


「いま、なんじだろう…」


『ようやく起きたかこの寝坊助。とっくに8時を回っているぞ』


少し低め、というより、いまだ布団にいる私からしたら真横から聞きなれた声が聞こえてきた。

寝ぼけ眼をこすりながらそちらに視線を動かせば尻尾をゆらゆらと動かす黒い小さな影。


「あれ、カタラトフ、なんでこんなところにいるの?」


『まずはおはようだろうが。ちなみに私だけじゃなくて道子も来ているぞ』


なるほど、確かに耳を澄ませてみればまな板をたたく音ともう一つ、鍋をまわす音も聞こえてくる。


「今日って何かあったけ…?」


しかし、カタラトフも、ましては道子さんが朝早くからおばあちゃんちに集まるなんていったいどうしたんだろうか。


『忘れたのか、今日は貴様の誕生日だろうが』


「たん、じょうび?」


はて、その単語はどこで聞いただろうか。


誕生日、誰かの生まれた日。

あ、そうだ、今日は私の…。

隣にある本も、前日に眠れなくて読んでいた本だった。


『思い出したようだな。…おめでとう、由美」


「にへへへ、ありがとうカタラトフ」


『その気色悪い顔を洗面所で早く直して来い。朝ごはんもすぐにできるぞ』


ぷい、と、どこかというかキッチンのほうへ向かうカタラトフ。

いつもならついついけんか腰になってしまうカタラトフの嫌味もなぜか今日は気にならない。

だって今日は私の誕生日なのだもの。


そう思いだしてみると、外に広がるいつもと変わらない風景もどこかキラキラと輝いて見えるようだ。

うるさい蝉も私の誕生日を祝ってくれているかのようにすら思える。




「おはようございます、おばあちゃん、道子さん」


カタラトフに言われた通り洗面所でしっかりと顔を洗って、ついでに寝癖もしっかりと直して。

キッチンに向かうとそこには卓上に広げられたいつもより少し豪華な朝ごはんがあった。

椅子にはすでに二人と一匹が座っていた。(カタラトフもなぜか椅子に座っていました)


「おはよう、由美ちゃん。お誕生日おめでとう」


「おめでとう由美」


『おい、私への挨拶を忘れているぞ由美』


三者三様の返事が返ってくる中を通って私の指定席に向かう。

ホカホカと湯気を上げる白いご飯に、おろし大根の乗った焼かれた夏野菜。

豆腐が浮かぶお味噌汁からもいい匂いがしてくる。


「今日はとっても豪華だね!」


「ええ、だって今日はあなたのたんじょうびなんだもの、ね」


そういうおばあちゃんの顔はとってもきれいで、本当に私の誕生日を喜んでくれているのがわかる。

正面に座っている道子さんの顔もとても華やかだ。


「お昼にはもっとすごいものも用意しているから、楽しみにしていてね」


とは道子さん。いったいそのすごいものって何だろう。今からとてもわくわくする。


『しかし今日で由美ももう15歳か…一見とてもそんな風には見えんな。まるでどこぞの小学生のようだ』


「こら花!せっかくの日にそんなこと言わないの」


うぅ、ひそかに気にしていたことなのに。年の割に伸びない身長と、そしてふくらまない胸。私のコンプレックスを的確についてくるカタラトフ。

きょ、今日のところは勘弁してあげようじゃないの。

だって今日は私の誕生日なんだもん。




「ほら、由美ちゃんこれ開けてみて」


朝ごはんを食べ終わり食器もちゃんとかたずけて。

そしてら道子さんが私に長い棒状のものを渡してきた。


「わぁ、ありがとう!」


その包みをそっと破かないように開けた私はその中身を見たとたん、とてもうれしい気持ちに包まれた。

私より少し長めの棒。先端は少し丸みを帯びながらもとがっていて、手で持つほうは独特の形を持っていた。


「これって魔術杖!?」


「えぇ、あたり。花と一緒に材料からそろえて作ったのよ」


『まぁ、今日は特別な日だしな』


どこか照れくさそうに言うカタラトフはとてもいじらしくて、ついついその頭だけでなく体中をなでまわしたくなる。

ほーら、なでなでなーで。


『こ、こら、やめ、やめろ!!道子、お前も笑ってないでこいつをどうにかしてくれ!!』


「あらあら、花と由美ちゃんはとっても仲良しね。おばちゃん少し嫉妬しちゃうわ」


おほほほと笑う道子さんは本当にとっても楽しそうだった。


「ほら、花もそろそろ話したあげなさい。私がプレゼント渡せないじゃない」


道子さんと一緒に隣で笑っていたおばあちゃんがそう言ってくる。


「おばあちゃんもくれるの!?」


「当たり前じゃない。ほら、手を出しなさい」


カタラトフをひょいっとほっぽり出しておばあちゃんの前に器にして手を出す。

とちゅうでカタラトフが何か言ったような気がするけど気にしない。


「目、つぶってちょうだい」


言われた通りに目を閉じる。

耳からはおばあちゃんが何かを取り出す音だけが聞こえてくる。

そして私の心臓が期待で膨らむ音も聞こえてくる。


手のひらの上に何か硬いものが置かれた。

目を開けようとしたけどおばあちゃんに「まだ閉じたままよ」と言われたので再び目を閉じる。



「はい、開けてもいいわよ」


そっと、閉じていた瞼を開ける。

外からの明るい光が私の目をさし、一瞬カスミが走る。

手のひらの上には鎖のついた丸いペンダントがあった。


鎖は私の首のほうに向かっていて、確かに首周りから金属の冷たい感触がある。


「わぁ…」


金色のそれは外からの光を反射して、またところどころにちりばめられている宝石もキラキラと輝いている。



「それは私が昔由美と同じか少し上の年齢のころぐらいに私のお母様にもらったものよ。私のお母様もそのお母様からもらったって言ってたわ…って、聞いてないわねこの子」


手のひらに載ったそれを指でつかみ、太陽にかざしたり、ひっくり返したりと、同じことを何度も繰り返す。そのたびに新しい発見があるからとても楽しい。


「あらあら、夢田さんに私の由美ちゃんがとられちゃったわ」


「もともと私の娘よ」


『ま、嬉しそうで何よりだ』





「由美、本格的なお祝いは昼、太陽が一番高い位置に来たら始めるから用意しときなさいね」


もらったプレゼントを床に並べてにまにまと眺めているとそんな私に呆れた口調でおばあちゃんが言ってきた。


「本格的なお祝い?」


「えぇ、あなたも今年で15歳。少し遅いけど魔術刻印も更新しないといけないしね。お祝いかというとどちらかと儀式よりなものだけど、ね」


「え~、刻印の更新…」


誕生日はとっても嬉しいんだけど、そのたびに行われる刻印の更新はとっても痛いもので、私はそれが大の苦手。


「それって明日とかじゃダメなの…?」


結局それもただの一時の逃げにしかならないと分かっていてもつい言ってしまう。


「由美の誕生日、つまり今日じゃないとだめなの。ほら、そんないやそうな顔しないの」


私がそれを苦手としているのをわかっているため、とってもいやそうな顔をしている私にやさしい声をかけてくれる。


「今年からは書込みは少なくて、ただの更新だからいつもよりは痛みも和らぐはずよ。それじゃ、私はその用意をしてるから、由美、あんたもちゃんと用意しておきなさいよ」


「はーい…」


いくらおばあちゃんがいつもより痛みが少ないからっていっても、あの痛みは少し減ったぐらいでどうにかなるようなものじゃないのに…


でも、魔術師、魔法使い、その両方にとって刻印はとっても大事なものだとはわかっているから私も我慢してそれを受ける。

だって、刻印がないとそもそも力を練るのも一気に難しくなるんだもん。



刻印、それは力の通り道。

本来人にはないという力の通り道を人体に刻み込み、魔法を、魔術を使えるようにするためのもの。

きっとこれはおばあちゃんにも、田中さんにもきざまれているはず。


二人はどうやってこれを我慢したのかな…


いつか聞きたいとは思っていたけど、聴いたらなんだか負けの様な、恥ずかしいような気がするから今の今まで聞くことはできなかった。


「はぁ憂鬱だな…」


『そう悲観することはない。来年、16歳になればこの儀式も最期を迎えるんだ。あと少しの辛抱だ』


私の正面に座って、一緒に杖とペンダントを見ていたカタラトフだそういった。


「それはわかってるんだけど、痛いものはどう取り繕ってもいたいわけで…」


そう弱音を吐く私にどこかあきれた風なため息をつくカタラトフ。


「む、なによ何か言いたいことでもあるの?」


『…いや、なんでもない』


プイっと顔を背けられた。


「その顔は何か言いたげな顔じゃない。ほらいいなさいよ」


『だから、なんでもないといっただろうが』


むむむ、強情だなこの猫め。

特にいらだっているわけでもないけど、何となくカタラトフの胴体に手を伸ばす。


『む…いま、何をしようとした』


とたん、こちらのほうを向いてきたカタラトフを前に、手の動きを慌てて止める。


「べ、別に何でもないよ?」


その手を下のほうに動かし、杖をなでる。

…すこし無理があるかな。


『…ならいい』


カタラトフも何か言いたげだったが何も言ってこない。

…今日のカタラトフ、というか今のカタラトフはどこか変だ。


なんというか私の前にいるんだけど、こことは違った別の場所を見ているような感じがする。

その横顔もどこか悲しみを湛えている様なきがする。


「ねぇ、カタラトフ」


そっと膝の上に手を戻し、カタラトフをじっと見つめる。

私の雰囲気が変わったことに気が付いたの、緩慢に首を動かし、私のほうを向く。


『なんだ』


その小さな口からこぼれる言葉はまるで機械そのもの。

どこか遠くから聞こえてくるような、別の場所から聞こえてくるような気がする。


「きょう、カタラトフ変だよ。何かあったの?」


私の誕生日に来てくれたのはとてもうれしい。

田中さんも来てくれたし、今日のうちはとってもにぎやかだ。

でも、普通こんなことは今まで一度もなかった。


むしろ、私が誕生日の日にはあまりで歩かないよう、おばあちゃん以外の誰とも会わないように、なんて言われていたほどだったのに。


『…別に何もないさ。すこしお祖母殿に用事ができたのでな、少し離れる』


ゆらりとその小さな体を起こして縁側から外へ向かうカタラトフ。

その足の先にはきっと洞窟の中で準備しているおばあちゃんがいるんだろう。



「変なカタラトフ…」


外からは相変わらずセミの声がうるさいほど聞こえてくるというのに、なぜか少し周りが静かすぎるように感じた。





――――――――――――――――――――――――――――

「あら、花じゃない。こんなところに来るなんて珍しいわね」


外と比べ、幾分ひんやりとし少し肌寒ささえ感じられるような洞窟の中。

その奥、ヒカリゴケが生えているところにお祖母殿はいた。


『結界に接触があった。残り時間もそう長くないぞ』


私がそういうと、お祖母殿はとても悲しそうな顔をした。


「そう、もう今日までなのね…。ありがとうね、花」


『構わん。私は私の役割を守ったに過ぎない』


苔で淡く光る洞窟の中には少し大きめの湖があった。

直径7メートル。

深さ3メートル。

水色のそれはとても透き通っていて、波もに揺れるそこがはっきりと見える。

魚や虫、生きる者の気配、姿はまったく見えない。


ーそれもそのはず、厳密にいえばここは結界の外なんだからな…


「花、あなたはこの後どうするの?」


なんとなく洞窟の中を眺めていると、お祖母殿が話しかけてきた。


『どうするもこうするも、何もないだろう』


どこか遠くから聞こえる、高い切削音。それはきっとどこかのだれかが私の領域に踏み込もうと、結界を破壊しようとしているところから聞こえてくるのだろう。


「それもそうね…。ごめんなさい、変なことを聞いて」


『構わん。そう言いたくな気持ちも痛いほどわかる。心配なのだろう?由美のことが。安心しろ。あれはあなたと、泰三さんの家族だ。ちょっとやそっとのことでは簡単にはくたばらない器を持っている』



私のどこか吐き捨てるような言葉を聞いて、ふふふ、とわらうお祖母殿。


『なんだ、おかしいことでもあったか?』


はて、何か変なことでもいっただろうかと、聞いてみる。


「だって、あなたがあの人を泰三さんだなんていうの、初めて聞いたから。つい、ね」


『…ふん、猫の気まぐれ、というやつだ。他意はない』


「そう、それは残念ね。あの人もようやく花に認めてもらえたのかと思ったのに」


残念、という割にはその顔はにこやかだ。


『そんなことより、ほら手が止まっているぞ。早く準備を整えろ』


「はいはい、わかりました」


私の言葉が苦し紛れに聞こえたのだろう。

またふふふ、と笑うお祖母殿。


ーあなたには暗い顔より、そっちのほうがよっぽど似合うのに。


ふと、昔隣で聞いた言葉が頭をよぎった。


『ち、今更こんなこと思い出して何になる』


「どうしたの、花?」


私の独り言が聞こえたお祖母殿が振り返る。


『いや、ただの独り言だ。気にすることはない』


「そう?」


再び前を向く彼女。

その姿はすでに昔のころとは大きく変化していた。

背中は大きくなり、髪のところどころに白色のものだのぞく。

背も、年にしてはまだまっすぐだが、どこか丸みを帯びているような気がしないでもない。

昔は伸ばしていた髪も、今では型の長さまでしかない。


ただ、それでも、あの頃の彼女の姿がありありと浮かんでくる。


ー思えば、それは由美ととても似たものだな。


遠い昔、二人と一匹で歩いた田んぼ道を思い出す。

それはきっと、今のようにとても暑い夏だったのだろうな。


洞窟の外から聞こえてくる、かすかなセミの声を頼りに、そんなことを思ってみる。




――――――――――――――――――――――

「さ、用意はいいかい?」


と、おばあちゃんが聞いてくる。

その隣には田中さんもカタラトフもいて、どこか変な気がする。


「うん、大丈夫」


いつもより薄手の袴をはいて、まるで滝修行にでも行かんとするような恰好をした私。

外はまだ日差しやらなんやらで何にもなかったけど、洞窟の中だとひんやりしすぎてすこし肌寒い。

それに、これから目の間にある湖の中に入らないといけないのだと思うと、今から鳥肌が立ってくる。


「それじゃ、道子さん、よろしくお願いしますね」


「えぇ、わかっているわ」


二人はその池を挟み込むようにして奥のほうに回り込む。

静かな洞窟の中というせいもあって、とっても厳かな雰囲気がする。


二人が奥のほうにたどり着き、その足を止める。


「それじゃ、由美、いつもの通りに」


「はい、わかりました」


いつもよりただした口調でおばあちゃんにこたえる。


そっと、右足から湖の中へ入る。


指先から感じられる水の冷たさに肌が震える。

ゆっくり、ゆっくりと足首、ふととも、左足、左足首と、だんだんと体を進める。


池の真ん中、水の中に組まれた櫓の上に立つ。


「それじゃ、始めるわよ」


おばあちゃん言葉を皮切りに、今まで小さな波しか立てなかった湖に変化が起きる。

いたるところから、水が滴っているわけでもないのに波紋が起きる。


それはだんだんと回数を重ねるごとに大きく、そして強くなる。

数も次第に増えていき、私を中心とした丸い円が生まれる。


「では、由美、またいつもの通りに」


はい、とゆっくり、小さな声で返事をする。

そっと、肩から来ていた服をずらす。

胸の真ん中ほどまでずらして、できるだけ背中が露出するように。

ゆらゆらとゆれる水もの中で、私が来ている袴の裾も揺れている。


櫓の上には膝の高さまでしか水はないが、ここに来るまでに一度完璧に水の中に沈みこんだため、服が体に張り付いている。



誰もいないはずの背中のほうから誰かが触れるような感触がする。

それはゆっくりと私の背中をなで、その手が通り過ぎた後からだんだんと刻印が浮かび上がってくるのが肌で感じられた。


「刻印を目視により確認。これから更新に入るから、気を引き締めなさい、由美」


私の返事を待たずに、湖にまた変化が起こる。

たしかに膝までの中差しかなかったそれが一部分だけ水かさを上げ、私の背中に張り付く。

ちくちくと、針で刺すような感覚がしばらく続いた後、それは突然訪れる。


最初の痛みが外から小さな力で刺すようなもので会ったのに対し、それは内側から、外に向かって大きな杭が背中を突き破ろうとする感覚。


あまりの痛みに声を出しそうになるが、唇をかんで我慢する。





しばらくすると、その痛みも鳴りを潜めてきた。

今あるのは温かいぬるま湯につかっている様な感触。

背中にぬめりとしたものが張り付いているような気がする。


ここまで来ればもう痛いのは来ないと、心の中で安堵する。

毎年のことだが、あの痛みはなれることは決してないと思う。

それだけ痛かった。


むしろ、涙も声も出さなかった私をほめてあげたい。


「おつかれさま、由美、そろそろ終わっていいわよ」


ぬめりとした感触が同時に背中から離れていく。


まだ私は口を開かない。

そっと、右足から膝を立て、立ち上がる。

長時間座っていたような気がして、立ちくらみが起こるけど、その場で動きを止め耐える。

後ろを振り返り、その足で湖の外へ向かう。


とちゅう、首の高さまで水高が上がってくるがそのまま直進。

二字曲線を描くように頭が上下する。


泉の外に出た私はほぉ、っと息を吐く。


「おつかれさま、由美ちゃん」


そこにはタオルと着替え、そして杖とペンダントをもった田中さんがいた。


「ありがとう、田中さん」


その手からまずはタオルからもらい、濡れた髪をそっとなでるように拭く。


「いいわね、由美ちゃん。長くてきれいな髪があって」


私の髪を服姿を見て田中さんがそんなことを言ってた。


「うん、でもこれ、夏だととってもうっとうしいの」


「ふふふ、その気持ちわかるわ。おばちゃんも、あなたのおばあちゃんも昔は一緒にぶつくさ言ってたもの。でもね」


途中でその言葉を切り、そっと私の背中に手をまわしてくる田中さん。


「どうしたの?」


「ううん、きっと由美ちゃんはこれからきれいな人になるんだろうな、って思ったらおばちゃん寂しくなっちゃって」


「わたし、美人になれる?」


「うん、なれるわよきっと。おばあちゃんよりもずっと美人さんになれるわ」


「あら、道子さん、いくら孫娘がかわいくたって、まだ私のほうがきれいだと思うわよ?」


いつの間にか私の隣に来ていたおばあちゃんが張り合ってくる。

その隣にはいつものごとく、カタラトフの姿も。


『まぁ、二人とも元がお転婆だったがな』


濡れた私を抱きしめたから、田中さんの服も水がついているかと思えば、なぜかその姿に濡れた箇所はなかった。


まぁ、田中さんのことだから何か使ったんだろうけど。


「一番お転婆だったのはあなたじゃない、花。いろんなところほっつき歩いては木に上って降りれなくなってミーミー泣いてたのはどこの誰かしら」


『そ、それはまだ私が子供のころの話だろうが』


「あら、だったら私たちがお転婆だったのも子供のころよ」


はぁ、と、大きくため息をつくカタラトフ。


『わかった、私が悪かった。ほら、謝るから許してくれ』


「しょうがないわね、許してあげるわ」


田中さんがとってもにこやかな笑顔でそういった。


「ほら、由美も早く着替えてしまいなさい。風邪ひくわよ」


「はーい」















それは、私が着替え終えて、洞窟の外に出たときでした。


ドーン!!


いきなり、どこからか大きな、大砲のような声が聞こえてきた。


ぴきぴき、と、音を立てて空にひびが入った。


『なに!?もう来たのか!!』


隣に並んでいたカタラトフが大きな声を上げる。

「由美、洞窟の中に戻りなさい!!」


おばあちゃんが私に大きな声で言う。


田中さんはまっすぐ、前を、音がした方向をじっと見つめている。


私はといえば、おばあちゃんに言われた通り洞窟に戻らないといけないんだろうけど、急なことで足が震えてまともにゆうことを聞いてくれなかった。


断続的に響く大砲の様な音。

そのたびに空の日々は大きくなり、そのかけらが空か落ちてくる。


さっき聞こえたセミの声も今では聞こえなくなっていた。どこかに逃げたんだろうか。


ひび割れた空から見える灰色の空。


青い空とその灰色の雲はとてもミスマッチの様な。


「由美、ほらいいから早く!!」


私はそのままおばあちゃんに抱えられて洞窟の中に。

その場に残っていたカタラトフと田中さんの背中がどんどん小さくなる。


「お、おばあちゃんいったいどうしたの!?」


ようやく気が付いた私はとっさにおばあちゃんに尋ねる。

でも、おばあちゃんにはそれにこたえる余裕はとてもじゃないけどなさそうだ。


いつも使う道とはまた違った道。

今までそんなのがあったとすら気が付かなかった道に私は置かれた。


「いい、由美。この道をそのまままっすぐ進みなさい」


私の肩をぎゅっと握って目を合わせて言うおばあちゃん。

洞窟の入り口のほうからはいまだに断続して大きな音が聞こえる。


そして、時折人の叫び声のような声も聞こえてき始めた。


「な、なにがあったのおばあちゃん」


私はといえばただただいったい何が起こったのか理解できずに両手を前で組み、おばあちゃんの目を見ることしかできなかった。


「きっとあとでちゃんと説明してあげるから、いいからいまはこの道をまっすぐ行きなさい」


そっと、抱きしめられた後にすぐに背中を押される。

「お、おばあちゃん?」


振り返ったそこにはおばあちゃんの姿はなかった。

と、言うよりもそこにあったのは分厚い石の壁だった。


触ってみてもそこに感じられるのは確かな石の冷たさと硬さだけ。

「おばあちゃん?」


話しかけてみてももちろん石の壁が返事をするわけがない。

壁の向こうにはさっきの道があるという確信があるわけでもない。


ただ、ただ、私は心細くなっておばあちゃんを呼び続ける。


「おばあちゃん?おばあちゃん!?」





それからどれくらい時間がたっただろうか。

5分か10分ほどだろうか。


壁の向こう側からかすかに聞こえていた大砲のような音も消えていた。

相変わらず壁の向こうからの返事は一切なく、ただただ、今は私のすすり泣く声だけが聞こえる。


足が、手が震える。

頭は泣きすぎたためか酸欠になり、なんだかぼんやりとする。


わかっている。

これは何の冗談でも、嘘でも何でもない。


心のどこかに予感めいたものが浮かぶ。


頭ではそれを必死に否定しながらも、心のどこかでわかっていたのかもしれない。



ゆらゆらとおぼつかない足元のまま、洞窟を一人歩く。

コツン、コツン、と杖が地面をたたく音が洞窟の中で反響する。


しばらくあるくと、洞窟の出口らしきものが見えた。



洞窟から一歩外に出る。




そして、




そこには地獄が広がっていた。




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