【7 風の噂】
ナーグを出て三日、まだ山賊には出くわさない。シヴァルトは大胆にも人通りの多い市のど真ん中にいた。
木の葉を隠すなら森の中、とはよく言ったもので、勘付かれることもなく道端で交わされる立ち話から情報を集めることができていた。
――ほとぼりが冷めるまで、このままどこか遠い国にでも身を隠してしまおう。何年か経ってから礼をしに行っても遅くはないだろう。
思考を巡らせながら髪を指で梳いた。
あの日は濃紺に染まったように見えた髪も、陽の光に透かすと銀のきらめきを残している。これが原因で足が付くことなどはないだろうが、ガナイの気遣いは完全に役目を果たしてくれたわけではないようだ。
奇しくも、その髪色はシヴァルトが最も苦手とする人物と同じだった。彼女の底抜けに明るい笑顔が脳裏をよぎり、シヴァルトの端正な顔立ちが苦々しく歪められる。
透き通るように白い肌。警戒心むき出しの瞳は、白銀の宝玉のよう。
町行く他の者たちは、そのほとんどが金の髪に青か金の瞳をしている。その中に一つだけ混ざりこんだ異物のようなシヴァルトは、図らずも人々の視線を集めた。
シヴァルトは皆の視線を横目にいなしながら、市の中を進んでいった。
一目で異国の者と分かるその姿に、市を行く人々はふと立ち止まる。そして、彼に目を奪われた。その美しさはまさに、息をつくのも忘れるほどだった。
歩み去ってゆくシヴァルトを見送って、ようやく我に帰った店の主人が彼に声をかけた。だが、彼はその威勢の良い声が聞こえないかのような足取りで進んでゆく。
その反応は相手が商人であっても、遊女であっても同じだった。
「お兄さん!」
声をかけたのに気付かなかったのかと、彼の袖を引く者もあった。それでもやはり、シヴァルトは見向きもしない。
そこに至って初めて、気付かない振りをされていたのだと思い至るのだ。
気分を害したように立ち去っていく人々にも、シヴァルトは見向きもしなかった。
客引きに内心うんざりしながら、旅に必要な道具を取りそろえた露店の前で足を止める。人嫌いのシヴァルトがわざわざ人混みの中に出てきたのは、旅支度をするためだった。
いつも羽織っている上着は山賊に見られているため、荷袋の一番奥に詰め込んで隠している。そのせいでシヴァルトの容姿が露わになり、余計に人目を集めてしまった。
その視線を無視しながら露店の品を吟味する。すると、気になる会話が耳に入ってきた。
「山賊はまだ捕まらんのか」
「らしいな。まったく……、怖くて山越えもままならん」
「俺らも商売あがったりだな。……しかし、ナーグの鍛冶屋は災難だな」
他人事だからか、内容の割に男たちの声は明るく弾んでいた。
どうやらこの辺りの露店に品を卸しに来た行商人たちが立ち話がてらに情報交換をしている所だったようだ。
露店街の裏路地で商人たちが集まって話をしている姿はシヴァルトもしばしば見かけたが、その内容を気に留めたことはなかった。聞き捨てならない会話に、今回ばかりはシヴァルトも耳をそばだてた。
できることならば商人の輪に混ざって直接話を聞きたいが、そんなことをすれば仲間意識の強い彼らは露骨に警戒するだろう。
「気の毒だが、あの店はもう無理だろうね。あの様子じゃ廃業は確実だ」
「なんだ、お前見てきたのか」
「人を野次馬みたいに言うな。たまたま通りがかっただけだよ」
へへっ、と笑うその様子は野次馬のそれだ。野次馬嫌いなシヴァルトだが、今回もたらされた情報は珍しく有益なものだった。
彼らの話に出たのはガナイの鍛冶屋とみて間違いないだろう。しかし、なぜ。
あの時はスチアとかいう女とガナイが、うまくとりなしていたはずだ。
何が起きたのか一切不明だが、シヴァルトの訪問が原因で商いが出来ない状況になったことに変わりはない。背筋に鉛を流し込まれたような心地で、遠く北方にそびえる山に目を向けた。
あの山を越えて隣のカルマナへ入るつもりだったが、予定を変更した方が良さそうだ。
――急げば明日の日没までに戻れるか。
ナーグからこの町までの道程を思い返し、最も早くナーグへ辿り着けるルートを選別する。
たとえガナイの元へ引き返したとしても、あの老人は何が起きたかについて「お前には関係ないことだ」と言って口を割らないだろう。
万が一、山賊たちに囚われていたとして。ガナイは知らぬ存ぜぬの態度を貫いてシヴァルトを守ろうとするだろう。
シヴァルトがガナイを信頼しているのは、そういった昔気質の職人らしさゆえだった。
それに引き換え、山賊は己の求める者を手に入れるためなら手段を択ばない。――それがたとえ、人の命を奪うような行為であったとてしても。
シヴァルトに関する手掛かりを得ようと躍起になっている彼らは、特に分別を無くしている危険が高かった。
いつの間にやら居着いていたスチアとフィルはどうだろう。
フィルは気概がありそうな少年だったが、脅しには慣れていない。シヴァルトが揺さぶりをかけた時もそうだった。
スチアの方は判然としないが、恐らくガナイから口止めも受けていないだろう。女という生き物は総じて話好きなものだ。少し水を向けられただけで、いらぬことまでベラベラと語りまくる。
二人のどちらか、あるいは両方が山賊に事実を話してしまっていれば、ガナイ夫婦も山賊の恐怖から解放されることだろう。しかし、二人が律儀に沈黙を守ってしまった時には。
老い先短い老人とはいえ、長年世話になった相手だ。
安否を確かめに行くくらいの義理は果たさなければいけない。長旅に備えるためにと選んでいた品を店主に返し、シヴァルトはナーグへの道を急いだ。