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【2 朝日に紛れる】

 空が白み始めたばかりの、獣さえ夢からさめきらぬ早朝。心地よいさざめきを踏み荒らすように複数の足音が森を分け入ってきた。話し声も微かに聞き取れる。

 人間が来たのだ。


 道なき道を迷いなく進む靴音は、この山に相当慣れた者たちのものだと知れる。

 木の上のシヴァルトはわずかに身を起こした。足音は二つだが、かすかに三つ目の気配が感じられた。


 ――手練れがいる。野宿を狙う山賊か……。


 昨夜で大市が終わり、商人たちは各々の故郷へ引き上げる支度に入っていた。まだ宿に宿泊している者もたくさんいる。中には商魂たくましい者もいて、日の出とともに発とうと考える一団が交代で不寝番をしている様子も見られた。

 空が薄白んでくる時間は、油断が起きやすい。無防備になったその隙を狙う山賊の一団が手分けして山中を捜索しているのだろう。


 左右の草むらを踏み荒らしながら進んでくるのは下っ端で、二人を監視する役目を負った中堅がしんがりを務めているようだ。下っ端の足音が騒がしいのは、何かを探すためではなく単に山道を歩き慣れていないためだ。彼らの目的はこの先であって、絶好の機会を逃すまいと勇んでいる。

 足音と気配からそれだけの情報を得る。


 取るに足らない相手だと見極めると、シヴァルトは気配を消したまま彼らを監視し続けた。

 シヴァルトの位置からちょうど三人の姿を確認した時、下っ端の足音の片方が止まった。


「……おい、あそこに何かあるぞ」


 周りを気にする様子がない声量を他の二人が諌める声が続く。

 勘付かれたのか。首筋が粟立つような危機感に息を呑んだ。


「おカタイことはいいからよォ、あれを見ろ」


 山賊の言葉に続いて、他の二人の視線が飛んできた。

 コートの色は朝日に照らされた枝が落とす影よりも暗い。闇に溶け込み、身を隠すはずのものが仇となったのだ。

 フードを脱ぐと、手早く髪を結った。上着は一本下の枝にかけ、剣を足元の枝に添うように乗せる。


「あれは……」

「きっと上等な上着だろゥ? あれさえあれば冬は凍えずにすむぞ」

「そうだな。売れば三人分の上着代くらいにはなりそうだ」


 おかしらにぶん取られなければな、と付け加えながら、山賊たちが木の根元に近付いてきた。

 コートを囮にしたところで、逃げ場となるような枝はもうない。これより上はいつ折れてもおかしくない細い枝ばかりだ。


 不幸中の幸い、山賊たちはシヴァルトの存在に気付いていなかった。

 腹を決めると、物音がしないように気を配りながら隣の枝に乗せてあった木の実の種を握った。あの渋い実の種だ。

 両端が尖った楕円形の種は固い殻に覆われている。殺傷能力まではないが、相手の動揺を誘うには十分だろう。


 ひときわ声の大きい男が木の真下に立ったのを認めると、シヴァルトは手首を軽くしならせて種を手放した。

 種はまっすぐに落下していき、男の額を打って地に落ちる。


「いてっ」


 突然のことに額を押さえた男は、自らを襲ったものを求めて地面に視線を向けた。

 その隙を見逃さず、シヴァルトは剣を携えて隣の枝に飛び移った。いくら細身といえど、大人の男。重さに耐えきれない枝はメリメリと音を立てながら繊維を弾けさせた。

 その音に驚いて硬直する山賊の上に、大きく葉を広げた枝とシヴァルトが降りかかる。


「う……うわあぁぁぁァッ」


 仲間の悲鳴に何事かと呆気にとられる二人の山賊の前に、シヴァルトは静かに降り立った。声の大きな山賊は彼の足の下で枝の下敷きになってのびている。その身体は多くの枝に傷つけられ、身を守ろうと構えた腕はひしゃげていた。

 決して小柄ではない山賊たちよりも、シヴァルトは頭ひとつほど背が高い。剣を持たない左手で体についた木の葉を払うと、残る二人と向き合う。


「……ハッ、まさか中身・・入りだったとはな」


 自嘲気味な笑いを漏らすと、一人が腰に下げた山刀を抜いた。戦いに慣れているらしい彼の動きに続いて、もう一人も慌てて山刀に手を伸ばす。

 しかし、その時にはすでに遅く、シヴァルトの剣が男の腕を切り落としていた。


 腕を失った男は状況が飲み込めぬまま呆然と立ち尽くす。ボタボタと流れ落ちる己の血を眺めるうちに我に返り、向かい合う二人に背を向けて逃げ出した。不甲斐ない姿に、山刀を構えた山賊が舌打ちをする。

 三歩も進まぬうちに落ち葉に足をとられると、腰が抜けたように崩れ落ちた。


 そんな下っ端には目もくれず、一歩で間合いを詰めたシヴァルトが剣を振るう。不意を打った一撃は、甲高い金属音を響かせながら弾かれた。


「異国の剣か」


 シヴァルトの剣を見た山賊が、嘲笑を漏らした。元から刃こぼれしていたシヴァルトの細身の剣とは異なり、厚みのある山刀は傷ひとつ受けていない。

 山賊が攻撃に転じると、シヴァルトはそれを受け流しながら徐々に後ずさった。刀身の薄さもあり、剣は今にも折れてしまいそうだ。


「……カルマナ織の上質な上着だな。それを置いて大人しく立ち去れば命だけは勘弁してやるよ」


 山賊はシヴァルトの身体を舐めるように見回して下卑な笑みを浮かべた。

 シヴァルトは銀の瞳を男から逸らすと、真横の草むらへ飛び込んだ。そのはずみで剣が手をすり抜けた。

 戦いを放棄したとみて、山賊の山刀が煌めく。


「ヴッ……」


 殺意のこもった動きを止めたのは、低い呻きだった。腕を切り落とされ、逃亡したはずの仲間の声だ。

 山賊が状況を飲み込めずにいると、鈍い衝撃が脇腹を打った。丸腰と思われたシヴァルトが手投げナイフを放ったのだ。

 染み出した血のぬくもりが、敵の動きを察知しながら動けなかった事実が不快だった。


 他人事のような光景の奇妙な感覚にとらわれていると、三歩で元の間合いに戻ったシヴァルトの長い腕がナイフの柄に伸びる。

 それを抜かれればどうなるかは容易に想像が付いた。その先に待つ死を感じ、震えが走った。


 追いはぎをしようとした相手――しかも、たった一人――に返り討ちにされたとなれば山賊一味の名折れだ。

 上等なコートのことなど構う余裕もなく、生き延びるために山刀を振るった。


「貴様ッ……、言葉も通じん異国人のくせに」


 捨て鉢になった男の凶刃が、シヴァルトの左腕を捕らえた。木の枝を払うための山刀は、容易く皮の手甲を切り裂く。切れた手甲の隙間から血が滲んだ。手ごたえはあったが、骨まで届いただろうか。

 シヴァルトの血が山刀の柄を伝って流れ落ちる。とめどない出血は山賊の脇腹の傷よりも深く思われた。

 痛みゆえか不機嫌そうな顔を一層しかめると、左腕を盾のように使って距離を詰めた。

 さらに肉がえぐれ、血が噴き出す。


 想定外の行動に山賊の反応が遅れる。

 シヴァルトは無事な右手で手投げナイフの柄を握ると、山賊の腹に強力な蹴りを入れた。ぐ、と低い声を漏らしながら山賊の体は後方に飛ばされる。その勢いでナイフが抜けた。

 山刀は山賊の手をすり抜け、弧を描いて舞った鮮血が黄色だった落ち葉を染ていく。


 辺りに血の臭いが充満した。

 だらりと降ろされたシヴァルトの左手は太い血管を損傷し、指先まで真紅に染まっていた。

 髪を結んでいた紐をほどいて傷より上をきつく縛る。それ以上の手当などせず、山賊が落とした山刀を拾い上げた。向かったのは剣を投げ込んだ草むらだ。

 腰ほどの高さがある草を山刀で薙ぎ払う。


 そこには、利き腕を切り落とされた山賊が剣に貫かれて絶命していた。

 山賊には剣を取り落したように映った動きも、この男の逃亡を防ぐものだったのだ。シヴァルトは無表情のままで剣に手を掛けると力を込める。

 手投げナイフを抜かれて虫の息になった山賊もぶざまな姿を晒していた。


 シヴァルトの素性に気付いているかどうかにかかわらず、彼に武器を向けた人間は同じ末路を辿った。自衛のために必要な措置だ。

 もはや当然となってしまった行為に、罪悪感も嫌悪感も割り込む隙はなかった。

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