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【3 鉄を打つ老人】

 剣についた血を払うと、ふもとの様子を窺った。

 早朝の出発を狙っていた商人たちが、列をなしてちらほらと動き始めている。この様子だとしばらくはナーグに近づくことは難しいだろう。


 とはいえ、この場に留まることも危険を伴う。仲間が戻らないことに気付いた山賊のたちが近辺を探しに来るのは時間の問題だ。

 先ほどの戦闘が剣に与えた負荷を考えると、残りの山賊を相手に立ち回るのは賢い判断とは言えない。


「……仕方ない」


 シヴァルトはため息をつくと枝に掛けてあったコートを羽織った。そして、獣道ではなく急な斜面に足を向けた。

 獣道は蛇行しながら緩やかに下る安全なルートで、斜面を直接下るのは危険を伴う近道だ。鬱蒼と茂る森のせいで視界がききづらく、足を絡めとろうとする木の根や獣が掘ったと思われる穴も点在する。気を緩めれば方向すら見失ってしまいそうな悪路であった。

 体が触れて、木の枝がはねる。乾いた枝先が顔を掠めてもシヴァルトは足を緩めなかった。


 ときおり足を止めては周囲の様子を窺う。人の気配はどこにも感じられなかった。

 シヴァルトの心配を嘲笑うかのように森は静かだった。


 木の枝に当たってできたかすり傷はできる傍から癒えていく。朝に負った刀傷もほとんど塞がっていた。深く裂けた手甲だけが戦いの激しさを物語る。

 この治癒能力こそがシヴァルトを流浪の生活に陥れた原因だった。


 どんな病でも、致命傷に至る大怪我でさえもたちどころに回復してしまう。死なない体。――あるいは、死ねないというべきかもしれない。


 その神秘を解明しようとする者や、不死身の兵士にしようとする者、果ては罪人として賞金をかけて捕らえようとする者まで現れた。

 しかし、シヴァルトも治癒力を除けば普通の人間だ。痛覚もあれば感情もある。もっとも、これまでの生活で酷く薄くなってしまったのだが。


 隠れて生きるには目立ちすぎる髪や瞳のため、名を変え職を変えても心安らぐことはできなかった。

 そんなシヴァルトにも少数ながら信頼のおける人物がいる。今回ナーグを訪れたのも、そのうちの一人に会うためだった。


 遠くから鋭い音が響いてくる。鉄を打つ音だ。シヴァルトはそちらの方角に進路をとり、さらに山道を歩んだ。

 傾斜はかなり緩くなり、村を俯瞰できるところまで来た。あちらこちらの家の煙突から煙が昇っている。時刻はちょうど昼時のようだ。

 大市の終わった村は、早くも平穏を取り戻し始めている。


 市の賑わいも関係なく鉄を叩き続ける変わり者。

 それが目的の人物を端的に表した評価だった。変わり者であればあるほどシヴァルトにとって都合が良い。シヴァルトのような者が訪れても周囲から詮索されることはないからだ。


 木造の平屋の横に土壁の小さな小屋が取り付けられたちぐはぐな建物の裏手に辿り着くと、小屋の裏口をノックした。返事を待たずに扉を開け、室内に滑り込む。

 勝手口を入った途端、シヴァルトの体は蒸し焼きになりそうな熱気に包まれた。窓もない小屋の暗闇の中に赤い光がごうごうと音を立てて燃え盛っている。

 細かい火の粉を吐き出す炉の前に座っていた人物が視線を上げた。


「……はて、わしも耄碌もうろくしたか」


 瞬きを繰り返しながら、老人は目を細めて眉間にしわを寄せる。渓谷のようなしわを目でなぞりながら、シヴァルトは嘆息を漏らす。


「ガナイ老……」

「おぅ、本物じゃったか。久しぶりだな」


 呵々かかと豪快に笑ったガナイは右手に持っていた槌を床へ置いた。さらに、炉の中から赤く灼けた鉄の棒を引きずり出すと、作業台に置き色味が落ち着くのを待った。

 灼熱の熱気を放つ鉄の塊が光を失ったのを見計らって水槽に沈めた。大きな音がして二人を遮る煙幕のように蒸気が立ち昇る。


「良いのか」

「構わんさ。続きは若いのにやらせる」


 老人の言葉にシヴァルトは目をわずかに大きく開いた。

 弟子入りを志願してくる奴はいないし、来たとしても弟子にするつもりはない。

 ガナイは常々そう語ってきた。いつの間に心変わりしたものか。疑問の色をたたえたシヴァルトの目を見て、老人は口角を緩める。

 顎をしゃくって母屋に続く扉を示すと、よいしょと声を出して立ち上がった。応接間に向かおうとしているのだ。シヴァルトも無言でそれに続く。


 慣れた家の中を歩いていると、向かいから少年が現れた。年の頃は十ほどと思われる少年はパッと顔を輝かせてガナイに駆け寄った。


「おじいちゃん、おはよう」

「フィル。昼餉は終わったか?」

「うん。今日はおばあちゃんがね、……――」

「作業場に打ちかけの短剣がある。続きはお前がやれ」


 にこにこと話し始めた少年を遮って指示を出す。ガナイの表情は職人のそれだった。

 日に焼けた肌と快活そうな瞳が印象的な子供だが、弟子にするにはいささか幼い。


 弟子入りを志願した者の中にはフィルよりもふさわしい屈強そうな若い男もいた。それを追い返しておきながら、槌を真っ直ぐ振り下ろせるかも定かではない子供に鍛冶を教えるとは。

 全く以てガナイという老人の考えは読めない。

 シヴァルトは苦い顔で肩を竦めた。


 フィルは不安げな上目遣いでガナイを見やる。その時にはもうガナイの注意は応接間に向いており、シヴァルトもガナイについて部屋へ入るところだった。

 自分よりも見知らぬ相手に構うガナイを面白くない気持ちで見送ると、唇を尖らせたフィルは鍛冶小屋の扉をくぐった。

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