【5 不穏の影】
ガナイの手にかかれば刃こぼれした剣も見事に元の姿を取り戻した。修理の痕も、よく目を凝らさなければそれとはわからない。
真横でガナイの手さばきを見つめていたフィルは、始終感嘆の声を上げていた。
「わしはこいつ以外にこの剣を使っとる奴を見たことがない。じゃから、それらしい姿に直すことはできても同じものを打つことはできんじゃろう」
フィルは炉の光を照り返す刀身を眺めながら首をかしげた。
剣は作ることよりも直すことの方が難しく思われる。経験の差なのかもしれないが、ガナイほどの腕をもってしても作ることが出来ないとはどういうことなのか。
疑問に答えるように老人は口を開いた。
「この鉄は特殊なもんでな、わしらが普段使うものよりもうんと強い。じゃからここまで薄くしても折れずに戦うことができる。じゃが、わしはその鉄のつくり方を知らん」
いつもの材で作ったら見事に折れたわい、と自嘲気味に笑った。
ガナイの失敗など想像もつかないフィルは驚きの声を漏らし、剣の持ち主に目を向ける。肝心のシヴァルトはといえば、濡らした布で鞘を磨いていた。
勝手口の扉を細く開け、そこから差し込む光を頼りに丹念に汚れを拭き取る。黙々と作業を続けるシヴァルトはガナイの話など興味がないように小難しい顔をしていた。
鞘を拭いては布を洗い、布を洗っては鞘を拭く。磨くほどに染み付いた血の跡が消え、鞘は本来の黒く艶やかな質感を取り戻していった。
それとは対称的に桶に貯められた水は赤茶色に濁る。
「フィル。どうじゃ、これを作りたいか」
「うん!」
ガナイの問いに満面の笑みで答えると、シヴァルトが扉を完全に閉めた。
外からの光がなくなったことでシヴァルトの姿が闇に沈んだ。炉に灯された火だけが仄明るくガナイたちを照らす。
「ガナイ老、剣を」
光の届く場所まで近づいたシヴァルトが手を差し伸べた。ガナイは逆に鞘を求めると、手入れの具合を確かめるために顔を寄せた。
不意に表が騒がしくなる。荒々しい声で男が怒鳴り立てているようだ。
「老!」
喧噪に急き立てられるようにシヴァルトは語気を強めた。それに応えるように住居と鍛冶小屋を隔てる扉が叩かれ、女が顔をのぞかせる。
「お客さま……いえ、山賊よ」
切羽詰まった声で告げたのは、ガナイの妻とは違う若い女だった。女とシヴァルトは見つめ合うと、互いに居心地悪そうに視線を逸らした。
ガナイだけが一人納得したようにいつもの意地悪い笑みを浮かべると、苦しそうな演技をして腰を上げる。
山賊、という単語に好奇心をくすぐられたフィルも後に続こうとするが、ガナイの厳しい眼差しがそれを牽制した。
「フィル、お前はここに残れ。あいつが代を踏み倒さぬように見張るんじゃ」
ガナイに言いつけられて、フィルの目の色が変わった。突如向けられた疑惑の目に辟易したようにシヴァルトが肩をすくめる。
家の表では早くしろと山賊が怒鳴っていた。
「ちゃんと大人しくしてるのよ。……あなたも」
不信感を拭いきれない様子でシヴァルトを一瞥すると、女はガナイの前に立って廊下を引き返していった。
「ちぇー。スチアのけち」
いかにもつまらないといった表情で槌を指でなぞっている。
その瞳が恐れるように緩やかな動きでシヴァルトを捕らえた。
「……おじさん、お金ないの? ボクが貸してあげよっか?」
「馬鹿を言うな」
不躾なフィルの申し出に、シヴァルトは懐から二枚の金貨を取り出した。
「一枚は相場、もう一枚は割り増し分だ」
普段ガナイに整備を頼んだ時に支払うのと同じ額を突きだすと、フィルは目を丸くした。それもそのはず、金貨が一枚あれば一家族が半月暮らせるのだ。
急に大金を前にしたフィルは金貨を炉の明かりにかざすと穴が開くほどに見つめる。
「おじさんって何者?」
「客だ」
素っ気なくいなすシヴァルトをフィルが睨み付けた。
「じゃなくて! 旅人さん? でも立派な剣だよね。ってことは騎士団の人?」
興味津々で尋ねてくるフィルに辟易して、シヴァルトは首を横へ振った。
フィルの言う騎士団とはヘランの保有する軍隊だ。軍事力に長けた隣国のおかげで戦火に晒されることがなかったヘランでは、形だけのお飾りと化しているが。
その騎士団すらシヴァルトの命を狙う敵であった。
「じゃ、カルマナの人でしょ!?」
シヴァルトの苦い気持ちを遮ってフィルが割り込んできた。その問いには答えず、銀の瞳を静かに閉ざす。
カルマナはヘランと山一つ隔てた陸続きにある唯一の国だ。国土はヘランの軽く六倍。広く海に面した国土を生かし、海路を使った貿易で栄えている。
二国を隔てる山は高く険しい上、カルマナ側では厳重な警備が敷かれている。そのため、国を行き来する手段は専ら船だった。
流浪の旅をするシヴァルトも何度となくカルマナの港を利用してきた。カルマナはヘランと違い様々な国と交易があるので人種も雑多だ。身を隠したいシヴァルトにはもってこいの土地である。
しかし、一部の階級では瞳の色による差別が根強く残っていた。
銀の瞳のシヴァルトとて例外ではない。
「綺麗な髪だもんね」
しみじみと漏らしたフィルの言葉に、シヴァルトは表情を硬くした。鞘に納めたままの剣を素早く構える。
暗闇に油断してコートを脱いでいたのだ。
「俺のことは口外するな」
静かな声だった。
鋭い殺気をまとった剣先がフィルの喉元に触れる。鞘越しであっても切リ裂かれてしまいそうな緊張感が空間を支配した。
冗談などではないことを悟ったフィルは表情を一転させ、身体を強張らせた。
好奇心旺盛な子供のこと。今はこう答えていても、ふとした拍子に口を滑らせるかもしれない。
そうなった時に困るのはシヴァルト自身ではなくガナイだ。罪人として追われている者を匿えば、匿った者も同等の罪を背負うことになる。
――問答無用で斬り伏せるべきか。
シヴァルトは一瞬思案した。
曲がりなりにも、ガナイのような堅物が跡継ぎとして選んだ少年だ。ここは信じるべきなのだろう。
苦々しく思いながらもフィルの喉を捉えていた剣先をゆっくりと降ろした。緊張から解放されたフィルは、安堵で表情を崩した。その隙すら与えぬように、シヴァルトは冷たく険しい眼差しで淡々と言い放つ。
「口外すれば女を殺す」
スチアと呼ばれた若い女はフィルと親密そうだった。年の頃を鑑みるに、姉か何かだろう。
身内を人質に取られれば、人間は弱い。
フィルも例外ではないようで、何度もうなずいていた。
「わかったよ。……でも、何で隠すの?」
子供ならではの純粋な瞳に見据えられ、シヴァルトは眉間にしわを寄せた。
沈黙して対峙する二人を引き裂くように扉が開かれる。薄明りの中に佇んでいたのは、ガナイだった。